共鳴
皆さんは自分の力を最大限に発揮するにはどうしてら良いとお考えでしょうか。目の前の仕事に一所懸命に取り組むことでしょうか。それとも将来の自分はバリバリ仕事をしていると信じて、いまは力量形成を図るべく勉強を重ねているというイメージでしょうか。どちらも正論であり、ある意味では大切なことですが、私はそれではダメだと感じています。
いまという時間は、いまこの瞬間にしかありません。いまできることをいまこの瞬間にやらなければ、来年はもういまとは別の時間、別の空間が流れているのです。えっ?だからこそいま目の前の仕事に一所懸命に取り組んでいる? いいえ、ただ闇雲に取り組んだって疲れるだけです。少なくとも創造的な仕事にはなり得ません。
結論から言えば、創造的な仕事を日々為していくのは、たった一つです。それは、いまこの瞬間に隣にいる人と共鳴することです。
例えば、私の仲の良い先輩教師にK・A先生がいます。前任校で同じ学年を2年間組みました。2007年と2008年のことです。その2年間は私が学年主任、K先生が生徒指導担当という関係でした。
K先生と学年を組んだ最初の年、2007年のことです。私はこの年、校内人事で自分の学年にK先生が配属されるとわかった瞬間から、K先生の得意技と私の得意技とを融合して、何か大きな仕事をしようと決意していました。K先生は言葉は悪いのですがいわゆる「PCおたく」かつ「写真おたく」で、特に映像の編集技術に長けていました。一方の私は長く演劇部の顧問で、舞台の演出力に長けています。両者の得意技を融合すれば、きっと何かが生まれるに違いない。私にはそんな予感がありました。
結果、私とK先生はこの年、学校祭において30分間に及ぶ質の高い映像を駆使したステージ発表を作りました。生徒にも保護者にも大好評のステージ発表です。その年の私の学年の学校祭はもう大盛り上がり……。内容は割愛しますが、準備期間から本番当日まで、もう楽しくて仕方のない、そんな日々を送りました。
さて、大切なのは、例に挙げたこのステージ発表は私だけではつくることができなかったし、K先生だけでもつくることはできなかった、ということです。私とK先生の二人がたまたまこの年同じ学年に配属されたからこそ作ることのできたステージなのです。この意味がおわかりでしょうか。
私はこの年、K先生から映像の編集技術を教えてもらい、次の年からは一人で映像をつくれるようになりました。また、K先生も私から演出技術を学んだはずであり、その後は私がいなくてもそれまでより質の高いステー時を作れるようになったはずです。そして、先に述べたように私とK先生はたまたま次の年も同じ学年ではありましたが、このステージ発表をつくっている段階では、また同じ学年になれるかどうかはわからなかったのです。現在、私の実践にとって映像づくりは大変重要な位置を占めていますが、もしもこの年に私が「K先生と何かやろう」と思わずに自分自身の演劇づくりにこだわって学校祭に取り組んでいたとしたら、間違いなく現在の私はあり得ませんでした。
いかがでしょうか。私が「いまという時間は、いまこの瞬間にしかありません。いまできることをいまこの瞬間にやらなければ、来年はもういまとは別の時間、別の空間が流れているのです。」という意味をおわかりいただけたでしようか。
私の教師生活において、こうした他者との共鳴の例は枚挙に暇がないほどにたくさんあります。性別や年齢に関係なく、いま同じ学年に所属している者同士だからこそやれる、二人の得意技を融合して何かに挑戦してみる、私の教師人生はその連続なのです。
時は2年ほど遡って2005年のことです。私の学年に大学を卒業したばかりのS・D先生が配属されました。彼は大学でダンス部の部長をしていた若者でした。そのときもまだ現役でダンスの発表会などに出ていました。私はこのときも、私の演出技術と彼のダンス指導とを融合してステージ発表を作りました。私は現在、自分で踊ることこそできませんが、子どもたちにダンスを指導することを得意としています。
そもそも私の演出技術は1991年から1993年まで一緒に演劇部の顧問をしていたI・A先生と何度も共作で芝居を作ったことに始まっています。私の現在の合唱指導の在り方はかつての音楽科の同僚5人の影響をミックスして出来上がっています。国語の授業の在り方は「実践研究水輪」や「研究集団ことのは」といった私が長く所属し続けているサークルの仲間たちとの20年以上に及ぶ議論をもとに出来上がっています。
私は声を大にして確信をもって主張しますが、力量形成とは本を読んだり研究会で学んだりといった一人で行うことには限界があるのです。他者との共鳴によって力量が身に付くのです。他者から学ぶわけでも、他者から盗むわけでもありません。共鳴するのです。響き合うのです。響き合って何か一つのことを成し遂げるからこそ、知らず知らずのうちに力量が高まっているのです。知らず知らずのうちに学び盗んでいたことに気づくのです。
いかがでしょうか。職員室の隣の席に座っている同僚が明日から違う人に見えてくるはずです。隣の先生、あなたのもっていないどんな得意技をもっているでしょうか。実はあなたは知っているのではありませんか? そしてそれを学ぼうなどとは考えたこともなかったのではありませんか? そんなもったいない教師生活を送ってはいけません。来年、その先生は違う学年に言ってしまうかもしれないし、転勤してしまうかもしれないんですよ。
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