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2013年2月

今月のお知らせ/2013年2月

業務連絡

2013年3月10日(日)第4回教室実践力セミナーin東京の最終案内を送信致しました。ご確認ください。

今日は2月5日(火)。少し「2月のお知らせ」の更新が遅くなりました。

売れないだろうと感じていた「教師力ピラミッド」(明治図書)が好調な滑り出しを見せたり(なんと発売から1週間で重版となりました)、東京で編集者やこれから一緒に仕事をしていくであろう人たちと細かな打ち合わせをしたり、2月は最初の3日間でかなり有益な満足の行く3日間でした。

今月は遠出の予定はありませんが、地元で小さな研究会を開催する予定です。

2月7日(木)に拙著『教師力ピラミッド~毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』(明治図書)の記事が掲載されました。その反応です。

MOZART・HISTORY・PEACE水持先生の顧問日記寝ても覚めても学校のこと。統一教会合同ニュースブログ学校から新しい風を!万葉といで湯の郷から出た男の

【書籍・出版関係】

121207cover新刊『教師力ピラミッド~毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』堀裕嗣著・明治図書・2013年1月

第3刷が決まりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。しばらく品薄状態が続きますが、ご容赦下さいませ。

2006年から温めてきたコンテンツです。僕の講演では必ず触れる、僕にとってビッグコンテンツでもあります。今回は明治図書からイクタケマコトさんとのコラボです。僕の代表作になると思います。それだけの価値のあるコンテンツと自負しています。今回は読者にわかりやすく、役立つようにという配慮も僕なりに尽くしています。

まえがき/目次/あとがき

書評/きょんどう通信あこがれのベクトル天日干し思考えでゅぴりか水持先生の顧問日誌佐藤玄輝のブログすまいる☆まじっく教師の本棚教師力を高める

121009coverスペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』堀裕嗣著・明治図書・2012年11月/明治図書の好評シリーズ「スペシャリスト直伝」に名を連ねることになりました。今回は力量形成系の著作です。TWITTERでのつぶやき40を平均3頁で解説する構成です。異色の本でまとまり感には欠けますが、まずまず私の力量形成観を書けたのではないかなあと感じています。第四刷になりました。ありがとうございます。

まえがき/目次/あとがき

9784761919221一斉授業10の原理・100の原則~授業力向上のための110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年10月/シリーズ4冊目になります。早くも多くの方々から反響をいただき、嬉しく感じております。第三刷になりました。ありがとうございます。

まえがき・目次・あとがき

書評/教師のチビチビ記録横山験也先生糸井登先生桑原賢先生沼澤晴夫先生石川晋先生長瀬拓也先コマイヌさん多賀一郎先生半径3mの教育論一歩一歩。進みたい笑さん野中信行先生

111207cover_2拙著『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』(明治図書)の第6刷が決まりました。そろそろ次年度が視野に入ってくる頃なのでしょうか。季節ものの本ではありますが、多くの方々にお読みいただいて嬉しく感じております。

まえがき・目次・あとがき

9784761918842新刊『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年3月/第二刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとがき/目次

9784761918484s生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年10月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとかぎ/目次

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年3月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとがき/目次

『エピソードで語る教師力の極意』(明治図書)もゲラの校正に入りました。「研究集団ことのは」でつくっている『教室ファシリテーションへのステップ 目指せ!国語の達人!』というシリーズも「音読編」「スピーチ編」のゲラ校正を終えました。現在、「聞き方編」「作文編」「話し合い編」を鋭意制作中です。今後とも、よろしくお願い致します。

【研究会関係】

私に関係する2~3月の研究会をご案内させていただきます。お時間が許せばお越しください。

2013年2月2日(土)/中学校学級づくりセミナーin東京終了しました。  

2013年2月3日(日)/第2回教室実践力セミナーin東京終了しました。  

2013年2月9日(土)/第3回教室実践力セミナーin札幌終了しました。

2013年2月16日(土)/第20回国語科授業づくりセミナーin札幌終了しました。

2013年2月16日(土))/「研究集団ことのは」例会/終了しました。

2013年3月2日(土)/「研究集団ことのは」例会/ご参加希望の方はメールをいただければ幸いです。hori-p@nifty.com

2013年3月9日(土)/第5回ALL関東教育フェスタ/関東の教員志望の学生さんたちの活動です。

2013年3月10日(日)/第4回教室実践力セミナーin東京/教師力アップ 成功の極意
教師のための元気が出る仕事術/ALL堀裕嗣セミナー

2013年3月30日(土)/「研究集団ことのは」例会/ご参加希望の方はメールをいただければ幸いです。hori-p@nifty.com

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規律訓練型権力と大きな物語

これまで、〈規律訓練型教師〉の行動と言葉を背景で支えるものを、「時代の機運」「コンテクスト」「社会的コンセンサス」などといった語で言い換えてきました。しかし、この国では一般に、これらを〈大きな物語〉と呼んでいます。〈大きな物語〉というと、「マルクス主義」や「戦後近代主義」「戦後民主主義」のことを指すように思うかもしれませんが、基本的にはその時代時代を包み込んでいる〈共同幻想〉(『共同幻想論』吉本隆明・角川文庫・1968年)のことです。

先に内田樹が『二十四の瞳』を例に挙げて、「制度の惰性」の重要性を指摘したと述べました。その論理はもう一度再録すれば、「現場にいる人間の個人的資質とはとりあえず無関係に破綻なく機能するように構築された制度のことを『うまくできた制度』と呼ぶのであり、そうした惰性の効いた制度をこそ目指さなければならない」ということでした。

しかし、私は『二十四の瞳』が刊行された時代に大石先生が支持されたのは、学校教育という制度が惰性の効いた「うまくできた制度」だったのではなく、国民的な〈共同幻想〉がしっかりしていたからなのだと思います。

なぜ大石先生が貧しくて学業を断念しなければならない子に感じるシンパシーを、映画の観客たちもまた共有することができたのか。それは国民のだれもが「立身出世」という〈共同幻想〉、即ち〈大きな物語〉を共有していたからに他なりません。なぜ大石先生が「綴り方」の文集を廃棄させられることの悲しみを、映画の観客たちも共有することができたのか。それは国民のだれもが「綴り方教育」というものが戦前にどういう位置づけにあったのかを知っていることに支えられています。

こうした〈大きな物語〉が高度経済成長の時代において、学園ドラマとしては「スポ根」に象徴されるようになり、次第に国民の個人個人が豊かになる過程と並行して、それが「友情」になり「恋愛」になりと移り変わっていったのです。

しかし、「立身出世」にしても「スポ根」にしても「友情」にしても「恋愛」にしても、それらが意識の中に前景化し「共同幻想」とまでなるためには、それらの達成を邪魔する圧倒的な壁が必要です。戦争であったり、貧しさであったり、地位であったり、家制度であったりですね。

しかし、勉強するのも自由・しないのも自由、部活をやるのも自由・帰宅部になるのも自由、地位や貧しさが友情に亀裂を入れることも、家や身分が恋愛を成就させないこともほとんど見られなくなったとき、そうした〈大きな物語〉たちは意識の外に後退していかざるを得ません。たまにバロディが作られて想い返される程度になってしまいます。ましてや、もう生理的欲求を新たに満たすような文明の利器が開発されるということもありません。

そのとき、「終わりなき日常」の中で、古市憲寿のように「Wiiが一緒にできる恋人や友達のいる生活」を幸福概念とするような、完全なる個人主義とでもいうべき新たな感覚が生まれるのです。私たち教師は〈大きな物語〉の後ろ盾を失い、もう既に「これが正しい」と子どもたちに語るべき言葉をもたない、たとえもったとしても「それは先生の個人的な正しさでしょ?」と即座に相対化されてしまう、そういう時代を迎えたのです。

こうした時代を迎え、教師にできることは何なのか、私たちはそれを考えなければならない時代に入っています。意外と簡単に出てくる答えは、学校教育を解体することです。これだけ個人主義が浸透し、これだけ多様化された社会において、新しい教育の枠組みをつくることができるならば、それはそれで良いことなのかもしれません。ただし、私たち現役教師は失業するかもしれませんが……(笑)。

しかし、そうした新たな枠組みが自分たちが現役世代のうちにでき上がるとはどうも思えません。他国を見ても、様々な工夫をしたりシステムを改変したりしている国はありますが、学校教育自体を解体してしまったという話は聞きません。私たちはこの苦しさの中で、少なくともこれから20年くらいは、この苦しさがどんどん進んでいくなかで教師を続けるしかないのではないでしょうか。とすれば、私たちには、いったいどういう道が選択肢として用意されているのでしょうか。

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2月28日(木)

1.今日は授業が4時間。すべて過去の入試問題。15時で介護休暇をいただく。父の入院する病院と転院の打ち合わせ。転院する病院と転院の打ち合わせ。妹にメールをしたり、いろいろな手続きの準備をしたり。

2.クレームをつけた保護者を学校側が訴えた裁判。原告の訴えを棄却する判決が出た。妥当な判断だと思う。これで学校側が勝訴するような判例をつくってしまったら、今後、教師と保護者の揉め事がすべて法律論で争われる可能性を想定したものにならざるを得ない。その悪影響は保護者クレームの比ではない。

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規律訓練型権力と時代の機運

ここで大切なことは、スポ根から金八先生に至るまで、1980年代までに描かれていた教師像は、まず間違いなく〈規律訓練型教師〉であったということです。中村雅俊も武田鉄矢も、これが人として正しい、これが人の生きる道だ、これが人にとって大切なのだと語ります。怒鳴る姿こそほとんど描かれませんが、「勉強ができなくたってお前にはこんなに友達がいるじゃないか」とか「人という字は支え合ってできている」とか、そういう形で人としての正しさを語ります。水谷豊も西田敏行も田原俊彦もみんな人としての正しさを語ったのです。

しかし、そうした言葉が子どもたちに機能するには、要するにその正しさが説得力をもつには、そうした考え方を正しいとする社会的なコンセンサスが必要です。そのコンセンサスを背景として語るからこそ、この主人公たちの言葉は説得力をもつのです。ただの変人先生が描かれ、変なことをして変なことを言っているだけでは、決して視聴者の共感を得ることなどできません。いわば主人公たちはその時代時代のコンテクストのオーラを浴びて、テレビ画面の中に颯爽と立っていたのです。

こうした〈規律訓練型権力〉を象徴する教師像は、90年代から次第に描かれなくなっていきます。たとえ描かれたとしても、ドラマとして大ヒットしなくなっていきます。「3年B組金八先生」は90年代にもシリーズとして続きますが、次第に〈規律訓練型教師〉の様相を後退させ、このドラマは時代特有の教育問題や教師の裏にある現実などを描いて、社会に問題提起する構図に変容していきました。

また、90年代以降に描かれる〈規律訓練型教師〉は、反町隆史主演「GTO」や仲間由紀恵主演「ごくせん」など、それまでの教師もののパロティとして作られる傾向があります。中でも、この20年間で最もヒットしたドラマは天海祐希主演の「女王の教室」(2005年)です。これもWikipediaによれば、初回視聴率14.4%から最終回25.3%と伸び率が10%を超え、国民的な話題になるほどの大ヒットを記録しました。しかし、これも時代の機運として古き良き時代への懐古主義が根底にあるといえ、こういう教師が良いのだというドラマではありませんでした。これも〈規律訓練型教師〉としては広義のパロディといえるでしょう。

正統な〈規律訓練型教師〉として描かれているか、そのパロディとして描かれているかは、実はごく簡単にわかります。それは時代の教師が真似しようと思うか否かです。中村雅俊や金八先生は子どもたちだけでなく、保護者も教師も参考にすることができました。しかし、反町隆史や仲間由紀恵の真似を、ましてや天海祐希演じる「阿久津真矢」の真似をしようという教師など、全国どこを探しても皆無でしょう。〈規律訓練型教師〉はフィクションの中にしか存在し得ない教師像となったのです。

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2月27日(水)

1.今日は授業が4時間。すべて入試対策問題。空き時間は別室登校生徒の指導。7組の担任が外勤だったので、帰り学活・清掃。16時に介護休暇を取って岩見沢へ。お袋と回転寿司で食事をしたあと、親父の病院へ。その後、退院後に入る施設を訪問。お袋を再び病院まで連れて行く。ケアマネと電話相談。

2.例えば力量のある教師がものすごい学級経営をしているとします。でも多くの場合、その学級の隣にはその教師と比較されることによって苦しんでいる担任がいるものです。力量のある教師は隣の学級担任が苦しまないように、隣の学級の子どもたちが損したと思わないように配慮する必要があります。

3.何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければなりません。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことにはすべてが現状維持です。

4.生徒指導屋には生徒指導屋の役割があり、担任屋には担任屋の役割があります。研究屋には研究屋の、教務屋には教務屋の、行事屋には行事屋の役割があります。もちろん管理職にも管理職の役割があります。これらを有機的に結びつけること。教員再生の道も学校再生の道もこのこと以外にはありません。

5.人材不足を嘆く言葉を見ると哀しくなります。ぼくは自分の地域にも自分の学校にも、人材きら星のごとくに見えます。ないのはそれぞれの能力とか資質をつなげ、有機的に機能させるようなシステムだと感じています。教育の現場は能力や資質はもちろん、どんな小さな趣味でも嗜好でも活かせる場所です。

6.職員会議は何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まります。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人がいうなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことになります。良いか悪いかは別としてこれが真実です。「うちの先生方は……」と嘆く方にはいつもこう言います。

7.その人が好きでも嫌いでも買おうが買うまいが、「あなたを信じておまかせします」と言えばいいのです。「まかせる」と言われたとき、それが人間がもっとも力を発揮するときです。ネガティヴな感情も関係も好転していくものです。おまかせします……なんと美しく、おくゆかしいことばなのでしょう。

8.明治図書の好評シリーズ「スペシャリスト直伝」に名を連ねることになりました。今回は力量形成系の著作です。TWITTERでのつぶやき40を平均3頁で解説する構成です。http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%9B%B4%E4%BC%9D-%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8A%9B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E5%A0%80-%E8%A3%95%E5%97%A3/dp/4181346234/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1351323550&sr=1-11

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はてな

明日、学校に行ったら、一日にいくつの「?」を感じたか、数えてみましょう。しかもできるだけ「?」を感じようと思いながら、一日を過ごしてみましょう。子どもへの「?」、同僚への「?」、管理職への「?」、保護者への「?」、そして何より自分への「?」。……。

人はわがままなもので、他人への「?」はいっぱい浮かぶのに、その「?の矢」をなかなか自分に対して向けないものです。でも、子どもたちに接しているのは自分、同僚と接しているのも、保護者と接しているのも自分です。他人はなかなか変えられませんが、自分を変えることは……どうでしょう? 確かに難しいけれども、他人を変えることよりは可能性があるのではないでしょうか。

私は他人に対して抱く「?」は、すべて自分への「?」への触媒だと考えています。

例えば、同僚によく子どもを怒鳴っている先生がいるとします。それを見て、「どうしてあの先生は子どもたちを怒鳴ってばかりいるんだろう?」と感じます。そして、その先生に対して何となく批判的な感情を抱きます。

しかし、そこで、「?」を自分に向けて考えてみるのです。

「自分はどうして、子どもを怒鳴ることがいけないと思うのだろうか……」

すると、いろんなことが浮かんで来るはずです。

例えば、子どもの頃、先生に怒鳴られたことをきっかけにその先生が嫌いになったこと……。でも、それなら、自分は子どもたちに好かれたいということなのだろうか。そのために子どもに迎合していることはないだろうか。こんなふうに思考を進めてみるのです。

