次年度、ある雑誌で決まっていた連載が第1回を書いたあとのやりとりで辞退させていただくことになった。次号予告で案内が掲載されてしまっているようなので、この連載がなくなったことについて、不遜を承知で予め書いておこうと思う。
連載依頼が来たのは12月11日。このとき、「堀祐嗣様」と僕の名前が間違っていた。編集者としていかがなものかと思うが、この段階では僕は腹を立てていなかった。僕の名前は難しいのでよくあることなのだ。だから、「またか…」と笑っていた。僕は幾つかの確認をした後、引き受ける旨を連絡した。編集者は2月上旬が連載第1回の締切であること、後日、執筆依頼書を郵送することを連絡してきた。これが12月中旬。
ところが、年が明け、1月が終わろうとしても執筆依頼書は届かなかった。そして2月上旬になって、編集者から連絡が来た。執筆依頼書を郵送していなくて申し訳ないが、第1回を執筆して欲しいとのことだった。僕の手元にある執筆フォーマットの情報は21字×234行という、最初のメー...ルでの字数のみ。僕は「まあ、そういうこともあるだろう」と21字×234行で原稿を書いた。その際、僕は普段、様々な雑誌で基本フォーマットとしている小見出し2行取りで書いた。
2月中旬になって、校正原稿がPDFで送られてきた。3行字数オーバーしたから3行カットしろという。しかも、ご親切なことに「ここをカットしてはどうか」と提案してきた。これで僕はキレた。実は小見出しは3箇所。つまり、2行取りにするか3行取りにするかで、3行の字数オーバーが生まれるか否かということだ。そこで、僕は送り返した。
「僕にとっては1行もカットすべき言葉はありません。小見出しを2行取りにすることで対応してください。それができないなら、掲載を見合わせてください。よろしくお願い致します。」
しかし、この僕の物言いが編集者や編集委員は気に入らなかったらしい。おそらくこれまで、イエスマンとだけ仕事をしていたのだろう。冗談じゃない。執筆依頼書さえ送られてきていれば、おそらく見本の原稿フォーマットが同封されていたはずだ。それがないから起こっていることではないのか。
この編集者とは仕事はできない、と思った。やりとりの最後には、僕は失礼を承知で「殿様商売雑誌」という言葉を投げつけた。自分のミスを棚に上げて、言うことを聞けという構造だ。そんな言うことは聞けない。これは僕の生き方なので、たとえ世界中を敵にまわしたとしても改められないこだわりである。
僕は「THE 教師力」の編集していても、他人の原稿を絶対にいじらないことにしている。求められれば意見は言うけれど、自分で他人の原稿をいじることは絶対にしない。僕にとっては常識である。森田・鹿内という二人の師匠もそうだった。卒論さえ、絶対にテニオハひとついじることはしなかった。それが「人」を尊重するということだ。
結局、言葉というものに対する思い入れの問題、というか認識の問題である。言葉を道具だと思ってるから、他人の原稿をいじれる。「文は人なり」という使い古された言葉を実感している人としていない人との間に起こる軋轢だ。
編集者の悪口を書いてしまったので、逆のパターンについても触れておこうと思う。
今週月曜日、授業を終えて職員室に戻ると、見知らぬ方からの封書が届いていた。封を開くと、講演依頼である。1月11日、愛知県大口町での講演会に参加された、ある校長先生からの御依頼である。3枚にわたって、講演の感想から、僕への依頼の趣旨、学校や地域の現状など、びっしりと綴られている。
実は依頼日は、僕が実父の納骨に行こうと、まるまる1週間日程を空けておいた週だった。この週にはこれまでにも幾つか講師を依頼されたのだが、すべて断ってきた。しかし、これほど誠実に、丁寧な対応をされたのではお引き受けしないわけにはいかない。
「拝復 ○○先生/堀裕嗣@札幌です。/この度は私のような者に御依頼頂き、ありがとうございます。ご丁寧なお手紙に感激いたしました。返信が遅れましたこと、お詫び申し上げます。実は研究会開催日が実父の納骨に行く週として、1週間まるごと空けていた週だったものですから、日程の調整にちょっと手間取りました。こういう事情ですから普通ならお断りするところですが、このようなご丁寧なお手紙を頂いたのでは、お断りするわけにはまいりません。謹んで御依頼に応えさせていただきます。このようなご丁寧な御依頼をされる方を前にして、ほんとうに私のような若輩者でよいのだろうかと恐縮しております。この度はありがとうございました。(以下略)」
僕にはこういう生き方しかできない。
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