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「聞くこと」指導は態度指導だけではない

全校集会や学年集会での先生方の動きを見ていて、違和感を覚えることがよくあります。一つは校長先生のお話などのときに、生徒の近くにいる教師たちが頭の下がっている生徒や肩の丸まっている生徒たちに注意している動き。一つは話している教師自身が「姿勢が悪い!」とか「ちゃんと聞け!」とか怒鳴る動き。私はどちらもやったことがありません(いや、若いときならやったことがあったかな?)。

前者に対しては、正直なところ、「だって、校長さんの話、下手だからなあ、オレだって、生徒なら寝るだろうなあ……」と感じ、後者に対しては「生徒の態度に腹立てる前に、自分の話し方の反省しろよ」と感じています。もちろん、そんなことを言っては喧嘩になりますから言いません。生徒たちも多くの場合、「あっ、すいません」などと言って姿勢を正すわけですから、表現者としての教師と聴衆としての生徒たちとの間に巣くう教師の話し方の責任に問題を感じたとしても、それを批判しない方がうまく流れるということは現実的によくあることです。

むしろ、自分が集会で話をするときに、他の先生とは違った動きをすることで生徒たちを惹き付け、「ああ、あんな風にやった方が機能するのか」とモデルを示すということの方が、先生方の話し方を変えていくのには良いのではないか、私はそんな風に思っています。だれだって、面と向かって批判されるのは面白くないですからね。伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない、そういう現実もありますが、それは仕方のないことなのだと感じています。それで伝わらない人を批判すれば、余計に問題はこじれてしまいますから。そうなれば、教師の話し方や生徒の聞き方などでは済まされない、大きな問題に発展しかねません(笑)。

ちなみに私は、冒頭で「堀先生の話は少し長くなるかもしれませんから、リラックスして聞いてください。面白かったら笑っていいし、驚いたら『ええーっ!』とか言って、全然構いません。姿勢をどうこうとは言いませんから、目と耳と心は堀先生に向けてくださいね。」と言うことが多いです。また、最初は「みんなに質問があります。」と言って問いを発し、並んでいる生徒たちの中に入って行って、「どう?」と何人かの生徒たちにマイクを向けて答えを言わせるということもよくします。その答えにユーモラスに返していくことで、その対話に注目させるという技術を駆使するわけですね。まあ、そうした技術は前著『目指せ!国語の達人 魔法の「スピーチネタ」50』に詳述しましたので、興味のある方はそちらを御参照ください。

冒頭からこんな話を始めたのには、実はわけがあります。

おそらくこの国には、「聞くこと」が聞き手の〈態度〉の問題であるという暗黙の了解があるのです。私は国語教師ですから、しかも、言語技術にかなり傾倒したことのある国語教師ですから、この国に巣くうこの「暗黙の了解」に対して、暗黙に了解するわけにはいきません。背筋を伸ばして、目を開いて聞いていれば、しっかり聞いていると評価して良いのでしょうか。この問いに対して、私は明確に否定します。

例えば、私たちは講義形式の授業において、教師の話一つひとつにうなずき、一所懸命に板書を写し、完璧なノートを取っている生徒が、後で話してみるとまったく授業内容を理解していないという例を何度も見ているのではないでしょうか。この生徒の聞く態度は完璧です。しかし、この子はしっかり聞いていると言えるのでしょうか。また、授業中に隣の生徒とおしゃべりをしていた生徒を注意して、「いま、先生が言ったことを言ってみろ」と問い詰めたときに、ちゃんとその内容を復唱できたという例にも遭遇することがあります。果たしてこの生徒はしっかり聞いていなかったと言えるのでしょうか。そもそも、完璧なノートの子と隣とおしゃべりの子とでは、どちらが聞く力が高いと評価すれば良いのでしょうか。

例えば、DVを受け続けた女性から、「ああ、また殴られる」と思った瞬間に、心と躰のスイッチをオフにするんです。そうすると、痛みも感じなくなるんです。そして暴力が終わるのをただ待つんです。」という証言を聞くことがあります。例が悪いのを承知で言えば、人間にはこんなことさえできるわけですから、こうした証言を我々教師は参考にすべきでしょう。もしかしたら、姿勢良く目を輝かせながらスイッチをオフにすることだって、ある種の生徒たちには可能なのかもしれないではありませんか。

私は「聞くこと」において、〈態度〉などというものはどうでも良いと主張したいのではありません。聞く〈態度〉はとても大切なことです。それは話し手に対する「私はあなたの話を興味深く聞いています」というある種の表現行為であるわけですから、重要でないはずはないのです。ただ、「聞くこと」の指導が「態度主義」一辺倒になっている現状はいかがなものか、と言っているだけです。「聞く」という行為はもっと主体的な行為だと考えているのです。

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