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つながりは視野を狭くする?

「世間」が壊れたと言われる。「世間様に顔向けできない」も死語になった。しかし、いまだに僕らは「世間」を生きている。

ためしに自分が、職員室で人目をはばからずに喧嘩ができるかを考えてみるといい。ためしに自分が同僚と不倫をして、それが皆の知るところとなった場面を想像してみるといい。ためしに自分が何かの事案で戒告処分を受け、新聞報道されると想定してみるといい。きっとあなたの精神はこのどれもに耐えられないはずだ。辞めてしまおうかとさえ思うに違いない。どれもこれもが、まさに「世間様に顔向けできない」からに相違ない。

阿部勤也は「世間」を「自分と利害関係のある人々と将来利害関係をもつであろう人々の全体像の総称」(「『世間』への旅」)と定義した。それは基本的に同質な人間からなり、一般的には外国人を含まず、排他的で差別的な性格をもっている。職員室の同僚の目が気になるのは自分と利害関係をもつ人々の最たるものであるからだ。同僚に嫌われると仕事がやりづらい。同情されるのはプライドが許さない。嫉妬されるとあることないこと言われかねない。そんな利害関係に基づいた「世間性」が「辞めてしまおうか」とまで思わせるのである。

一方で若い人たちを中心に「つながり」が大流行している。熟議やファシリテーション、民間研究団体のイベントに参加して、自己研鑽を重ねる若手教師がたくさんいる。ツイッターやフェイスブックを見ると、「今日も新たなつながりを得た」「新しい人とつながることができた」との投稿が目立つ。決して悪いことではないが、一方で、全面的に良いことだというのは僕にははばかられる。僕もファシリテーションや民間研究会のイベントに登壇する者の一人として、そうした場で出会う若者たちのなかに、自分の職場を蔑ろにする者が少なからずいるからである。

日本人はもともと「世間」を生きていて、「社会」を生きていなかった。論理的に正しい生き方を志向するのではなく、「世間」の義理と人情を優先して生きてきた。いま、「世間」が壊れ始め、「世間」に息苦しさを感じている若者たちが、「職員室の世間性」から逃げ出して、利害関係のない校外のイベントに活路を見出そうとし始めている。その場がストレートに「社会」とつながっているように思えているのだろう。結果、イベントで学んだことが論理的にも社会的にも正しいことであり、義理と人情で動き、原理・原則で動かず、ときに臨機応変という名の様子見がはびこる「世間」そのものである職員室に違和感を抱くようになる。職員室の人間関係に軋轢を起こす者さえ少なくない。

しかし、いくらそれらのイベントが楽しくても、実際に自分が仕事をしなければならないのは勤務校の職員室なのである。だいいち、そうしたイベントに登壇している者たち、事務局として運営している者たちも、職場に帰ればちゃんと「世間」を生きているのだ。ためしにそれらの研究団体に所属して、運営する側や登壇する側の立場になってみるといい。そこにもちゃんと「世間」があり、義理・人情・様子見で動く納得のできない構造がちゃんとある。まず間違いなく、「こんなはずじゃなかった……」に陥るはずだ。

若者たちは何らかの理念、何らかの実践に触れて、「ああ、これこそがほんものだ」と思いがちである。でも、世の中に「ほんもの」などない。個別具体的な事案において、個別具体的なよりベターな方策があるだけだ。様々な研究団体は自分たちの理念や実践を広めるために、それが万能であるような物言いをするけれど、人間相手の教育という営みにおいて万能な方法などあり得ないことはちょっと考えればわかることだろう。

「つながること」は〈手段〉であって〈目的〉ではない。こうこうこういう〈目的〉のために何かいい〈方法〉はないかと考えたとき、初めてこの「つながり」を得てみようか、この「つながり」とあの「つながり」を得て比較対照しながら学んでみようかと、「つながること」を活かせるようになるのである。決して、「つながること」それ自体に価値があるのではない。

様々なイベントに参加して非日常に浸かり、ある種のカタルシスを得たとしても、その理念や実践を持ち帰って実践すべき場はあくまで日常空間たる勤務校である。そこにはしっかりと「世間」が根付いていて、自分がいいと思った理念や実践との軋轢媒体がわんさかと積み上がっている。ついつい「うちの学校は……」と批判したくなる。自分自身が排他的になっていることに気づかなくなる。しかし、そんな愚痴を言ってみても何も変わらない。自分が職員室で浮いていくだけである。自分の視野が狭くなっているだけなのである。

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