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個性を活かしフォローし合おう

ひと昔前まで、教職は「おいしい職業」でした。身分的にも経済的にも安定していて、夏休み・冬休みがあって、子どもたちにかかわることで自己実現を図ることができる……そんなイメージの仕事でした。研修の名のもとに、知見を広げると称して、海外旅行や趣味に没頭することが許される、すべての経験が教師として子どもたちの前に立つうえで活きていく、そんなイメージの仕事でした。いいえ、いまだってほんとうは経験のすべてを活かすことのできる、そんな職業であるはずです。

しかし、時代は変わりました。説明責任・結果責任という語が闊歩し、指導力不足教員・不適格教員という語がマスコミを賑わし、学校はいまやサービス業ででもあるかのような扱いを受けるようになりました。その結果、行政は教員への締め付けを強め、学校は子どもたちをよりよく導くことよりも、いかに保護者のクレームを回避するかを基準に動くようになりました。私が教職に就いたのは一九九一年のことですが、私の教師人生はまさに学校教育の急激な変化にそのまま重なります。

このうした学校教育を包み込む空気の変化を教師の側から見るとどうなるでしょうか。それはひと言でいうなら、「失敗が許されなくなった」ということに尽きます。現在、職員室には、「失敗するな、失敗するな」という暗黙のメッセージが至るところから出されいます。行政や管理職からはもちろん、マスコミからも、保護者や子どもたちからも…。しかし、こうしたメッセージならまだ納得できます。行政や管理職、世論が学校に失敗しない仕事を求めるのは当然のことですし、我が子を学校に預けている保護者や当時者の子どもたちが教師によりよい仕事を求めるのは人情でしょう。私たちはこれらの要求には対応する必要があります。

問題は職員室の同僚がお互いに「失敗するな、フォローできないぞ」というメッセージを投げ掛け合っていることです。事務仕事が山積し、保護者クレームによって小さなミスが命取りになるこの御時世…。だれもが自分の仕事で精一杯になってしまい、他人のフォローにまで手がまわらなくなっています。

職員室は鍋ぶた組織と言われます。管理職以外はみな同等……そういう組織です。しかし、職員室も人間の集団です。周りを見渡せば、それが現実離れした組織形態であることは一目瞭然のはずです。力量の高い人もいればそうでない人もいる。数々の経験を積んできた大ベテランもいれば、大学出たての若者もいる。それが職員室の実態です。つまり、フォローなくして仕事を全うできない人たちが数多くいるのが現実なのです。

力量や経験の差だけではありません。授業研究が特異な人もいれば苦手な人もいる。生徒指導が得意な人もいれば、苦手な人もいる。部活動に生き甲斐を見出している人もいれば、総合的な学習のカリキュラム開発に熱中している人もいる。学級経営で大切にしたいと思っている事柄も千差万別。それが職員室です。

私の教師生活は、このように力量も経験も得意分野も異なるそれぞれの教師が、なんとか一致した方向に向かってフォローし合いながらチームとして仕事に取り組んでいく方策はないか、と模索し続けてきた二十年余りでした。詳細は拙著『教師力ピラミッド』(明治図書)に譲りますが、役割分担を基本としながらも、それぞれの得意分野を発揮する場面を意図的に構想したり、それぞれの得意技をコラボレイトしたりすることによって、職員室にフォローしながら前向きに仕事に取り組む空気を創ることができないかという発想です。

一人でやらなければならないと思うから苦しいのです。一人でできると思うから失敗するのです。私たちはスーパーマンではありません。一人でできることなど限られているのです。

かつて教師の理想像は「名人教師」でした。数々の学級づくり名人、授業名人が名を馳せました。また、かつて教師の理想像は「名物教師」でした。破天荒だけれど人情味がある、そんな教師像が数々の学園ドラマに描かれました。しかし、かつての「名人教師」も「名物教師」も、現在のように事務仕事に追われ、現在のように保護者の厳しい視線に曝されてはいなかったのです。おそらくかつての「名人教師」も「名物教師」も、いまなら「名人」にも「名物」にもなれなかったのではないでしょうか。 チームが必要なのです。すべての仕事にチームであたる時代がやってきたのです。必要なのはただ一つ、チーム力なのです。

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