例えば、ついこの間、クラスのある子を怒鳴ってしまったこと……。そういえば、あの日の朝はなんとなく体調が優れなくてイラついていたっけ。体調が悪い日は気をつけなくちゃな。こんなふうに内省してみます。

例えば、自分は人生において一度も怒鳴られたことがないこと……。だから自分も絶対に子どもを怒鳴らない教師になるんだ。じゃあ、他の先生が怒鳴っている代わりに、自分はどんな指導ができるんだろう。あの先生が怒鳴っている子を自分が指導するとしたら、どんなふうに指導すればいいんだろう。こんなふうに想像してみるのです。

もう一度繰り返します。明日、学校に行ったら、自分がいくつの「?」を感じたか、数えてみましょう。そしてその「?」を、他人に向けるだけでなく自分にも向けてみたか、自分を振り返ってみたか、考えてみましょう。

明日見つけた自分への「?」は、すべてノートにメモしておきましょう。そして明日の夜、寝る前にちょっとだけ、そのいくつかの「?」について思いを馳せてみましょう。

きっと「?」を感じてメモしたときから数時間が経って、少し冷静に自分を振り返ってみることができるはずです。そして、その自分のこだわりが確信のもてるものであれば明日もまた続けるのです。自分が直した方がいいかもと感じることなら、明日は今日より少しだけそれを意識しながら子どもたちに接してみよう、そう決意するのです。そんな毎日が5日続けばこれまでの5日間の百倍も価値のある5日間になるでしょうし、10日続けばこれまでの1万倍もの価値のある10日間になることでしょう。

私はいわゆる「人の振り見て我が振り直せ」などという月並みなことを言っているのではないのです。もちろんそういうことも必要でしょうが、もっと深く、自分の教育観を見つめ直してみるために、自分の教師としての一挙手一投足の意味を問い直してみるために、自分への「?」にこだわってみること、それが成長につながるんだよ、と言っているのです。

「はてな力」とは、なんか変だなとか、これはどうなってるんだろうとか、周りを批判的に見たり疑問を抱いたりすることではありません。批判的に感じたり疑問を抱いたりしている自分は、いったい何を求めているのか、何がしたくて、どんな教師になりたいのか、それを探し続ける力なのです。

これを1年続けたらどうなるでしょうか。3年続けたら、5年続けたらどうなるでしょうか。もう想像を絶するような成長を遂げているはずです。世界が変わって見えるほどの成長を実感できるはずです。

もしも10年続けることができたら、しかも若手教師であるあなたが、明日からそういう10年を送ることができたら、あなたは教育界に大きな提案をする教師になっていることでしょう。私や山田先生ではまったくかなわないような、新たな提案をする教師になっていることでしょう。

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2月26日(火)

1.授業を三つ、別室登校の生徒の対応が1時間、その後、父の病院から電話があって午後から介護休暇。最近、休み過ぎなので、半日でできることはすべてやって帰ってくる。退院後の親父が入る施設も母と一緒に見学して決めてきた。今後のことも妹と打ち合わせ。あとは週末。土日は忙しくなりそう。

2.「教える-学ぶ」関係が崩れている現在、教師は子どもに嫌われてはいけません。現在、生徒に嫌われないということが、すべての教育活動を推進していくうえでの前提になっています。生徒に嫌われてしまうと、「指導者」としても「評価者」としてもその資格を問われる時代になってきています。

3.「怒鳴る教師」になってはいけません。怒鳴ることに頼り始めると教師はみるみる堕落していきます。怒鳴ることなく同じ効果をあげられる手法がないかと考え続けること。それを一つ一つためすこと。そのスキルを一つ一つ整理していくこと。この3つが大切です。怒鳴ることに頼って楽をしてはいけません。

4.重要なのは、何事も適切な距離を意識して臨まなければうまくは運ばない、ということです。人間関係の悩みは、そのほとんどがそうした距離感の調整がうまくいかないが故に生じます。そういうことを、なかなか教えてもらえないのが世の中です。生徒とも、保護者とも、同僚とも、適度な距離が必要です。

5.教育の神髄は続けること。若いうちはあれもこれもと喰いついて良いけれど、「ああ、これだな」っていう手法をみつけたら、うまくいかなくても失敗しても苦しくても、取り敢えず続けてみること。少しずつ子どもたちにもその意味と効果が実感されるようになっていきます。残念ながら、その前に諦めてやめてしまうことが多いのが現実です。

6.教師は結果を出すことにもう少し貪欲になるべきです。結果を出すためには粛々とこなさなければならない現実的な現実が当然出てきます。現実を避けて結果が出ないと悩む自分に酔っている、或い自分は正しいはずなのに周りの理解が得られない愚痴る、教師の世界には独善や責任転嫁が多く見られるます。

7.私は、人は「自分に何ができるか」ではなく「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。できないことをやろうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも他人を傷つけることがあります。できないことに取り組み始めないことも重要なのです。

8.教室はハプニングの起こるところです。ハプニング性にこそ本質があります。教育技術や授業技術はハプニングを極力排除しようという提案でした。しかしそれは背理なのです。そんな発想一辺倒では教室は活力を失ってしまいます。そこでどうバランスをとるかが問われます。そこに教師の個性が表れます。

9.一斉授業の教師の言葉はすべてが〈迎えに行く言葉〉でした。おいで、こっちにおいで、そういう言葉です。〈迎えに行く言葉〉ではなく、子どもに〈したたり落ちる言葉〉や〈あふれ出る言葉〉を求めると授業も生徒指導も変わります。そのときに教師に必要になるのは〈待つ言葉〉と〈戯れる言葉〉です。

10.言葉が不意にしたたり落ちる。カウンセリングが目指すのがこれです。言葉が不意にあふれ出る。ファシリテーションが目指すのがこれです。「したたり落ちる」「あふれ出る」に惹きつけられてはいけません。肝心なのは「不意に」なのです。「不意に」をいかにつくるかに焦点を合わせましょう。

11.支援を要する子と関わっていて思うのは、教師の「教え方」以上に「在り方」のほうを圧倒的に問われていること。この認識に立つと、支援を要しない子にとっても「在り方」のほうが重要だとわかってきます。ここまで来ると、支援を要する子と要しない子という境界のナンセンス性に気づくようになります。

12.明治図書の好評シリーズ「スペシャリスト直伝」に名を連ねることになりました。今回は力量形成系の著作です。TWITTERでのつぶやき40を平均3頁で解説する構成です。http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%9B%B4%E4%BC%9D-%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8A%9B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E5%A0%80-%E8%A3%95%E5%97%A3/dp/4181346234/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1351323550&sr=1-11

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学園ドラマと時代の機運

私は1966年生まれ、この文章執筆時点で46歳です。

小学生の頃から再放送を含め、学校を舞台としたドラマを見るが大好きでした。竜雷太や村野武範、中村雅俊らが演じる高校の先生、そしてあべしず江や由美かおるが演じるマドンナ先生、更に主人公の近くには必ず神田正輝をはじめとする気の弱い後輩教師がいるのも定番でした。

その延長上に、水谷豊の「熱中時代」や西田敏行の「サンキュー先生」、田原俊彦の「教師びんびん物語」など、小学校教師ものがありました。そして何より、昭和の教師ものの代表作といえば、武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」とその派生シリーズでしょう。このドラマは名取裕子を大女優に押し上げ、田原俊彦・近藤真彦・野村義男をスターにして、現在まで続くジャニーズ時代の基盤を築きました。また、三原じゅん子や沖田浩之など、スマッシュヒットを飛ばす歌手・俳優を輩出したドラマでもありました。こうした学校を舞台としたドラマは、世論の学校に対する心象がどこに核心をもつのか、時代の気分を適切に表しているといえます。

こうしたテレビドラマに描かれる教師たちは、個性的であるように見えますが、そのすべてがその時代時代の気分を体現した最大公約数的キャラクターとして描かれています。ずっと変わらない特徴といえば、子どもたちのことを第一に考え、子どもたちに寄り添って行動するということですが、その「子どもたちのため」とは何なのか、つまり「子どもたちへの寄り添い方」には、その時代時代に特有のアプローチが描かれているのです。

当然といえば当然です。テレビドラマは視聴率を取るためにつくられますから、その時代の気分を捉えなければヒットしようがありません。見る側がそのドラマに共感するためには、そのドラマが視聴者の現実を包み込むコンテクストと一致していなければならないのです。

竜雷太から村野武範へと至る70年前後であれば、基本的に描かれているのはスポ根でした。同時期に「サインはV」や「アタックNo.1」「エースをねらえ!」といった大ヒットアニメがありましたから、そうしたメンタリティが時代の機運だったのだといえるでしょう。こうした時代の機運に則って、竜雷太も村野武範も生徒たちに語っていたのであり、みんなで力を合わせて壁を越えようという戦後日本特有の最後の時代機運を象徴していたのだといえます。村野武範主演「飛び出せ!青春」の河野先生の口癖として描かれていた「Let's Begin!」には、とにかく「みんなで始めよう」という集団主義の匂いがまだまだ残っていました。

中村雅俊主演のドラマはこの集団主義に真っ向から反対しました。簡単に言えば「とにかく友情」なのです。勉強よりも、部活動よりも、とにかく友情……。中村雅俊主演「われら!青春」(1974年)の挿入歌に「青春貴族」という曲がありましたが、この歌では「一番大事なものはなに?決まっているよ友達さ」「いまはビリでいるけれど10年先は先頭さ」と歌われ、友情を第一に心が育っていることの方が、勉強ばかりしているより頭が良いことよりも尊いという時代の機運をはっきりと物語っています。この機運は中村雅俊主演ドラマでは常に引き継がれ、「俺たちの旅」「俺たちの祭」「ゆうひが丘の総理大臣」などでも、基本的にこの路線が主張されています。

しかし、1980年前後になると、「友情至上主義」が「恋愛至上主義」に取って代わります。「3年B組金八先生」(1979年)では、クラスの生徒である鶴見辰吾と杉田かおるに子どもができてしまい、それを金八先生もB組の生徒たちもいろいろとトラブルを乗り越えながらも最終的には祝福するという物語が展開されます。

要するに、生徒同士の愛情が学校教育というシステムを越える姿が描かれたのです。この流れは鶴見辰吾と伊藤麻衣子の「高校聖夫婦」(1983年)をはじめとして80年代に数限りになく描かれ、「高校教師」(1993年)では遂に教師と女子生徒の恋愛物語が描かれるまでに至ります。あの森田童子の「ぼくたちの失敗」を主題歌とした、真田広之主演の大ヒットドラマですね。このドラマには恋愛が社会システムを超える崇高なものとして世論の中で完成されたという側面があります。あの年は生徒も保護者もあのドラマに大騒ぎでした。私は当時、既に教職にありましたから、このドラマのヒットに忸怩たる思いを抱いていた記憶があります。

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2月25日(月)

1.たぶん親父が死んでしばらくしてから、僕はこの原稿を読み返して、この原稿は寝息を立てる親父の横で書いたんだったなあと涙を流すのだろうなあ……。そんなことを考えながら、僕はPCに向かっていた。そこには簡易ベッドに横たわるお袋もいて。なんとなく人生にとって大切な、濃密な時間が流れているような気がしていた。

2.4ヶ月ほどのスランプを抜けて、原稿執筆が調子に乗ってきた感がある。頭の中から次々と言葉が湧いてくる、そんな感覚が戻ってきた。また、書けそうだ。スランプに陥ったら無理に書こうとせず、書きたくなるのをひたすら待つ。そういうことにしているのだが、今回はスランプ期間がずいぶん短かった。

3.僕は東京ディズニーランドに行ったことがない。20年近く前にロスアンジェルスの本家に一度行ったことがあるが、もうほとんど忘れてしまっている。新しい本でディズニーランドを具体例にしていろいろ語るのだが、一度、東京ディズニーランドに行ってみた方がいいなあと感じている。時間あるかな。東京に研究会で行ったときに、金曜日か月曜日に年休をとって行くというのが現実的かなあ。

4.「THE 教師力」「THE 教師力~若手教師編~」の企画立案・執筆依頼作業が終わりました。「多様性の担保」は僕の信条ですが、かなり多様性を担保することができたと自負しています。あっと驚く執筆陣です。この夏の刊行予定です。お楽しみに。おやすみなさい。

5.授業は4つ。すべて受験対策問題。空き時間は一つが別室登校生徒の対応。もう一つは教務関係の事務仕事。帰宅後、3月10日のセミナーの最終案内をつくって送信。その後、原稿執筆。親父が入院している病院から電話。取り敢えずひと安心の報告。

6.拙著『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』(明治図書)の第4刷が届いた。あとがきにも書いたが、この本は絶対に売れないと思っていた。まとまり感がないからだ。書きたいことを書き散らしたという感じだ。それが売れた。有り難いことだ。http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%9B%B4%E4%BC%9D-%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8A%9B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E5%A0%80-%E8%A3%95%E5%97%A3/dp/4181346234/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1351323550&sr=1-11

7.授業力を高めるには三つの方向性があります。一つ目に自分でコツコツと取り組むこと、二つ目に先達から学ぶこと、三つ目に仲間とともに議論を重ね、生み出すことです。この三つの場を意図的につくる……それが授業力向上への近道です。

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教師の無能と世論の支持

皆さんは『二十四の瞳』を読んだことがおありでしょうか。

『二十四の瞳』は、瀬戸内海の海村の分教場に新しく赴任した大石久子先生と、その年に入学した12人の小学1年生の触れ合いと、戦前の時代状況に巻き込まれる子どもたちと大石先生の葛藤とを描く、壺井栄の名作です。木下恵介(1954年)と朝間義隆(1987年)が映画化し、テレビドラマとしても何度も放映されています。

私はこの作品を学生時代に涙ながらに読んで以来、大石先生にある種の教師の理想像を見てきました。いいえ、いまだって、教師の理想像はこういう世界にあると感じています。しかし、その理想像は、やはりかつての牧歌的な学校風土に対するノスタルジーの象徴だと判断せざるを得ません。

内田樹が高峰秀子主演の映画『二十四の瞳』(木下恵介監督)を再見しての驚きを語っています。自分はかつてこの映画を見たときに、深い感動を覚えたと。しかし、最近になって再び見たときに、大石先生が教師としてほとんど無能であったことに一驚を喫したと(『昭和のエートス』内田樹・文春文庫・2012年8月)。

「生徒の進学問題で親子が対立するときも、貧しくて学業を断念しなければならない生徒が出たときも、厭戦の言葉を口にして校長に叱責されたときも、出征した教え子たちが死傷したときも、大石先生はただぐずぐずなくだけで何もできない。今日的基準に照らすならば、大石先生はその教育能力の欠如と軽率な言動を咎められて、間違いなく教育委員会から『研修』を義務づけられることであろう。」

内田はこれを受けて「制度の惰性」の重要性を指摘しています。現場にいる人間の個人的資質とはとりあえず無関係に破綻なく機能するように構築された制度のことを「うまくできた制度」と呼ぶのであり、そうした惰性の効いた制度をこそ目指さなければならない、と。私はこれを読みながらなるほどと膝を打ちましたが、世論の大勢がこうした考え方に首肯することはあり得ないだろうとも感じました。

こうした無能振りを発揮する教師は、何も『二十四の瞳』の中にのみあるのではありません。灰谷健次郎の諸作品に出てくる先生も、安房直子の諸作品に出てくる先生も、いいえ、学校の先生ばかりでなく、医者も店長も商店街のおじさんもおばさんも、みんな人は良いけれど無能といってよい人ばかりなのです。そしてそれは、こういう人たちが支持を集めた時代が確かにあったということを意味しているに過ぎません。

