« 戸惑っている | トップページ | 業務連絡 »

本音を書く

さきほどの戸惑いを読み直してみて、言葉足らずだなあと感じたので、本音を書く。

実は僕はこの20年間、教育書業界は中学・高校教師をそうと気づかぬままに捨ててきたんだと思う。

小学校教師は中学・高校の教師と比べて教育書をよく買う。なぜなら日々の授業の中で授業を成立させるために教育書に載っている情報を必要としているからだ。ごくごく簡単に言えば、子どもたちを楽しませるネタと子どもたちに機能する方法とである。それがネタ本とHOW TO本が世にあふれる理由だ。

僕は小学校教師を批判したいのではない。小学校教師はすべての教科の授業を自分一人でやる。一度授業で使ったネタは学級が変わらない限り二度とできない。同じ授業をもう一度行うのは数年後である。しかも小学校教師は自分の専門ではない、得意ではない教科の授業もしなければならない。もっといえば苦手な教科の授業にも取り組まなければならない。だから、自分が苦手意識をもっている領域については、ネタとかHOW TOとかを欲するようになる。

これは人間の心象として必然である。ふだん教育書をほとんど読まない僕だって、美術の授業をやれと言われれば、普段の読書傾向とまったく異なった、美術教育の教育書を買うために本屋に駆け込むに違いない。

しかし、中学・高校教師は違う。みんな自分をその教科のプロパーだと思っている。それも教科の神髄はネタや方法ではなく、教科独自の教科内容だと思っている。そこから敷衍して、学級経営や生徒指導にも同じようなスタンスをもちやすくなる。

結果、中学・高校教師が他から学ぼうと考えるようになるには、まず「納得すること」、もっと言うなら「納得させられること」が前提となる。納得はネタやHOW TOでは得られない。理念であり、構造であり、自分の気づかなかった説得力ある現状分析が現れたとき、「ああ、そういうことだったのか」ということになる。

僕の本には、もちろん全員を納得させられるわけではないが、一定の人たちに納得を得られるような理念や構造や現状分析が書かれている。僕の本の読者にはおそらくこの20年間、教育書をほとんど買わなかった人たちが相当程度含まれているのだろうと思う。

実はこれに気づかせてくれたのは、先日熊本に行ったときに1年振りにお逢いした長崎県の中学校のある教頭先生である。酔っ払いながら僕の講座を褒めてくれ、「中学校教師ってのは納得しないと動きませんからねえ」とおっしゃたのを聴いて、僕は膝を打った。そうか、小学校と中学校のシステムの違いは、小学校教師と中学校教師のメンタレティの間にそうした差異をつくっていたのか、そう合点がいった。今日、『教師力アップ…』四刷の連絡を受けて、そんなことを想い出した。

この20年間、教育書業界は中学・高校教師をそうと気づかぬままに捨ててきたのだというのは、こういう意味である。小学校教師しか見向きもしない本しかつくらずに、中学・高校教師が本を買わないと愚痴をこぼす、そういう構造が各社にあったのではないかということである。偉そうなことを言って申し訳ないが、またどこまで当たっているのか自信もないが、僕はいま、こんなふうに感じている。

|

« 戸惑っている | トップページ | 業務連絡 »

書斎日記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 本音を書く:

« 戸惑っている | トップページ | 業務連絡 »