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教師をどう生きるか

9784761919924_2教師をどう生きるか』堀裕嗣×石川晋・学事出版

石川晋との対談。5月・6月と2日間にわたって札幌・東京での延べ11時間にわたる対談を収録したもの。こんなマニアックな本、いったいだれが買うんだろう…と思っていましたが、まずまず売れているようでひと安心です。それにしても、こんな教育書が出るということは僕らの若い頃には想像もつかなかったことで、ちょっと感激しています。石川晋との初の共著がこういう形で刊行されたことも、僕ららしいな…という思いがします。

【まえがき】

こんにちは。堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)と申します。担当編集者の加藤愛さんによると、この対談本の元となった対談は、札幌・東京の二箇所をあわせて十一時間に及んだそうです。まあ、僕も石川もおしゃべりですから、十一時間くらいしゃべり続けるのは朝飯前です。だいたい呑みながら女の子としゃべっていたら十一時間なんてあっという間です。そうそう。つい一作日も……いやいや、そんなことは書くわけにはいきません(笑)。

しかし、同じく加藤さんによれば十一時間のうち六時間くらいはまったく使えない対談だったともいいます。そもそも僕らが酔っているのかというくらい好き勝手にしゃべったものですから、同僚の悪口とか研究仲間の悪口とか行政批判とか政治批判とか宗教批判とか、どう考えても活字にはできないようなことをたくさんしゃべったらしいのです。本人たちにはまったくその自覚がないというところが怖ろしいところでもあります。そんな教育者とは思えないいいかげんな二人の対談をいったい誰が読むのだろうと不安にもなりますが、編集者の意思というのはたいへんなもので、毎日始発電車で帰りながら対談のテープ起こしを完成させてしまいました。正直、この企画はボツだろう、この本は出ないだろうと思っていた僕は心底驚いてしまいました。

さて、この本は「教師をどう生きるか」というタイトルですが、実は僕も石川も日常を教師として生きているかといえば甚だ怪しいという現実があります。確かに職業としては教師ではあるのですが、公務よりも大切にしているものがたくさんあるというのが実態なのです。だって僕らが何よりも公務を大切にする生活を送っているとしたら、こんな本など出るわけがないではありませんか。僕らは公務外でどうしようもなく興味を抱いてしまったモノ・コト・ヒトに対するどうしようもない好奇心の衝動に従って、それらのモノ・コト・ヒトにどうしようもなく没頭してしまった結果、それらのモノ・コト・ヒトを様々な理屈をつけて学校に導入し、なんとか綱渡りで教師生活を続けているというのが実態なのではないか、そんな実感を抱いています。この本をお読みいただくと、おそらくそのことが読者の皆さんにも伝わるだろうと思います。

僕らには〈あいだ〉を生きているという自覚があります。文学と教育のあいだ、芸術と教育のあいだ、公的研究と民間研究のあいだ、そして公務と自分の衝動とのあいだ。自分の身を〈あいだ〉に置くと、公務だけに没頭していたり自分の興味関心に従った趣味の領域だけに没頭したりしている人とはちょっと違った世界認識をもつことができる。それが僕らの本質だろうと感じます。この本は「教師をどう生きるか」というタイトルではありますが、「教師の仮面をかぶりながら〈あいだ〉をどう生きるか」という本であるというのが本音です。その方が深まるよ、その方が楽しいよ、という〈誘惑〉の本です。もうやめませんか?公務に没頭して疲弊してしまう生活も、なんらかの思想に自分を掠め取られてしまう生活も。どっちもちゃんちゃら可笑しい。あなたも本音ではそう思っていませんか?そんなメッセージを投げかけています。

ただ誤解していただきたくないのは、僕らは普通の教師よりも公務において仕事を機能させているということです。生徒たちにもちゃんと関わっていますし、同僚に対してもちゃんとフォローしています。学校ではそれなりに中枢を担う仕事に就いていますし、必要なときには官製研究にも関わります。いつだって学校改革に励んでいますし、管理職ともそれなりに仲良くやっているつもりです。むしろ僕らが言いたいのは、皆さんが求めているような仕事の在り方は、実は〈あいだ〉にいる方がやりやすいんですよということなのです。この本を通してこのことが読者の皆さんにどこまで伝わるのかそれほど自信はありませんが、わかる人にはわかるだろうと思っています。わかる人にだけ伝われば良いのだろうとも感じています。

僕らは二十年以上にわたって〈あいだ〉を生きてきました。そして、いまなお〈あいだ〉を生きています。これからも教職に就きながら〈あいだ〉を生き続けるでしょう。〈あいだ〉を生き続けるためには教職をやめるわけにはいきません。〈あいだ〉を生きるということは、教職をウチとソトとの両視点から眺めることを言うわけですから。ウチの目からソトを眺めるからこそ得られる認識と、ソトの目からウチを眺めるからこそ得られる認識とを融合する。そうした視座をこそもとうじゃないか。それが僕らのメッセージです。

本書の完成に睡眠時間と女性らしい生活を捨ててご尽力いただいた加藤愛さんに心より感謝申し上げます。また、こんなわがままな対談をわざわざ札幌まで聴きに来ていただいた平井良信さん、石田浩一さん、小山内さつきちゃん、杉浦美南ちゃんにもお礼を申し上げます。皆さんが関東・東海・関西からいらっしゃったことが僕らの励みになったことは間違いありません。ありがとうございました。

たま/さよなら人類 を聴きながら……
二○一三年七月七日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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