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2012年11月

法則化後

最近、私と同世代の教師が書く教育書がずいぶんと売れているようです。赤坂真二、池田修、石川晋、岩瀬直樹、菊池省三、佐藤幸司、俵原正仁、土作彰、中村健一、桃崎剛寿、山田洋一、渡邉尚久……私はこの現象を見ながら「ああ、やっと法則化後がやってきたのだな」と感じています。

これら四十代から五十歳前後の実践家たちはみな、「教育技術の法則化運動」に本格的に参加することのなかった人たちです。言ってみれば、「遅れてきた世代」です。まったく見向きもしなかった人から少しは囓った人まで様々ではありますが、私も含めて、みな、少なくとも本気で「法則化」の看板を担ぐことはなかった人たちなのです。そういう人たちがスタンスは様々であるにせよ、自分の立ち位置から有益な提案をする時代になった、しかもそれが広く受け入れられるようになってきた、そういう実感があります。

それと同時に、私たちよりもひと世代上ながら「法則化運動」を担ぐことのなかった糸井登、多賀一郎、野中信行、横藤雅人といった人たちもそれぞれが独自の提案を進めています。更には、飯村友和、大前暁政、金大竜、長瀬拓也、藤原友和といった若手教師が台頭し始めています。西川純の『学び合い』も運動体として急激な広がりを見せています。実は私のまわり、つまり北海道にも、まだ名前こそ売れていませんが間違いなく今後全国的な提案を始めるであろう人材がたくさんいます。再び、民間教育がおもしろい時代を迎え始めているのだなと実感します。

私はよく、「発展途上人にこそ学ばなければならない」と言います。80年代後半から90年代前半がそうであったように、発展途上人が提案し合う時代はその世界が活性化している証拠です。こうした渦の中で、私もまたその渦中の一人として提案できることに喜びを感じています。

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11月24日(土)

1.【拡散希望/残席1】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22・土/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一
http://kokucheese.com/event/index/58534/

2.【拡散希望/残席39】第24回明日の教室東京分校/2012.12.23(日)/TKP東京駅丸の内会議室/3000円/講師:堀裕嗣/若い教師のための学級経営10の原理100の原則・これだけは押さえたい国語指導10の原理100の原則
http://kokucheese.com/event/index/62863/

3.それにしても、「明日の教室」という媒体はすごいものだなあ。告知から5日で26人の申し込みなんて信じられない。こくちーずでの申し込み形態が定着しているということなんだろうなあ。

4.犬をトリミングにあずけてきた。キレイになって、良いにおいになって帰ってくるのがいつも楽しみだ。バブルバスってどんなお風呂なんだろう……といつも思う。

5.いま考えると、「明日の教室」全5巻(ぎょうせい)で非TOSSを結集させて、ゆるやかな親和性をつくった池田修・糸井登両氏は良い仕事をしましたねえ。でも、基本的にはバラバラだけどね(笑)。

6.【拡散希望/残席29】第24回明日の教室東京分校/2012.12.23(日)/TKP東京駅丸の内会議室/3000円/講師:堀裕嗣/若い教師のための学級経営10の原理100の原則・これだけは押さえたい国語指導10の原理100の原則
http://kokucheese.com/event/index/62863/

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スクールカーストの視点から子ども社会のリーダーを考える

1 教師の矜持・生徒の矜持

諏訪哲二の新著『生徒たちには言えないこと~教師の矜持とは何か?』(1)を読んだ。久し振りに諏訪節を堪能した思いがした。諏訪哲二といえば、埼玉教育塾(所謂「プロ教師の会」)の代表であり、90年代から2000年前後にかけて河上亮一とともに、「生徒の変容」とそこから見える「社会の変容」を見据え、学校教育において教師がどのように生徒たちに対すべきかを現場教師の実感によって提案してきた論客である。私は1966年生まれであるが、私たちの世代は彼等の論述に随分と刺激を受けてきたものである。

しかし、私は今回の著作を読み通して、諏訪の論述が古いという思いを禁じ得なかった。副題ともなっている「教師の矜持」、つまり教師が本来矛盾した要求の中でアクロバティックな位置で動かなければならない構造があるという点に対してではない。私が古いとの思いを抱かざるを得なかったのは生徒たちの分析であり、生徒たちと学校との対峙の構造であり、総じて学校教育が置かれている立ち位置についての現状認識である。諏訪は2001年に退職している。この十年の生徒たちの変容を実感として見据える位置にない。一時代を築き、私たちがある種の憧憬の念さえ抱いた諏訪哲二という教師の類い希なる頭脳が、運命(さだめ)とはいえ、いまや過去のものになろうとしていることに愛惜の念を禁じ得ない。

諏訪は80年代に入って、生徒たちに学校文化が通用しなくなったと述べる。市場の論理が生徒に自分は一人前の主体であると認識させ、教師の権威性を子どもたちの内部で否定させるとともに、教師と生徒の関係を五分と五分と捉えさせるようになった、と。ここまでは従来からの諏訪の論理である。おそらくここまでは間違ってはいない。私は諏訪の言う80年代の生徒であったが、私たちの世代の実感と照らしても齟齬はない。

しかし、諏訪の問題は、諏訪が世に出て二十年間、生徒たちに対する分析がこの80年代的生徒のまま一歩も進んでいないところにある。80年代の生徒たちは確かに当時の教師たちを驚愕させるに足る変化を示しただろう。しかし、90年代から00年代にかけては、80年代を凌駕する変化を生徒たちが示したというのが私の実感である。そしてそこには、諏訪の言うような市場の論理が生徒たちを主体としたというだけでは説明しきれない時代背景がある。

市場の論理が生徒たちに「自分は一人前の主体である」と認識させた。それが教師の権威性を失わせ、学校文化を崩壊させた。諏訪に限らず、教師の側に視点を置く論者の多くは、学校文化の崩壊をこのベクトルで構図化する。しかし、ひとたび生徒たちの側に視点を据えるならば、別の世界が見えては来ないか。「お前は一人前の主体である」と突きつけられた生徒たちは、教師の権威性を認めず学校文化に従わなくても良くなったかわりに、「一人前の主体なのだから、うまくいかないことはすべてお前の責任だ」と言い渡されていたのである。

諏訪哲二は教師が生徒たちに「ほんとうのこと」ではなく「建前」を教えよと言う。本来、子どもが大人へと成長する過程においては、個人個人の「真実」よりも万人に通ずる「建前」が教えられることこそが大切な時期があるのだ、と。それが80年代的な「生徒の変容」によって成り立たなくなった、と。しかし、生徒たちが学校文化において教師の「建前」を受け入れなくなったことは、生徒たちの生きる社会が「建前」で動かなくなったことを意味しない。市場の論理は「努力した者が報われる」「学生時代にオール1でも、やる気が出たら頑張れる」「みんな仲良くつながるべき」といった「建前」のとおりに成功した者を崇め続けてきたのである。

90年代、「自分探し」という概念が流行した。その概念はバブル崩壊、就職難とともに「フリーター」の増大へ、更には00年代に「ニート」論へと展開されていった。「癒やし」という概念も流行した。「ひきこもり」という概念も流行した。00年代に入ってからは、「バトルロワイヤル」「デス・ノート」「リアル鬼ごっこ」といったバトル系の流行もあった。その一方では、向上を目指さなくなった若者たちの登場、所謂「下流志向」も話題となった。一見ばらばらに見えるこれらの流行概念は、私の言う「一人前の主体なのだから、うまくいかないことはすべてお前の責任だ」と言い渡された若者という補助線を引けば、一つの図としての姿を表す。

諏訪哲二は言う。

「よくポストモダンになって近代の大きな物語が消失したと語られる。一人ひとりの思ったり考えたりすることを社会的に統合する大きな幻想が消失したというのである。そうなると、みんなが小さな物語をそれぞれ持つようになったと考えられ易いが、実はそれぞれの思うこと、考えることが、大きな物語と見なされるようになったのである。」(69頁)

