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共鳴力

飲み会は二人がいい。大人数の飲み会が嫌いだ。我慢できるのはせいぜい四人まで。どれだけ我慢しても七人まで。それ以上になるとその場から逃げ出したくなる。どうしてもその場にいなければならない場合には、深い話は極力避け、話題を広げて広げてその場をなんとかしのぎ、話したい相手を一人だけ誘って早々に二次会に向かう。静かなバーとか、ちょっとした酒肴を出す店で、バーテンダーオススメのスコッチとかびっくりするくらい香りの高い吟醸酒を1、2杯飲む。そうでなければ思い切って帰る。札幌なら一人で馴染みの店に行くこともある。

飲み会は二人がいい。三人では議論になったとき2対1になる。酒が入っているから2対1の議論は空回りする。それがいけない。喫茶店でうまい珈琲を媒介とした三人とは質的に異なる。四人ではよほど仲が良くない限り最初から最後まで2対2が固定してしまって、四人で飲む意味がなくなる。二人で話してるのと同じなのに、近くに別の二人がいるがために話題が限られる。それもいけない。五人を超えるともう誰かの独壇場になるか、意味のない会話で盛り上がるしかなくなる。そういう場に居合わせるのが四十も半ばを過ぎてから息苦しくなった。

その点、二人で話をしていると、それも酒を前にして横並びで飲んでいると、二人の共鳴力が高くなる。お互いに相手を理解しようと思い始める。お互いに相手を理解しようと努め始める。そのうち、お互いがお互いを深い所で理解し始める。少々の沈黙さえ気にならなくなる。ああ、思考が始まったのだなと次の言葉を静かに待てるようになる。その場の空気をつくる必要がなくなる。2時間もそうしていると共鳴率は80%を超える。もちろん親しい人間としか二人でなど飲みに行かないのだから、あたりまえといえばあたりまえなのだが……。とはいえ、ここまで到達すると、昼間の協働も成立し始める。相手が男性であろうと女性であろうとこの原理は変わらない。

議論は五、六人がいい。しかも男女は半々がいい。世代も離れている方がいい。二人や三人では視野が狭くなる。かといって八人以上いると散漫になりすぎて深まらない。傍観者も出る。いるだけの人が産まれる。僕はそれを議論の参加者と呼ばない。

研究会は三十人程度がいい。五十人になると講師が参加者と糸を結べなくなる。四十人はギリギリの人数だ。かといって十人では多様性が足りなくなる。二十人はギリギリの人数だ。研究会は三十人がベストだ。

夏は終われど共鳴力追究の旅が続く。

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