まえがき
〈教師力ピラミッド〉を考案したのは2007年のことです。
時は前年末に設置された教育再生会議での議論内容が教育の話題の中心、やれ指導力不足教員だの、やれ不適格教員だのと喧しい世の中でした。一度学級を崩壊させたら指導力不足教員……、三度学級を崩壊させたら不適格教員……。授業を成立させられない教師は指導力不足……。大学入試問題を解けない高校教師がいる、明らかに教師としての基礎学力に欠ける……。マスコミは連日、そんな報道を繰り返していました。
一方、当時は保護者クレームが大きく話題とされた時代でもありました。グラウンドに落ちていた石を窓ガラスを割った子の母親が、グラウンドに石があるのが悪いと言った……。学習発表会の劇になぜ自分の子を主役にしないのかと、保護者が猛烈なクレームをつけてきた……。こんなありえないことがまことしやかに語られた時代でした。
どちらも私たち現場教師の実感とは距離のある、何とも形容しがたい政治と行政、マスコミの「つくられた物語」が闊歩する、そんな機運がこの国の学校教育を包み込んでいました。私は当時、なぜ自分たちはこんなにも責められなければならないのか、肩身の狭い思いをしなければならないのか、そう思わずにはいられませんでした。
そんなある日のことです。私の頭の中にふとある疑問が浮かんだのです。
「世間が抱いている理想の教師像ってどんな教師なんだろう……」
私はその全体像を知りたいと思いました。それがわかれば、何か手の打ちようがあるかもしれない、そう考えたのです。
しかし、どんな手立てを踏めばそれがわかるのでしょうか。数ヶ月の間、なんとなくもやもや感を抱きながら過ごしていた私は、ある瞬間、ひらめきました。
「そうか。世論の教師批判を分析して分類すればいいんだ。」
私はその日のうちに、教師批判の分析方法を考え始めました。ちょうどその頃、讀賣教育メール(読売新聞社が毎朝教育ニュースをメール配信してくれるサービス)が数年分溜まっていることに気づきました。私は膝を打ちました。これだ!
「讀賣教育メール」と名付けられたフォルダを開き、私は「教師」「不祥事」「いじめ」「体罰」「クレーム」などをワードに検索しました。ついでにYAHOO!でも同じことをしました。もう、ものすごい数です。
私はまず、モラル系の・犯罪系を取り除きました。教師が犯罪を犯したとか猥褻事件を起こしたといった類のものですね。教師が批判されている内容を分類しました。これはこういう理由で批判されている。ああ、こっちはこんな理由で批判されてる。おや?こっちは……。こんな感じです。
こうした出来上がったのが〈教師力ピラミッド〉です。第1章から詳しく述べていきますので、ここでその内容には触れませんが、私はこの教師力モデルをつくってみて、驚くべき現実に突き当たりました。
「ああ、こりゃ、すべての世論の要求に応えられる教師はあり得ない……」
第1章で〈教師力ピラミッド〉を実際にご覧いただければわかりますが、これらの要求のすべてに応えることはとても人間業ではありません。
しかし、そこで諦めないのが私の私たる所以です。私はせっかく曲がりなりにも「教師力」の全体像をつくりあげたのだから、なんとかこれらの要求のすべてに応える教育手法はないものかと考え続けました。教師修業のモデルとして提案しようか。いやいや、個人で目指すモデルとしては壮大すぎて現実性に乏しい。じゃあ、どうする……。
私は当時、学年3クラス、全校10クラスという小さな中学校で学年主任を務めていました。その立場が割と簡単にその答えをくれました。
「ああ、チームでこの教師力の全体像を機能させればいいんだ」
こうして、いまとなっては私の主張の根幹を成すともいえる〈チーム力〉という発想が生まれたのです。
私の考える「教師力」の全体像をじっくりとお読みいただき、ご批正いただければ幸いです。
【目次】
第1章 「教師力ピラミッド」で教師力をチェックする
第2章 基本モラルと生活スキルをもつ
第3章 友人型指導力で子どもとの関係をつくる
第4章 母性型指導力で子どもを優しく包み込む
第5章 父性型指導力で子どもの壁となる