様々に主張し消費する主体の意識としてはこの分析は正しいかもしれない。しかし、主体の裏側、主張し消費しない部分において、生徒たち、若者たちの間では「一人前の主体なのだから、うまくいかないことはすべてお前の責任だ」という圧力こそが大きな物語として機能していたのではなかったか。そしておそらく、この大きな物語は若者たちばかりでなく、大人をも無意識のうちに包括していたのである。しかし、本稿の主眼はそこにないのでこれ以上は触れないこととする。

なぜ、他ならぬ「自分」を探さねばならないのか。それは失敗したら自分のせいなのだから、失敗しない在り方を探さねばならないという強迫観念故だろう。そのためには普通に就職して「組織と個」の軋轢の中に身を置くよりも、「フリーター」や責任を持たされることのない「派遣社員」として自らを「失敗しない位置」に置くのが望ましいと考えるのは道理である。そうした柔軟性を持たぬ者が「ひきこもり」と呼ばれる生き方を選ばざるを得ない。その中の一部は「ニート」などという本人が全く望まない称号を与えられる。

21世紀に入ると景気回復幻想も消え、闘って勝利した者だけが生き残れるという機運が生まれる。00年代になると同時に教室であちらこちらで『バトルロワイヤル』を読む生徒たちの姿を見かけたが、その多くは男子生徒であった。しかし、00年代中庸には、教師から見れば真面目でおとなしいと思われる女子生徒までが、朝読書で「リアル鬼ごっこ」を食い入るように読むまでになっていた(2)。これはちょうど、ヤンキー予備軍と目される女子生徒たちがケータイ小説の恋愛格闘に夢中になっていた時期と重なる(3)。当然、世の中が勝利者たれと闘いの機運に包まれれば、そこから「降りる者」も現れる。上昇志向を持たない若者、所謂「下流志向」(4)が話題となるのも時代的必然であったのだ。

90年代から00年代にかけて、一貫して衰えないのが「癒やし」の流行である。老若男女に拘わらず求める「癒やし」という名の自己逃避は、私には自己責任意識から一瞬でも逃れたいという叫びのように思える。スポーツイベントでの集団的熱狂やネットでの炎上など、名も無き者たちの集団による「カーニヴァル」(5)にも同様の構図が見て取れる。

私は諏訪に言いたい。学校教育において確かに生徒たちに「建前」は通じなくなった。しかし、生徒たちはかつての生徒たち以上に「建前」に搾取され、陵辱され、精神を掠め取られているのだと。事は学校教育を守る方向で考えれば良いほど単純ではないのだと。

ただし、諏訪哲二の言うような生徒たちも、現在、いないわけではない。既に対教師の暴言・暴力を伴うような二次障害が表れている支援を要する子が、諏訪の言う論理を展開しながら、教師に五分の闘いを挑んでくることがある。私はそのような後先を考えない、わかりやす​い昭和的論理が愛おしいと思うことがある。

2 スクールカーストとリーダー不在

「スクールカースト」は別名「学級内ステイタス」とも呼ばれ、生徒たちが「コミュニケーション力」(自己主張力・共感力・同調力の総合力)の高低を基準として互いに無意識の階級闘争を強いられているとする概念である(6)。既に本誌においても二度、「スクールカースト」を紹介しているので、ここで詳しくは触れない。

学級リーダー・学校リーダーには①自己主張力を発揮しての企画力、②共感力を発揮しての人間関係調整力、③同調力を発揮してのエンターテインメント性の三つをすべて兼ね備えていなければならない……一般生徒たちからはそういう視線が向けられる。学級・学校リーダーは、少なくともそうした〈振る舞い〉が求められる。ほんの少しの失敗も、「スクールカースト」を大幅に下降させる要因となり得る。企画がうまくいかなかった、個人的な事情で企画会議に出席できなかった、些細なことで級友に腹を立ててしまった、学級の多様な意見を調整できなかった、企画したイベントが笑えないとの評判を受けた……などなど、これらすべてが「スクールカースト」を下げる大きな危険性を伴う。しかも、大失敗(と周りが思うようなこと)をすれば、カーストは奈落近くまで落ちる可能性さえある。非常にリスクの高い仕事なのである。

しかも、リーダーとなったということ自体に「自己責任である」とする断罪の眼差しが向けられる。もともと学級・学校リーダーになるような生徒たちは、カーストの高い位置にある生徒が多い。わざわざ公的な場に出て私的関係で築いたカーストを下げる危険性を引き受ける必要などない、多くの生徒たちはそう考える。

よく合唱コンクールの指揮者やパートリーダーが、練習の最中(さなか)に不登校傾向を示すことがある。学校祭や修学旅行と異なり、合唱コンクールは多くの生徒が楽しみにするというタイプの行事ではない。学級の中には少なからぬ合唱を不得意とする生徒たちがいるからだ。得意とする者と不得意とする者、一生懸命取り組みたい者とそうでない者との間で、最も軋轢を生じやすいのがこの行事なのである。しかも諏訪の指摘のごとく、生徒たち一人ひとりは得意とするのも主体、得意としないのも主体である。一生懸命取り組むか否かを判断するのも主体である。とすれば、教師でさえ不可能性を覚えるそれらの調整に対して、いかにカーストが高いからといって生徒がその役割を担うのは容易ではない。しかも周りからは常に、「一人前の主体なのだから、うまくいかないことはすべてお前の責任だ」という無意識の眼差しが向けられるのである。

おそらくリーダーの不在にはこうした構造がある。

【注】

(1)諏訪哲二・中公新書ラクレ
(2)『ゼロ年代の想像力』宇野常寛・早川書房・2008
(3)『ケータイ小説的。』速水健朗・原書房・2008
(4)『下流志向』内田樹・講談社・2007
(5)『カーニヴァル化する社会』鈴木謙介・講談社・2005
(6)『いじめの構造』森口朗・新潮社・2007/『生徒指導10の原理・100の原則』堀裕嗣・学事出版・2011

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11月23日(金)

1.実はこの10日間の4日間の講座。どれもすべて、一切の準備なしで臨んだ講座だった。過去に話したことのある内容ばかりで既にパワポがあったということもあるのだが、準備をしていないから、話の内容はあっちに行ったりこっちに行ったり。それがある種の臨場感を出す。そういうものなのだ。講座は準備をし過ぎると失敗する。その場で参加者の表情を見ながら話すのがいい。授業といっしょだ。

2.真面目な人ほど準備をし過ぎてしまいます。準備をし過ぎると、準備したとおりに進めたくなり、仕事が単線化していきます。その単線から逸れることが許せなくなります。その仕事の別の可能性を排除してしまいます。結果、失敗とはいえないが成功ともいえない、どこか潤いのない仕事になってしまいます。

3.力量がないのに準備しないのは愚の骨頂です。ある程度の力量がついてくると、準備しすぎることがかえって仕事の停滞をもたらします。準備万端で臨むことと意識的に準備を怠ることと、そのせめぎ合いを意識し出す時期が、準備万端の時期の後にやってきます。人が自分の味を醸し始めるのはその時期です。

4.生活の中心というか生活の核というか。一日の核が子供たちに何かを教えることである日と、文章を綴ることである日と、活字を読むことである日と、映像を見ることである日と、人に会うことである日と、五種類がある。平日か休日かなんてことは関係ない。今日は活字を読むことが一日の核になりそう。

5.組織にとって益になる人のことを「人材」と呼びます。益にも害にもならない、ただいるだけの人のことを「人在」と呼びます。害にしかならない人のことを「人罪」と呼びます。組織にとってではなく、社会にとって、或いは世間にとって、その存在自体が有益な人のことを「人物」と呼びます。

