文は人なり
次年度、ある雑誌で決まっていた連載が第1回を書いたあとのやりとりで辞退させていただくことになった。次号予告で案内が掲載されてしまっているようなので、この連載がなくなったことについて、不遜を承知で予
連載依頼が来たのは12月11日。このとき、「堀祐嗣様」と僕の
ところが、年が明け、1月が終わろうとしても執筆依頼書は届かな
2月中旬になって、校正原稿がPDFで送られてきた。3行字数オ
「僕にとっては1行もカットすべき言葉はありません。小見出しを
しかし、この僕の物言いが編集者や編集委員は気に入らなかったら
この編集者とは仕事はできない、と思った。やりとりの最後には、僕は失礼を承知で「殿様商売雑誌」という言葉を投げつけた。自分のミスを棚に上げて、言うことを聞けという構造だ。そんな言うことは聞けない。これは僕の生き方なので、たとえ世界中を敵にまわしたとしても改められないこだわりである。
僕は「THE 教師力」の編集していても、他人の原稿を絶対にいじらないことにしている。求められれば意見は言うけれど、自分で他人の原稿をいじることは絶対にしない。僕にとっては常識である。森田・鹿内という二人の師匠もそうだった。卒論さえ、絶対にテニオハひとついじることはしなかった。それが「人」を尊重するということだ。
結局、言葉というものに対する思い入れの問題、というか認識の問題である。言葉を道具だと思ってるから、他人の原稿をいじれる。「文は人なり」という使い古された言葉を実感している人としていない人との間に起こる軋轢だ。
編集者の悪口を書いてしまったので、逆のパターンについても触れ
今週月曜日、授業を終えて職員室に戻ると、見知らぬ方からの封書
実は依頼日は、僕が実父の納骨に行こうと、まるまる1週間日程を
「拝復 ○○先生/堀裕嗣@札幌です。/この度は私のような者に
僕にはこういう生き方しかできない。
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