21世紀になって、「相棒」シリーズで一時代を築いている水谷豊には、70年代後半に「熱中時代」という小学校の教師を演じた大ヒットドラマがありました。役名は北野広大。現在四十代後半以上くらいの先生ならば、それこそ熱中して視聴した記憶をもっているはずです。

実は、北野先生も子どもたちの問題に、或いは職員室の人間関係にただただ戸惑い続ける先生でした。通知表時期には子どもたちへの所見を書くことができず、終業式には子どもたちに謝りながら所見を白紙のままで渡す始末。間違いなく、いまなら「研修」行きです。そもそも、通知表は何重にも点検されますから、このようなこと自体が起こり得ません。

しかし、この水谷豊主演「熱中時代」は、Wikipediaによれば最終回の視聴率がニールセンで46.7%、ビデオリサーチで40.0%という驚異的な数字を記録したのだといいます。この数字は現在でいえば「NHK紅白歌合戦」の数字です。こうした教師像が当時、いかに世論に支持されていたかということを証明して余りある数字といえるでしょう。

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2月24日(日)

1.昨日から山田洋一くんとの共著の執筆に入りました。杉浦美南の企画で、僕としてはかなりおもしろいなあと感じている企画です。去年の夏に企画が固まってからさぼりさぼってきましたが、やっと本格的に執筆に入りました。美南ちゃん、ご免なさい。これから頑張ります。山田くんもそろそろ始めて下さい。

2.こうした教師として必要な最低限の構えを山田洋一といっしょに若手教師に向けて並べます。徹底して読みやすさとわかりやすさとを重視してつくろうと考えています。読みやすさとわかりやすさとは、これ即ち、具体例の具体性が担保します。お楽しみに。初夏あたりの刊行を目指しましょうか。

3.こうした教師として必要な最低限の構えを山田洋一といっしょに若手教師に向けて並べます。徹底して読みやすさとわかりやすさとを重視してつくろうと考えています。読みやすさとわかりやすさとは、これ即ち、具体例の具体性が担保します。お楽しみに。初夏あたりの刊行を目指しましょうか。3月いっぱいで完成させるよ、山田くん(笑)。

4.MOON ROAD/瀬木貴将/2007
★★★★★★★★★……∞
すばらしい。私にとって、これほどの癒やしはない。http://www.amazon.co.jp/MOON-ROAD-%E7%80%AC%E6%9C%A8-%E8%B2%B4%E5%B0%86/dp/B001KZC9EE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1361716440&sr=8-1

5.昨夜は親父が精神的に不安定になっているとの連絡を病院から受け、一晩、親父の病室に付き添う。命に別状はないので、どうということもないのだが、ひと晩、病室で寝息を立てる親父の横でPCに向かって原稿を書いていたら、いろんなことを思いついた。今日は徹夜明けで一日ゆっくりと眠った。

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アンテナ

まずはタコを思い浮かべてください。

そう。8本足のタコです。思い浮かべましたね。

それでは次に、エイを思い浮かべてください。そうです。平べったい魚のエイです。おじさんがヒレでお酒を呑む……あのエイです。

では、次にタコとエイをいっしょに思い浮かべてみましょう。どちらが左、どちらが右でも構いません。二つを並べて思い浮かべるのです。

思い浮かべましたか? では、二つの共通点を探してみましょう。一生懸命に探してみるのです。どうでしょうか。何か、見つかりましたか?

多くの読者のみなさんには、きっと見つけられなかったと思います。せいぜい海に住んでいるとか、魚介類であるとか、どちらも酒の肴としておいしいとか、そんな程度でしょう。日本人には見つけられないのです。

実は、タコとエイをあわせた概念として、英語に「devil fish」という言葉があります。英米人はタコとエイに共通性を見出して、「悪魔の魚」と呼んでいるわけですね。日本語には「devil fisf」の概念がないので、日本人にはタコはタコ、エイはエイとしか思えないわけです。でも、「devil fisf」という概念を知ったいまとなっては、なるほど、「悪魔の魚」と呼ばれても不思議はないような形状をしている……そんな印象を抱きはしませんか?

さて、なぜ、こんなにも長々とこの例について語っているのかというと、実は、人間には「あれども見えず」ということが多いのだ、ということをみなさんに知っていただきたいからなのです。しかもそれは「言葉を知らないから」「知識がないから」という理由であることが多いのだということを理解していただきたかったのです。

だれもがアンテナを高く張って、多くの有益な情報を得たいという思いを抱いています。しかし、いくらそういう意欲をもっていたとしても、「知識がないと見えないこと」が多いのです。「アンテナ力」を考えるとき、まず何はともあれ、「自分には見えていないものがあるに違いない」と謙虚な構えをもつことです。

もちろん、アンテナ力の基本は意欲です。高く広くアンテナを張っている方が、低く狭く小さなアンテナの人よりも感度は高いに違いありません。

しかし、いくら情報がアンテナに引っかかってきても、その情報を有益な情報として捉えられないのでは何の意味もありません。

毎日じっくりと子どもを観察する、先輩教師に助言を請う、いろんな研究会に参加して講師の話を聞く、どれも大切なことです。でも、子どもの姿の微妙な変化を、先輩教師の助言の意味を、研究会の講師の話の内容を、もしもあなたがいまよりも言葉を知っていて知識をもっていたら、もっとずっと広く、もっとずっと深く理解できるのです。

アンテナ力はものを知っていれば知っているほど感度がよくなっていくのだということを肝に銘じて欲しいのです。ちょうど、タコはタコ、エイはエイと思っていたのが、「devi lfish」の一語を知るだけで、二つの共通性という新たな世界を知ったように……。

ものを知る。知識をもつ。そのためには、まずは本を読むことです。

あなたは教職に就いてから、いったい何冊の本を読んだでしょうか。漫画ではなく、雑誌でもない、趣味の本でもない、要するに「仕事に活きるかもしれない」と思って手にした本が、いったい何冊あるでしょうか。

教師には、学生時代にはたくさん教育に関する本を読んでいたのに、教員採用試験に合格して「先生」と呼ばれる立場になった途端に、日常の忙しさに埋没してほとんど本を読まなくなったという人が多い傾向にあります。教育の本質は本に書いてあることなどではなく、子どもたちとのかかわりの中にある、そういう思想が教育界に根付いているからです。これは意識しているしていないにかかわらず、みんながもっている感覚です。

しかし、知識がないと、実は子どもとのかかわりからさえ学ぶものが少なくなってしまうのです。知識を蓄積することに貪欲にならないと、アンテナは高くならないのです。

毎日少しでも本を読む。そして本で学んだ視点から現実を見てみる。子どもたちはもちろん、自分の指導の在り方、子どもたちとのかかわり方をもその視点から眺めてみる。そうした毎日の積み重ねこそが、アンテナを少しずつ少しずつ、しかし確実に、高く広いものにしていくのです。

なんだか、受験生が毎日されているお説教のようですね(笑)。でも、これが真実なのです。

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2月23日(土)

1.庭野三省先生に拙著『教師力ピラミッド』に対する感想を書いた手紙をいただいた。a4判びっしりが6枚にも及ぶ感想である。ありがたいことだ。

2.つまらないことに首をつっこむものではないなあ。それがいくら親しい友人への援護射撃であっても。時間と労力の無駄だったし、何より精神衛生上よくない。良い勉強になった。もう何があっても発言しないことしよう。

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完全性と臨場感

能登路雅子によれば、ディズニーランドが開設されたとき、アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリが次のようなコメントを寄せたといいます。

ディズニーランドは映画と演劇とを融合させた新しい娯楽形態である。1本の映画制作にあたって、プロデューサーは脚本家、監督、カメラマン、俳優に細かく指示を出し、納得が行くまでやり直しを命じることができる。その結果、映画はプロデューサーの意図を完璧に反映した作品をつくることができる。しかし、映画は完璧な作品であるが故に、その映画作品と観客との間には距離感が残る。一方、演劇は観客の前で繰り広げられる生の演技によって、芝居と観客との間に一体感が生まれる。しかし、芝居の出来・不出来は偶然性に支配されるため常に不完全であり、プロデューサーの意図が完璧に反映されることは稀である。映画のもつ完全性と芝居のもつ臨場感とをともに併せ持つのがディズニーランドである。

なかなかよくできた論理であると私は思います。このように考えると、RPGのプレイヤーが一度か二度でその世界観に飽きてしまうのに対し、ディズニーランドが何度も何度も足を運ぶリピーターに支えられているのも肯ける気がします。映画やRPGは完成品だけれど臨場感がない、演劇は未完成だけれど臨場感がある、そして臨場感のある完成品をウォルト・ディズニーがつくったのだ、レイ・ブラッドベリはそう指摘しているわけですね。

学校教育もまた、映画や演劇ばかりを上映しているところがあります。授業ではこれは完成品である、覚えなければならない完璧な知識である、できるようにならなければならない完璧な技能である、そう教えられます。学級経営や学校行事では、おまえたちがつくり出すんだ、みんなで一つのことをやり遂げることに意味があるんだ、みんなで一つのものを創り出すことに意義があるんだ、と臨場感だけが求められ完成度が二の次になる傾向があります。その結果、前者はおもしろくない、後者はおもしろいんだけど結果が出ない、そんな展開に陥ることが少なくありません。

実はディズニーランドは〈環境調整型権力〉で運営している施設の最たるものです。ディズニーランドは入場者に対して「ああしろ、こうしろ」とは絶対に言いません。ただ環境を管理し調整することによって、入場者がプロデューサーの意図通りにしたくなるように仕向けるのです。

例えば、ディズニーランドには中央部にセントラルプラザ(「ハブ」と呼ばれている)という施設があります。それも入場してメインストリートを進むとそこにこの施設があるという動線の真正面に位置しています。ここから放射線状に「ファンタジーランド」や「アドベンチャーランド」など、すべての国にほぼ等距離で繋がっています。

しかも、それらの国で行われていることが風景として、少しだけ垣間見ることができます。向こうの国からは賑やかな太鼓が聞こえ、反対の国からは綺麗な木馬が見え、あっちの国には真っ白な蒸気船が見える。そんなふうにそれぞれの国に好奇心をそそろられるような設計になっているわけですね。要するに、セントラルプラザは入場者の動線の要の位置にあるわけです。

これはウォルト・ディズニーがディズニーランド建設のために様々な遊園地を視察した際、園の中央には人が集まるのに、周辺に行けば行くほど人通りが少なくなるという遊園地共通の傾向に気づき、それを打開するために考案したものだといいます。これが「あちらへどうぞ」「こちらへどうぞ」と従業員に促されたのでは、観客が自らの物語を生きることが出来ません。洋服を買おうと見ているときに、店員が近づいてくると面倒になって逃げたくなる、それと同じ現象が起きるだけです。

また、ディズニーランドはメッセージを投げかける場合にも、そのメッセージを説明するということがありません。眠れる森の美女は100年の眠りから覚めます。白雪姫は王子の手によって毒りんごの魔法を解かれます。不思議の国のアリスは首をはねられそうになりそうながらも様々な妖精たちによって助けられます。すべて邪悪な者たちに危機に陥れられた主人公が、様々な善なるものによって助けられ、永遠に幸せに暮らしていく、それがディズニーランドを構成するアトラクションの基本的な物語構造です。

これを受けて、ディズニーランドが、「どんなに恐ろしいものでも、我々を滅ぼすことはない。」「我々の肉体は老いも衰弱も死も超えて、永遠に若く美しい。」という二つのメッセージを投げかけているのだと能登路は指摘しています。この二つのメッセージが言葉として私たちに投げかけられていたとしたら、興ざめなのではないでしょうか。

学校教育において長く発動されてきた〈規律訓練型権力〉とは、こうしたメッセージを子どもたちに言葉によって直接的に投げかける、そういう権力の在り方だったのです。

胸に手を当てて考えてみましょう。思いやりが大切だ、協力することが大切だ、責任感をもて、公正な態度をとれ、公平こそが集団生活で最も大切なのだ、努力する者は報われる、話せばきっとわかるもらえる、他人は決して裏切らない、必ずだれかが見ていてくれる、一人はみんなのために、みんなは一人のために……すべてが教師の〈規律訓練型権力〉の発動として行われてきたのではないでしょうか。

そして、こうした権力の発動の仕方が外の世界の〈マクドナルド化〉を一身に浴びている子どもたちに通じなくなってきた、現在、教師を悩ませている問題の多くが、学校教育を悩ませている問題の多くの根っこがここにあると私は感じています。

人には「正しい道」があり、将来、そうした道を歩んでいけるように子どもたちを教育する、そういう時代の終焉です。私たちの郷愁を誘う、どこかノスタルジーに浸らせる、そうした学校観の終焉です。私たちが慣れ親しんだ先生のと子どもたちとの牧歌的な物語世界が終わったのです。

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2月22日(金)

1.今日は校内研修会で午前授業。午前中に授業が3つ。空き時間は自習監督。午後からは小中学校合同研修会。同一教材で小6と中1とが隣り合った教室で道徳授業を公開するという画期的な試み。小中の授業づくりの差が如実に表れる。資料は小6の副読本から取った。いろいろと考えさせられる時間だった。

2. それにしても、小中合築校舎、教員にとっては幸せな環境である。校内研修会でこんな機会があるということはなかなか体験できるものではない。これが児童・生徒にとっても幸せになるように教育課程を整備しなければならないわけだが、それがなかなか難しい。

3.夜は初めて逢う若手教師とかなりじっくりと話をした。途中から教え子の経営するバーへ行き、教え子も交えて話が更にはずんだ。少々しゃべり過ぎた感もあるが、まあ良いだろう。今夜の出逢いは大きな出逢いになることだろう。

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非日常的な世界観の創造

ディズニーランドは外の世界から完全に遮断された人工世界です。そこに本質があります。

ディズニーランドには一切の自然がありません。動物が一匹もいません。すべて人工的につくられたものです。植物もその多くが人工物です。ときに本物の木々を見ることがありますが、それらさえ動物の形やキャラクターの形に刈り込まれています。生花を植えている花壇さえ、ほぼ毎日のようにな満開の花に植え替えられているとも聞きます。川や湖も完全にコンクリートで固められ、泥で水が汚れるということがありません。

「キャスト」と呼ばれる従業員たちは「コスチューム」と呼ばれる制服を着て、警備員たちも昔の警官の「コスチューム」を着て、ディズニーランドの世界観と一体化しています。メインストリートに立ち並ぶ建物は縮尺が計算され、それどころかメインストリートの道幅さえ縮尺が細かく計算され尽くして、遠近法によって正面に見える「眠れる森の美女の城」が実際より遠く高く見えるようにつくられています。

敷地の周りは土盛りがされ、ディズニーランドの中にいる限り、敷地の外の風景は見えないようにできています。他の遊園地と異なり、駐車場も一箇所、入り口も一箇所にすることによって、またそこに様々な仕掛けが施されることによって、ディズニーランドに入場した途端に外の日常世界から完全に遮断される構造になっています。もしも東京ディズニーランドから富士山が見えたとしても、その風景は遮断されていたかもしれません。そのくらいに外界との遮断は徹底しています。