6.すべての授業行為には意図があります。なぜその発問が選ばれたのか。なぜこのレベルの説明がなされたのか。なぜここであくまでこの指示なのか。すべて理由があります。逆に言えば理由のない、或いは授業者がその理由を語れない授業行為ならば、それは授業者が自らの授業行為に無自覚だということです。

7.教師力として大切なことは、人を指ささないことです。これは自分に対して指ささないことをも含んでいます。

8.国語科の授業づくりは、どれだけ地上戦を展開しながら上位の視点をもたせるか、空中戦を展開しながらいかに地上との連絡を維持させるか、そこに意識を集中すればいい。理屈としてはこういうことです。地上戦とは教材本文を細かく検討すること、空中戦とは児童生徒の経験則を汲み取ることです。

9.いま、明治図書のサイトを見ると、僕の『教師力アップ 成功の極意』がランキングで1位を獲得している。これは明治図書の書籍の中でこの1ヶ月で最も売れたことを意味する。この本は売れないと思っていたので不思議な気分だ。じわりと口コミで広がることはあっても、スタートダッシュする本じゃない。

10.【拡散希望】第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/2012.12.08・土/札幌市白石区民センター1F多目的室/3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/テーマ:一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッド
http://kokucheese.com/event/index/58440/

11.【拡散希望/残席2】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22・土/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一
http://kokucheese.com/event/index/58534/

12.【拡散希望/残席46】第24回明日の教室東京分校/2012.12.23(日)/TKP東京駅丸の内会議室/3000円/講師:堀裕嗣/若い教師のための学級経営10の原理100の原則・これだけは押さえたい国語指導10の原理100の原則
http://kokucheese.com/event/index/62863/

13.山田洋一くんから丁寧な御礼メールが届く。一昨日の校内研修会講師の御礼である。ある程度ご満足いただけたようで何よりだ。でも、あれだけ意欲の高い集団だったら、だれが行っても良質な学びを得られるだろうと思う。そういう職員室の雰囲気があった。管理職から若手まで謙虚な姿勢に貫かれていた。

14.それにしても国語科授業の講座は楽しい。1時間半があっという間だった。

15.【拡散希望/残席1です】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22・土/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一http://kokucheese.com/event/index/58534/

16.結論ってのは選ぶものなんだ。探すものじゃない。結論を探すから迷って迷って迷子になっちゃうんだ。選ぶときにも迷うって思うかもしれないけれど、それは判断するために迷っているのであって、いくら迷っても迷子になることはない。もう一度言うよ。結論ってのは選ぶものなんだ。探すものじゃない。

17.大切なものがずいぶんと前に失われていたことに気づくことがある。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまっていたことに気づくこともある。そんな失われてしまっていたり去ってしまっていたりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気がつき、唖然とすることがある。

18.一つ失うごとに実感するというのに、失ってみないと気づけない幸せには、やはり失ってみないと気づけない。これを繰り返しながら、人間は少しずつ少しずつ優しくなり謙虚になっていく。しかし、少しくらい優しく謙虚になっても、失ってみないと気づけない幸せにはやはり失ってみないと気づけないのだ。

19.来春の「10原理・100原則シリーズ」は企画を流すことにした。担当編集者がおめでたでピンチヒッターの編集者がついたのだが、企画の摺り合わせがうまくいかなかった。僕はレイアウトや装丁については編集者に任せるが、プロットや文章は絶対にいじらせないライターである。そこに軋轢が生じた。まあ、残念と言えば残念だが、仕方がないだろう。人生、こういうこともある。納得できない本は何と言われようと絶対に書かない。それが僕の在り方である。本づくりにおいては、いっしょに仕事をする人はだれとでもというわけにはいかない。

20.こちらは常に、少なくとも10年以上はじっくりと検討したことを書いている。それをちょっと原稿を読んだ程度の思いつきの印象で変えさせようなどというのは断じて受け入れられない。1箇所変えれば数十箇所変えなければならないところが出てくる。そこまで読み込んでからもの申せ。そんな感じかな。

21.それにしても、編集者は書いている側の意識が商品として書いているわけではないということに、もう少し気を使うべきだと思う。

22.さて。これで僕の春本は1冊もなくなった。年末年始は春に間に合わせる本ではなく、じっくりと書き上げるタイプの本に集中しよう。取り敢えず、長年の懸案事項になっている国語本だな。これは完成させれば大きな提案になる。その確信がある。商業的にも間違いなく成功する。それがわかっている。でも、いかんせん執筆する時間がなかった。じっくり考えて書かなければならないだけに、まとまった時間が必要なのだ。来年の夏を目指してこの本に集中しよう

23.それにしても今日はゆっくりと休んだ。テレビ見て、昼寝して、またテレビ見て、昼寝して。こういう一日は貴重だ。明日は犬の病院とトリミング、そしてタイヤ交換だな。きっとそれで一日が終わる。原稿がなくなるとこういう人間的な生活ができるということつに改めて気づかされる。

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第24回明日の教室・東京分校

第24回 明日の教室東京分校

日 時:平成24年 12月 23日(日) 13:30~17:00

会 場:TKP東京駅丸の内会議室

講 師:堀 裕嗣先生(札幌市立中学校教諭)

テーマ:若い教師のための学級経営10の原則100の原理
    これだけは押さえたい国語指導10の原則100の原理

 お待たせしました。いよいよ北海道の堀先生のご登壇です。前後半に分けて、学級経営と国語指導についてお話しいただく予定です。お楽しみに!

※今回は都合により会場が変更になっております。ご注意ください。

講師紹介

堀 裕嗣先生/ほり・ひろつぐ
北海道札幌市中学校教員/「研究集団ことのは」代表/「教室ファシリテーション研究会」主宰
主著:『一斉授業10の原理・100の原則』『学級経営10の原理・100の原則』『生徒指導10の原理・100の原則』『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』『『中学校・学級活動ワークシート』(以上学事出版)『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治図書)など単著・編著多数。

お申し込みはこちら

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第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知

第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知

【日時】
2012年12月22日(土)

【場所】
刈谷市総合文化センター402研修室
〒448-0858
愛知県刈谷市若松町2丁目104番地
JR東海道本線刈谷駅・名鉄三河線刈谷駅
→南口より徒歩3分

【講師】
堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)
山田洋一(やまだよういち)


【日程】

09:10~09:25 受付
09:25~09:30 開会セレモニー

09:30~10:15 講座1/山田洋一
どの子もクラスが好きになる「発問・指示・説明を超える対話術」

10:15~11:00 講座2/堀裕嗣
クラスがつながる!「教師突ファシリテーション導入のステップ」

11:15~12:15 講座3/山田洋一
発問・指示・説明を超える「説明のルール」

13:15~14:15 講座4/堀裕嗣
生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド

14:30~15:30 講座5/山田洋一
発問・指示・説明を超える技術「教師タイプ別上達法」

15:45~16:45 講座6/堀裕嗣
一斉授業10の原理・100の原則~授業力向上のための110のメソッド


【講師紹介】

山田洋一/やまだ・よういち
北海道北広島市小学校教員/「北の教育文化フェスティバル」主宰
主著:『発問・指示・説明を超える対話術』『発問・指示・説明を超える技術 タイプ別上達法』『発問・指示・説明を超える 説明のルール』(以上さくら社)『教師に元気を送る56の言葉』(黎明書房)

堀裕嗣/ほり・ひろつぐ
北海道札幌市中学校教員/「研究集団ことのは」代表/「教室ファシリテーション研究会」主宰
主著:『一斉授業10の原理・100の原則』『学級経営10の原理・100の原則』『生徒指導10の原理・100の原則』『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』『『中学校・学級活動ワークシート』(以上学事出版)『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治図書)など単著・編著多数。

