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教師の無能と世論の支持

皆さんは『二十四の瞳』を読んだことがおありでしょうか。

『二十四の瞳』は、瀬戸内海の海村の分教場に新しく赴任した大石久子先生と、その年に入学した12人の小学1年生の触れ合いと、戦前の時代状況に巻き込まれる子どもたちと大石先生の葛藤とを描く、壺井栄の名作です。木下恵介(1954年)と朝間義隆(1987年)が映画化し、テレビドラマとしても何度も放映されています。

私はこの作品を学生時代に涙ながらに読んで以来、大石先生にある種の教師の理想像を見てきました。いいえ、いまだって、教師の理想像はこういう世界にあると感じています。しかし、その理想像は、やはりかつての牧歌的な学校風土に対するノスタルジーの象徴だと判断せざるを得ません。

内田樹が高峰秀子主演の映画『二十四の瞳』(木下恵介監督)を再見しての驚きを語っています。自分はかつてこの映画を見たときに、深い感動を覚えたと。しかし、最近になって再び見たときに、大石先生が教師としてほとんど無能であったことに一驚を喫したと(『昭和のエートス』内田樹・文春文庫・2012年8月)。

「生徒の進学問題で親子が対立するときも、貧しくて学業を断念しなければならない生徒が出たときも、厭戦の言葉を口にして校長に叱責されたときも、出征した教え子たちが死傷したときも、大石先生はただぐずぐずなくだけで何もできない。今日的基準に照らすならば、大石先生はその教育能力の欠如と軽率な言動を咎められて、間違いなく教育委員会から『研修』を義務づけられることであろう。」

内田はこれを受けて「制度の惰性」の重要性を指摘しています。現場にいる人間の個人的資質とはとりあえず無関係に破綻なく機能するように構築された制度のことを「うまくできた制度」と呼ぶのであり、そうした惰性の効いた制度をこそ目指さなければならない、と。私はこれを読みながらなるほどと膝を打ちましたが、世論の大勢がこうした考え方に首肯することはあり得ないだろうとも感じました。

こうした無能振りを発揮する教師は、何も『二十四の瞳』の中にのみあるのではありません。灰谷健次郎の諸作品に出てくる先生も、安房直子の諸作品に出てくる先生も、いいえ、学校の先生ばかりでなく、医者も店長も商店街のおじさんもおばさんも、みんな人は良いけれど無能といってよい人ばかりなのです。そしてそれは、こういう人たちが支持を集めた時代が確かにあったということを意味しているに過ぎません。

21世紀になって、「相棒」シリーズで一時代を築いている水谷豊には、70年代後半に「熱中時代」という小学校の教師を演じた大ヒットドラマがありました。役名は北野広大。現在四十代後半以上くらいの先生ならば、それこそ熱中して視聴した記憶をもっているはずです。

実は、北野先生も子どもたちの問題に、或いは職員室の人間関係にただただ戸惑い続ける先生でした。通知表時期には子どもたちへの所見を書くことができず、終業式には子どもたちに謝りながら所見を白紙のままで渡す始末。間違いなく、いまなら「研修」行きです。そもそも、通知表は何重にも点検されますから、このようなこと自体が起こり得ません。

しかし、この水谷豊主演「熱中時代」は、Wikipediaによれば最終回の視聴率がニールセンで46.7%、ビデオリサーチで40.0%という驚異的な数字を記録したのだといいます。この数字は現在でいえば「NHK紅白歌合戦」の数字です。こうした教師像が当時、いかに世論に支持されていたかということを証明して余りある数字といえるでしょう。

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