学園ドラマと時代の機運
私は1966年生まれ、この文章執筆時点で46歳です。
小学生の頃から再放送を含め、学校を舞台としたドラマを見るが大好きでした。竜雷太や村野武範、中村雅俊らが演じる高校の先生、そしてあべしず江や由美かおるが演じるマドンナ先生、更に主人公の近くには必ず神田正輝をはじめとする気の弱い後輩教師がいるのも定番でした。
その延長上に、水谷豊の「熱中時代」や西田敏行の「サンキュー先生」、田原俊彦の「教師びんびん物語」など、小学校教師ものがありました。そして何より、昭和の教師ものの代表作といえば、武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」とその派生シリーズでしょう。このドラマは名取裕子を大女優に押し上げ、田原俊彦・近藤真彦・野村義男をスターにして、現在まで続くジャニーズ時代の基盤を築きました。また、三原じゅん子や沖田浩之など、スマッシュヒットを飛ばす歌手・俳優を輩出したドラマでもありました。こうした学校を舞台としたドラマは、世論の学校に対する心象がどこに核心をもつのか、時代の気分を適切に表しているといえます。
こうしたテレビドラマに描かれる教師たちは、個性的であるように見えますが、そのすべてがその時代時代の気分を体現した最大公約数的キャラクターとして描かれています。ずっと変わらない特徴といえば、子どもたちのことを第一に考え、子どもたちに寄り添って行動するということですが、その「子どもたちのため」とは何なのか、つまり「子どもたちへの寄り添い方」には、その時代時代に特有のアプローチが描かれているのです。
当然といえば当然です。テレビドラマは視聴率を取るためにつくられますから、その時代の気分を捉えなければヒットしようがありません。見る側がそのドラマに共感するためには、そのドラマが視聴者の現実を包み込むコンテクストと一致していなければならないのです。
竜雷太から村野武範へと至る70年前後であれば、基本的に描かれているのはスポ根でした。同時期に「サインはV」や「アタックNo.1」「エースをねらえ!」といった大ヒットアニメがありましたから、そうしたメンタリティが時代の機運だったのだといえるでしょう。こうした時代の機運に則って、竜雷太も村野武範も生徒たちに語っていたのであり、みんなで力を合わせて壁を越えようという戦後日本特有の最後の時代機運を象徴していたのだといえます。村野武範主演「飛び出せ!青春」の河野先生の口癖として描かれていた「Let's Begin!」には、とにかく「みんなで始めよう」という集団主義の匂いがまだまだ残っていました。
中村雅俊主演のドラマはこの集団主義に真っ向から反対しました。簡単に言えば「とにかく友情」なのです。勉強よりも、部活動よりも、とにかく友情……。中村雅俊主演「われら!青春」(1974年)の挿入歌に「青春貴族」という曲がありましたが、この歌では「一番大事なものはなに?決まっているよ友達さ」「いまはビリでいるけれど10年先は先頭さ」と歌われ、友情を第一に心が育っていることの方が、勉強ばかりしているより頭が良いことよりも尊いという時代の機運をはっきりと物語っています。この機運は中村雅俊主演ドラマでは常に引き継がれ、「俺たちの旅」「俺たちの祭」「ゆうひが丘の総理大臣」などでも、基本的にこの路線が主張されています。
しかし、1980年前後になると、「友情至上主義」が「恋愛至上主義」に取って代わります。「3年B組金八先生」(1979年)では、クラスの生徒である鶴見辰吾と杉田かおるに子どもができてしまい、それを金八先生もB組の生徒たちもいろいろとトラブルを乗り越えながらも最終的には祝福するという物語が展開されます。
要するに、生徒同士の愛情が学校教育というシステムを越える姿が描かれたのです。この流れは鶴見辰吾と伊藤麻衣子の「高校聖夫婦」(1983年)をはじめとして80年代に数限りになく描かれ、「高校教師」(1993年)では遂に教師と女子生徒の恋愛物語が描かれるまでに至ります。あの森田童子の「ぼくたちの失敗」を主題歌とした、真田広之主演の大ヒットドラマですね。このドラマには恋愛が社会システムを超える崇高なものとして世論の中で完成されたという側面があります。あの年は生徒も保護者もあのドラマに大騒ぎでした。私は当時、既に教職にありましたから、このドラマのヒットに忸怩たる思いを抱いていた記憶があります。
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