物語女
僕が物語女と出会ったのはかれこれ二十年前。十年をひと昔とすればもうふた昔も前の話だ。計算すると僕が二十八歳、彼女が二十三歳のときのことらしい。ハンバーグを食べながらあれこれおしゃべりすることを目的とした、二十年前でさえ時代遅れ感の漂うあるパーティでのことだ。やけに鉄板から油が飛び散るので、僕らは毎月恒例のこのパーティにしゃれた服は着ていかないことを習わしとしていた。そんな時代遅れ感ぷんぷんのパーティに物語女は自らが時代遅れであることを固持するかのように顔を出すようになったのだった。ところが僕と彼女はほとんどおしゃべりを目的としたパーティだというのにほとんど会話をすることもなかった。このパーティ立ち上げからの古参である僕は新参者の彼女に興味を抱かなかったし、後で聞いたところによると、新参者の彼女は当時、最古参の一人である僕とおしゃべりするのに気後れしていていたらしい。そんなこんなで僕らはほとんどことばも交わすことなく、意味不明のノリだけのパーティがそのノリの雲散霧消とともに立ち消えてゆく世の常に従って、接点を紡ぐ間もなくすれ違ったのだった。
物語女と再会したのはつい最近のことだ。レバニラを食べながら自らの創作物語を披瀝し合うある会合で仲良くなった。二人とも四十代になっている。話によるとかつてのおしゃべりハンバーグの会員全員にこの会合の案内を出したというから、ふた昔前のくどい食事をしながらおしゃべりすることをいまだに趣味にしているのは、あのパーティの参加者では僕と彼女だけだったらしい。当然と言えば当然かもしれない。僕はこの二十年間、くどいものを食べながらおしゃべりに花を咲かせたことなど数えるほどしかなかったし、きっと物語女も同じようなものだったに違いない。そもそも僕らはそれぞれ既に結婚して日々の雑務に追われて暮らしていたし、既にくどいものを食べるには自分の健康と相談しなければならない年齢になっていた。
物語女は自分の物語の完成度ばかりに気になるらしい。もっと美しい和語はないかとか、起承転結が甘いとか、オチのユーモアがセンスに欠けるとか、韻律が一音だけ崩れているとか、そんなことばかりを気にしている。日常のちょっとした出来事を物語仕立てで語るという浅薄な会合に過ぎないというのに、物語女といったらまるで歌会にでも参加しているのかというほどの熱の入れようなのだ。最初僕は彼女がおしゃべりハンバーグの会員だったことに気づかなかったが、彼女の方はすぐに僕だと気づいたようで、しかも当時のパーティがこれまた時代遅れにも古参会員を「先生」と読んでいた習わしに従って、いまだに僕のことを「先生」と呼んでいる。僕はそう呼ばれるのがちょっとだけくすぐったい。
物語女は焼きそばを食べるにも理屈が伴う。いっしょに近くの鉄板焼きの店に行ったときのことだ。彼女はソースの匂いを自分につけずに食べられないものかとあれこれ思案する。もしかしたらこの昼食が物語になるかも知れない。彼女はすべての出来事についてそう考えながら生きている。どうやら自分の美しい物語をつくるのに自分の息がソースくさいのが許せないというこくとらしかった。それなら焼きそばなんか食べなきゃいいのにと思うのだが、どうやらそうもいかないらしい。お腹が空くことや便が出ることや仕事をしなければならないことや町内会活動をすることやその他わずらわしさの極限みたいな諸々をこなすことを、物語女は意外にも素直に受け入れる資質をもっている。それでいて自分の物語の美しさは頑として守ろうとするのだから、ふと物語をつくろうとしたときに彼女の資質と軋轢を起こすのは必然のことである。
私が今生で物語女と別れるのはおそらく二十年後。十年をひと御先とすればふた御先も後の話です。くどい食事もすっかりできなくなって、なかなか呂律もまわらなくなったにもかかわらず、物語だけは一枚の絵のように美しく語れるようになった頃、物語の創作というお互い趣味を異にしていて連れ合いとは語れないちょっと照れ臭い趣味が高じて、自らの死をそう遠くないあたりまえに感じているそれなりに美しい物語を披瀝し合うのを最後とすることでありましょう。そのときだけはそれぞれが最高のおしゃれを身にまとい、年齢に似合わぬハンバーグなど食べながら鉄板の油を浴びても良いのかもしれません。そのときも私は彼女に「先生」と呼ばれ、ちょっとくすぐったい想いを抱くのでありましょう。
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