能登路雅子によれば、「あるテーマに沿って、建築様式、造園、娯楽の内容、登場人物からレストランのメニュー、販売する商品、従業員の制服、ゴミ箱の形や色彩に至るまで、すべての要素がバランスよく助け合い、調和のとれたひとつの世界を創り出すという考え方」がテーマパークの原則です。ですから、外部世界を遮断して一つの完璧な世界観をつくるということがディズニーランドの本質なのです。

観客はそうした世界観の中で、ただただ幸福な家族としての、或いはただただ純粋に愛し合うカップルとしての物語を生きることになります。ディズニーランドに何度も何度も足を運ぶ人たちがいるのは、そこが非日常の物語を生きることができる空間だからなのでしょう。

観客にこうした体験をさせる環境を細かく計算し、完璧な日常空間施設をつくったプロデューサー。そこにウォルト・ディズニーの凄みがあります。この「ブロデューサー-ディズニーランド-観客」の関係は、例えばロール・プレイング・ゲーム(以下「RPG」)の「ゲームマスター-RPG-ゲーム-プレイヤー」の関係に似ています。日常生活や外部世界から遮断された独立した世界観を提示することによつて、顧客にその世界観に従った物語を擬似体験させる、そうした意味では両者は同じ構造をもっています。

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壁に描かれた田園風景

「納屋から母屋に戻る途中、吹雪で方向感覚を失って凍死することや、地平線の果てから連日のように襲ってくる砂嵐に発狂者が出るといった悲劇は、当時、珍しくなかった。自然の猛威に生命と正気をつねに脅かされていた彼らは、窓のない家を建て、内部の壁に窓の絵を描き、外の恐ろしい景色とは正反対の美しく豊かな田園風景を描き込んだという。」

これは北アメリカ開拓時代のミズーリ州に住む庶民の生活を、文化人類学者の能登路雅子が描写した文章です。彼女がなぜこんな描写をしたのかというと、私たちもよく知っているある著名な人物が、その幼少期をミズーリ州のマーセリーンで過ごした経緯があり、その人物が偉大な仕事を成し遂げた所以として、或いは原風景として、この描写が語られているのです。

皆さんはこの人物をだれだと思いますか? ちなみに雪や砂嵐に強い家を設計した建築でもありませんし、美しく豊かな田園風景を描いた画家でもありません。私たちが家族で夢の国に行って休日を過ごそうと考えるとき、まず間違いなく候補に挙がるあの施設をつくった人です。私も二十代のときにロス・アンジェルスにあるその施設に一度だけ行ったことがありますが、かつて経験したその一日は、いまだに人生における特別な時間だったなあと振り返ることがあります。

そう。何を隠そう、このミズーリ州の生活を原風景としていると能登路が指摘するのはかのウォルト・ディズニーであり、彼がこれを原風景として成し遂げた仕事として語られているのがディズニーランドなのです(『ディズニーランドという聖地』能登路雅子・岩波新書・1990年7月)。

冒頭の引用をもう一度、読んでいただけますでしょうか。

私は北海道に住んでいますから、このミズーリ州の人たちの気持ちがよくわかるような気がしています。ミズーリ州はほぼ北海道旭川と同じような気候で、夏は暑く、冬はとてつもなく寒い。しかも雪が多い。北アメリカのほぼ中央に位置するミズーリは、そんな場所であるようです。そういう土地に住む人々にとって、一般に、自然は決してその美しさを観賞する対象ではありません。また自然は、多くの日本文化が示すような調和したり共存したりする対象でもありません。ただただ脅威なのです。だって、調和したり共存したりしようとしたら、自らの命が脅かされるのですから。

そんな想いを抱いてこの文章を読んでいたら、私にはここに書かれている内容が、なんとなく構造的に学校と相似形を為しているような気がしてきました。

外の世界は苛酷である。子どもたちはいずれ、その外の世界と格闘することを余儀なくされる。その前にその準備段階として、外の世界から遮断された特別な世界で、外の世界の苛酷さが見えないように子どもたちを囲い込んでしまおう。そして、人間世界の美しい物語だけを語って聞かせよう。思いやり、協力、責任感、公正、公平……、努力する者は報われる、話せばわかる、人は決して裏切らない、必ずだれかが見ていてくれる……、一人はみんなのために、みんなは一人のために……。そのすべてが本質的には壁に描いた田園風景に過ぎなかったとしても。

学校教育にはそんな構造があるのではないか──私にはこの文章がそんなふうに見えてきたのです。

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2月21日(木)

1.表現するということは自分の世界観を披瀝することだ。それは自分の現状、もっといえば馬鹿さ加減を公開することでもある。そういうこをわからずに表現している教師がいっぱいいる。僕は自分が10年前に出した本を読み返すと「馬鹿だなあこいつ」と思う。特に視野の狭さが致命的だ。このことは、10年前、多くの人がそう思ったということを示している。10年後の自分が、僕がいま書いている文章を読み返して、「馬鹿だなあこいつ」と言ってくれればいいのだが。

2.おっ、久し振りに明治図書のランキングを見たら、『教師力ピラミッド』が1位で、赤坂真二が2位だ。いよいよ明日、逆転だな。

3.twitter見ると、学生さんが「配属どこかな」とか「早く働きたい」とかつぶやいてる。とても素直な子に見える。僕は就職のとき、まったくそんなことを思わなかった気がする。あ~あ、学生終わっちゃった、っていうがっかりした感じだったように思う。「めんどくせえなあ」って感じてたように思う。

4.ついさっき、「配属どこかな」「早く働きたい」とつぶやいていて、「とても素直な子に見える」と評した女の子のtwitterを再び見ると、「南国に永住したい」とつぶやかれている。うーん。素直すぎて、軽い子らしい。一つのtweetでこんなに印象が変わってしまうものなんだな。

5.今日はずいぶん友達申請の来る日だなあ。おや、いま申請してきた子は東大の女の子じゃないか。オレなんかに何の用があるんだろ。

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マクドナルド化する学校教育

私たちの社会はこうした〈マクドナルド化〉が少しずつ進行している社会です。いいえ、それはは1990年代から20年以上をかけて進行してきて、そろそろ完成に近づこうとさえしています。

21世紀になってよく話題となる語に「監視社会」がありますが、20年前ならば、現在のような至る処に監視カメラのある状況にはありませんでした。監視カメラは犯罪を撮影して犯人を特定しようということ以上に、監視カメラがあることを住民に知らしめて犯罪の抑止力にしようという発想の方が強いと思われます。

また、多くのサービス業や窓口業務において、徹底して接客態度がよくなってきたのもこの20年間の顕著な動きです。80年代まではタクシーの運転手さんが無愛想だったり、職人気質(かたぎ)の居酒屋店長がいたり、役所の窓口でものすごく待たされたり、などということはごく普通のことでした。いまではそうした例はほとんど見ることがありません。私個人としてはこういう動きにちょっと寂しさも感じていますが、基本的にはこうした方向性はこの国で良いこととして捉えられています。

さて、社会の動きという学校教育とは遠い話をしてきましたが、学校教育だって決してこの動きと無縁ではありません。「ニコニコ巡視」の奨励や「カウンセリング・マインド」の奨励はその最たるものですが、それだけでなく、現在、学校教育のありとあらゆる領域において〈マクドナルド化〉は意識的・無意識的に進行しています。

例えば、先にファーストフード店における、アルバイト店員が笑顔でハキハキ、クレームに対応するのは店長一人という話をしましたが、これと相似形の動きが学校教育においてもどんどん進んでいます。学級担任はとにかく子どもたちと保護者と良い関係を築かなくてはならない、クレームがあった場合には学年主任、生徒指導担当、教務主任、管理職などがあたる、こうした傾向が現在、加速度的に進んでいます。要するに、「クレーム処理の外部化」ですね。

或いは、ワークショップ型授業の隆盛なども〈マクドナルド化〉の動きの一端といえます。体験重視の授業づくりによって、子どもたちが楽しく主体的に学び合うことができるということが売りになっていますけれども、それは逆に言えば、本来教師が行うべき教授行為を子どもたちに分担させているということでもあります。

また、すべてのワークショップ型授業は設定やルールの説明(=インストラクション)が大切だと言われますが、要するにこれは〈フレームワーク〉をがっちりとつくり、環境としての絶対枠組みを設定して、あくまでその範囲の中での自由度を高めているに過ぎません。

最近、〈ワールド・カフェ〉が流行し、学校教育においてもかなり効果を上げていますが、よく考えてみると、「必ず4人で話し合いなさい」「全員が他のグループにばらけなさい」「絶対にもとのグループに戻りなさい」と、ルールと強制に支えられたガチガチのシステムであるという側面もあります。要するに、参加者にそうと気づかせないままに、参加者の行動や気持ちをコントロールしているわけですね。

このように学校教育でなんとなく良きこととして導入されてきたことを、〈マクドナルド化〉の3つの特徴に従って分類すると、例えば次のようにも言えるという側面があります。

1)徹底したマニュアル化

①ニコニコ巡視
子どもたちにそうと気づかせぬままに、教師が子どもたちを監視すること。
②カウンセリング・マインド
子どもたちにストレスを感じさせることなく、学校文化になじませていくための予定調和的手法。
③クレームの回避、及び対応の外部化
学級担任が子ども・保護者との揉め事の矢面に立たないことを目指して、基本的にはクレーム回避の姿勢に徹し、やむを得ずクレームを受けたときには学年主任や管理職など担任以外の者が対応するというクレーム処理の在り方
④画一化した教師像
クレーム回避のために、或いは「学校としての姿勢」の名のもとに行われる、各担任の指導の在り方を一律にしようとする動き
⑤チーム・ビルディング
教師像の画一化を避けるために、教師の多様性を担保しながら、それを組織的に動かそうとする、流動性の高い組織管理の在り方

2)予測可能性によるストレスレス
①見える化
様々な物事を視覚化してわかりやすく提示することによって、子どもたちに見通しをもたせてストレスを軽減しようとする手法
②特別支援教育
教師の共通理解による環境設定によって、子どものストレスを軽減しながら学校文化と棲み分けさせようとする手法。
③学びのしかけ
教師の教えやすさよりも子どもたちの学びやすさを優先して授業づくりをしようとする、子どもたちのストレス軽減策
④ブロークン・ウインドウズ理論
環境の美しさを保つことによって、子どもたちにストレスを与えず、且つ子どもたちの心の頽廃をも回避しようとする理論

3)顧客の行動のコントロール
①協同学習
②ペアグループ学習
③『学び合い』
④ファシリテーション
⑤クラス会議
このほかにもこうした教育手法がたくさんあるが、基本的には、一斉   授業であれば教師がすべきとされる教授行為(の一部)を子どもたち   に分担して担わせている側面がある。

以上、恣意的に例を挙げましたが、私はこれらの理論・手法を批判しているわけではありません。ここ20年ほどの間に奨励されたり主張されたりしたもののうち、それなりに効果を上げて広く受け入れられているものの多くが、学校教育における〈マクドナルド化〉の傾向を潜在的にもっているのだということを主張しているのです。

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2月20日(水)

1.サボることも手を抜くこともできない人に教師などできない。テキトーであることがもたらす教育効果ってものがこの世には確かにある。

2.わいわいがやがや、工事現場のような崩壊学級も問題だが、じめじめじとじと、しーんとしているだけの死臭の漂っているような学級はそれ以上に始末が悪い。それも充分に崩壊学級なのだが、担任教師が気づいていない場合がある。前者は小学校に多く、後者は中学校に多い。

3.さぼりや手抜きを毛嫌いする人、純粋や純潔ばかりを重んじる人、悪徳に近づくことなくただひたすらに真っ直ぐな道を歩んできた人、みな教師には向かない人たちである。ただし、さぼりと手抜きばかりする人、純粋や純潔の価値に無理解な人、自らが悪徳そのものと化している人は社会生活に向かない。

4.勤務時間内に交番で賭け麻雀をやっていた警官がいたらしい。気持ちはわからないでもないが、さすがにこれはダメだなあ(笑)。

5.私立入試日2日目。授業3時間。空き時間一つ。生徒が帰ったあと校長面談。更に教育課程検討委員会。本格的な教育課程大改革の検討が始まりそう。まあ、一度、ゼロベースで考えて直してみるのは悪いことではない。

6.「納屋から母屋に戻る途中、吹雪で方向感覚を失って凍死することや、地平線の果てから連日のように襲ってくる砂嵐に発狂者が出るといった悲劇は、当時、珍しくなかった。自然の猛威に生命と正気をつねに脅かされていた彼らは、窓のない家を建て、内部の壁に窓の絵を描き、外の恐ろしい景色とは正反対の美しく豊かな田園風景を描き込んだという。」
開拓時代のミズーリ州の庶民を描写したこの文章に、深い感動を覚えた。ウォルト・ディズニーの原風景としてこうしたアメリカ内陸部の苛酷な開拓時代があるとの能登地雅子の分析は素晴らしい。20年振りの再読だが、前回は気づかなかった。

7.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~10日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

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環境によるコントロール

こうしたマクドナルドの戦略は、具体的には、様々な技術で環境を調整することによって、店員の動き、客の動きを管理しようとするところにその本質があります。これをジョージ・リッツァは〈テクノロジーによるコントロール〉と呼んでいますが、具体例を挙げるなら、次のような事例になりましょうか。

1)徹底したマニュアル化

マクドナルドに代表されるファーストフード店においてまず第一に挙げられる特徴といえば、何と言っても〈徹底的したマニュアル化〉でしょう。その代表は言うまでもなく、あのレジカウンターの「笑顔・ハキハキ接客」です。あの笑顔とハキハキは客の老若男女を問いません。客が100歳のご老人でも5歳の子どもでもマニュアル通りに対応しています。とにかく口角を上げた笑顔、ハキハキした声なのです。

おそらくこれは徹底したクレーム回避の戦略だと思われます。確かに、どんなに親切そうな人に対してもヤクザっぽい人に対しても同じ対応をしていたとすれば、クレームにつながることはなかかな起こらないでしょう。事実、マクドナルドでは、想定外の自体が起こった場合にはそれに対処できるのは店長一人だけと決まっているとも聞きます。要するに、クレームがあったとしても、店長だけが対応し、アルバイトの店員はその対応をせずに済むわけですね。

そうした安心感がアルバイトの店員がマニュアルを徹底して従うことができる原動力になっている面もあるのかもしれません。マクドナルドはマニュアルに順応できるから、アルバイトは十代を雇うということを原則としていたそうです。二十代になって思考力や判断力がついてくると某かの提案をしてくるものだ、そういう輩は必要ない、まあ、そういうことなのでしょう。

2)予測可能性によるストレスレス

多くのファーストフード店に共通して見られる特徴の第二は、店に入ってから食事を取って店を出るまで、そのすべてに見通しがもてることです。見通しがもてると、人はほとんどストレスを感じることなく過ごすことができる、その結果、多少の労働分担さえ気にならなくなる、そういうことなのでしょう。

事実、ファーストフード店では、顧客が担っている労働は少なくありません。先に述べたように、商品をテーブルまで運んだりゴミを分別して捨てたりといったことがなければ、店舗側は必ずホール係を用意しなければなりません。また、お客さんが整然と列に並ぶというルールに従わないとしたら、「列に並んで下さい」と客を並ばせる係も必要となるでしょう。

また、最近、多くのファミリー・レストランで取り入れられているサラダバーやドリンクバーなども、本来ならレストラン側がする仕事を顧客に担わせているものの代表的な事例といえるでしょう。

3)顧客の行動のコントロール

第三の特徴は、顧客にそれと気づかせないままに顧客の行動をコントロールしていることです。意図的に固い椅子を使うことでお客さんが長く座っていられないようにするとか、店が混んできたらBGMのボリュームを上げるとか、限定的なメニューにして商品を選ぶ時間を短縮するとかですね。これらはすべて、顧客の回転をよくするために行われています。

