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「子どもたち全員に」を意識せよ!

これまで述べてきたように、私の挙げる「良い国語科授業の三条件」は以下の三つです。

  ① 子どもたち全員に学習意欲を喚起する。
  ② 子どもたち全員に国語学力を保障する。
  ③ 子どもたち全員に思考を促す。

「学習意欲」「国語学力」「思考」の三拍子を常に意識するのです。この三つの保障された授業は、私にとって良い国語の授業です。

ただし、ここで留意しなければならないのは、私がこの3点すべてにおいて、「子どもたち全員に」という枕詞を付していることです。

「全員」とはあくまでも「全員」です。

授業中に立ち歩くことの多い、あなたが毎日苦労させられているあのやんちゃ系の男の子も。授業中に声を出したことのない、あの寡黙な女の子も。みんなと一緒に活動することが困難な、ときにパニックを起こしてしまうこともある、あの支援を要する子も。みんな、この「全員」には含まれます。

そんなことは無理だと思われるかもしれません。現実的には、難しい場面もたくさんあるでしょう。しかし、最初から諦めるのでなく、何か工夫はないかと考えてみる。思考してみる。そこに「教材開発」が生まれ、「授業研究」「実践研究」が生まれます。

指導が困難な子を最初から切り離して行う授業研究は、教育界では「研究のための研究」と呼ばれ、忌み嫌われます。教師がそうした態度でいると、その、あなたが指導困難と感じている子どもたちも、次第にあたなに切り捨てられていることに気がつき、よけいに授業から、学級から、そしてあなたからも離れていきます。

逆に、5回に4回は失敗したとしても、先生は自分を相手にしようとしている、真剣に向き合おうとしている、授業に参加させようとしている、学力をつけようとしてくれている、その子たちがそう感じたならば、決して離れていくことはありません。もちろん一朝一夕にうまくいくものではありませんが、決して致命的なトラブルには陥らなくなります。「問題傾向」と呼ばれる子どもたちが教師に求めているのは、「教え方」ではありません。教師の「在り方」なのです。

学習指導要領にも、さまざまな授業の指南書にも、こういう授業が良い、こういう学力をつけなければならない、と書いてあります。そのせいで、教師はどこか自分の学級とは別のところに「あるべき授業の姿」があるように感じていまいます。しかし、そうではありません。

授業づくりの原点は、あくまであなたの目の前にいる子どもたちなのです。そこから出発しない限り、あなたはいつまでも「ないものねだり」の蟻地獄に陥ります。

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