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足許をすくわれる力

他人の足許をすくうことを「いじる」と言います。他人に足許をすくわれることを「いじられる」と言います。他人をいじる人は、適切にいじられる術を身につけていなければなりません。一方的にいじるだけでは、或いは一方的にいじられるだけでは、「いじりいじられる関係」が潤滑油として機能しません。そういう状態は「いじられる」側が我慢していることを意味しています。もはや「いじめ」です。

他人をいじる人は、須く適切にいじられなければなりません。足許をすくわれても笑っていられる度量をもたなければなりません。足許をすくわれても笑っていられることは、その足許をすくってきた相手の立場を理解できる人間だけです。その人にとって自分がどう見えているかを理解できている人間だけです。言わば、足許をすくわれても笑っていられる度量とは、自分を〈メタ認知〉できていることを意味するのです。

子どもが相手でも同僚が相手でも、適切にいじりいじられることは人間関係の潤滑油です。常にトップダウンで物事が動いている強権主義集団や、ボトムアップの名のもとに基準なく物事が決まっていく烏合の衆は、瞬間的にはある程度の成果を出すことができたとしても、必ず組織として崩壊していきます。1年間を安定的に過ごすことはできません。

人間関係が安定しているということは、実は常にフラットであることを意味しません。ときにAが上位でBが下位ということもあれば、何かをきっかけに次の瞬間にはBが上位でAが下位になる、そういう流動性が担保されている人間関係のことです。

世のなかには常に自分が上位にいたいという人が少なくありません。子ども相手だと、ほとんどの教師がそうなってしまいます。しかし、そういう人間関係は息苦しいのです。瞬間的な上位下位の人間関係を遊べる、そうした流動的な人間関係で笑える、そうした状態こそがフラットなのです。

繰り返しますが、そのキモとなるのは〈メタ認知〉の能力なのです。

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