この手の行動のコントロールは、環境設定によって客の行動を最大公約数的にコントロールしようという戦略です。居酒屋で「お客様、お時間です」と出て行くことを促されてがっかりした経験をだれもがもっていることでしょう。大声で話をしていて、「他のお客様の迷惑になりますので……」と言われて、店員に文句をつけている客を見たことがないでしょうか? 女性がメニューを選ぶのにああでもないこうでもないと迷っているのを見て、顔で笑いながらもイライラした経験、男性なら必ずもっているはずですよね。

つまり、マクドナルドを始めとするファーストフード店の戦略は、こうしたネガティヴ事象を環境を管理し調整することによってなくしていこうとするものであるわけです。しかも、100%ではないけれど、80%くらいの達成を目指す。ゆるやかにその方向性を目指し達成していく。それが、揉めることなく顧客の行動をコントロールするうえでの神髄なのです。

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2月19日(火)

1.つらいときには楽しいことを考えるようにしている。楽しいとき、うまく言っているときには、意識的に戒めの言葉を自分に投げかけるようにしている。こういうのって、割と自分を安定させるのに効果的である。

2.岩崎宏美の「思秋期」。岩見沢に向かうカーステレオから流れてきた。この曲を初めて聴いたとき、大感動を覚えた。小学校5年生だった。その後、「二十歳前」「あざやかな場面」「シンデレラ・ハネムーン」「さよならの挽歌」と続いた1978年度が僕にとっての岩崎宏美のピークだ。どれもこれも、僕の心を鷲づかみする曲だった。
http://www.youtube.com/watch?v=4Nh-pnMnvQo

3.Nobody Told Me/John Lennon
なんかこのアルバムが出たとき、世界中が感激したよなあ。オノヨーコの曲が邪魔っていう超えもあったけれど、いまとなってはそれも良しだ。
http://www.youtube.com/watch?v=8OXjUtQS-sU

4.拙著『教師力ピラミッド~毎日の仕事が劇的に変わる40の鉄則』(明治図書)にブログ「教師の本棚」さんから書評をいただきました。ありがとうございました。
http://blog.livedoor.jp/fumihiro123/archives/51932516.html?1361262845#comment-form

5.拙著『教師力ピラミッド~毎日の仕事が劇的に変わる40の鉄則』(明治図書)にブログ「教師力を高める」さんから書評をいただきました。ありがとうございました。
http://katukiti915.blog.fc2.com/blog-entry-53.html

6.私立高校入試日で午前授業。授業は3時間。入試対策。空き時間一つは別室登校生徒の指導。午後は石川晋の新刊が学校に届いたので、「教室読み聞かせ」の方にかなりじっくりと目を通す。ここ15年間で既に読んでいる原稿少なくなかったが、これが1冊にまとまったことには大きな価値があるだろう。本人も書いているが、本という者は類書のないものを書かなければ意味が無い。その意味では大きな価値のある本だ。ただ読者層は限られるだろうな。それが残念だ。読み聞かせの本としてだけではなく、ほんとうは教師の在り方、子どもの前への立ち方の本なのだが。http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E3%81%B3%E5%90%88%E3%81%86%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B-%E3%80%8C%E6%95%99%E5%AE%A4%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%81%9E%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%80%8D%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A238-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-%E6%99%8B/dp/4180578387/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1361264952&sr=1-4

7.今日は本田美奈子のBEST盤だ。
本田美奈子は「悲しみSWING」だな。
http://www.youtube.com/watch?v=ad1wdLBDHCA

8.『スペシャリスト直伝!中学校・学級づくりの極意』(明治図書)の執筆に入りました。今回は『教師力ピラミッド』とは異なり、堀節炸裂のねちっこい文体です。かなり理屈も語ります。夏には刊行したいと思っています。

9.『教師力ピラミッド』を丁寧に作ったから、次は僕の本を全部読んでいる人にしか理解できない本を書こう。丁寧に一つ一つの具体を説明することをすべて省く。すべてが「詳細は○○参照」にする。学級づくりを行ううえでの世界観だけを書くつもり。技術も心構えも一切書かない。高飛車な書だ(笑)。

10.去年の春は、なぜ札幌に来るのかわからないが、なぜか札幌に来ることになり、結局、札幌に居着いている若手大物が札幌に来た。僕は今週末、二人で呑む約束になっている。今年の春はあのK山が札幌に戻ってくるそうだ。なんとなく今年は楽しくなりそうな予感がある。

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効率性と計算可能性と予測可能性

ジョージ・リッツァによれば、〈マクドナルド化〉の観点は三つです。

第一に〈効率性〉です。マクドナルドでは、注文を受けてからハンバーガーが1個つくられるまで何十秒……というライン化が行われています。このような効率化が徹底して行われているために、私たちは注文してからどのくらいで食事にありつけるのかということがわかる、そういう仕組みになっているわけですね。しかし、それだけならばさして珍しいことではありません。多くの外食産業が食事をつくるところまではライン化しているはずです。

おそらく、マクドナルドの斬新さは、本来サービスを提供する側が行うべき労働を客に分担し、客の行為までをもラインに組み込んだところにあります。食事をつくることから食べること、そして片付けることに至るまで、時間が短縮されるように徹底的にライン化されているところに、マクドナルドの最大の特徴があるわけです。

第二に、〈計算可能性〉です。前にも述べましたが、マクドナルドでは店に入ったときに十人程度の人たちがカウンターに行列をつくっていたとしても、安心して並ぶことができます。それはマクドナルドの高度な効率性によって、十人程度ならどのくらいの時間で自分の番がまわってくるかを計算することができるからです。ここが店の混み具合によって、自分の番がいつ来るのかわからない、他のレストランや喫茶店等との最大の違いです。

もちろん、ハンバーガーという商品の性質上、食事自体にかかる時間もそれほど長くはありませんから、何時までに食事が終わるという時間の計算もできます。私たちが昼休みを半分しか使わずに食事ができると確信できる外食産業の代表格、それがマクドナルドであるわけです。

一般に、外食産業はメニューを増やし、お客さんに選択幅を広く与えることを考えます。ロイヤルホストにしてもびっくりドンキーにしてもガストにしても、席に座り、メニューを見ながらどれにしようかとあれこれ考えることが一つの楽しみです。しかし、マクドナルドは違います。一定のメニュー数から決して増やさないわけですね。せいぜい季節ものの限定メニューがある程度。私たちはメニュー選びに迷う必要がありません。

また、メニューが限定されているということは、単品とセットもののメニューの違いによるお得度の計算も、客にとって容易であるという機能を果たします。ハンバーガーとドリンクだけじゃなくて、少しだけポテトも食べたいな……というときに、ハンバーガーとドリンクを単品で頼むのと、ポテトもついたセットで頼むのと、どの程度金額が異なるのかということが一目瞭然です。考える余地なく、「今日は我慢しよう」とか「じゃあセットで!」と言わせてしまう構造になっているわけです。

このように、マクドナルドは限定的なメニューによって、客に様々な〈計算可能性〉を保障しているのです。同じことは牛丼の吉野屋や一部のラーメンチェーン店などにもいえます。待つことやわずらわしいことが嫌いな客層には、とても重宝されるわけです。

第三に〈予測可能性〉です。マクドナルドは全国一律同じ味です。北海道に旅行に行っても沖縄に旅行に行っても、蟹が入っていたりゴーヤが入っていることはありません。あの特別においしくはないけれど、それほどまずいというわけでもないあの味が、全国津々浦々、どこでも食べられます。それはつまり、マクドナルドに行こうと思うと同時に、あの味を楽しめるという見通しがもてることを意味します。また、店舗の構造においても、北海道から沖縄まで、どの店舗もそれほどの違いがありません。安心して入店することができるわけですね。

更に大事なことは、マクドナルドではいやな思いをすることがない、という見通しをもてることです。どの店舗に行っても、必ず一律の笑顔で「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」から始まる無機質な会話しかなされないことが保障されています。

コンビニの店員のように、人によってだらだらとした態度が見られたり、レジの会計に時間がかかってイライラするというようなこともありません。店員の完全な均質化が保障されていて、嫌な思いをしないような笑顔の接客と、決してこちら側の内面に入り込まれない無機質さとが共存しているわけです。これも見通しがもてることの大切な要素といえます。

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目指せ!国語の達人 魔法の「聞き方ネタ」50

まえがき

拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』(学事出版)をお読みいただいた方の何人もから同じ質問を受けました。

「教室ファシリテーションの理念はよくわかりました。手法もよくわかりました。でも、いきなり導入してうまく行くのでしょうか……。」

なるほど、その不安はよくわかります。

「本当にうまくいくのか不安で、最初の一歩が踏み出せません。」とか、或いは「実際にやってみたけれど、なんとなくしっくり来ないんです。他に何かコツがあるんじゃないでしょうか。」とかいった声もありました。

こうした声に触れて、私は気がつきました。そういや、子どもたちをつなげるこの手の活動は、ダイナミックな教室ファシリテーションの手法に取り組む以前に、日常的に小さな活動をたくさんしている、と……。教室ファシリテーションで提案したダイナミックな手法は、そうした日常的な取り組みを前提としていたのだ、と……。

今回、「教室ファシリテーションへのステップ」と題して、国語科の授業の在り方について、音読・スピーチ・聞き方・作文・話し合いの五つについて、ネタを含めてシリーズで上梓させていただくことになりました。本書はその3冊目「聞き方編」です。

「聞くこと」の指導は学校教育の永遠の課題です。なぜ子どもたちが聞いてくれないのか、なぜ子どもたちが理解してくれないのか、なぜあんなに一所懸命に話したのに子どもたちに伝わらないのか、教師はそんなことばかり考えています。

かつては教師の話し方が洗練されれば、子どもたちは必然的に理解してくれるはずだという論理で、教師のプレゼン能力や授業技術、教育技術ばかりがテーマにされ研究されました。もちろん、そうした努力は一定の成果を上げましたが、子どもたちの聞き方そのものを上達させるには至りませんでした。教師のプレゼン能力や授業力ばかりが高まって、子どもたちを成長させることはなかったのです。

実は、構成意識をしっかりもち叙述に潤いをもたせたわかりやすい話やうまい話ばかり聞いている子どもたちは、だらだらした話、下手な話に拒否反応を示すようになります。一見、それでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、世の中では重要な内容、大切な内容を話す人が必ずしも話がうまい人とは限りません。そうした話に耳を傾けることのない子どもたちは人生において大きな損をするのではないか、私はそう考えています。

下手な話でもよく理解できる、そういう人こそが実は「聞く力」が高いのです。教師が教育技術を高める、プレゼン能力を高める、これは基本的に良いことですが、良いことにも必ず裏の面というのがあるものです。私たちは自分の力を高めることだけを目指して教師をしているわけではありません。あくまで育てなければならないのは子どもたちであり、力をつけてあげなければならないのは子どもたちなのです。日常的にそういう意識をもちたいものです。

本書では、「聞き方スキル」を4段階で提案しています。「傾聴態度」「要約聴取」「批判聴取」「批判聴取」の四つです。実践編もこの4段階に沿って構成しました。この4段階のスキルは「研究集団ことのは」が10年以上をかけて実践研究を重ねてきた、かなり効果の高い実践的な捉え方であると自負しています。

しかも、「教室ファシリテーションへのステップ」という本シリーズの思想を反映して、すべての実践が小集団による交流を意識して提案されています。本書が子どもたちの「聞き方スキル」の上達にとって、また、現場の国語科授業の活性化にとって、少しでもお役に立てるなら、それは望外の幸甚です。

あとがき

本書は「研究集団ことのは」にとって、14冊目の共著となります。国語科授業の本としては8冊目です。「教室ファシリテーションへのステップ」というシリーズ5巻本としては、3巻目にあたります。

2巻が昨年の10月に完成したにもかかわらず、3巻が完成するのはおそらく2月末。このあとがきの執筆時点で、実はまだ完成していません。この責任はだれにあるのか。何を隠そう、ひとえに編集担当の山下幸くんにあります。でも、「研究集団このとは」のメンバーはだれ一人、腹を立てたりはしません。「まあ、山下さんだから仕方ないか」と思うだけです。

僕と山下くんの出逢いは1988年に遡ります。大学の1期後輩として入学してきた山下くんは、住所に「字」のつく田舎から教師を目指して意気揚々と入学してきたのでした。弱々しい青年でした。ドジョウのようにニョロニョロした青年でもありました。「幸(みゆき)」という女の子のような名前がよく似合う青年でもありました。

以来、25年が経過し、彼も40歳を超えました。その間、彼は大成長を遂げ……ることもなく、いまでもやはり、弱々しく、ニョロニョロし、「幸」という名の似合う中年であり続けています。そんな彼がいまでは「研究集団ことのは」の実務を取り仕切り、実質的に動かしているのを見て、そしてときには若手教師に説教をしている場面なんかを見ると、先輩としてはなんだか不思議な感じがします。

最近気づいたのですが、僕と山下くんは不思議な関係にあります。二人とも酒好きなのですが、もう25年の付き合いで、いまでも年に数十回と逢っているというのに、なぜか、いまだに二人で呑んだことがないのです。ある夜、そのことに気づいた僕は、僕と山下くんの二人でやるあるセミナーのあとに「二人で呑もう」と彼に電話しました。山下くんも「ええ?そういや、二人で呑んだことないね」と言って、呑む約束をしました。

しかし、そういう日に限って、僕らは会場にいた他の民間教育団体の方々に飲みに誘われてしまい、結局、7人で呑みに行ったのでした。僕も山下くんもべろべろになって、楽しい呑み会になったわけですが、二人で呑むという企画は頓挫しました。

なんとなく、二人で呑む機会というのは、もう一生涯、訪れないような気がしているのは、きっと僕だけではありません。山下くんの方もそんな予感がしているはずです。僕らが二人で呑むと、僕が山下くんを一方的にいじめる構図になるでしょうから、きっと神様が山下くんを守って下さっているのでしょう。そんな感じがします。

とまあ、どうでもいい話を綴っていますが、なんとなく、そんな関係こそが僕と山下くんの関係をこんなにも長く続けさせているようにも感じ、そんな関係こそが僕らにこのシリーズ本を作らせているような感じがしているのです。わかりますか?わかりませんよねえ(笑)。

いずれにしても、次回、第4巻のあとがきは、山下くんに任せてみようと思います。そうすればきっと、今回のこの僕のあとがきに対して、彼が返信を寄越すことでしょう。いま、そういう企画を思いつきました。

今回も編集の及川誠さんにはたいへんお世話になりました。この半年近く、お逢いする度に、或いはメールをいただく度に、「聞き方編は進行はいかがでしょうか」と問われ続けてきました。それに対して、いつも「すみません。もうそろそろです。」と応えてきましたが、まあ、事情はこういうことです。すべて、山下幸くんがニュロニョロと仕事を滞らせていたのです。言い訳は次回、第4巻で本人が致します。お楽しみに。

HALCALI/ギリギリ・サーフライダーを聴きながら…
2013年2月17日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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2月18日(月)

1.授業を2時間して介護休暇を取って岩見沢へ。親父に動脈瘤が見つかり入院。老夫婦二人で不安定な生活を続けていたので、親父が入院したことで、かえって安心したところもある。入院手続きをとり、入院グッズを届け、ケアマネに連絡しと忙しい一日。帰宅後は仲間と企画に関するメールのやりとり。

