内田樹を読み終わって河合隼雄を読み始めた。一冊を読み終えたら間髪を入れずに次を読み始めるのが私の知的生産のコツである。多くの人は一冊を読み終えるとその余韻に浸り、あれやこれやと考えることを常としているが、それは自分の思考回路を著者に預けることを意味しているのであって、決して自分自身の中に某かを産み出すという機能を果たし得ない。ましてや著者以上の発想に達することなど永遠にない。
その点、内田樹を読み終えた直後に河合隼雄を読み出すことは、自分自身の中に某かを産み出そうとするのに都合が良い。これは内田樹に影響された頭で河合隼雄を読むことを意味しているからだ。少なくとも人はそうした数十分から1時間程度を経験するはずである。そこから自分の中に自発的に湧き上がってきたものを分析するとき、人は内田樹も河合隼雄も触媒に過ぎなかったことに気づき、自分の深いところにある自分なりの「必然」に自覚的にならざるを得ない。
別に知的生産などしたくない、興味もないという方に無理にお勧めはしないけれど、マスコミの語法に掠め取られてどこかで聞いたことのあるようなステレオタイプに陥りたくないという「個性幻想」が、少しでも自分の中に存在すると感じている人ならばそれなりに実践する価値があると思う。慣れてくると自分自身への発見が次々に姿を現すことに喜びを感じるようになる。思いの外楽しい。
このことは実は書くことにも言える。某かの発見をしたとき、人はそれを表現したいと思う。しかし、発見の瞬間というものは往々にして何かをしている最中(さなか)であるから、その発見をすぐに書き留めるということになかなかならない。発見の興奮に包まれたまま読書を続けたり、これだけの発見だから忘れるはずがないと確信して他人との会話を続けたり、或いは早く終わらないかと念じながら雑事をこなし続けたりする。
そのまま一日経ち二日経ちしているうちに発見の興奮は醒めてしまい、いつしかそんな発見があったことさえ忘却される。ときに、そのときの身体感覚が不意に目覚め、ああ、あのときの発見は何だったろうと思い返すことがあるが、それは昨夜の夢と同じで決して取り戻すことができない。
私は発見の瞬間に必ずメモするようにしている。それも箇条書きや図解などでなく、過不足のない三文程度でである。ここで言う「過不足のない」は、今夜このメモを見直した自分を必ずいまの興奮状態に連れて行くことができる程度……それが基準である。いわば、発見の喜びの絶頂にいるとき、私は今夜の自分に三文の手紙を書いている。自らが自らに認めた手紙を書くとき、私の経験上、数時間後の自分がその手紙を受け取らないということはまずあり得ない。
発見は同じ日のうちに書き綴ってしまうのが良い。発見の触媒たちがまだ自分の身体に宿っているうちに書くことができる。触媒はただの触媒ではない。必ず我が身に取り憑いている。しかし、いつまでも取り憑いてくれているわけではない。これまた二、三日経てば何事もなかったかのように去って行く。そういうものである。
私はカミュを読むとき、自らが確信するに足る基準に従って生きることができる。ドストエフスキーを読むときは世界を踏みつけてでも守るべき実存を探す。村上春樹を読めば、社会に距離を置きながら眼前の問題を通り過ぎる主体と化し、かつての女の子を思い浮かべる。しかし、重要なのはカミュやドストエフスキーや村上春樹が自分に取り憑いているとき、そこで綴った文章にも必ず彼らが乗り移っているということである。それは彼らとまったく関係のない、例えば教育実践論を綴っているときでさえ例外ではない。その自覚が私にはなんとも心地よい。
今日、私の目に河合隼雄の「神聖化された母性」という小見出しが飛び込んできた。最近の若者は個性を尊重するから、観念的な母親像をもつ若い女性たちは、うっかり母親になどなってしまうと個性を断念しなければならないと考えているのではないか。或いは、母親の固定観念が強すぎて、子を産んでもあれが足りないこれが足りないと自責の念に苛まれ、二人目の子をつくるのに躊躇しているのではないか。それが少子化の要因であり、こうした現象をつくっているのが「神聖化された母性」なのではないか。こういう論旨である。
実はこの本には「狩りの宗教感情」とか「後悔のケア」とか「喪に服す小学生」とか「脳死患者との心の交流」とか、普段の私なら興味を抱きそうなタームがたくさんあった。「神聖化された母性」はおそらく普段の私にとってそれほど魅力的な小見出しではない。優先順位は低い。おそらく普段の私なら目を留めないであろうこの小見出しを私の目に飛び込ませたものこそが私の中の内田樹、即ち内田樹の私にとっての触媒性とも言うべきものである。