お申し込みはこちら

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11月22日(木)

1.【拡散希望】第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/2012.12.08・土/札幌市白石区民センター1F多目的室/3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/テーマ:一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッドhttp://kokucheese.com/event/index/58440/

2.【拡散希望/残席2】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22・土/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一http://kokucheese.com/event/index/58534/

3.【拡散希望/残席49】第24回明日の教室東京分校/2012.12.23(日)/TKP東京駅丸の内会議室/3000円/講師:堀裕嗣/若い教師のための学級経営10の原理100の原則・これだけは押さえたい国語指導10の原理100の原則http://kokucheese.com/event/index/62863/

4.今日は2学期の仮評定を出さなければならない日。月曜日にテストを返却し、火曜日に得点通知表を配付し、木曜日中に評定を出せという日程はちょっと無理がある。まあ、仕事だからやりますけどね。それに、もう終わったことだからいいけどね。だれだ、こんな日程を立てたのは……。実は僕だった(笑)。

5.教師は、若いうちから一国一城の主になれるまれな職業です。その分、一人で突っ走り、若いうちから自分はいっぱしの者だと勘違いしやすい職業でもあります。教師の成長には、その勘違いを謙虚に戒めて成長する場合と、その勘違いに実質を伴わせて勘違いではなくする場合と、二つあるように思います。

6.指導力不足教員は本当に学校から廃絶した方が良いのか。指導力不足とは相対的なものではないか。指導力不足教員を100人排除したら、101番目から200番目までが新たな指導力不足教員にならないか。指導力不足教員を100人排除したら、次はあなたの番、そしてぼくの番なのではないでしょうか。

7.頑張らなきゃならないけれど、頑張りすぎてはいけない。自分で限界をつくっちゃいけないけれど、決して無限だと思ってはならない。みんなこんなあたり前のことを忘れがちになる。視野狭窄に陥る。みんな完璧じゃないけれど可能性はある。「完璧じゃない」も「可能性がある」もともに忘れてはならない。

121009cover8.新刊はtwitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。まとまり感には欠けますが、まずまず私の力量形成観を書けたのではないかなあと感じています。

9.10日間で4日間の講座。しかも札幌-東京の往復、札幌-新潟の往復を含む。その間、期末テスト作成、テストの実施、6クラス分の採点、評価評定係としての段取りをつける仕事、自分自身の評定作業。さすがにちょっと疲れました。それでもこの2週間、残業なし。でも、休憩もなかったな。まあ、いいか。

41wpzxrbvxl__sl500_aa300_10.【ブログ更新】『一斉授業10の原理・100の原則』/横山験也先生、糸井登先生、桑原賢先生、沼澤晴夫先生、石川晋先生、長瀬拓也先生、コマイヌさんから書評をいただきました。http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/10100-50c7.html

11.19時から2時まで熟睡。さすがに疲れていたようだ。6時間寝てずいぶんとすっきりした。

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11月6日(火)

1.若いときの文体には自分をよく見せたいという思いがあらわれます。年齢を重ねると、自分をよく見せることよりも、自分の伝えたいことが他人に伝わることの方を重視するようになります。もっと年齢を重ねると、自分の伝えたいことを伝えるよりも、他人の触媒になることを重視するようになります。

2.教師が魂を載せた言葉をしゃべれない、そんな雰囲気が蔓延して何年が経つでしょうか。いくら技術を駆使してみても、最後に説得力をもつのは魂が載っているか否かです。そんなあたりまえの理屈も通用しなくなった感があります。学校教育から言霊が消えてしまったら……そう考えるとゾッとします。

121009cover3.新刊『教師力アップ 成功の極意』(明治図書)

twitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。amazonの予約が始まっています。

4.最近、こくちーずでセミナー案内をするようになって、セミナー終了後に感想メールや御礼メールをたくさんいただけるようになった。改めて良いシステムだなあと思う。そろそろアナログ案内をやめたいな、と思う。こくちーずだけになれば参加費も抑えられるだろう。財政圧迫の第一は郵送費なのだから。

5.仕事と実践は異なる。仕事は効率的に淡々とこなすものだ。積み重ねる価値をもつのは実践である。しかし実践を重ねる時間は、仕事を効率的にこなすことによってしか生み出し得ない。必然的に仕事を効率的にこなせない人間に実践は重ねられない。効率的な仕事なしに実践する者は周りに迷惑をかけている。

6.転勤した学校が変だと思うのはあたりまえです。それは前の学校に慣れていて新しい学校に慣れていない自分にバイアスがかかっているだけです。「この学校は変だ」と思うよりも「なぜ、この学校はこういうシステムを敷いているのだろう」と理解することが大切です。どんなシステムにも歴史性があります。

7.仕事は日程と時間を追ってするものである。今日の仕事はもちろん、明日の仕事や明後日の仕事をしていてはいけない。遅くとも10日後の仕事を、できれば20日後くらいの仕事をするのが良い。そうすれば、急な仕事が入ってきても対応できる。急な生徒指導にも対応できる。それが大人の仕事の仕方。

8.ぼくは、人は「自分に何ができるか」ではなく「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。できないことをやろうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも他人を傷つけることがあります。できないことに取り組み始めないことも重要なのです。

9.仕事のできる人には気性の激しい人が多いように思う。しかし、仕事のできない人にも気性の激しい人は少なくない。そうなると、一見仕事のできるできないと気性の激しさには関係がないようにも思える。しかしそうではない。気性の激しい人がしたたかさを身につけると猛烈な仕事をするのだ。

10.最近、僕が口癖のように講座で言うことに「意味のないことも、続けると意味をもつ」ということがある。これは意味がなくても明るく笑えることを続ける……という話を例にすることが多いのだが、実はたいして意味のない小さな悪行も、続けると大きな悪行として意味をもつということも含んでいる。

11.先人いわく。忘れていいこと、忘れてはいけないこと、そして忘れなければいけないこと、経験は三つでできている。含蓄のある言葉だ。

12.OSが不完全なままにいくらソフトをインストールしても機能しません。ソフトをインストールすること以上に大切なことは、OSをヴァージョン・アップさせることです。しかし、年に数回の研究会参加や研究授業といった研修の場程度では、なかなかOSのヴァージョン・アップはできません。

13.人生には目指すべき二つの道がある。一つは欲するものを手に入れること。いま一つは手に入れたのちにそれを楽しむこと。ところが後者に成功する者はきわめて少数である。合格した人たち、昇進した人たち、実はこれからこそが本番なのだ。人間はそれを忘れてしまいがち。

14.人間は我が儘なもので、期待が大きいとプレッシャーがかかると嘆き、期待が小さいとやる気が出ないと嘆く。人間は我が儘なもので、好きな人に大きな期待をかけすぎてつぶしてしまい、嫌いな人に期待できないと告げてやる気をなくさせる。嗚呼、バランス感覚の難しさよ。

15.保護者から見ると、最も信頼がおける学校というのは、学担・学年主任・管理職と、だれと話しても同じ方針が語られる学校です。「ああ、うちの子のことをちゃんとみんなで見てくれているんだ」と安心できる学校です。こうした組織が同一歩調をとることによって与えられる安心感を軽視してはいけません。

16.【拡散希望】日本生徒指導学会/2012年11月10日(土)~11日(日)/国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区代々木)/私も11日に登壇します。演題は「生徒指導10の原理・100の原則」です。

17.【拡散希望】第19回先生のためのとっておきのセミナー「愛と勇気のチカラ」in新潟/2012年11月17日(土)/新潟市内/3500円/堀裕嗣・山寺潤・水戸ちひろ/教室ファシリテーションの極意/お近くの方はぜひ!

