学習の意義を伝えよ!
「初発の動機づけ」において、最も簡単にして重要なのはその学習の意義を伝えるということです。これはとても重要なことなのですが、国語の授業ではほとんど行われていません。
ためしに、最近おこなった国語の授業を思い返してみましょう。今日の授業でも昨日の授業でも構いません。その授業には発問もあったし指示もあったし活動もあったかもしれませんが、その学習の意義を伝えるという場面はなかったのではないでしょうか。
人間は目的のわからない活動はやりたくないものです。あなたは何のためにするのかわからないままに校長先生に命じられた仕事に、一所懸命に取り組むことができますか?できないはずです。しかし、なぜそれをすることが必要なのか、どのように子どもたちのためになるのかが納得できれば、「よく自分にこの仕事を依頼してくれた」と校長先生に感謝さえするのではないでしょうか。人間の意欲とはそういうものです。
子どもたちだって同じです。何のためにこの学習に取り組むのか、この学習活動に取り組むことによって自分にどんな力がつくのか、そしてその力は将来どんなふうに役立つのか、これらのことがわかり納得したならば、多少難しさくらいはモノともせずに頑張ろうとするのです。
昨今、「インストラクション」という語が流行しています。授業や活動の冒頭にその趣意を説明することです。
私は授業の「インストラクション」には次の三つが必要だと考えています。
① その1時間で身につけなければならない国語学力の意義・価値(将来、どのように役に立つのか。将来、どのように自分の人生を豊かにするのか。)
② その1時間で身につけなければならない国語学力の自己評価規準(最終的に何がわかれば、何ができればその学力を身につけられたと言えるのか。)
③ その1時間の学習活動のフレーム(この1時間がどのように進み、具体的に何をすることが求められているのか。)
私たち大人にとって45~50分という時間は、決して長い時間ではありません。しかし、日々新しいことを学び、自らを成長させようとしている子どもたちにとっては、また日々さまざまな刺激を浴びながら過ごしている子どもたちにとっては、私たち大人が感じている以上に授業の1時間は刺激的な瞬間瞬間の連続なのです。
そのような長い時間を子どもたちに一つの学習活動に集中して取り組むことを求めるわけですから、しっかりとした見通しをもたせて、安心感のある有意義な時間を過ごさせてあげる努力をすることは、私たち教師の責務と言えるのではないでしょうか。
| 固定リンク
「書斎日記」カテゴリの記事
- なぜ、堀先生はそんなに本をたくさん書けるんですか?(2015.11.22)
- 出会い(2015.10.28)
- 神は細部に宿る(2015.08.20)
- スクールカースト(2015.05.05)
- リーダー生徒がいない(2015.05.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント