非日常的な世界観の創造
ディズニーランドは外の世界から完全に遮断された人工世界です。そこに本質があります。
ディズニーランドには一切の自然がありません。動物が一匹もいません。すべて人工的につくられたものです。植物もその多くが人工物です。ときに本物の木々を見ることがありますが、それらさえ動物の形やキャラクターの形に刈り込まれています。生花を植えている花壇さえ、ほぼ毎日のようにな満開の花に植え替えられているとも聞きます。川や湖も完全にコンクリートで固められ、泥で水が汚れるということがありません。
「キャスト」と呼ばれる従業員たちは「コスチューム」と呼ばれる制服を着て、警備員たちも昔の警官の「コスチューム」を着て、ディズニーランドの世界観と一体化しています。メインストリートに立ち並ぶ建物は縮尺が計算され、それどころかメインストリートの道幅さえ縮尺が細かく計算され尽くして、遠近法によって正面に見える「眠れる森の美女の城」が実際より遠く高く見えるようにつくられています。
敷地の周りは土盛りがされ、ディズニーランドの中にいる限り、敷地の外の風景は見えないようにできています。他の遊園地と異なり、駐車場も一箇所、入り口も一箇所にすることによって、またそこに様々な仕掛けが施されることによって、ディズニーランドに入場した途端に外の日常世界から完全に遮断される構造になっています。もしも東京ディズニーランドから富士山が見えたとしても、その風景は遮断されていたかもしれません。そのくらいに外界との遮断は徹底しています。
能登路雅子によれば、「あるテーマに沿って、建築様式、造園、娯楽の内容、登場人物からレストランのメニュー、販売する商品、従業員の制服、ゴミ箱の形や色彩に至るまで、すべての要素がバランスよく助け合い、調和のとれたひとつの世界を創り出すという考え方」がテーマパークの原則です。ですから、外部世界を遮断して一つの完璧な世界観をつくるということがディズニーランドの本質なのです。
観客はそうした世界観の中で、ただただ幸福な家族としての、或いはただただ純粋に愛し合うカップルとしての物語を生きることになります。ディズニーランドに何度も何度も足を運ぶ人たちがいるのは、そこが非日常の物語を生きることができる空間だからなのでしょう。
観客にこうした体験をさせる環境を細かく計算し、完璧な日常空間施設をつくったプロデューサー。そこにウォルト・ディズニーの凄みがあります。この「ブロデューサー-ディズニーランド-観客」の関係は、例えばロール・プレイング・ゲーム(以下「RPG」)の「ゲームマスター-RPG-ゲーム-プレイヤー」の関係に似ています。日常生活や外部世界から遮断された独立した世界観を提示することによつて、顧客にその世界観に従った物語を擬似体験させる、そうした意味では両者は同じ構造をもっています。
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