18.【拡散希望】第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/2012.12.08・土/札幌市白石区民センター1F多目的室/3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/テーマ:一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッド

19.【拡散希望】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22(土)/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一

20.初めて担任をもったとき、自分が「先生」と呼ばれることに違和感を感じながら毎日を送った。オレはオレだ。「先生」じゃない。そんなことを考えた毎日を昨日のことのように想い出すことができる。僕はいまでも、彼ら一人一人の声も、彼らの歌う「貝のファンタジー」も耳に響かせることができる。

21.すべての授業行為には意図があります。なぜこの発問なのか。なぜこのレベルの説明がなされたのか。なぜここであくまでこの指示なのか。すべて理由があります。逆に言えば、理由のない、或いは授業者がその理由を語れない授業行為ならば、それは授業者が自らの授業行為に無自覚だということです。

22.無自覚な授業行為が偶然成功したとしても、その授業行為は授業者の力量形成にはつながりません。再び「偶然の当たり」が出るまで待つしかないからです。そんな山師的な授業をしていてはいけません。しかし学校現場には、山師的な指導言、山師的な学習活動、その日暮らし学級経営がはびこっています。

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11月5日(月)

1.学事の10原理・100原則シリーズ、5冊目が動き出した。序章を仕上げたので、今週中に第1章40頁を書くつもりである。10のアイテムを何にするかということで、まだ少しだけ迷っている。編集者にもせっつかれているが、プロットが確定しない。困ったものである。でも、今週中にはと思っている。

2.ここ1週間ほど、宮台真司の90年代の論述を読み直している。援助交際とテレクラのからみ、電話風俗とその規制が与えた影響など、マニアックな部分も多いが、それらの具体例を通して主張される抽象化には先見の明がある。90年代にこれだけの予見をしていたのかと改めて感嘆させられる。現在、議論されている論点のほぼすべてが97年までに宮台によって提示されていたことに驚いてしまう。

3.拙著『一斉授業10の原理・100の原則』(学事出版)に長瀬拓也先生から書評をいただきました。
http://smile58.exblog.jp/17110517/

4.毎週月曜日の最初の授業を1時間録音して、そのテープを聞きながら通勤していた時代があります。3年続けました。「ええと」が多い。口癖がうるさい。余計な言葉、無駄な言葉が多い。指導言の言い換えで意味が変わる。生徒の発言の核心を拾えていない。そんなことにいやというほどに気づかされました。

5.生徒ともPTAとも、出逢いにおいて定番の自己紹介ネタをもつことが大切です。自分を強く印象づけることなしに良い学級経営も良い授業も良いPTA活動もあり得ません。出逢いは楽しく、日常も楽しく、真面目に語るときには心底真面目に……そんな当然のメリハリをつけられない教師が増えています。

6.教師は文体にバリエーションをもつべきです。生徒に届けるために書かれる文章にも幾つかの文体をもつべきです。人の心を打つのは必ずしも美文ではありません。ましてや借り物の四字熟語や格言などかえって品位を落とします。自分らしさがにじみ出る文章……そのバリエーションをこそもつべきなのです。

121009cover7.新刊『教師力アップ 成功の極意』(明治図書)

twitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。amazonの予約が始まっています。

8.いま、amazonで確認したら、新刊がまた発売日に在庫切れだ。毎回これだ。なんとかならないのかなあ。在庫あり状態になるまでに、これまでの経験から言って、10日程度かかる。

9.【拡散希望】第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/2012.12.08・土/札幌市白石区民センター1F多目的室/3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/テーマ:一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッド

10.【拡散希望】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22(土)/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一

11.「ヤンキーは実は地域社会の最後の守り神だ。大人たちが町内会やPTAを作って地域的な共同性を培うとすると、ヤンキーたちは『俺たちゃそうじゃねえ』とばかりにもう一つのウラ共同体を作る。だから暴走族も女は十八歳、男は二十歳で卒業して、卒業後はダンプの運ちゃんやパートのねえちゃんになって、ほどなくヤンママ・ヤンパパになり、いずれは町内会のオジサン・オバサンになる。ヤンキーは町内会予備軍なのだ。ところが、チーマー・コギャル系は、地域共同体から『第四空間』としての街に流れ出した子たちで、地域性の衰弱をこそ体現する。」(『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』宮台真司・朝日新聞社・1997年12月)
例えば、こういう論述にしびれる。いまでこそ、前者タイプがケータイ小説やクローズを流行させ、後者が「バトルロワイヤル」や「リアル鬼ごっこ」を流行させたり、フリーター・ニートといった「自分探し」や「下流志向」に分派したりしていることは自明のことであるけれど、97年時点でこのことを公に分析していた者がどれだけいただろうか。確かに後者の特殊性については、当時はブルセラ女子高生でも取材しなければちゃんとは見えてこなかったのかも知れない。

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11月4日(日)

1.財務省主計局の「文教・科学技術関係資料」。久し振りにおもしろい資料だ。学力向上が絶対善として語られているが、いったい誰のための学力向上なのだろう。学力を向上させることの目的は何なのかということを、政治と行政は一度、真剣に考えてみた方がいい。まだ、学力向上の目的が80年代までの、バブル崩壊以前の文脈で考えられてしまっている気がしてならない。もうそういう学力向上は生徒たちの1割程度、多く見積もっても2割程度しか必要としていない。「終わりなき日常」がもう社会の隅々にまで浸透してしまったのだから。

2.教育論に興味を抱いて教師をしているうちはうまくいきません。目の前にいる子どもに興味を抱き、試行錯誤しているうちに教育観が生まれ、やがてそれが自らの教育論になっていくのです。10年間がむしゃらに取り組むとその萌芽が見えてきます。10年の時を経ずに見えてきたものは幻想に過ぎません。

3.経験を重ねるほど主張はシンプルになっていきます。こねくりまわす必要も、裏返す必要もないことに気づいていきます。若い頃は、先達のそのシンプルさが大雑把な主張に見えて、どんどん思考を複雑化させていきますが、先達のシンプルさが複雑な思考の末に到達したシンプルさであることに気づくのにそれから20年かかります

4.努力する者だけが教壇に立つべきなのです。自らの成長を怠らない者だけがその資格をもつのです。もっと遠くへ。もっと高みへ。自らの可能性に飢えない者に教壇に立つ資格はありません。もちろん心を病んでまでそうする必要はありませんし、死を考え出したらすぐに逃げるべきです。しかし、でも命に関わる場合以外は逃げるべきでありません。

121009cover5.新刊『教師力アップ 成功の極意』(明治図書)

twitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。amazonの予約が始まっています。

6.【拡散希望】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22(土)/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一

7.【拡散希望】第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/2012.12.08・土/札幌市白石区民センター1F多目的室/3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/テーマ:一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッド

8.この時代、おそらく担任教師の役割の第一義は、子どもたちに「無条件に自分を承認し愛してくれる者」が家族以外にもいるのだということを実感させることなのではないかと思います。その体験を与えることなのだと思います。生活指導や生徒指導、学力向上など、仕事上の諸事項はそれを前提にしてこそ機能します。

9.しかし、それは自分の学級に酒鬼薔薇聖斗がいてさえ、彼を承認し愛することをも意味します。教師の人間としての資質が問われる難しい問題に思えます。

10.ある教え子の相談に対する返信。「人生の最初の1/3は情熱だが、その後の2/3は生活だ。淡い過去を想い出せば心に波風くらいは立つ。でも、そんなことで生活は影響なんて受けない。何も心配する必要はないし、苦しむ必要もない。すぐに冷静に戻れるよ。」我ながら的確な言葉だなあと思う。

