1.拙著『教師力ピラミッド 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』(明治図書)の重版が決まりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。しばらく品薄状態が続きますが、ご了承下さいませ。
http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/40-a07d.html
2.こんなにも早い重版の知らせに正直びっくりしている。この本は決して売れ筋の本ではない。だからこそ、編集者と出版社に迷惑をかけないようにと、レイアウトを工夫したりイクタケマコトにイラストをお願いしたりと、僕なりに考えてつくったのだった。それが功を奏したという見方もできるけれど、それよりは僕の気づいていない現象が起きていると見た方が当たっているような気がする。とにかく嬉しい知らせだった。
3.拙著『一斉授業10の原理・100の原則 授業力向上のための110のメソッド』(学事出版)の第三版が決まりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。
4.逆にこの本は正直、それなりに売れるだろうという予想がついていた。何せシリーズ本である。これまでの実績もあるし、題材が授業だからこれまで以上に広く読まれる可能性があると感じていた。ただ、シリーズ本であることを意識はしていたけれど、前著3冊とは少々趣を変えていることも確かである。僕の中には、これまでのように経験則を整理するというだけではなく、この20年に様々に提案された諸理論を僕なりに咀嚼してきた、またそれらを自分の授業に採り入れてきた、その総体をそれなりに提案性のあるようにパッケージ化することに主眼を置いて書いたつもりである。それが成功しているか否かは読者の判断に委ねるしかないのがこの世界の常道だが、僕にとっては愛着のある特別な本である。
5.教育の神髄は続けること。若いうちはあれもこれもと喰いついて良いけれど、「ああ、これだな」っていう手法をみつけたら、うまくいかなくても失敗しても苦しくても、取り敢えず続けてみること。少しずつ子どもたちにもその意味と効果が実感されるようになっていきます。残念ながら、その前に諦めてやめてしまうことが多いのが現実です。
6.教師は結果を出すことにもう少し貪欲になるべきです。結果を出すためには粛々とこなさなければならない現実的な現実が当然出てきます。現実を避けて結果が出ないと悩む自分に酔っている、或い自分は正しいはずなのに周りの理解が得られない愚痴る、教師の世界には独善や責任転嫁が多く見られるます。
7.私は、人は「自分に何ができるか」ではなく「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。できないことをやろうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも他人を傷つけることがあります。できないことに取り組み始めないことも重要なのです。
8.教室はハプニングの起こるところです。ハプニング性にこそ本質があります。教育技術や授業技術はハプニングを極力排除しようという提案でした。しかしそれは背理なのです。そんな発想一辺倒では教室は活力を失ってしまいます。そこでどうバランスをとるかが問われます。そこに教師の個性が表れます。
9.twitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。まとまり感には欠けますが、まずまず私の力量形成観を書けたのではないかなあと感じています。http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%9B%B4%E4%BC%9D-%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%8A%9B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E5%A0%80-%E8%A3%95%E5%97%A3/dp/4181346234/ref=pd_sim_b_5
10.仕事と実践は異なる。仕事は効率的に淡々とこなすものだ。積み重ねる価値をもつのは実践である。しかし実践を重ねる時間は、仕事を効率的にこなすことによってしか生み出し得ない。必然的に仕事を効率的にこなせない人間に実践は重ねられない。効率的な仕事なしに実践する者は周りに迷惑をかけている。
11.転勤した学校が変だと思うのはあたりまえです。それは前の学校に慣れていて新しい学校に慣れていない自分にバイアスがかかっているだけです。「この学校は変だ」と思うよりも「なぜ、この学校はこういうシステムを敷いているのだろう」と理解することが大切です。どんなシステムにも歴史性があります。
