借り物を捨てよ!
前の頁でメモを取ってみることなく、この頁を読み始めたあなた。あなたは国語の授業をつくる才能に恵まれていないかもしれません。
国語科はごくごく簡単に言えば、「言語活動」を通して「言語能力」を高める教科です。自分の頭で考え、「言語活動」に取り組む癖のない人に、良い国語の授業はつくれません。
前頁の「言語活動」に取り組むことなく、あなたがこの頁に進んだということは、考えが浮かばなかったのか、考えるのが面倒だと思ったのかはわかりませんが、いずれにしてもあなた自身の頭で考えることを放棄して、まずは私(堀)の考えを知ろうとしたことを意味します。自分で考えずに他人の考えを知って楽をしようとしたことを意味します。そして、それは国語科授業の目的からは最もはずれた行為なのです。
話がお説教臭くなったと思わずに、もう少しお付き合いください。
例えば、日常的に辞書を引かない教師に、子どもたちに「辞書を引きなさい」と言う資格があるでしょうか。人前でスピーチをすることに臆する教師のもとで、子どもたちがスピーチの学習に活き活きと取り組むということがあるでしょうか。自分はその文学教材に感動もしていない、読み込んでさえいない、そんな教師に、その教材で子どもたちに授業する資格があるのでしょうか。赤本がなければその教材を学習する意義さえわからない、そんな教師に、その教材で子どもたちに授業する資格があるのでしょうか。
こういう話なら、皆さんの多くは耳が痛いとは思いながら、「そうだよな…」と思うことでしょう。
しかし、私が前頁で皆さんに「考えよ」と言った「良い国語科授業三条件」とは、実は、「国語科授業の目的を考えよ」ということなのです。だってそうではありませんか。「良い国語科授業の条件」とは、「国語科の授業の目的」、延いては「国語科という教科の目的」に沿った条件になるに決まっているのです。
もしもあなたが「良い国語科授業の条件」を思いつかない、考えたことさえないとしたら、それは「国語科という教科の目的」について無自覚なままに授業をしているということに他なりません。
他人の意見を知ることよりも自分で考えることを優先する人、他人の言葉を学ぶことよりも自分の言葉を探してみる人、受信型の言語活動ばかりでなく発信型の言語活動のなかに日常的に身を置いている人、良い国語の授業をつくるために必要な資質とはまずこのことなのです。
さあ、もう一度、前の頁に戻って、借り物でない、自分自身の言葉で「良い国語科授業の条件」を考えてみませんか。すべてはそこから始まるのです。
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