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大阪の体罰問題

大阪の体罰問題。まずは自殺した男子生徒の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

そのうえでこの問題。体罰問題はとは別に部活動の在り方が議論になれば良いなと思う。

授業中や生徒指導中の体罰と、部活動中での体罰では、一般に教員の意識が異なる。部活は自己実現のために行っている顧問が多い現実がある。それは部活動というものの半端な位置づけと決して無縁ではない。

僕は数年前に、遠征先で落雷に遭った生徒への刑事責任を教員に求める判決が出たのを機に、部活動顧問から手を引いた。そんな不可抗力の責任をとらされてまで、部活動の顧問なんかやってられるか、と思ったことによる。それまではバドミントン部の顧問だった。

多くの教員は部活動顧問をボランティアだと思っている。だから、怒鳴りつける指導も、体罰も、他の場面よりも起こりやすいという構造がある。その指導の在り方(体罰という意味ではない。その顧問なりの部活指導の在り方という意味)に保護者からクレームが出たときにも、教員が強く出る可能性が高い。オレは生徒のためを思って、時間と労力を割いてやっているんだ、という理屈である。この構造が部活動での体罰が他の場面よりも多くなる、という根本的な原因である。なにせ「顧問は偉い」と自己認識されているのだから。

しかし、部活動を公務に位置づけるなると、勤務時間終了の17時で活動をやめることを批判できなくなる。もちろん、17時でやめては活動時間が30分程度になってしまい、部活動として機能し得ない。時間外勤務を強いれば特殊勤務扱いにしなければならなくて、特殊勤務手当を出さなければならなくなる。要するに、金がかかる。金のないこの国では採り得ない方策だ。もしこの方策を採ったとしたら、とてつもない金額になる。おそらく、宅間守の事件の影響ですべての学校につけられたインターフォン、自動解錠システムにかかった金額の数百倍から数千倍の金額が毎月かかることになるだろう。

結果、部活動はやる気のある教員による、ボランティア活動的な意味合いを帯びる。それが顧問の一部(熱心な教員が多いというのも事実である)が、自己実現と部活動の指導(部活動の成果)を同一視して更に熱くなり、体罰が生まれやすくなる。そういう構造がある。

今回も、体罰の対象は、活動をさぼっていたというタイプの生徒ではない。キャプテンへの体罰である。おそらく顧問本人の意識としては、自分の方針を浸透させて部活を強くするための「善きこと」として意識されていたに違いない。その「部活のため」が客観的には「自分のため」であったとしてもである。

この問題を、授業中や生徒指導中の体罰と同様に扱って、形だけの解決を図っても、きっと問題は解決しない。ほとぼりが冷めた頃、また同じ問題が起こることになる。それだけは、教師としての実感から間違いなく言える。

ただし、偉そうに言っているが、私は事、部活動に関しては数年前から「外野」の立場に過ぎない。これだけはもう一度、内省を込めて付記しておく。

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