11.ひと月ほど前、原稿を書くために昔書いた脚本の台詞が知りたくて、でも、その脚本が見つからなくて、当時その役を演じた生徒にメールで訊いた。
  「走ったわ。ただひたすら走った。もう後戻りはできないと思って。でも、でもね、私の頭の中には赤い靴のことしかなかったの。これから街に出て、バレリーナになって、赤い靴をはくことだけを考えていたの。そう。赤い靴しか見えなかったの。その他のものは何も見えなかったの。何も聞こえなかったのよ。大きな汽笛をならして、近付いてくる列車の音さえ聞こえなかったのよ。」だったと思います……とのこと。
  今日、その脚本が見つかった。細かな間違いを修正しようと思って確認してみると、一言一句違っていない。たいしたもんだ。この台詞、1993年8月の上演である。教え子を尊敬してしまった。

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時代的必然としての縦糸と横糸

これまで学校教育は全体主義的な教育を目指してきました。全国民に基礎的な学力を保障し、国民の知的レベルを高め、国を挙げて経済成長していく、それが一人一人の国民の生活の向上をも保障していく、そういうモデルです。

また、ある時点から、学校教育は個性的な人間を育てる教育へと移行しました。世界に通用する創造性豊かな国民を育てるとともに、経済界のトップリーダーを育てる、それが経済発展を保障し、全国民の生活を向上させる、そういうモデルです。

前者は系統主義的な戦後教育を、後者は臨教審以来の経験主義的な教育改革を目指しました。前者は管理教育と偏差値教育を生み、後者は深刻な学力低下を招いたと批判されました。結果、時代は「心の教育」に名を借りた青少年の厳罰化、学力向上路線への回帰を謳っています。それが現在(いま)です。

しかし、時代の大勢はいま、このどちらをも求めなくなってきているのではないでしょうか。

国も行政も「学力を向上させよ」と言います。確かに学力向上は大切でしょう。しかし、多くの子どもたちにとって、学力向上の先にいったい何があるというのでしょうか。かつてのように学力を向上させればよりよい人生、つまりは経済の成長と生活の安定が得られる人生を、国や行政は保障してくれるのでしょうか。

「終わりなき日常」(『終わりなき日常を生きろ』宮台真司・筑摩書房・1995年7月)が完璧なまでに完成された時代に、多くの子どもたちが生活の安定を求めて「将来は公務員になりたい」と真顔で言う時代に、多くの国民が生活の安定に嫉妬して公務員バッシングを叫ぶこの時代に、学力向上がかつての意味で機能するのはほんのひと握りの子どもたちに過ぎません。そもそも、公務員になったからと言って特別な幸福感など得られず、その後もただ「終わりなき日常」を生き続けなければならないことを知り尽くしている者こそ、私たち教育公務員なのではないでしょうか。おそらく、夢や希望や幸福という概念を、キャリアや経済を中心に考える時代が終わったのです。

古市憲寿が現在の幸福概念について、「Wiiが一緒にできる恋人や友達のいる生活」あたりが妥当であると指摘しています(『絶望の国の幸福な若者たち』講談社・2011年9月)。つまり、WiiやPSPを買える程度の経済状況があり、それを一緒に楽しむことのできる人間関係さえもっていれば、だいたいの若者は自分を幸せと感じるのだ、というのです。古市は東大大学院に所属する社会学者であり、現在、最も若い世代の論者の一人です。

私はこれを読んで、私が両親や学校教育によって無意識的に与えられてきた幸福感との深い断層を感じざるを得ませんでした。それと同時に、現在の自分自身の幸福感と比べたときには、それほどの落差があるわけではない、とも感じました。現在の経済状況の余剰に対する期待は「WiiやPSPを買える程度」であり、そうした経済的要因と同列の形で「それを一緒に楽しむことのできる」程度の人間関係が挙がってくるのです。ここに見られる幸福概念は間違いなく、「終わりなき日常」を楽しむための幸福概念です。いま、多くの人々が求めているのは、こうしたささやかな幸福なのではないでしょうか。

確かに、学力向上は、幸福感を形づくる経済的要因をある程度は保障する可能性があるでしょう。しかし、それを一緒に楽しむことのできる人間関係要因を保障してはくれません。生活指導や生徒指導も然りです。それは社会的自立という名の、他人に迷惑をかけない生き方を学ぶことを指しますが、豊穣な人間関係の在り方を学ぶという機能は果たし得ません。そこにあるのは、あくまで、広義の〈縦糸〉の論理に過ぎないのです。

昨今、「つながること」「つなげること」が大流行しています。教育界においても、協同学習、ワークショップ、ファシリテーション、グループ・エンカウンター、ピア・サポート、プロジェクト・アドベンチャー……もう数え上げれば切りがないほどです。しかし、「終わりなき日常」を生きる知恵こそが人々の幸福感を形づくる時代にあって、こうした流行はきわめて的を射たものなのです。それが「〈織物モデル〉の横糸」の思想なのだと私は考えています。

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〈織物モデル〉の縦糸と横糸

新しい学級を担任したとき、教師はまず何を措いても子どもたちとの間に縦糸を張らなくてばなりません。先生ときみたちは立場が違うんだよ、先生はきみたちを守る責任をもっているんだよ、きみたちは先生に指導される立場なんだよ、こうした縦関係をしっかりと構築しなければなりません。

これを怠り、教師と子どもとがフラットな関係を築くことこそが理想だなどと考える者は、少なくとも学校教育において、教師として子どもたちの前に立つ資格がありません。

しかし、現在、この縦糸を張るだけでは学級経営は成り立たないのです。生徒指導畑のベテラン教師や子どもたちになめられないようにと怒鳴るタイプの教師が、学級崩壊を起こしたり子どもたちに反発されたりする事例が多くなっていることが、その何よりの証拠です。

現在、教師は縦糸を張ることと同じくらいの重きを置いて、子どもたちに横糸を張らせる手立てをとることが求められる時代になっているのです。子どもたちがわからなくなった、学級担任をもつ自信がなくなった、そう嘆くベテラン教師たちには、この発想がないからうまくいかないのです。

教師は縦糸を張ると同時に、手を換え品を換えて横糸を張らせる手立てをとらなければなりません。子どもたちに他人とつながる経験を与え、つながる喜びを意図的に体験させなければなりません。校行事はもちろん、教科の授業においても、道徳の授業においても、特別活動においても、総合的な学習の時間においても、この発想を片時も忘れてはなりません。

横糸を張らせる手立ては、一度や二度施してもすぐに効果は顕れません。繰り返し繰り返し行うことによって、その効果を発揮するタイプの指導です。しかし、三ヶ月、半年、一年と長いスパンで見たとき、その効果には計り知れないものがあります。多くの教師はあまりにもせっかちであるために、そして時代が待つことを許さなくなってきているために、その効果を実感するまで続けられないのです。

教師は学級経営において、まずは縦糸を張らなければなりません。しかし、それと同時に必ず子どもたちに横糸を張らせる手立てを取らなければならないのです。

横糸は次第に太くなっていきます。「教師-生徒関係」以上に「生徒-生徒関係」が太くなっていくのです。横糸が太くなっていくことによって、少しずつ少しずつ、教師と子どもたちとの間に張られた縦糸を隠していきます。しかし、大切なのは縦糸は横糸によって隠されただけ、見えなくなっただけで、決してなくなったわけではないということです。

しかも、子どもたちそれぞれの横関係は教師には想像もできないような様々な彩りを示し始めます。それらのコントラストが学級全体の彩りを形成しくのです。レッド、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、インディゴ、バイオレット……彩りは美しい虹のように美しいコントラストを奏でます。そしてその彩りはあくまで、教師と子どもたちとの間に張られた強靱な縦糸によって一つに織りなされているのです。

