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Mind Puzzle 1

ふと気がつくとフラッシュメモリーに迷い込んでいた。僕が十数年かけて溜め込んできた情報、意味のある情報と意味のない情報とを混在させながら、どれも捨てられなかった情報のなかに閉じ込められた。閉じ込められたというよりも投げ出されたと言ったほうが感覚に合致する。

情報を捨てられなかった理由ははっきりしている。すべてがその時々の瞬間的な想いを象徴しているからだ。どれも決して習慣的でない、瞬間風速何十メートルみたいな激しい想い。情熱と呼んでもいい。習慣的でない瞬間的な情熱。人生に連続しない、断続的に現れる刹那的な情熱。そういうものを記録として遺すことに僕はずーっと執着してきた。カッとなったり、ムッとしたり、くすぐったがったり、しょんぼりしたり、ヒクヒクしたり、メロメロになったりしながら、僕はその風速何十メートルを受け止めてきた。

或いはときに襲いかかるぼんやりやふわふわ、うつらうつらなんかをなんとか言葉にしようと努めてきた実感もある。ぼんやりやふわふわ、うつらうつらはまるで女性の生理のように定期的に僕に襲いかかってくる。女性にとって生理は襲いかかってくるものなのかどうか、男の僕にはわからない。単なる僕のイメージに過ぎない。きっと一生理解できないだろう。それをミスジャッジと責める女性がいるとすれば僕は素直に謝り、尻尾を巻いて逃げ出すしかない。そういうことで女性と勝負することに勝算がないことを知っている程度には僕は年齢を重ねてきた。

あんたが産まれたとき、ああ、これで一生自分につきまとってくる、切っても切れないものがこの世に現れてしまったと思った、これを幸せだと感じる女は一生幸せであり続けるのだろうと思った…。

そう母は言った。

あんたが「いい子」に育てばそのネガティヴな想いは消え、あんたが「悪い子」に育てばネガティヴな想いが更にネガティヴになる。だからあんたは私に迷惑をかけない「いい子」になりなさい。

母はそうも言った。

僕のなかには子ども心に「いい子」にはなれないとの確信があったので、それでいて「悪い子」になることによって母を凌駕する勇気はなかったので、とりあえず「いい子」の振りをすることにした。それが成功したのかどうか、僕にはわからない。きっとこの話を母にしたとしても、母でさえ判断に迷うに違いない。「いい子」とも言えるし「悪い子」とも言える。おそらく多くの子どもたちはそんな中途半端さのなかにいる。良いと悪いの二面性、良いと悪いの同時達成、それは教育と文学が背馳するのと同じくらいこの世では自明のことだ。そうした二面性から逃れようというのは、この世に生物学的な男と生物学的な女がいることから逃れようとすることくらいの背理だ。でも、そんな膨大な自己改革を夢見る輩が後を絶たない。それを実現するには僕のようにどこまでも振りをして、お芝居を続けるしかないのに。

お芝居を続けるのは苦しい。それは仮面をつけ続けるのが息苦しいのと同じだ。仮面をつけるから息苦しいのではない。お芝居を続けるから窮屈になるのでもない。仮面をつけるとその仮面に自分が自分自身であると信じ続けているものが掠め取られそうになるのが息苦しいのだ。お芝居を続けるとお芝居をする役者の人間性がお芝居を離れてもお芝居に搾取されるようになるから窮屈なのだ。仮面を続けて生きていると、或いはお芝居をしながら生きていると、どこかに自分のなかの自分自身を記録しておきたくなる。意味があろうとなかろうと、両者を混在させながらどれも捨てずに取っておきたくなる。断続的に現れる、瞬間的で刹那的な想いも取っておかなければならないものに思えてくる。自分のなかの何かが取っておけと脅迫してくる。

残念なのは時が経つにつれて、そんな一つ一つが貴重な情報として蓄積されていくことだ。数だけが増え、散漫な状態で並列的に並ぶようになる。そんな状態に気づいてしまうともはや無数にあるそれらの情報を分類し、ラベルをつけ、整理したくなる。だからフラッシュメモリーのなかにフォルダをつくることになる。でも、フォルダを幾つつくっても、またそれぞれのフォルダにどんなネーミングを施してみても、満足する分類などできはしない。すべての情報が複数にまたがって存在している。幾つものフォルダに軸足を置いているものさえある。右半身はフォルダAに、左半身はフォルダFに、それでいて下半身はフォルダαに、上半身はフォルダ7に、それぞれ肩までどっぷり浸かっている風なのに、それでいて目と鼻と口だけはフォルダいとフォルダろとフォルダはにそれぞれ分類せざるを得ないなんてことも当然のように起こってくる。フォルダいろはの続きににとほとへととがあることを知ったあとに、フォルダβとγとがフォルダいろはと通底していることに気づかされたりもする。そんなとき、もうやってられないと投げ出したくなる。フラッシュメモリーを彷徨っていると、フォルダからフォルダへの移動がことのほか難しいことに気づかざるを得ない。

更に腹立たしいのは、これだけたくさんのフォルダがあるのに、まだまだそれらを圧倒するような空き領域があることだ。その空き領域を埋めないことには僕は死ねない……。そんな強迫観念に似たものまで湧いてくる。情報を集めても集めても満足できない。分類しても分類しても分類できないことが浮き上がってくる。フラッシュメモリーに迷い込み、閉じ込められることは、大海に投げ出されることと何も変わらない。

ああ、母さん。僕にとってもあんたは一生まとわりついてくる、切っても切れないものじゃないか。お互い様だよ。でも、僕は知ってるよ。母さんもまた、「いい母親」と「悪い母親」との二面性を、賢母と文学が背馳する自明さをもって同時達成する存在であったことを。そのフォルダに迷い込み、閉じ込められて、たまたま一度だけ吐いてしまった科白が結果的に僕を縛り付けてしまったことを母さんが後悔していたしていたということを。僕は知ってるよ。母さんの子だから。

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