「神聖化された母性」はまず、私を言葉遊びに誘う。神聖化された父性、神聖化された家族性、神聖化された子ども像……。続いて「神聖化された」に次々に教育用語をつけてみる。神聖化された科学、神聖化された教養は戦後教育の負の側面を考える地平へと私を連れて行く。神聖化された意欲は新学力観からゆとり教育の時代を、神聖化された学力は昭和30年代、50年代、そして現在のひずみを想起させた。神聖化された教育運動の代表、神聖化されたある教育手法、神聖化された浅原彰晃……。神聖化された「つながり」、神聖化されたチーム力、神聖化された共同体、神聖化された西洋思想……、発想は次々に広がっていく。この辺りでやめておくが、最終的には「神聖化に至る病」という語が浮かんだ。これは検討するに値する、と。もう、私の手帳はメモだらけである。
神聖化された教育……。当然のようにこのフレーズが浮かぶ。ここ数日の間、私をとらえて離さない問題意識はこれだったのだと合点がいく。大阪の体罰問題や埼玉の駆け込み退職を出発点に私が考え始めた、この国に巣くう教育を議論するときの病理、それこそが神聖化された教育だったのである。「神聖化された教育」という言葉を受けて、私の頭は教育論議を形而下に引き下ろすことを思考し始める。できることなら形而下の更に下の下まで引き摺り下ろすことまで夢想し始める。
あれこれ考えているうちに、教育を教育と呼んでいるから見えなくなっていることがあるのではないかという発想に至った。“教育”なんてことばを使っているから、何か高尚なことを論じている気になり、次第に神聖化してしまうのである。その議論も、政策も、当事者を困惑させる方向ばかりに進んでいく。当事者とは教員ばかりではない。子どもも、保護者も、ここ十年ほどの教育改革に困惑させられてばかりではなかったか。そしてその困惑が新たな世論の動勢をつくり、教委を、行政を、政治をさえもまた困惑させる。一億総出でミイラ取りの因縁に躓き、蟻地獄に陥る。こういうのを21世紀になって負のスパイラルと呼ぶようになった。
“教育”という語を使わずに教育を論ずる。しかもできるだけ神聖化しない言葉で語る。そう考えたとき、私の頭の中に「子どもをいっちょまえにする」というフレーズが浮かんだ。そうだ。国も教師も保護者も、子どもを一人前にしようとしているのではないか。ただそれだけを求めているのではあるまいか。一人前になるには、様々な環境に晒されて右往左往し、その経験を通して自分なりの知恵を身につけていく以外にない。それだけである。誰もがみなこのことを経験的に知っている。
子どもを一人前にするには「うるせえ!自分で稼げもしねえくせにイッチョマエの口きいてんじゃねえ!」という叱責が必要だし、「いいかい?それはこういう場合もあるし、こういう場合もあるんだよ」という場合分けの理路を語ることも必要となる。時に冷たく突き放すことが必要になることを誰もが熟知しているし、ただ黙って「お前を愛している」と包み込むことだけが必要なときもある。ちょっとしたいたずらが思わぬ重大な結果を招いてしまうことが大きな人生勉強になることを誰もが経験し、子どもが子どもなりの世界をつくるためにいたずらが不可欠であることも知らぬ人はいない。
いっちょ、このガキを一人前にしてやるか。ここは一つ、このクソガキに人生ってもんを教えてやろうじゃないか。その程度の理屈でやり込められ、励まされ、一人前になっていった無数の子どもたちの歴史がこの国にもあったはずである。そしていつしか、自分でも気づかないうちに上からやり込められることも励まされることもなくなっていき、子どもは自分が一人前扱いされるようになったことに気づいていく。それは鼻が高くもあるけれど、どこか寂しく感じるものでもあり、それでももう後戻りできないという不可逆を受け入れざるを得ない。教育とは本来、その程度のものなのではないか。
子どもの周りにいる大人たちにとって必要なのは、その場その時に応じた臨機応変の判断だけなのである。そのときそのときに臨機応変に判断しながら自分に接してくる大人たちを見て、しかも一つの事柄に対して判断を違(たが)える多様な大人たちに接することによって、子どもは生きる知恵を学んでいく。臨機応変に動いている多様な大人たちが周りにいること、本来、そのことだけが子どもたちにとって必要なことなのかもしれない。臨機応変が命なのではないか。一律に決めようとするから話がややこしくなるのではないか。
ここまで考えたところで、たった一つの空き時間が終わってしまった。私は入試対策問題をもって3年6組の教室に向かった。近い将来、なんとなく「元気が出る教育論」が書けるかもしれない……という予感がしていた。
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