規律訓練型権力と共依存型セラピー
〈規律訓練型権力〉とちょうど裏表にあるものとして、私が〈共依存型セラピー〉と呼んでいる教師の在り方があります。泉谷閑示が指摘している、精神療法やカウンセリングの現場でよく見られる、セラピスト側の病理現象です(『「普通がいい」という病』泉谷閑示・講談社新書・2006年10月)。
多くのセラピストは精神療法やカウンセリングの場面において、ついついクライアントの悩み・苦しみをどうにかしてあげようと、自分の考える答えを教えたくなってしまうものだと泉谷は言います。そしてそうしたセラピストの行為を、クライアント自身の葛藤を持ちこたえる力を育てず、自分自身で答えを見つけ出す力を退化させてしまう、セラピー依存を作ってしまう在り方だと批判しています。
例えば、リハビリすれば十分歩けるようになるクライアントに、「脚が痛い」と言っているからとすぐに車椅子を提供する、そうした治療やカウンセリングを批判しているわけです。このような治療者の在り方は、治療者にとって「すごく治療してあげているような自己満足」を感じさせます。クライアントの方もこの治療者に感謝しますから、両者はともに満足感を得るわけですね。
しかし、これが大きな罠であると泉谷は指摘します。
「治療熱心な治療者ほどこの失敗に陥りやすいのですが、治療者自身が患者さんに『治療依存症』を作る元凶になっていることに気付かない。ドラマの『赤ひげ』よろしく、私生活をほとんど犠牲にして、それで自分はたくさんの患者さんの役に立っていると密かに満足をしている。でも患者さんはなかなか治らないものだから、患者数だけがどんどん増えて、どんどん頼りにされて、忙しくなる。その治療者はこれまた密かに、自分の腕が良いので繁盛していると錯覚する。こういう困った悪循環もよく見られます。」
多くの読者が思い当たると節があるのではないでしょうか。いま、学校には泉谷閑示が指摘するような〈共依存型セラピー〉の状況に陥っている、そんな現象がたくさんあるはずです。私の学校もこの構図で溢れかえっています。教師たちは身動きがとれず首がまわらないほどに走り回っていますが、子どもたちにも保護者にも、一つやって上げるとそれ以上の要求が突きつけられ、本音では「つけあがってんじゃねえぞ」と「こんなにやってあげる自分はいい人」という矛盾した思いを錯綜させながら、やはり過保護を繰り返して自分の首を絞めていく……そういう現象です。
さて、こうしたやり方はいつまで続けられるでしょうか。早晩、学校教育はパンクしてしまうはずです。いいえ、もう既にパンクは始まっていて、心の病で休職する教師があとを絶たない状況があります。まじめな教師、理想の高い教師ほど心の糸が切れやすい、そうした傾向も見られます。
もう、このあたりが限界なのではないでしょうか。
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