かかわり
いま、この原稿を東京のホテルの部屋で書いています。昨夜は日江井雄大くんという名古屋在住の新卒の高校教師と杉山史哲くんという若き起業家と3人で、横浜中華街で中華料理に舌鼓を打ちました。
日江井くんとの付き合いは2年ほど前、愛知教育大学で行われた学級経営のセミナーに招かれた折、彼がそのセミナーの事務局を担っていた一人で、それ以来の付き合いです。当時、彼はまだ学生でした。その彼が教職希望の学生を集めて各地で開催されている教育フェスタという催しの創始者で、私に是非逢わせたいというので、3人で呑んだわけです。4時間ほどの間、話はあちらこちらへと弾み続け、とても楽しい夜になりました。今後、何かが生まれそうな予感さえ抱きました。
私はなぜ、杉山くんと出逢うことができたのでしょうか。それは私が愛知のセミナーで逢っただけの日江井くんを大事にしたからです。別に「こいつはだれかと出逢わせてくれるヤツだ」という打算があったわけでもありませんし、そのセミナー自体では「何か見所のある学生だ」と感じたわけでもありません。強いて言うなら、出逢ったから大事にしたのです。それだけのことです。しかし、それだけのことが新たな出逢いを呼び寄せるのです。
私の行きつけの店に「いづ屋」という小料理屋があります。新卒で担任した田口陽子という教え子が旦那さんといっしょにやっている店です。カウンターが十席程度の小さなお店です。私はたまたま偶然に人に連れられてこの店に行き、陽子と再会し、それ以来、行きつけの店になったのです。陽子に二人目の子どもが生まれ、陽子自身は店に出なくなっていますが、旦那さんだけのこの店に私は通い続けています。いまでは陽子以上に旦那さんの方が親しいくらいです。
いづ屋の3軒隣に、「ともえ屋」という小さな居酒屋があります。これまたカウンターが十席程度の小さな店です。いづ屋と同じビルの同じ階、私より一つ年上のママさんが一人でやっている店です。このママさん、実は私が2003~2004年度に担任したある女子生徒の保護者です。この女子生徒とのメールのやりとりのなかで、母親が店を始めたから行ってみてと言われたので実際に足を運びました。それ以来、なんとなく常連になっています。
すすきのにJOE'S BARというBARがあります。いづ屋やともえ屋の入っているビルから徒歩3分くらいのビルの地下にあります。このBARも私は常連なのですが、ここの経営者は私の新卒から2年目・3年目の教え子水尻健太郎が経営しているBARです。同窓会で二十数年ぶりに再会し、名刺交換をするとBARをやっているというので足を運び、そのまま常連になりました。
いまの私にとって、少人数で人と逢うときには、だいたいいづ屋で夕食を済ませ、二次会はともえ屋かJOE'S BARに行くというのが定番になっています。だって、どうせ飲食代に金を払うのなら、知らない人に払うよりも知っている人に払う方が良いではありませんか。わざわざ知らない人にお金を払う必要などありません。ついでに言えば、私の家の近くにある私のよく行く居酒屋「亀八」は私の勤務校の保護者の店です。セミナーの打ち上げもそこでやることにしています。
学生時代、私の師匠は森田茂之という40歳そこそこの研究者でした。教官のなかに潟沼誠二先生という幸田露伴と民俗学を専門とする五十代の強面の先生がいました。私は4年間、なんとなく潟沼先生を避けていました。なにせ口うるさくて怖そうでしたから(笑)。
その後、十数年が経って森田が若くして亡くなり、私は大学院に進学する機会を得ました。ここで私は潟沼先生と親しくお付き合い、というかお世話になることになります。私は潟沼先生が親しみやすい先生であったことに、卒業から十数年経って気づかされます。また、研究的にも私が学びたいと思っていたものをたくさんもっていたことに気づかされます。私はただただ、なんで学生時代に潟沼先生からもっと多くを学ばなかったのかと後悔しても後悔しきれない思いを抱きました。若いということは馬鹿なことにこだわって機会を逃してしまうものだ、そう強く感じました。
私の言いたいことがおわかりでしょうか。
若いときには、なんとなく年配の先達に近寄りがたさを感じて、学ぶチャンスがあるにもかかわらずそのチャンスを逃してしまう、ということになりがちです。若手教師の時代には、職員室にいる怖そうな先生との交流を避けてしまうということもよくあることです。
逆に、自分がある程度の年齢になってくると、若い人をなめてしまい、学びの対象とはしない傾向に陥ります。しかし、私は昨夜、日江井くんから新卒教師独特の悩みを聞き、杉山くんからフェスタの立ち上げの経緯や起業の苦労話を聞かせてもらい、たいへんな学びを得ました。いづ屋では教え子夫婦から世代特有の感受性や商売をやっていくうえでの構えを聞き、ともえ屋では同世代特有の共通感覚に気づき、JOE'S BARではバイトの若い女の子との会話も含め、すすきので働く人たちがどんな人生を送り、何をプライドに生きているのかを学ばせてもらっています。
店主をよく知っているということは、その店の常連客と親しく話をする機会も増えるということを意味します。もう二度と会うことのないお客さんであったとしても、人と話をすることが何の学びももたらさないということはあり得ません。私は田口陽子夫婦だったから、ともえさんだったから、水尻健太郎だったから通っているわけではないのです。知っている人が店をやっているから、ただ通ったのです。それが結果として、私に学びをもたらしたのです。日江井くんだったから大事にしたのではなく、出逢ったから大事にしたのだというのと、まったく同じ論理です。
最近、私の両親が介護施設に入所しました。私はその施設に通いながら、施設長や併設されている病院のお医者さん、たくさんの介護士さんたち、入所しているおじいちゃん、おばあちゃんたちと出逢いました。そして、私はいま、彼らを大事にしようと思い始めている自分を感じいます。
生徒であろうと保護者であろうと同僚であろうと、良い人だから、気が合うから大事にするのではありません。出逢ったから大事にするのです。こういうシンプルな思いこそが「かかわり力」なのだと感じます。
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