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「聞くこと」指導は態度指導だけではない

全校集会や学年集会での先生方の動きを見ていて、違和感を覚えることがよくあります。一つは校長先生のお話などのときに、生徒の近くにいる教師たちが頭の下がっている生徒や肩の丸まっている生徒たちに注意している動き。一つは話している教師自身が「姿勢が悪い!」とか「ちゃんと聞け!」とか怒鳴る動き。私はどちらもやったことがありません(いや、若いときならやったことがあったかな?)。

前者に対しては、正直なところ、「だって、校長さんの話、下手だからなあ、オレだって、生徒なら寝るだろうなあ……」と感じ、後者に対しては「生徒の態度に腹立てる前に、自分の話し方の反省しろよ」と感じています。もちろん、そんなことを言っては喧嘩になりますから言いません。生徒たちも多くの場合、「あっ、すいません」などと言って姿勢を正すわけですから、表現者としての教師と聴衆としての生徒たちとの間に巣くう教師の話し方の責任に問題を感じたとしても、それを批判しない方がうまく流れるということは現実的によくあることです。

むしろ、自分が集会で話をするときに、他の先生とは違った動きをすることで生徒たちを惹き付け、「ああ、あんな風にやった方が機能するのか」とモデルを示すということの方が、先生方の話し方を変えていくのには良いのではないか、私はそんな風に思っています。だれだって、面と向かって批判されるのは面白くないですからね。伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない、そういう現実もありますが、それは仕方のないことなのだと感じています。それで伝わらない人を批判すれば、余計に問題はこじれてしまいますから。そうなれば、教師の話し方や生徒の聞き方などでは済まされない、大きな問題に発展しかねません(笑)。

ちなみに私は、冒頭で「堀先生の話は少し長くなるかもしれませんから、リラックスして聞いてください。面白かったら笑っていいし、驚いたら『ええーっ!』とか言って、全然構いません。姿勢をどうこうとは言いませんから、目と耳と心は堀先生に向けてくださいね。」と言うことが多いです。また、最初は「みんなに質問があります。」と言って問いを発し、並んでいる生徒たちの中に入って行って、「どう?」と何人かの生徒たちにマイクを向けて答えを言わせるということもよくします。その答えにユーモラスに返していくことで、その対話に注目させるという技術を駆使するわけですね。まあ、そうした技術は前著『目指せ!国語の達人 魔法の「スピーチネタ」50』に詳述しましたので、興味のある方はそちらを御参照ください。

冒頭からこんな話を始めたのには、実はわけがあります。

おそらくこの国には、「聞くこと」が聞き手の〈態度〉の問題であるという暗黙の了解があるのです。私は国語教師ですから、しかも、言語技術にかなり傾倒したことのある国語教師ですから、この国に巣くうこの「暗黙の了解」に対して、暗黙に了解するわけにはいきません。背筋を伸ばして、目を開いて聞いていれば、しっかり聞いていると評価して良いのでしょうか。この問いに対して、私は明確に否定します。

例えば、私たちは講義形式の授業において、教師の話一つひとつにうなずき、一所懸命に板書を写し、完璧なノートを取っている生徒が、後で話してみるとまったく授業内容を理解していないという例を何度も見ているのではないでしょうか。この生徒の聞く態度は完璧です。しかし、この子はしっかり聞いていると言えるのでしょうか。また、授業中に隣の生徒とおしゃべりをしていた生徒を注意して、「いま、先生が言ったことを言ってみろ」と問い詰めたときに、ちゃんとその内容を復唱できたという例にも遭遇することがあります。果たしてこの生徒はしっかり聞いていなかったと言えるのでしょうか。そもそも、完璧なノートの子と隣とおしゃべりの子とでは、どちらが聞く力が高いと評価すれば良いのでしょうか。

例えば、DVを受け続けた女性から、「ああ、また殴られる」と思った瞬間に、心と躰のスイッチをオフにするんです。そうすると、痛みも感じなくなるんです。そして暴力が終わるのをただ待つんです。」という証言を聞くことがあります。例が悪いのを承知で言えば、人間にはこんなことさえできるわけですから、こうした証言を我々教師は参考にすべきでしょう。もしかしたら、姿勢良く目を輝かせながらスイッチをオフにすることだって、ある種の生徒たちには可能なのかもしれないではありませんか。

私は「聞くこと」において、〈態度〉などというものはどうでも良いと主張したいのではありません。聞く〈態度〉はとても大切なことです。それは話し手に対する「私はあなたの話を興味深く聞いています」というある種の表現行為であるわけですから、重要でないはずはないのです。ただ、「聞くこと」の指導が「態度主義」一辺倒になっている現状はいかがなものか、と言っているだけです。「聞く」という行為はもっと主体的な行為だと考えているのです。

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2月17日(日)

1.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~10日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

2.【満員御礼/お申し込みいただいた皆様、ありがとうございます。/僕と面識のある方で「どうしても…」という方がいらっしゃいましたら、メールにてご連絡ください。数人であれば対応可能だと思います。】
  第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

3.『目指せ!国語の達人 魔法の「音読ネタ」50』堀裕嗣・山下幸編・研究集団ことのは著/明治図書/近日刊行
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-104127-4

4.『目指せ!国語の達人 魔法の「スピーチネタ」50』堀裕嗣・山下幸編・研究集団ことのは著/明治図書/近日刊行
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-104221-9

5.Vreath~My Favorite Cocky Pop/八神純子/2012
良いなあ…。

6.昨日、冨樫くんに「FACEBOOKの友達申請をしてもいいでしょうか」と訊かれた。よほど怖がられているらしい。前には横山験也さんにまで同じことを訊かれたことがある。僕はみなさんが思っているほど怖い人間ではありません。だいたい、FBでは知らない人でも教育界にいる限りにおいては承認していますから。知っている人はまず間違いなく承認しますよ(笑)。

7.今年は私家版「国語学力体系」を世に問うぞ。義務教育で普通に仕事しててもこのくらいの体系は作れるんだぞってことを、現場に批判的な国語教育の研究者や現場に批判的な某・塾の先生などに示さなければならない。別に自分の論を主張するのは良いが、現場一般を批判して自分の論の補強材とするのは、作法として間違っていると。僕は最近、一部にそういう主張の仕方があることにものすごく腹を立てている。

8.今日予定していた原稿をすべて書き、いま送信し終えた。ふう。寝るまであと1時間半ってところか。何しようかな。

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2月16日(土)

1.今日は9時~17時までが国語科授業づくりセミナー、17時~21時までが「研究集団ことのは」例会というハードな一日です。ふぅ。

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2月15日(金)

1.【拡散希望/残席2】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

2.長らくamazonで在庫切れになっていた「教師力ピラミッド」が入荷したようです。http://www.amazon.co.jp/%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8A%9B%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%82%92%E5%8A%87%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B40%E3%81%AE%E9%89%84%E5%89%87-%E5%A0%80-%E8%A3%95%E5%97%A3/dp/4180494167/ref=pd_sim_b_1

3.私立高校入試日。今日は授業が二つ。空き時間一つは別室登校の教室に入る。給食を食べ、学年の会議をし、校区内を巡視し、学年の先生方と談笑し、16時に年休をとって岩見沢へ。親父とお袋と寿司をとって食べる。「子どもたちに迷惑をかけたくない」とばかり言う。全く迷惑ではないのだが……。

4.また、道徳の教科化の話か。別にしてもいいけど、もっと根本的な学校制度改革の話をしようよ。道徳を教科にしたって、何も変わらないよ。
http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021501001850.html

5.学級制度を廃止するとか、4・4・4制にするとか、小学校高学年を教科担任制にするとか、習熟度別学級編制を基軸にするとか、すべての公立小中学校及び高校を独立行政法人化するとか、学校に制服警官を常駐させるとか、もっと国民的議論が巻き起こるような提言をしようよ。もう小手先の改革でなんとかなるレベルは10年以上前に終わってるんだよ。

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2月14日(木)

1.私立高校入試日。各学級は10~15人程度。授業は2時間。入試対策問題に取り組ませる。その後、職員会議。更に新入生保護者説明会。会場の片付けが終わると、ちょうど退勤時間。体調が完全には戻っていないけれど、なんとか1日務めることができた。良かった良かった。

2.明治図書のHPを見ると、「教師力ピラミッド」が品切れ中。出荷も未定と書いてある。増刷したばかり。確か刷り上がったのは一昨日じゃなかったかなあ。売れてるんだなあ。新聞の効果ってすごいものだなあ。でも、僕にはまったく実感がない。そういうものなんだなあ。

3.今日、学校に1通の封書が届いた。見ると18年前の生徒の保護者からだった。担任もしていなかった生徒の保護者からで、先日の新聞記事を見て、わざわざ手紙をくれたらしい。内容は簡単に言えば、娘が中学生のときからこの先生は違うと思っていたけれど、やっぱり私の見立ては間違っていなかった、といった内容。中には、当時、僕が生徒あてに書いた文章のコピーが入っている。本人さえもう手もとに残していなかった文章である。娘の方はというと、札幌南高校から東大を出て、いまはオランダ在住とのこと。そういえば、「お前は東大に入る頭をもっているから、変に妥協しないで頑張れ」と言った記憶がある。新聞に載ったことで経験することのできた、最も嬉しい出来事だった。

4.教師に必要な資質。
1. いつも笑顔でいること。
2 .孤独に耐える力をもつこと。
3. 無駄とわかっていることに取り組めること。
4 .子どもといっしょに馬鹿げたことを一生懸命にやるのを楽しめること。
5 .いつでも変われること。今を壊し、新しい自分になることを怖れないこと。

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2月13日(水)

1.今日はとうとう風邪で欠勤している。熱が出て来たので無理をしないことにした。でも暇だ。頭がまともに働かないのでテレビを見るか音楽を聴くかということくらいしかできない。せっかく時間があるのだから、溜まっている原稿が書ければ良いのになあとついつい感じてしまう自分は職業病かもしれない。

2.拙著『教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』(明治図書)の第3刷が決まりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。しばらく品薄状態が続いておりますが、ご容赦下さいませ。

3.【満員御礼/お申し込みいただいた皆様、ありがとうございます。/僕と面識のある方で「どうしても…」という方がいらっしゃいましたら、メールにてご連絡ください。数人であれば対応可能だと思います。】
第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

4.因果関係があるのかないのか僕には判断がつかないが、これまでの前例のように何十年も経って多くの被害者が亡くなってから責任を認め、謝罪・賠償と進むのでなく、現段階の情報はすべて明らかにしながら判断していく、そういう世の中になって欲しいとは思う。同じ過ちを何度繰り返してきたことだろう。今回もまた数十年後に、政権が変わったときに政権の人気取りのために責任を認めるなどという形で、政治的に利用されるのだろうか。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2013021301001324/1.htm

5.いよいよ新時代が始まるな、という感想。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2013021301001803/1.htm

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2月12日(火)

1.授業は二つ。ともに入試対策問題。空き時間は三つあったが、どの時間も体調が悪くて、思っていたようには仕事がはかどらなかった。放課後は教務部会。年度反省が中心。退勤時間とともに学校を出て帰宅。今日は何もしないで寝ることになるな。ああ、調子悪い。何がマツカワだ。そんなもん、オレはあっても食えないよ。

2.【拡散希望/残席6】第20回国語科授業づくりセミナーin札幌/堀裕嗣・山下幸/2013年2月16日(土)/札幌白石区民センター/定員20/国語科授業づくりの原理・原則
http://kokucheese.com/event/index/68016/

3.もう一度/伊東ゆかり/1980
松山千春のラジオ番組でこれを初めて聴いたとき、松山千春のバージョンよりも良いと感じた。伊東ゆかりはいい。
http://www.youtube.com/watch?v=H7wm3sOn7BQ

4.思えば遠くへ来たもんだ/海援隊/1978
海援隊はこれだな。
http://www.youtube.com/watch?v=cprCkQW7XoA

5.恋不思議/海援隊/1981
あっ、これもあった。ふきのとうの山木さんのメロディがとても切なくて、武田鉄矢の声とマッチしてる。
http://www.youtube.com/watch?v=LlmOL7EHgeg

6.それにしても、武田鉄矢の詩と山木康世の曲とのマッチングは素晴らしいなあ。僕は長く、ふきのとうのファンであり、山木さんのファンだけれど、武田鉄矢の詩の女々しさは山木さんの曲とあまりにもマッチする。若いときには感じることの出来なかったものだなあ。山木さんのメロディにのせて武田鉄矢の声で「恋は一度と信じてた…」なんてさらりと歌われると、全然そんなことはなかったのに、青春ってそんなもんだったかもしれないなんて思えてくる。

7.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~10日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

8.【拡散希望/残席3】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

9.昨日も書いたが、多様性を第一義に考えた出版企画を動かし始めている。私が「この人に是非書いて欲しい」と思う先生方に原稿依頼をして、有り難いことに次々にご快諾いただいている。ただおひと方にさえ断られていない。教育界の提案には多様性が必要なのだ。多様な提案を読みながら、物語を紡ぐのはあくまでも読者だ。かつてあたりまえにあった教育界のそうした在り方をもう一度具現化したい。

10.どうも「カリスマ中学教師」と呼ばれ始めているらしい。僕に近しい人たちはよく知っているけれど、僕は昔から、「カリスマ」と呼ばれるのが一番嫌いなのだが。そうぼやいたら、「有名税だよ」と言われた。それほど有名だとは思わないが、僕はこの国のそういうところがとても嫌いだ。

11.【拡散希望/残席2】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

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2月11日(月)

1.ある方がメールで教えてくれました。現在、amazonの「学級運営」で1位~3位までが僕です。7位にもいます。本当にGODIEGOか寺尾聰になった気分です。まあ、amazonの順位は瞬間風速ですけどね(笑)。

2.【拡散希望/残席6】第20回国語科授業づくりセミナーin札幌/堀裕嗣・山下幸/2013年2月16日(土)/札幌白石区民センター/定員20/国語科授業づくりの原理・原則
http://kokucheese.com/event/index/68016/

3.今日は「教室ファシリテーションへのステップ」シリーズの3冊目、聞き方スキル編の第1章を執筆します。20頁ほどの予定です。この3冊目が仕上がれば、このシリーズも軌道に乗ることでしょう。国語の5冊を仕上げたら算数に行く予定です。今年は単著もありますが、編著が多くなると思います。

4.ベタ打ちが終わり、推敲して文章を整え、まずはまえがきの2頁分が完了。これから20頁を目処に「聞き方スキル」の4段階を解説していきます。なんせ実践編の9割が完成していますから、僕が第1章を書きさえすれば完成はすぐそこなのです。

5.どうも風邪のようだ。第1章の原稿を3頁ほど進めたところで断念。取り敢えず休むことの方が優先順位が高そうだ。明日も僕の面接練習を待っている生徒たちがいるからね。風邪で休んでいい時期じゃない。おやすみなさい。

6.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~10日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

7.【拡散希望/定員増はこれで打ち止めです/残席6】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員75/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

8.ある出版企画が固まり、原稿依頼を進めています。まだ詳しくは言えませんが多様性のある企画です。少なくともそれを志向しています。こういう多様性のある企画を立てたいと、昔から考えていました。一つの主張を広めるのではなく、全国に様々にある考え方を交流する、それが大切なのだと感じています。

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聞く力が高い…

「聞くこと」の指導は学校教育の永遠の課題です。なぜ子どもたちが聞いてくれないのか、なぜ子どもたちが理解してくれないのか、なぜあんなに一所懸命に話したのに子どもたちに伝わらないのか、教師はそんなことばかり考えています。