以上が横藤雅人先生が提唱した〈織物モデル〉に対する私なりの解釈ですが、ここでその概略をまとめてみましょう。

(1)  〈縦糸〉だけでも〈横糸〉だけでもいけない。

(2)  ただし、〈縦糸〉があってこその〈横糸〉であって、〈縦糸〉がなければ〈横糸〉はほつれてしまう。

(3)  とはいえ、〈縦糸〉はできるだけ見えない方が良い。織物を美しく見せるのはあくまで〈横糸〉のコントラストである。

(4)  織物は、強靱な〈縦糸〉と美しく織りなす〈横糸〉とが互いに補完し合っている。

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織物モデルの横糸

〈織物モデル〉の横糸は「生徒-生徒関係」の比喩です。「横糸」ですから、生徒と生徒とをつなげること、生徒同士の間に対話を生み出すことを指します。

もしかしたら、読者の皆さんは、そんな関係性なら放っておいても生徒たちが勝手につくるだろうと感じるかもしれません。年齢が高くなればなるほど、そうした思いを抱く読者が増えるだろうと想像します。しかし、そうではありません。拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』(学事出版・2012年3月)でも強調しましたが、現在、子どもたちは教師が意図的につなげてあげなければ学級や学年がつながらない状況にあるのです。

読者の皆さんは、最近の子どもたちがかつてと比べて小グループ化の傾向が強くなり、学級運営がしづらくなったと感じてはいないでしょうか。 もちろん、こうした指摘は昔からあったわけですが、2000年前後を境にかつてと比べてその傾向が著しく強くなってきている、しかもその進行が急激化していると感じたことはないでしょうか。 そうした傾向が要因となって、文化祭や合唱コンクール、旅行的行事の体験学習などが成立しにくくなっていると感じたことはないでしょうか(拙著『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』明治図書・2012年7月)。

私は子どもたちのこの傾向こそが90年代から2000年代にかけての最も顕著な変化だと感じています。現在の子どもたちは、教師が放っておいたら、一年間、同じクラスなのに一度も会話をしないというような状況が普通に起こってしまいます。そのことに違和感を抱かないのです。

皆さんは「加藤智大」という名前をご記憶でしょうか。そうです。あの秋葉原無差別殺傷事件を起こした若者です。彼は事件直前の携帯掲示板に「勝ち組はみんな死んでしまえ」と書き残して、交差点へとトラックを走らせました。時代は「格差社会」が話題の中心、マスコミも政治も派遣社員の待遇を題材に若者たちの経済格差やキャリア格差を是正せよという論調一色になりました。加藤は「格差社会」の象徴的人物として描かれたのです。

しかし、意外と知られていないというか、大きな話題にならなかったのですが、「勝ち組はみんな死んでしまえ」という加藤の言の直前には、次のように書かれていたのです。

「一人で寝る寂しさはお前らにはわからないだろうな。ものすごい不安とか。彼女いる奴にも彼女いない時期があったはずなのに、みんな忘れちゃってる。勝ち組はみんな死んでしまえ。」 

少なくとも加藤智大の言う「勝ち組」とは、経済的に豊かな者を指すわけても学歴の高い者を指すわけでもありませんでした。人間関係の充実している者、無償の愛を得られる者を指していたのです。つまり、ここで言われている「勝ち組」「負け組」とは、「コミュニケーション格差」「人間関係調整力の格差」だと捉えることができるでしょう。

もちろん、学校教育が加藤智大を生み出したというつもりはありません。コミュニケーションの「負け組」がみな、加藤のようになるわけでもありません。

しかし、時代が、かつてと比べて円滑なコミュニケーションを図ることのできる若者たちを多く生み出しているのと同時に、その陰に隠れてかつて以上にコミュニケーション不全に陥る若者たちを輩出していることを考えるとき、この構造に無頓着に「コミュニケーション能力の向上」や「学力の向上」ばかりを主張し、ポジティヴな面ばかりに目を向けてきた学校教育の責任は、決して小さくないのではないかと感じるのです。

子どもたちをつなげること、つながる体験を保障すること、つながり方を教えること、他人との対話の在り方を教えること、これらはある意味で学校教育が施すことのできるセーフティネットなのではないか、私はそう考えています。

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織物モデルの縦糸

〈織物モデル〉の縦糸は「教師-生徒関係」の比喩です。「縦糸」ですから、ごくごく簡単に言えば、教師と生徒とは立場か異なるのだ、決してフラットな関係ではないのだ、教師の指示を生徒はきかなければならないのだ、そんな両者の関係を指しています。

こういう言い方をすると、教師と生徒は同じ一人の人間として、フラットな関係を構築するのが良いのではないか、或いは逆にそんなことはわざわざ強調するまでもないあたりまえのことではないか、そんな声が聞こえてきそうです。

しかし、それはいけません。私たちは2011年春、いわゆる「3.11」を体験しました。かつて阪神・淡路大震災のときには地震が早朝だったこともあって学校教育が話題にのぼることはほとんどありませんでしたが、東日本大震災はまさに学校で授業が行われている真っ最中の出来事でした。既に下校していて帰宅途中という小学校低学年の子どもたちがたくさんいる時間帯でもありました。私には気仙沼に親しい小学校教師の友人がいるのですが、話を聞くと子どもたちを導いての、それはもう壮絶な避難が行われたようです。

東日本大震災が私たち教師に与えた教訓は、私たちの仕事がいざというときには子どもたちを安全に避難誘導しなければならない立場にあるのだという、平時では忘れがちな、それでいて本質的な視座だったのではないでしょうか。もちろん、東日本大震災のごときはそうそう起こることではないでしょう。しかし、年に数回行われる避難訓練を消化行事的に行っている、少なくとも東日本大震災のごときを想定した高い緊張感の中で行っているという学校はそうそうないのではないでしょうか。

教師も子どもも避難しなければならないと慌てている。死の恐怖がすぐ目の前にある。そんなとき、人は友達のようなフラットな関係の人の言うことがきけるのでしょうか。低学年より中学年、中学年より高学年、高学年より中学生、中学生より高校生、学年が上がるに従って自分で判断したいと感じてしまう、それが現実なのではないでしょうか。事実、被災地の大人たちが津波を見に行ったり家に私物を取りに行ったりしたことによって、多くの方々が命を落としたという報道がなされたのです。

私は中学校の教師ですが、「3.11」以来、勤務校の若手にも研究会に参加する若手にも、教師と生徒との縦糸(縦関係を成立させること)の重要性を強く主張するようになりました。東日本大震災には学校教育において、教師の有事における存在意義について改めて考えさせられる機会となった……そういう側面があるのです。

学校教育では基本的に、「平時」に行われる案件ばかりが検討されがちです。教師は一般に〈平時のリーダー〉としてのイメージのもと、子どもたちの人間関係の調整や楽しい行事の運営、学力を向上させる授業の在り方などを中心に日常を過ごしています。しかし、教師は「有事」においてもそのリーダー性を発揮しなければならないのです。東日本大震災はもちろんですが、附属池田小学校や大津のいじめ事件など、危機管理の在り方が問われた様々な事件の教訓を忘れてはならないでしょう。

話が大袈裟だなどと思ってはなりません。教師は〈平時のリーダー性〉とともに〈有事のリーダー性〉について常に意識しながら日常を過ごさなければならないのです。これは重大なテーゼです。学級経営における縦糸(=教師-生徒関係)の在り方を軽視してはならないのです。

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〈織物モデル〉の効用

織物は強靱な縦糸と美しく彩られた横糸とでできています。縦糸がなければ織物はほつれてしまいます。しかし、横糸の彩りが様々なコントラストを構成することによってこそ織物の美しさは成り立ちます。いわば織物は、縦糸と横糸とが相互補完することによって、織物の強さと美しさとが互いにマッチングして成り立っているわけです。

〈織物モデル〉はこの縦糸と横糸を、それぞれ「教師-生徒関係」「生徒-生徒関係」に比喩的に置き換えることによって、学級経営の理想像を提示したものです。一部に縦糸・横糸ともに「教師-生徒関係」の比喩として捉える向きもありますが、そういう意味ではありません。少なくとも私はそう捉えています。おそらく横藤先生の提案の意図も私の理解と同じだろうと思います。

