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規律訓練型権力と時代の機運

ここで大切なことは、スポ根から金八先生に至るまで、1980年代までに描かれていた教師像は、まず間違いなく〈規律訓練型教師〉であったということです。中村雅俊も武田鉄矢も、これが人として正しい、これが人の生きる道だ、これが人にとって大切なのだと語ります。怒鳴る姿こそほとんど描かれませんが、「勉強ができなくたってお前にはこんなに友達がいるじゃないか」とか「人という字は支え合ってできている」とか、そういう形で人としての正しさを語ります。水谷豊も西田敏行も田原俊彦もみんな人としての正しさを語ったのです。

しかし、そうした言葉が子どもたちに機能するには、要するにその正しさが説得力をもつには、そうした考え方を正しいとする社会的なコンセンサスが必要です。そのコンセンサスを背景として語るからこそ、この主人公たちの言葉は説得力をもつのです。ただの変人先生が描かれ、変なことをして変なことを言っているだけでは、決して視聴者の共感を得ることなどできません。いわば主人公たちはその時代時代のコンテクストのオーラを浴びて、テレビ画面の中に颯爽と立っていたのです。

こうした〈規律訓練型権力〉を象徴する教師像は、90年代から次第に描かれなくなっていきます。たとえ描かれたとしても、ドラマとして大ヒットしなくなっていきます。「3年B組金八先生」は90年代にもシリーズとして続きますが、次第に〈規律訓練型教師〉の様相を後退させ、このドラマは時代特有の教育問題や教師の裏にある現実などを描いて、社会に問題提起する構図に変容していきました。

また、90年代以降に描かれる〈規律訓練型教師〉は、反町隆史主演「GTO」や仲間由紀恵主演「ごくせん」など、それまでの教師もののパロティとして作られる傾向があります。中でも、この20年間で最もヒットしたドラマは天海祐希主演の「女王の教室」(2005年)です。これもWikipediaによれば、初回視聴率14.4%から最終回25.3%と伸び率が10%を超え、国民的な話題になるほどの大ヒットを記録しました。しかし、これも時代の機運として古き良き時代への懐古主義が根底にあるといえ、こういう教師が良いのだというドラマではありませんでした。これも〈規律訓練型教師〉としては広義のパロディといえるでしょう。

正統な〈規律訓練型教師〉として描かれているか、そのパロディとして描かれているかは、実はごく簡単にわかります。それは時代の教師が真似しようと思うか否かです。中村雅俊や金八先生は子どもたちだけでなく、保護者も教師も参考にすることができました。しかし、反町隆史や仲間由紀恵の真似を、ましてや天海祐希演じる「阿久津真矢」の真似をしようという教師など、全国どこを探しても皆無でしょう。〈規律訓練型教師〉はフィクションの中にしか存在し得ない教師像となったのです。

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