かつては教師の話し方が洗練されれば、子どもたちは必然的に理解してくれるはずだという論理で、教師のプレゼン能力や授業技術、教育技術ばかりがテーマにされ研究されました。もちろん、そうした努力は一定の成果を上げましたが、子どもたちの聞き方そのものを上達させるには至りませんでした。教師のプレゼン能力や授業力ばかりが高まって、子どもたちを成長させることはなかったのです。

実は、構成意識をしっかりもち叙述に潤いをもたせたわかりやすい話やうまい話ばかり聞いている子どもたちは、だらだらした話、下手な話に拒否反応を示すようになります。一見、それでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、世の中では重要な内容、大切な内容を話す人が必ずしも話がうまい人とは限りません。そうした話に耳を傾けることのない子どもたちは人生において大きな損をするのではないか、私はそう考えています。

下手な話でもよく理解できる、そういう人こそが実は「聞く力」が高いのです。教師が教育技術を高める、プレゼン能力を高める、これは基本的に良いことですが、良いことにも必ず裏の面というのがあるものです。私たちは自分の力を高めることだけを目指して教師をしているわけではありません。あくまで育てなければならないのは子どもたちであり、力をつけてあげなければならないのは子どもたちなのです。日常的にそういう意識をもちたいものです。

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かつて…

3月10日の研究会に関するある問い合わせに少々憤慨する。「開催時間は何時から何時までか」という質問。こくちーずのプログラムに書いてある。もう一つは「途中退席は可能か」というもの。どう応えて欲しいのだろう。無視していたら、同じ内容でもう一度来た。ご遠慮いただきたいと返信した。

最近、教員主催の民間セミナーをサービス業のように思って、こういう問い合わせをしてくる輩が増えてきている。民間セミナーは利潤追求に行われているのではない。講師も事務局も手弁当でやっているのである。かつては参加する側にも、できるだけ余計な手間はかけさせないようにという配慮があったものである。この問い合わせはひどい。

ある方は申し込み時点のコメントに次のように書いてあった。いまは企業で働いているが、通信制で免許をとろうとしている。研究会に申し込んだが、ドレスメイクの規範さえわからない。失礼があったらお許しください。こんな内容だ。これを読んで、僕は求められてもいないのにこの方のメールアドレスを調べて、どういう内容で、服装はどうすれば良いのか、返信した。

事務局も講師も人間である。しかも日常的には公務をもっている人間である。自分で調べられることは自分で調べて、お互いに相手に手間をかけさせないという雰囲気、気になったら大丈夫ですよと手間を惜しまないという雰囲気、かつてはそういう雰囲気があったものだが。

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2月10日(日)

1.とうとう女性にも出て来たなあ。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2013020901001810/1.htm

2.【拡散希望/残席7】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園高等学校/定員70/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

3.昨日の亀八はたらふく喰って呑んで、一人5000円。どう考えてもそんなはずはない。マスターが気を使ってくれたのかもしれない

4.これおもしろい感想だなあ。著者の僕は意識していない。僕の表現の仕方の癖なんだな。こういうの、勉強になるんだよなあ。ありがたい感想だった。
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/26031346

5.山本七平は「空気の研究」ばかりが取り上げられるけれど、彼には同じくらいすごい日本人論である「水の研究」という名編がある。「水に流す」「水入らず」といった文化も空気と同じくらい日本人にとっては大切なんだ。

6.ある方がメールで教えてくれました。現在、amazonの「学級運営」で1位~3位までが僕です。7位にもいます。本当にGODIEGOか寺尾聰になった気分です。まあ、amazonの順位は瞬間風速ですけどね(笑)。
http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/500322/ref=pd_zg_hrsr_b_1_5_last

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2月9日(土)

1.教室実践力セミナー。十人ちょっとの小さな会で、ことのはセミナーっぽい会だった。参加者一人ひとりに気軽に声をかけながら、ときにはいじりながら、ゆる~い講座と提案が一日中続く。こういう会が心地よい。先日の東京でも感じたが、僕の講座も山下くんの講座も最近どんどんゆるくなっていく。

2.セミナー後は山下くんとDNA、太田くん、水戸さんと7人で亀八。いつものように旨い日本酒とあぶりものを食べながら、いろんな話をする。2週間前の名寄に続いて、研究会に対する距離感の話をする。時代が刻一刻と変わっていることを実感する。それぞれの物語の違いをすりあわせなければならない。

3.来週は国語科授業づくりセミナー。札幌での小研究会は今年度これで終わり。来週はおそらくゆるい会にはならず、厳しくバシバシ斬る「ことのは」流。たぶんどちらもできるっていうことが大切なんだと思う。来週の授業者は太田くん、冨樫くん、米田さんの3人の模擬授業者が決定しています。残席7です。

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2月8日(金)

1.授業5発。四つが試験対策問題。一つは担任がスキー学習で担任の代わりだったので、学級全体に面接指導。志望動機を多角的に語れるようにウェッビングを使って記述させる。放課後は運営委員会。その後、学年で個人調査書の発送作業。割とさくさく進んで17時30分終了。学年の呑み会を失礼して帰宅。

2.木戸に立ち掛けし衣食住。
キドニタチカケシ衣食住。
キ=気候。ド=道楽。ニ=ニュース。タ=旅。チ=知人。カ=家族。ケ=健康。シ=仕事。そして衣・食・住。この11項目が知らない人との雑談の話題として良いと主張している。
雑談に苦手意識をもっていることがコミュニケーションに対する苦手意識につながっていることは割と多い。学歴の高い人に多く見られるし、学歴に関係なくおとなしい人にも多く見られる傾向だ。
僕は隣の人とどうということのない雑談を7分間続けろという授業を1年生の入学直後の国語で必ずやるけれど、生徒たちも意外とできないものだ。でも、この国のコミュニケーションでは雑談が決定的に大切だ。
こんなおかしな合い言葉でも、ちょっと覚えているだけで役に立つという人はたくさんいるだろう。http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%88%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%A9%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84-%E9%9B%91%E8%AB%87%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E6%9D%BE%E6%A9%8B-%E8%89%AF%E7%B4%80/dp/4756913768/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1360317448&sr=1-1

3.そう言えば、80年代の校内暴力時代に、「学校は怖いところだから」と日常的に刃物を携帯して、生徒を刺し殺しちゃった教師がいたなあ。そういう人が出て来てもおかしくないくらいに、追い込まれている先生がきっといっぱいいるんだろうなあ。こういう問題は介護の現場とか看護の現場とかにもたくさんあるんだと思う。手足を縛るだけでただ最大限のサービスを提供しろという政策を採り続けると、そうしたイレギュラーが現れる可能性が出てくる。基本的に利潤追求を旨とする企業とは違って、供給側はただ煮詰まってしまう傾向にある。

4.せめて煮詰まったら3日間休みとって旅行に行く、リフレッシュする、そのくらいのことはできる社会になればいいんだけどね。制度的にはできるのに、だれもそんなことはできない。これは国民性の問題だね。同調圧力もものすごく高いし。結果、心が壊れるところまで行ってしまう。

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次の事案

桜宮高バスケ部顧問、懲戒免職も…市教委検討
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130208-00000237-yom-soci

これは免職処分になるのか否か、大きな分岐点になる。世論の大勢が賛成にまわるか、「そこまではやりすぎだろう」にまわるか、それも興味深い。議論の分かれるところだろう。

免職になったとしたら、前例として確固とした力をもつ事例になる。部活動での体罰は全国的にぴたりとやむだろう。部活指導が、というよりも教育界全体が次の...ステージに進むことになる。

大きな問題となるのはおそらく次に起こる体罰事案だ。非行生徒が向かってきたときに、やむを得ず教師が手を出した。それが問題になった。おそらく次に問題となるのはそういう事案になる。これに前例に従って免職処分を出そうとしたときに、間違いなく大きな裁判になる。

その結果、少年非行、少年犯罪の厳罰化の傾向と相俟って、少年非行の問題が、或いは非行少年の学校での行動が学校ではもうどうにもできないのだということが浮き彫りになっていくだろう。そしてそれが学校教育の位置づけをいよいよ大きく変えて行くに違いない。

全国で体罰として処分されている事例には、生徒が向かってきたのを払った結果、生徒が怪我をしてしまったという事案がかなりある。90年代後半からそういう事案が増えてきた。その結果として、教師は引かざるを得なくなった。その事実が明るみに出るだろう。

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表現する資格

今日、朝日新聞の僕の記事を全文引用して、「なるほどなと思う」と書いたものと、「なんか違うなあという感じがした」と書いたものと、二つのブログを見つけた。共通するのは、ともにブログを書いた本人のコメントがひと言であること。こういう人に表現する資格があるのだろうか……とふと感じた。

僕は著作権がどうとか、肯定するか否定するかとか、そういうことを言いたいわけではない。全文引用してひと言「なるほど」とか「違うなあ」とか書くことで、何かを表現していると感じている、そのメンタリティが信じられないのである。何のためにこのブログをアップしているのだろう。

こう感じる人は少数派なのだろうか。twitterは引用に20字を要する。つまり、何を言いたいかというと、twitterでさえ引用して120字のコメントができるのだ。ブログは一般に字数は無制限のはずだ。もっと具体的に何か書けよ、それができないなら表現する資格ないだろ、と思うわけだ。

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2月7日(木)

1.イベントとしての事務局体制を整えました。定員増です。
【拡散希望/残席12】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園/定員60/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

2.人見さんと二人でこぢんまりと楽しもうと思っていたセミナーでしたが、あまりに参加者が多いので、「研究集団ことのは」の関東勢を事務局として、イベント体制を整えました。これでこのセミナーの事務局ができましたので、ある程度の人数までは対応できるようになりました。ご希望の方はどうぞ。
http://kokucheese.com/event/index/74242/

3.新聞ってずこいなあ。メールでの反響が続々。ブログにも取り上げられている。
http://kv201-186a.blog.so-net.ne.jp/2013-02-07

4.amazonを確認したら、「教師力ピラミッド」が184位だって。社会ってこういうふうに動いてるんだな。菊池さんの本が売れるわけだ。怖ろしや怖ろしや。生徒や同僚に「新聞見ました」と言われ度にドキッとする1日だった。ああ、怖ろしや怖ろしや。僕には向かないな。ただ笑って過ごしたい。

5.授業は2時間。学年団の許可をとって、入試対策問題に取り組ませながら、授業中も推薦入試生徒の面接練習。午後の学活も面接練習。いよいよ本番が来週の火曜日だから火がついてきた。空き時間は細かな事務仕事をどんどん片付けているうちに過ぎ去った。来週の職員会議の準備がまだ残っている。

6.荻上チキにしてはひでえ本だったなあ。視点の鋭さだけで文章が下手だから、この手のルポルタージュには見るべき物がなくなってしまうってことか。詳細なインタビューとどうってことのない分析。ちょっといただけない。http://www.amazon.co.jp/%E5%BD%BC%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A3%B2%E6%98%A5-%E3%83%AF%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%AA-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%96%A5%E5%8A%9B%E3%80%81%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E7%B3%BB%E3%81%AE%E5%BC%95%E5%8A%9B-%E8%8D%BB%E4%B8%8A-%E3%83%81%E3%82%AD/dp/4594067344/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1360231143&sr=1-2

7.【記事にならなかった僕の発言】
記者:堀先生は教師力ピラミッドの各能力で言うと、どのようなタイプの教師ですか?
堀:そうですね。父性型指導力、友人型指導力、研究力、教務力は割とあるかもしれませんね。先見性・創造性も割とある方だと思います。
記者:なるほど。逆に自信がないところは?
堀:モラルですね。
記者:……?

8.【記事にならなかった僕の発言】
記者:安倍内閣の教育再生会議、教育再生実行会議の問題点は何だとお考えですか?
堀:まあ、腹を立てているのは阿部さんに対してじゃなくて、渡辺美樹みたいな実態調査もなく、適当な発言をして教師を批判している人です。安倍さんは教育を重要な政策課題としてくれているので、基本的に僕は批判的ではありません。話題に上らないことには始まりませんから。
記者:なるほど。そうですよね。安倍さんが一番教育には熱心ですもんね。
堀:そうそう。それに比べて日教組はひどいですよ。だって……。
記者:……?
堀:(心の声「あっ、これ、朝日新聞だった……。前に讀賣新聞の取材受けたときにはこの話ウケたんだけどなあ……」)

9.以上、ちょっと誇張しています。古田さん、ご免なさい。

10.大阪の「みたらし小餅」。うまいなあ。考えてみると、目を見張るほどのアイディアではないのに、みたらしを中に入れるっていう発想がなかったなあ。創造は意外とシンプルなところにあるっていう見本みたいな歌詞だよなあ。

11.今日、原稿書きながら感じたけれど、マズローの欲求階層説とアルダーファーのE.R.G.理論って、なんだかんだ言ってよく出来てるな、と思う。けっこうあてはまる領域が広くて、応用範囲が広いというか、汎用性がある。

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2月6日(水)

1.授業4時間。すべて入試対策。空き時間は一つが別室投稿生徒の対応、もう一つは銀行で支払い。放課後は面接練習を少し。退勤とともに岩見沢へ。親父とお袋と一緒に回転寿司へ。もっといいものでもいいんだよと言うのだが、回転寿司がいいと言う。安上がりな親である。20時帰宅。これから仕事。

2.先日、朝日新聞の記者と呑んだ折。記者が領収書をもらおうとして「朝日新聞社でお願いします」と言ったら、ホール係の女の子は「どういう字でしょうか」と訊いてきた。記者と「えっ」と顔を見合わせた。しかし、その女の子は僕が預けたコートを忘れずに持ってきて、「どうぞ」と言って着せてくくれた。

3.僕らの世代のホール係なら、「朝日新聞社」という字は誰もが書けたけれど、数時間前に預けられたコートを忘れる人はたくさんいただろう。客にコートを着せる人となると、ほとんど皆無だったような気がする。スナックやクラブじゃなくて居酒屋なんだから。この女の子は能力が高いのか低いのか……。

4.【拡散希望】第3回教室実践力セミナーin札幌/堀裕嗣・山下幸/2013年2月9日(土)/札幌白石区民センター/定員20/若い教師のための学級開き・90日間システム/授業づくりのステップ/教室ファシリテーションへのステップetc…
http://kokucheese.com/event/index/68001/

5.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~9日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

6.【拡散希望/残席6】第4回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年3月10日(日)/新宿大智学園/定員50/教師力アップ 成功の極意&教師のための元気が出る仕事術
http://kokucheese.com/event/index/74242/

7.それにしても22時間で40人が埋まってしまうなんて思わなかった。すごいことだ。定員を50人まで増やした。机と椅子の数がないから、これが限界だ。それにしてもすごい。日程がいいのかな。集まる企画だとは思えない。きっと中堅・ベテランが多いのだろう

8.今日は多田富雄の『残夢整理』(新潮文庫)を読みながら、何度も何度も泣きそうになった。多田富雄はほんとうに文章がうまい。感嘆のエッセイを綴る。

9.明治図書のランキング。1位・2位独占で喜んでたけど、赤坂と野中さんの新刊が出たんだな。老い先短そうだ(笑)。まあ、3人で頑張ろう。

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2月5日(火)

1.拙著『教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』(明治図書)に、ブログ「天日干し思考」さんから 書評をいただきました。ありがとうございました。
http://ameblo.jp/n98/entry-11450784731.html

