思考力・判断力・表現力を育てる言語活動の充実
一 日常授業における言語活動の充実
「言語活動の充実」は研究スローガンではない。毎日行われている日常の授業において思考力・判断力・表現力を育成するために、日々の授業を具体的に変えていくことを目指す概念である。従って、「授業像」を想定するにしても「言語活動」を開発するにしても、研究授業や研究単元として構想するのではなく、あくまで日常授業の在り方を具体的に見直すことこそが最重要課題である。まずはすべての教師が、中でも国語教師がこのことを肝に銘じたい。
そのうえで、私が提案したいのは、例えば、教師が次のような覚悟を決めて日々の授業計画を立てることである。最初に言っておくが、これはあくまでも例である。
(1) すべての国語の授業に小集団交流を設定する。
(2) 授業の最後の五分間で二○○字短作文を書かせる。
こうした覚悟を決めることで日々の授業は大きく変わる。これまでと五○分の使い方が変わってくる。短作文の時間を確保しなければならなくなり、小集団交流の時間を確保しなければならなくなる。こうした時間を確保するために、その他の解説の時間、読み取りの時間を効率的に展開しなければならなくなる。またこうした覚悟を決めるは、交流させたり短作文を書かせたりするための〈課題〉が毎時間必要になるということをも意味する。この縛りを自らに課すだけで、授業の在り方、授業への臨み方を劇的に変えざるを得ないわけだ。
(1)すべての国語の授業に小集団交流を
私個人としては、この原理を意識して取り組み始めたのが二○○三年度、教職十二年目からである。
当初は6人班を使うことが多かったが、現在は4人が中心である。長年取り組んでいるうちに、傍観者をつくらず、最も交流に適しているのは4人だと考えるようになった。特に、議論や意見を深めるタイプの小集団交流では4人がベストである。逆に、ブレイン・ストーミング的にアイディアを広げるタイプの交流ならば、題材によって6~8人が適している。こうしたことは、実際に毎時間やってみる中でしか気づかない、そういう原理である。毎日の授業の中での小さな気づきをつなぎ合わせることによってこそ、言語活動は充実していくのである。
また、毎時間の中で八分とか十二分とか短い時間を設定して小集団で交流させるわけだが、その後、必ず最後に二~三分間のシェアリングの時間を設けることにもしている。要するに、この交流はA・B・Cで評価するとどうか、マイナスポイントは何であったか、よりよい交流・議論にするには何が足りなかったか、今後どうすればよりよい議論・交流になるのか等について、十分程度の小集団交流を振り返るのである。こうしたメタ認知の営みが毎時間行われることによって、一時間一時間の進歩は小さいとはいえ、数ヶ月単位、一年単位で考えると大きな進歩が見られるようになる。この効果は絶大である。
(2)すべての国語の授業に短作文を
新卒以来、既に二十年以上にわたって、私の授業は二○○字短作文で終わる。作文のテーマは原則としてその一時間の追究課題に対する自分の意見である。一八一字以上二○○字以内という字数指定を施し、十行の原稿用紙の最終行まで書かなければならないルールになっている。これらは一時間の一時間のノートに貼付され、一時間一時間に考えたことの記録として残される。一つの教材、一つの単元が終了し、まとめの感想文や主張文等を書かせるときの資料ともなる。要するに、一時間一時間の短作文が元ポートフォリオに、単元終了の作文が凝縮ポートフォリオになる、というシステムである。
また、一ヶ月に一~二回程度、小集団交流をもっとよくするためのアイディアであったり、「良い文章の条件」「言葉と人間」といったことばに対する自らの意見であったりを書かせることもある。年に二回(多くの場合十一月と三月)、それまでに書いた同一テーマの短作文すべてを読み直し、「音声言語交流」「文章表現」「言葉観」について四○○~一二○○字程度でレポートを課す。一学年が四○○字、二学年が八○○字、三学年が一二○○字を目処としている。
(3)すべての国語の授業に構造的なノートを
こうした授業を行いながら、新卒4年目から構造的なノートをということで、授業一時間をノート見開き二頁で構成させることにしている。見開きの上の頁が「言語活動ノート」、下の頁は右側が「言語技術ノート」、左側が「自己表現ノート」である。
a.言語活動ノート
生徒たちが授業における教師の発問・指示・説明に基づいて言語活動を行うスペース。私は板書をほとんどしないので、生徒たちが独自に構成することが多くなっている。自分の意見を書いたり、交流によって得られた参考意見を記録したり、ちょっとしたつぶやきをメモしたり。自分の意見を書く場合は黒で、他者の意見で参考になったものをメモする場合には赤でというのが共通のルールになっている。また、「赤メモが増えれば増えるほど自分にとって授業が有益であったということを示すので、赤で書きたくなるようなことをキャッチするためにアンテナを高くしよう!」と常々指導している。
b.言語技術ノート
四月当初は教師が教える言語技術を書くスペースになる。私は板書せずに聴写させることにしている。例えば、「二重丸、赤に持ち替えて、上位語、鉛筆に持ち替えて、三点リーダー、下位語を含む、広い言葉、句点」というように語っていく。速記性を鍛えるとともに、言語記号の基本的な用語(句読点、疑問符、感嘆符など)を定着させるためでもある。数ヶ月経って、これが蓄積されていくと、「言語技術の辞書」の役割を担うようになる。私の授業の一つの「核」である。
また、学期が進むに従ってシェアリングの内容が記述されるようになっていく。これも自分で気づいたことは黒で、他者からの参考意見は赤でというルールである。
c.自己表現ノート
二百字短作文を貼付したり、その時間のまとめとなる活動をしたりするスペースである。私は先にも述べたように授業の最後五分間で、必ず二百字短作文を課したり、まとめ活動を行わせたりしている。生徒たちは毎時間これを提出し、戻ってきたらこの部分に貼付することになっている。
また、短作文を書かせる場合には、内容だけでなく、作文技術を定着させるのにも効果的である。私は月ごとに技術課題を与えることにしている。例えば、四・五月は「一文一義」、六月は「頭括」、七月は「ナンバリング」……、というようにである。一ヶ月間も一つの技術を追い続けると、定定着度がかなり高くなり、しかも、その他の文章でも使えるようになっていく。
二 大単元は〈活用〉の場
年に三回のマイクロ・ディベート、年に二回の〈語り手の自己表出〉を読む小説の授業、年に二回の複数の説明的文章を対比しながら読む情報読みの授業など、私も大単元的授業に取り組んではいる。中学三年生にもなれば、社会問題化しているテーマを題材にディベートに取り組むこともできるし、魯迅「故郷」の作品構造を検討しながら〈語り手を超えるもの〉に思いを馳せるとか、複数の説明文から図解入りのレポートを書くとかいった取り組みも可能である。その意味で大単元が「思考力・判断力・表現力」の育成にとって効果が高いということも、自分なりに理解しているつもりである。
しかし、大単元の成否は、あくまで日常的にどのような言語技術を学び、どのようなメタ認知思考に慣れ、どのような交流活動に慣れているかということによって決まる、とも理解している。そのためには教師が、まずは毎日の授業に「思考力・判断力・表現力」を育成するベクトルにつながるような具体的な指針を取り入れ、それに一切の例外なく続けるという覚悟を決めて取り組むことが必要なのだと感じている。
いま、それが私にとって、
(1) すべての国語の授業に小集団交流を設定する。
(2) 授業の最後の五分間で二○○字短作文を書かせる。
という二点なのである。派手な学習活動が生徒を育てるのではない。小さな活動、地道な活動こそが生徒を育てるのである。
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