学ぶことは実は危険なこと?
知ることは危険なことだ。学ぶことも危険なことだ。あなたはこのテーゼを実感しているだろうか。おそらく、こう感じた経験のある読者は少ないだろうと思う。でも、これは「知」というものの本質である。知れば知るほど、学べば学ぶほど、そしてそれが主体的であればあるほど、人は混乱に陥らざるを得ない。他人との軋轢を経験せずにはいられない。たぶんそれを実感していない人はほんとうには知ろうとしていないし、ほんとうには学んでいないのだと思う。
僕は学生時代、三島由紀夫を読み、和辻哲郎を読み、エリクソンやヴントを読んで、内省を繰り返すことでどうしようもなく自己崩壊を起こしてしまい、半年くらい部屋に引きこもったことがある。だれにも会わず、どこにも行かず、飯も喰わず、酒も呑まず、ただ本を読み、ただ煙草を吸いながら、数ヶ月間自室に引きこもったのだ。しまいには栄養失調で躰中に湿疹が出る始末。父とゴルフ仲間だった近くの内科医に「このままだといずれ死ぬ」と宣告されたほどだ。このとき僕は、「ああ、知というものはベクトルを自分に向けた途端に自らを崩壊させてしまうものなのだなあ」と実感させられた。
僕の盟友に石川晋という男がいる。発達障害を自認して止まない、他人との距離感覚を測ることを大の苦手とする変人教師である。彼を見ていると、よせばいいのに、自らの知を、自らの学びを常に他ならぬ自分自身に向け続け、自己崩壊を繰り返している。それでも新しいことへの希求をやめられずにどんどんおかしくなっていく。最近は彼も五○に近くなって、さすがに自らを調整するスキルを身につけ、少しずつ世の中と折り合いをつけられるようになってきているけれども、やっぱりいまでも、周りと大きな軋轢を起こしてひどく落ち込んでいることがある。「堀くん、オレ、またやっちまったよ」と落ち込んでいる。まあ、その生きづらそうな趣はやはりいまだに持ち続けているわけだ。おそらく生涯、直らない。直るはずもない。同じような特性を僕ももっているのでよくわかる。
若い頃、僕はある生徒に実存主義を語って聞かせたことがある。その生徒が真綿のように僕の言っていることを吸い込むのが面白くて、それを教師冥利に尽きると感じて、毎日毎日、サルトルやハイデガーを語って聞かせたことがある。その生徒は数ヶ月で壊れてしまった。家出をしたり、両親に反抗したり。おそらく実存主義思想のベクトルを自己に向けてしまったのだろう。若気の至りとはいえ、僕も罪なことをしたものだ。この生徒にだけは生涯顔向けできない……僕はいまでもそう感じている。
教員向けセミナーで講演なんかしていると、僕の話を聞いている参加者の表情を見ているだけで「ああ、この人は成長するな」「ああ、この人は成長しないな」とわかってしまうことがある。一度でも僕の話を聞いたことがある人はわかると思うけれど、僕の講演内容は、一見実践報告をしているように見えながら、実は一般に先生方が無意識にやっていることの悪しき構造を曝く……という題材が多い。社会学っぽいところがあり、構造主義的であるとも言える。まあ、僕の好きな学問分野を下敷きにしているわけだから当然そうなる。できるだけすぐに役立つようなネタを入れようとはしているけれど、最後の最後にはどうしても無意識構造を曝いて注意を促すというメッセージになる。参加者のなかには、僕が曝いた構造を自分に向けながら聞いている人と、職員室のだれかを思い浮かべて心のなかで批判している人とがいる。参加者の表情を見ているとそれが伝わってくる。もちろん、前者が成長する人で、後者が成長しない人であるのは言うまでもない。ただし、前者だからと言って必ず成長するという保証もできないけれど……。
教員向けセミナーのようなビジネススキルについて考える場に集う人たちでさえ、講師の伝えようとしているスキルが自分の外に厳然として存在するのであって、それを身につければ自分もうまくできるようになる……などという馬鹿げた幻想を抱いている人たちがたくさんいる。知ったことも、学んだことも、決して自己の在り方に向けることなく、その知によって、その学びによって内省しない人たちがたくさんいる。せいぜい、自分のこれまでの失敗を振り返って、「そうか、だから失敗したんだな」という程度の反省しかできない人たちがたくさんいる。すべての事象には何か〈原因〉があって、それが成功や失敗といった〈結果〉をもたらすのだという「因果関係信仰」を抱いている人たちがたくさんいる。でも、そうじゃない。自分が知の本質、学びの本質を知らないからいまそこで起こっていることの本質を理解できないのである。そう考えなくちゃ、先には進めない。
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