2.拙著『教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』(明治図書)に、ブログ「えでゅぴりか」さんから 書評をいただきました。ありがとうございました。
http://doryokunotubo.cocolog-nifty.com/edupirika/2013/02/post-5bca.html

3.【拡散希望】第3回教室実践力セミナーin東京/堀裕嗣・山下幸/2013年2月9日(土)/札幌白石区民センター/定員20/若い教師のための学級開き・90日間システム/授業づくりのステップ/教室ファシリテーションへのステップetc…
http://kokucheese.com/event/index/68001/

4.【拡散希望】第20回国語科授業づくりセミナーin札幌/堀裕嗣・山下幸/2013年2月16日(土)/札幌白石区民センター/定員20/国語科授業づくりの原理・原則
http://kokucheese.com/event/index/68016/

5.【拡散希望】第5回ALL関東教育フェスタ/2013年3月8日(金)~9日(日)/横浜市野島青少年研修センター/二日目に僕の講演があります。
http://allkanto-edufesta.jimdo.com/開催概要/

6.第4回教室実践力セミナーin東京を企画した。「教師力ピラミッド」と「教師力アップ 成功の極意」を基軸に、かなり高度な内容にするつもりである。おそらくファシリテーションティックな活動はほとんどなく、職員会議や学年会、手帳の実物などの資料を提示しながら語っていくという構成になる。読書についても何をどんなふうに読むべきかという話をすることになるだろうと思う。

7.職員会議で提案を通すにも、自分の学級のために同僚と人間関係をつくるにも、手帳術や読書術で自分の生活を管理したり発想を広げたりするのにも、思想がありシステムがある。僕なりの思想とシステムを語ろうと思う。このレベルで考えて仕事をしないと仕事ってうまくいかないんだよ、という話をするつもりだ。

8.技術だけで仕事をしない。技術と思想がセットになって、はじめて技術も機能する。北海道でこうした研究会を開いてもいつも少数の参加しかない。東京でも同じだろう。でも、これが僕が一番語りたいことだ……というのを話させてもらおうと思っている。

9.要するに、堀はなぜ一般的に問題となっていない問題にきづけるのかとか、堀はなぜ教育問題とか学校運営の問題とか学級経営の問題に独自の視点で整理をつけるのかとか、堀はなぜ本を量産できるのかとか、堀はどんなふうに手帳を使っているのかとか、堀はなぜ職員会議で常に提案を通せるのかとか、堀はなぜしょっちゅうかつての教え子と飲んでいるのかとか、堀はなぜ岡山さんと親しく付き合ったり廣木道心に感動したりするのかとか、堀はなぜ仕事を道楽と考えられのかとか、そういう話をします。とにかく、なぜ、なぜ、なぜです。

10.例えば。逃げるときは逃げる!休むときは休む!なんていうのも重要な思想になります。

11.先日、僕が明治図書のランキングで1位・2位を独占したときに、ゴダイゴか寺尾聰になった気分だと冗談交じりに笑い飛ばしたが、土曜日にお逢いした担当編集者の及川さんは、僕が1位・2位を独占したランキングサイトをプリントアウトして、キレイに折りたたんで手帳にはさんでいた。「そんなもん、どうすんですか」と軽い気持ちで訊くと、「いやあ、今後、辛いことがあったときに、これを見て、こういう時代もあったんだと励みにするんです」と真顔で応えられてしまって困った。そうか。笑い飛ばしてはいけないことだったのだ。こういうのを目指して仕事をしている方がいるのだ。申し訳ない気持ちになった。ちょっと気が引き締まった。

12.先日は、杉浦美南(彼女も明治図書の編集者)に「すごい」と言われて、どのくらいすごいのかよくわからないなあとコメントしたが、及川さんによると、自分が編集者になって以来、一人の著者が1位・2位を独占したという例はないそうだ。TOSS関係のある著者が1位と3位に就いたという記憶があるだけだと言っていた。なるほど。すごいことなのだと認識させられた。知らない、わからないということは怖いことだ。軽口を叩いて申し訳なかったな、と感じた。

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第4回教室実践力セミナーin東京

第4回教室実践力セミナーin東京

教師力アップ 成功の極意
教師のための元気が出る仕事術

ALL堀裕嗣セミナー

【日時】2013年3月10日(日)

【場所】新宿大智学園高等学校カフェテリア

【定員】30名

【お申し込み】こくちーず

【内容】

09:15~09:25 受付

09:30~12:00
教師力ピラミッド 毎日の仕事が劇的に変わる40の鉄則(適宜休憩)
①「教師力ピラミッド」の概観を提示します。
②「教師力ピラミッド」で提示された教師の各キャラクターに応じた動きについて、それぞれ具体的に語ります。
③「教師力ピラミッド」の裏の思想を語ります。
④「教師力ピラミッド」で提示された事務力の在り方として、仕事術について語ります。
具体的には
・職員会議提案文書をどうつくり、どう提案するかについて語ります。
・手帳術を語り、堀先生の手帳の実物を提示しながら語ります。
・知的生産術としての毎日のシステマティックな過ごし方について語ります。


13:00~15:30
教師力アップ 成功の極意(適宜休憩)
①堀先生が若いときから中堅にかけてどんなことに取り組んできたか、その具体を語ります。
②堀先生が若い教師を育てるときに何に気をつけ、どう指導するかを語ります。
③新年度をスタートさせるときに、生徒たちや同僚にどのような手立てを打つか、実物資料とともに語ります。


堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)
札幌市立中学校・国語科教諭。「研究集団ことのは」代表。「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問。「中学校・学級づくり研究ネットワーク」事務局。
主著:『教師力ピラミッド』『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意」(以上明治図書)など。「学級経営10の原理・100の原則」「生徒指導10の原理・100の原則」「教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ」「一斉授業10の原理・100の原則」(以上学事出版)等「10原理・100原則シリーズ」が好評を博している。その他、「全員参加を保障する授業技術」「学級経営力を高める」「必ず成功する学級開き~魔法の90日間システム」「必ず成功する行事指導~魔法の30日間システム」(以上明治図書)など著書編著多数。

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2月4日(月)

1.授業は4時間。空き時間はこれと言った仕事もなく、いろいろな調べ物をしたり、いろいろな授業を見てまわったり。

2.今日は朝日新聞の取材を受ける。東京から札幌へわざわざ来てくれた女性記者。取材が終わって二人で呑んだが、若いのに聞き上手で、話が弾む。自然体で話せる感じ。まあ、記者として身につけたスキルというよりは、もともと持っている雰囲気なのでしょう。去年までは警視庁担当だったそうで逆取材の数々。とてもおもしろい話がたくさん聞けて大満足。

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2月3日(日)

1.帰宅しました。東京でお世話になった皆様、ありがとうございました。眠いです。明日、朝から勤務なんて信じられません。まあ、同僚から見たら、日曜日のこんな時間に東京から帰ってくる方が信じられない行為でしょうが。それにしても今回の東京紀行は最初から最後まで楽しい時間が流れれた。大満足。

2.明治図書から出している僕の本のほどんどを担当してくれている及川さん。今回は失礼ながら「この編集者偉大だなあ」と感じる場面が多々あった。僕より若いのでいつもいじって遊んでいたのだが、呑み会でいっしょに日本酒を飲みながら騒いでいて、もうべろべろになっているかと思いきや、僕らがちょっと真面目な話をし出すと、気がついたらそれを聴きながら細かくメモをとっている。僕もメモ魔なんだけど、呑み会のときだけはとらないことにしている。彼を見て、確かに呑み会でもメモをとった方がいいかも……とちょっと思った。でも、これからもとらないとは思うけど(笑)。

3.帰りの飛行機。新刊のゲラを校正しながら帰ってきた。1時間半、1分たりとも他のことをせずに集中して読んだ。なのに、著者が読んでさえ1時間半で第2章を読み終えることができなかった。しかも、赤はほとんど入れてない。つまり、ほとんど普通に読んでいたのにこれしか進まなかったということ。こりゃ、一般読者は読めないなあ。難しいし、めんどうくさいもん(笑)。どうしよう……。でも、このまま出すけどね。

4.今日の感想。今日の講座は、参加者の女の子がみんな可愛い子たちだった。ええ?なんでこんなに可愛いの?っていうのが、朝、前に立っての最初の印象。で、ファシリテーションやりながら、その可愛い子たちと男の参加者がどんどん盛り上がっていく。えっ?なんで自分がこの男たちとこの女の子たちの盛り上がりの場をつくらなくちゃならないの?という気持ちになった。ファシリテーターとしては成功しているのだが、気持ち的にはなんか納得いかない。なんでその盛り上がりに自分は入れないの?っていう感じ。なんか「ファシリテーターの哀しみ」っていうのが場合によってはあるんじゃないかなあ。ねえ、岡山さん……。

5.それで今日は、ワールドカフェでメンバーシャッフルするときにいつもなら必ず言う「小グループは多様性を担保することが大切です。男子会・女子会だけはつくらないようにしましょう」という指示をわざとはずした。見事に女子会が二つできた。してやったり……と、小さな抵抗を僕がしていたことは内緒である。

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廣木道心

廣木道心(ひろきどうしん)という武道家でありヘルパーでもある男と出逢った。

武道家としての彼の実績を僕はまったく知らない。でも、ヘルパーとして児童にどういう働きかけをするか、或いは働きかけをしないかという思想と手法に、武道がどれだけ活きているかが、かつて空手をやっていた僕にはよく理解できた。もちろん僕の空手は中途半端でおめてしまっているから、彼の武道と比較することはできない。正しく言えば、僕が空手で学んだベクトルの張るか延長上に彼の主張があるということがよくわかった、ということである。

僕が提案している教育思想と、彼の主張している介護思想は、構造的にまったく同じだった。人は逢うべき人と逢うべきときにちゃんと逢う運命にあると、僕は心から信じているけれど、久しぶりにそういう出逢いの運命(さだめ)を感じた。彼は特別支援教育の領域に、現実的な対応として大きな提案をし、大きな貢献をすると確信した。

しかも、たった30人の小さなセミナーだというのに、こういう出逢いの場に、たまたま編集者が3人もいた。僕や桃崎さんといった講師陣が打ち合わせをしようとしていて、たまたま3人もいたのである。これもおそらく運命であり、必然である。編集者3人ともが、廣木道心の提案にうなっていた。僕だけが感激したのではない。彼の理論とスキルには間違いなく力がある。

「明日の教室」よ、新潟よ、青山新吾よ、多賀一郎よ、僕とつきあいのあるすべての人たちよ、廣木道心を一度呼び、3時間、彼のワークショップを受けてみるといい。おそらく僕らが特別支援教育で困っていることに対して、その解答を得られるだろう。

見通しをもたせる、関係機関との連携、危険がない限り見守る、カンファランスの必要性……特別支援教育で言われていることはすべてわかる。でも……、とは言っても、実際に暴れている、現実のこの現象に困っているのだ、そういう声が方々から聞こえる。その隙間は廣木道心がちゃんと現実的に埋めてくれる。

要諦をいえば、子どもに勝とうとしない、指導しようとしない、けれど負けるわけでもない、相手を傷つけない、でも自分も傷つかない、引き分けに持ち込むための武道である。相手を殺さない、傷つけない、でも、決して自分も傷つかない、そういう武道である。

書いて良いのかどうかわからないが、自閉症の子をもち、親として格闘し、仕事をやめてヘルパーにもなってしまう、人生を賭けた提案でもある。語り口はソフト。僕の紹介を聞いただけでは、要するに他人の話を聞いただけではにわかに信じられず、多くの方は「きっと怪しいんじゃない?」と感じかもしれない。僕もそういうタイプだからよくわかる。しかし、実際に逢えばわかるが、廣木道心はそんなふうに感じさせるものを一切もっていない。

もう一つ、武道にありがちな無に至るとか、なんとかの境地に達するとか、そういう語り口も一切ない。ちゃんと聞いている相手を見て、相手の立場になって語る。メタ認知で語る武道家である。しかも自己相対化もストイックなまでにしている。とにかく彼のモチベーションは息子との親子関係、息子への愛情から出発しているから半端でない説得力をもっている。

武道家としてどうなのかわからない……。こう僕に言わせるのは、武道というもの自体に対する批判的視点を彼が持ちすぎているからである。そういう自己批判も徹底している。とにかく彼の提案の出発点は息子との十数年にこそある。

僕とつきあいのある方はわかると思うが、僕は他人のことをこまで褒めることが滅多にない。まずないと言ってもいい。今回が初めてと言っても過言ではない。廣木道心の介護思想とスキルは、それほどに僕を捕らえた。とにかく素晴らしい。

伝わるだろうか……。彼の思想やスキルが完璧だと言っているのではない。彼の提案が教育界に革命的な視野の広がりをもたらすだろうと言っているのである。わかってもらえるだろうか。

【追記】

ウィキが信頼できるか否かの問題はあるが、経歴としてこんな感じであるらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9C%A8%E9%81%93%E5%BF%83

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2月2日(土)

1.例によって昨夜も飲み過ぎて、具合が悪い。喉がからから。缶珈琲ってこんなにうまいもんだったのか……。

2.外に出ると、1泊目に飲み過ぎて、2泊目はほとんど飲む気がしない。同じ過ちを何度繰り返すのだろう。人には決まった行動パターン、というかはまり込んでしまう行動パターンがある。そこには成長のかけらもない(笑)。まあ、成長するだけが人生じゃない。大いなる停滞というのも必要なものだ。

3.『残夢整理-昭和の青春-』多田富雄・新潮文庫 なんて琴線に触れるタイトルだろう……。安っぽいとか駄洒落じゃないかと思う人もいるだろうが、「残夢整理」という本を遺作とした免疫学者……味わい深いものがある。多田富雄は学生時代からずーっと読み続けてきた。亡くなったのを知らなかった。

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2月1日(金)

1.体罰はともかくとして、怒鳴るのを一面的に批判するのはどうかと思う。僕はステージ発表のリハーサルの時、「これからリハーサルをします。割り当て時間は45分です。けっこう焦らなくてはなりません。堀先生は怒鳴るかも知れませんが、決して君たちがにくくて怒鳴るわけではありません。とにかく君たちもてきぱきと動いて、45分間で絶対に完成させましょう。じゃあ、いま、この瞬間からリハーサルモードに入るよ。」と言って、45分間でステージを完成させたことが何度もある。生徒たちの顔にはリハが終わったときにはやりきったという満足感さえ浮かんでいる。言い方の問題だと思う。

2.そもそもある指導が指導として機能しているかどうかという本質は、その指導で何があったかとか、何を言ったかということよりも、教師と生徒との間に積み重ねられてきたコンテクストにこそある。それを「信頼関係」とかいう陳腐な言葉で表現するから誤解を招く。この国はコンテクストで動いているんだ。

3.いつも報道を見たり読んだりして感じるのは、ハナから抽象論で善悪を特定した言い方がされることで、その場のコンテクストが理解できないことだ。抽象論だけで言えば体罰は論外だし、怒鳴ることも攻撃的な言葉もすべてダメになるに決まっている。言葉狩りだけをしても起こったことの本質は捉えられない。

4.授業を2時間。午後から年休を取って新千歳空港へ。空路、東京へ。今年初の東京紀行である。

5.編集者と打ち合わせ。打ち合わせという名のただの飲み会になってしまった感もあるが、かなりいろいろと企画の方向性について話をした。お互いに見えているものの違いを擦り合わせる作業は楽しいものだ。こういう時間がけっこう新たな発想を生み出す。でもちょっと飲み過ぎた。しかもちゃんぽん。

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