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まえがき

まえがき

最初の教え子(1994年3月卒業)が三十代の半ばになっています。6度目の卒業生(2005年3月卒業)が大学を出始めています。教え子のなかに教職に就いた子がたくさんいます。そんな子とは誘われれば二人で逢うことにしています。すすきのの小さなBarで懐かしい話からいま現在の教師としての悩みまで話題が尽きることなく、朝方4時とか5時になってさすがにもう帰ろうと後ろ髪を引かれる思いで帰路に就くということになります。

そんな教え子たちと話していると、その子たちに自分が思いの外大きな影響を与えていることに気づかされます。それはこんな影響だと明確な言葉にできないものですが、しかし決して抽象的でない、どこまでも具体的な教師としての立ち姿のようなものです。子どもの前に立つときの立ち位置とか在り方とか言っても良いかもしれません。

彼ら彼女らはほとんどが〈出る杭〉として職場で叩かれています。それでもめげることなく、いつか叩かれることのない〈出過ぎる杭〉になろうとしているようなところがあります。血縁関係がないわけですから、2年間から3年間、同じ場を共有して空気感染したDNAのようなものなのでしょう。

同じ年頃、自分もそうだったなあと感じながら、私は叩かれない〈出過ぎる杭〉になるために必要なのはたった二つだと話します。即ち、優しさと技術である、と。優しさも技術もない若輩者が生意気なことを言うな、と。しかし、優しさも技術もない若輩者が生意気な生き方を続けていかないと優しさも技術も身につかないのが真理だ、と。人生とはそうしたパラドクスを抱えているものだ、と。         

いま、逢う度に私の教師論づくりに栄養を与えてくれている教職に就いた教え子たちに、このうえない愛惜とある種の偏愛を抱きながら本書を書き綴ったことをまずは記しておこうと思います。

森田童子/ぼくたちの失敗 を聴きながら……
2013年3月31日(日) 自宅書斎にて 堀 裕嗣

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