第6章 事務力がなければ教職は務まらない
第7章 先見性・創造性が教師の評価を決める
第8章 チーム力を発揮しないと学校教育は成立しない
あとがき
〈教師力ピラミッド〉を一書にまとめようという想いを、この5年間、強く持ち続けてきました。自分なりにある程度の高い提案性をもっているとも自負していました。早く出したい。そんな想いもありました。
実は一度、出版が決まって途中まで書きかけたこともあります。本書とはまったく異なる体裁の、冒頭に〈教師力ピラミッド〉を解説し、あとはどちらかというと実践報告を中心とした内容でした。しかし、私は約4割ほどを書いた時点で、その原稿を捨てました。〈教師力ピラミッド〉が私の実践報告とともに語られたのでは、私だけの教師力モデルになってしまう……そんな感覚が私を躊躇させたのです。
以来、私は〈教師力ピラミッド〉をどのような形で世に問うかということを考え続けました。講演・講座では必ず語るコンテンツなのに、活字としては陽の目を見ていない、そんなコンテンツとして5年が過ぎました。「この内容は本になっているんですか」「これはいつ本になるんですか」と受講者に訊かれたことも一度や二度ではありません。
そんな私の大切なコンテンツが本になったのは、杉浦美南という若手編集者と出逢ったこと、そして彼女が私のたっての希望を聞き入れてイラストをイクタケマコトに依頼することを承諾してくれたからに他なりません。お陰様で、本書は私の実践を何一つ語ることなく、純粋に私の考える「教師力の全体像」を提示する本として仕上がりました。それも私が最も懇意にしているイクタケマコトのイラストに彩られて……。
本書のレイアウトは、私の本づくりとしてはかなりの冒険をしたつもりです。こういうレイアウトの本は世に溢れていますが、私には合わない、私には書けない、もっと言うなら私は書きたくない、と感じていたのです。文章は箇条書きのような短文を連ねる、本文以上にイラストが目立つ、とにかく私が本づくりにおいて最もこだわりをもっている、細かなところまで書き込むということがほとんどなされていません。まるでTWITTERに寄せる短文のようなものが羅列されている、といった趣です。
しかし、〈教師力ピラミッド〉は私の実践を語るわけではありません。あくまでも抽象的な解説で構成されざるを得ません。しかも一つのことを細かいところまで書き込むことよりも、いかに多様な視点を示すかというところに重きが置かれます。そうしたコンテンツを一書にまとめるには、こうした体裁がふさわしいのだと判断しました。このレイアウトの基本型は、あくまで私が考えたものです。私としてはかなりの冒険であるというのは、こうした意味においてです。
もちろん、私が想定していた以上に綺麗に見開きを構成することができたのは杉浦さんとイクタケさんのお力添えがあったからです。この仕上がりに他ならぬ私自身が驚いているというのが正直なところです。聞くところによると、杉浦さんとイクタケさんには、直接逢ったり何度もメールをやりとりしたりしながら、かなり細かな打ち合わせをしていただいたようです。この場を借りて心より御礼申し上げます。
時代は教師受難の時代です。と同時に、教師もチーム力の時代を迎えています。本書もまた、平成17~20年度に勤務した札幌市立上篠路中学校時代の同僚たちとの交流を基本イメージとして構成しました。ここでお名前は挙げませんが、改めて感謝申し上げます。
また、教師のチーム力の大切さを私に最初に提示してくれたのは、いまは亡き師匠森田茂之です。「生徒指導論」という講義レポートを書くにあたって、私がいわゆる現場上がりの大学教師である森田に、「先生、生徒指導で一番大切なことは何ですか」と訊いたところ、彼は間髪を入れず「それは教師の協調体制だよ」と応えました。その言葉からつたないレポートを書いた日がつい昨日のことのように瞼に浮かびます。ありがとうございました。
今後も実践と研究に勤しむことを決意致しまして、あとがきとさせていただきます。
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