つまり、〈織物モデル〉は、教師と生徒とがどのような関係を結ぶべきなのか、生徒同士にどのような関係を結ばせるべきなのか、更には二つを総合して「教師-生徒関係」と「生徒-生徒関係」とがどのような関係性をなすべきなのか、この三点を一つのモデルとして提示しているのです。しかも、しつこいようですが、シンプルかつ的確にです。私が驚嘆するとともに高く評価するというのもこの点においてなのです。

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学級づくりの縦糸と横糸

読者のみなさんは〈織物モデル〉を御存知でしょうか。私も懇意にさせていただいている北海道の横藤雅人先生が提唱された学級経営の理想像を提示したモデルです(『必ずクラスがまとまる教師の成功術~学級を安定させる縦糸・横糸の関係づくり』野中信行・横藤雅人著・学陽書房・2011年3月)。

〈織物モデル〉は学級経営の心構えをもつうえで、学級担任にとって大変に指標となるような有意義なモデルです。私の教師人生において、これほどまでに学級経営の本質をシンプルかつ的確にとらえたモデルに出逢ったことがありません。

その意義はおおまかに言えば二つです。一つは、学級担任が学級づくりをするうえで確かな方向性をもつことができること、いま一つは、学級担任が自分の学級づくりがうまくいっているかどうかの点検の観点となることです。

しかもこの二点において、「織物モデル」を指標とすればまず間違いない、それほどまでにこのモデルの完成度は高い、私はそう確信しています。このモデルが長く教育界で議論されてきた二つの方向性、二つの主義をバランスよく配置しているからです。いわば〈織物モデル〉は戦後70年の議論を踏まえ、それをシンプルかつ的確に構造化することに成功した、そう言えると思います。

ただし、現在、〈織物モデル〉は、通称「縦糸・横糸論」と呼ばれ、様々な教育実践者に研究会やセミナーで取り上げられるようになってきています。それらの多くは微妙なところでニュアンスが異なっているようです。私が高く評価しているのはあくまで横藤先生の提唱した〈織物モデル〉(=縦糸・横糸論)であって、その他の論者が独自に修正を加えたものについてはすべて改悪だと捉えています。

このことを確認して、本書ではまず最初に、〈織物モデル〉を紹介していこうと思います。

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11月3日(土)

1.〈スキル〉を学べばいいと若者は思っています。しかし、〈スキル〉が多いほど教師としての力量が上がるわけではありません。〈スキル〉を自分の学級に合わせて修正し、それらの〈スキル〉が一貫性をもって機能するような〈システム〉を構築してこそ力量は高まるのです。

2.もしもあなたが若者で、もしもあなたが日々の仕事におろおろしているならば、その原因は周りにあるのではなく、あなたの心性にこそあります。あなたには若者がもつべき「健全な野心」がないのです。「不健全な野心」は人を堕落させますが、「健全な野心」は人に覇気と可能性をもたらします。

3.若い教師が最初の学級をうまくまとめて、それなりに自信をもってしまったときが一番危ない。自分が人間的に優れているとか自分は感性が鋭い人間であるとか勘違いしてしまう。誤解を怖れずに言えば、若い教師など人間的には下の下の下です。二十代はそのくらいのつもりで生徒の前に立った方が安全です。

4.発展途上の自覚のある先達にこそ学ばねばなりません。直接逢って教えを請わねばなりません。完成されたように見える先達、自分の主張を相対化して話すことのない先達は、その世界では既に終わってしまった先達です。本で読めば充分です。しかし、人は多くの場合、その逆の行動をとってしまいます。

121009cover5.新刊『教師力アップ 成功の極意』(明治図書)

twitterのつぶやきから生まれた本です。僕のツイートのうち、リツイートの多かった40を選んで、それぞれについて平均3頁の解説を施したものです。amazonの予約が始まっています。

6.【拡散希望】第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin愛知/2012.12.22(土)/刈谷市総合文化センター402研修室/3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一

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今月のお知らせ/2012年11月

10月31日(水)は合唱コンクール、11月1日(木)は開校記念日、11月2日(金)は新校舎落成式典&祝賀会。11月の始まりは怒濤の一週間から始まります。

その後も東京で生徒指導学会、新潟でファシリテーション関係の研究会、更に札幌近郊の校内研修会が二つ。

進路指導も佳境、学力テスト・期末テスト・評定と続きます。なんだか2学期も終わりに近づいてきている感じです。一つ一つをこなしているうちにすぐに年末が来てしまいそうな勢いです。

新刊『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』(明治図書)を上梓しました。今回は力量形成系の著作です。TWITTERでのつぶやき40を平均3頁で解説する構成です。異色の本でまとまり感には欠けますが、まずまず私の力量形成観を書けたのではないかなあと感じています。

おかげさまで『一斉授業10の原理・100の原則』(学事出版)がご好評をいただいております。ありがとうございます。

【書籍・出版関係】

121009coverスペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』堀裕嗣著・明治図書・2012年11月/明治図書の好評シリーズ「スペシャリスト直伝」に名を連ねることになりました。今回は力量形成系の著作です。TWITTERでのつぶやき40を平均3頁で解説する構成です。異色の本でまとまり感には欠けますが、まずまず私の力量形成観を書けたのではないかなあと感じています。

まえがき/目次/あとがき

 

9784761919221一斉授業10の原理・100の原則~授業力向上のための110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年10月/シリーズ4冊目になります。早くも多くの方々から反響をいただき、嬉しく感じております。ありがとうございます。

まえがき・目次・あとがき

書評/教師のチビチビ記録横山験也先生糸井登先生桑原賢先生沼澤晴夫先生石川晋先生長瀬拓也先コマイヌさん

9784761918842新刊『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年3月/第二刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとがき/目次

9784761918484s生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年10月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとかぎ/目次

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年3月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとがき/目次

『教師力ピラミッド』(明治図書)も脱稿、現在ゲラ校正中です。イラストや装丁の作業に入っています。こちらは冬の上梓になりそうです。「研究集団ことのは」でつくっている『教室ファシリテーションへのステップ 目指せ!国語の達人!』というシリーズも「音読編」「スピーチ編」が脱稿しています。現在、3冊目の「聞き方編」を鋭意制作中です。続いて、「作文編」「話し合い編」と進みます。現在、来春上梓予定の数冊を執筆中です。今後とも、よろしくお願い致します。

【研究会関係】

私に関係する11~12月の研究会をご案内させていただきます。お時間が許せばお越しください。

2012年11月11日(日)/日本生徒指導学会第13回大会/国立オリンピック記念青少年総合センター/終了しました。

2012年11月14日(水)/札幌市立栄中学校生徒指導研修会/指導力の向上&チーム力/終了しました。

2012年11月17日(土)/第19回先生のためのとっておきセミナーin新潟/一日「教室ファシリテーション」講座/終了しました。

2012年11月21日(水)/北広島市立大曲東小学校校内研修会/説明的文章 読解指導の基礎基本/終了しました。

2012年12月8日(土)/第19回国語科授業づくりセミナーin札幌/一斉授業10の原理・100の原則~国語科授業づくりを向上させる110のメソッド/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費:3000円/講師:堀裕嗣・山下幸/模擬授業者:米田真琴・岸本まり

2012年12月22日(土)/第3回学級づくりプログレッシヴセミナーin名古屋/刈谷市総合文化センター402研修室/参加費:3000円/講師:堀裕嗣・山田洋一/満席になり、定員を増やしました。

2012年12月23日(日)/明日の教室・東京分校/若い教師のための学級経営10の原則100の原理/これだけは押さえたい国語指導10の原則100の原理/TKP東京駅丸の内会議室/参加費:3000円/講師:堀裕嗣/満席になりました。

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