12.仕事は日程と時間を追ってするものである。今日の仕事はもちろん、明日の仕事や明後日の仕事をしていてはいけない。遅くとも10日後の仕事を、できれば20日後くらいの仕事をするのが良い。そうすれば、急な仕事が入ってきても対応できる。急な生徒指導にも対応できる。それが大人の仕事の仕方。
13.みんな一生懸命に生きている。教師も生徒も保護者も出入り業者も教材屋も編集者もツイッターのフォロワーもFACEBOOKの「友達」も、みーんな一生懸命に生きている。そんなことを感じたとき、一生懸命に生きていない僕はなんとなく申し訳ない気持ちになる。それでも一生懸命には生きられない。
14.仕事のできる人には気性の激しい人が多いように思う。しかし、仕事のできない人にも気性の激しい人は少なくない。そうなると、一見仕事のできるできないと気性の激しさには関係がないようにも思える。しかしそうではない。気性の激しい人がしたたかさを身につけると猛烈な仕事をするのだ。
15.先人いわく。忘れていいこと、忘れてはいけないこと、そして忘れなければいけないこと、経験は三つでできている。含蓄のある言葉だ。
16.今日の授業を今日の授業の成功を目指して考えるのと、今日の授業を3ヶ月後にここに到達させたいから今日の失敗にも意味があると考えるのとでは、今日の授業の位置づけも評価もまったく変わってしまいます。ただし、その判断が自らの逃避の心情から発していないか否かを点検することだけは必要です。
17.子どもたちに応える在り方を教えられるのは、自ら応え続ける教師だけです。決して答えてはなりません。応えるのです。子どもたちの期待に応え、希いに応え、祈りに応える。これなくして応えるその在り方を学ばせることはできません。応えずに答えてしまうと教わる側は待てなくなってしまいます。
18.一斉授業がちゃんとできる人じゃないと、協同学習とかファシリテーションも機能させられない、そういう認識をぼくはもっています。一斉授業をただ否定して協同やファシリをやっている人の授業と、一斉授業を追究し続けてきた後に協同やファシリに到達した人の授業とには、天と地ほどの違いがあります。
19.すべての授業行為には意図があります。なぜこの発問なのか。なぜこのレベルの説明がなされたのか。なぜここであくまでこの指示なのか。すべて理由があります。逆に言えば、理由のない、或いは授業者がその理由を語れない授業行為ならば、それは授業者が自らの授業行為に無自覚だということです。
20.無自覚な授業行為が偶然成功したとしても、その授業行為は授業者の力量形成にはつながりません。再び「偶然の当たり」が出るまで待つしかないからです。そんな山師的な授業をしていてはいけません。しかし学校現場には、山師的な指導言、山師的な学習活動、その日暮らし学級経営がはびこっています。
21.この国の教育はいつの間にかネガティヴリストによる運営からポジティヴリストによる運営に替わりました。前者は「やってはいけないこと」だけを禁止する運営、後者は「やった方がいいこと」をすべて求める運営。前者は自由があり、後者は多忙観だけを増幅させます。しかし、もう戻ることはありません。
22.文科省からは教育を取り巻く様々な言葉について定義が示されますが、定義が示されたら一度よく考えてみることが必要です。その場合には、定義で用いられている言葉の対義語、或いは対置される言葉を意図的に想定してみると、現場感覚とその定義との間にある齟齬を顕在化させることができます。
23.中学3年の時だったと思う。この曲を聴いて「音楽ってすごいなあ」と感じた。歌詞はこんなにも陳腐なのに、このメロディがついて、このアレンジで八神純子が歌うとものすごい名曲になってしまう。こう語る女性が目の前に浮かんで来る。僕はだれがなんと言おうとこの曲が大好きだ。http://www.youtube.com/watch?v=-Pfk2BJiu8E
24.【拡散希望/いよいよ5日後/残席3】第2回教室実践力セミナーin東京・ALL堀裕嗣/2013年2月3日(日)/新宿大智学園/定員30/若い教師のための学級開き・90日間システム/若い教師のための授業づくりのステップ
http://kokucheese.com/event/index/67997/
25.今夜、僕のつくった炒飯が初めて妻に褒められた。味も卵のぱらぱら感もちょうど良いそうだ。11年かかった。苦節11年。小林幸子並みだ。しかし、問題はなぜ今日の炒飯が成功したのか、僕自身にわかっていないことだ。僕にはもう二度と今日の炒飯をつくることはできない。僕には「生きる力」がない。
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