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壁に描かれた田園風景

「納屋から母屋に戻る途中、吹雪で方向感覚を失って凍死することや、地平線の果てから連日のように襲ってくる砂嵐に発狂者が出るといった悲劇は、当時、珍しくなかった。自然の猛威に生命と正気をつねに脅かされていた彼らは、窓のない家を建て、内部の壁に窓の絵を描き、外の恐ろしい景色とは正反対の美しく豊かな田園風景を描き込んだという。」

これは北アメリカ開拓時代のミズーリ州に住む庶民の生活を、文化人類学者の能登路雅子が描写した文章です。彼女がなぜこんな描写をしたのかというと、私たちもよく知っているある著名な人物が、その幼少期をミズーリ州のマーセリーンで過ごした経緯があり、その人物が偉大な仕事を成し遂げた所以として、或いは原風景として、この描写が語られているのです。

皆さんはこの人物をだれだと思いますか? ちなみに雪や砂嵐に強い家を設計した建築でもありませんし、美しく豊かな田園風景を描いた画家でもありません。私たちが家族で夢の国に行って休日を過ごそうと考えるとき、まず間違いなく候補に挙がるあの施設をつくった人です。私も二十代のときにロス・アンジェルスにあるその施設に一度だけ行ったことがありますが、かつて経験したその一日は、いまだに人生における特別な時間だったなあと振り返ることがあります。

そう。何を隠そう、このミズーリ州の生活を原風景としていると能登路が指摘するのはかのウォルト・ディズニーであり、彼がこれを原風景として成し遂げた仕事として語られているのがディズニーランドなのです(『ディズニーランドという聖地』能登路雅子・岩波新書・1990年7月)。

冒頭の引用をもう一度、読んでいただけますでしょうか。

私は北海道に住んでいますから、このミズーリ州の人たちの気持ちがよくわかるような気がしています。ミズーリ州はほぼ北海道旭川と同じような気候で、夏は暑く、冬はとてつもなく寒い。しかも雪が多い。北アメリカのほぼ中央に位置するミズーリは、そんな場所であるようです。そういう土地に住む人々にとって、一般に、自然は決してその美しさを観賞する対象ではありません。また自然は、多くの日本文化が示すような調和したり共存したりする対象でもありません。ただただ脅威なのです。だって、調和したり共存したりしようとしたら、自らの命が脅かされるのですから。

そんな想いを抱いてこの文章を読んでいたら、私にはここに書かれている内容が、なんとなく構造的に学校と相似形を為しているような気がしてきました。

外の世界は苛酷である。子どもたちはいずれ、その外の世界と格闘することを余儀なくされる。その前にその準備段階として、外の世界から遮断された特別な世界で、外の世界の苛酷さが見えないように子どもたちを囲い込んでしまおう。そして、人間世界の美しい物語だけを語って聞かせよう。思いやり、協力、責任感、公正、公平……、努力する者は報われる、話せばわかる、人は決して裏切らない、必ずだれかが見ていてくれる……、一人はみんなのために、みんなは一人のために……。そのすべてが本質的には壁に描いた田園風景に過ぎなかったとしても。

学校教育にはそんな構造があるのではないか──私にはこの文章がそんなふうに見えてきたのです。

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