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リーダーのいなくなった最近の学級

1.教師の視点

「リーダー生徒がいなくなった」という声をよく聞く。多くの教師が実感的にそう語る。

最もその声を多く聞くのは3月下旬、学級編制会議の場である。一般に、学級編制をするときに、各学級に男女各1名のリーダーA生徒(高いリーダー性をもち、学年リーダー或いは生徒会を担当するような学校リーダーレベル)、男女各1名のリーダーB生徒(リーダーAには及ばないが、学級をまとめる程度のリーダー性をもつレベル)の計4名を配する必要があるとされる。つまり、リーダー生徒は学級数×4の人数が必要とされるわけである。しかし、そのリーダーA・B生徒のリストアップが学級数分に遠く及ばない。

反対に、問題傾向に数えられる生徒たちはかつてと比べて格段に増えている。80年代に見られた教師に反抗的な、いわゆる「校内暴力」へとつながるような問題傾向生徒、多くの方々が問題傾向の典型として意識しているような、いわゆる「〈反〉社会生徒」と呼ばれる問題傾向生徒はむしろ減っている。増えているのは、一つは「〈非〉社会生徒」と呼ばれる、人間関係を紡げないタイプの生徒、小さな人間関係トラブルがすぐに決定的な不登校傾向への要因となってしまうようなタイプの生徒たちであり、もう一つは「〈脱〉社会生徒」と呼ばれる、社会的な物語を共有できないタイプの生徒、時間意識をもって学校生活を送ることが難しかったり、分担された当番活動に取り組めなかったり、授業や行事にごく普通に参加することさえ困難だったりといったタイプの生徒たちである。総じていえば、「学校システムから遁走する生徒」が増えているのである。

結果、学級編制会議はたいへん重たい雰囲気で終わらざるを得ない。担任教師にとって自分の学級にリーダー生徒がいないということは、普通ならリーダー生徒のリーダーシップに期待できる仕事まで学級担任がしなければならないことを意味する。学級集団というものは、「教師─生徒」という縦関係と「生徒─生徒」という横関係とがうまくバランスがとれたときに機能するという特徴をもつ。多くの教師はリーダー生徒に対して、学級担任が縦関係において強権発動した場合にも、リーダー生徒が横関係において調整してくれることを期待する。学級担任に対して反感を抱いた生徒に、「まあ、そう言わないで先生の立場もわかってやろうよ」というようなリーダーイメージである。こうした調整力はあくまで、縦関係と横関係という「軸の異なる関係」がバランス的にうまく機能したときに発揮される調整力という特質をもつ。リーダー生徒のいない学級を担任することは、学級担任にとって、縦関係のみにおいて規範維持と学級のストレス調整との両方を担わなければならないことを意味するのである。

これは学級担任にとってかなりきつい。教員以外の方々から見れば、規範維持と人間関係調整を同時にすることがくらいできなくてどうする、それが学級担任の仕事ではないか、との反論も聞こえてきそうである。もちろん、学級経営・学級運営を巨視的に見ればその通りである。しかし、もう少し日常的に、微視的に見たとき、リーダーがいない学級というものは、学級担任がこうしたベクトルの異なる二軸の営みをどんな些細なことに対しても配慮しなければならないということを意味するのである。

しかも、学級では「〈非〉社会生徒」「〈脱〉社会生徒」がかなりいて(私の実感では、現在、一般的な学級で4割程度を占める)、学級担任は毎日毎時間、こうした生徒たちへの対応に追われ続ける。更には、時代は消費資本主義社会、Aの正義はBの正義に反し、Cの利益がDの不利益になるという多様化への対応が現在の学級担任には常に突きつけられている。もちろんこうした生徒たちの背後には保護者がいる。その中には一定数のクレーマー予備軍が潜在している。いま学級担任が立っているのはこうした地点なのである。

自分の学級にリーダー生徒がいることは、このストレスフルな状況をかなり緩和させる。「〈反〉社会生徒」をフォローし、「〈脱〉社会生徒」を巻き込む空気を醸成し、ときに発動せざるを得ない学級担任の強権を側面からフォローしてくれる。管理職や学年主任のフォローといった背後からの「追い風」なんかよりもずっと心強い「横風」、それが「リーダー」と呼ばれる生徒たちの機能なのである。

小学校に引き継ぎに行くと、6年生の担任の先生が「リーダー生徒がいないんですよ。すいません。」と言うことが多い。おそらく小学校高学年にも同じような構造があるのだろう。生徒会事務局を担当したり、学年協議会(学年の学級代表委員会)を担当したりする教師たちの心象にも同じような構造がある。残念ながら、これが「学校のいま」である。

2.生徒の視点

昨今、「リーダー生徒」が不登校に陥る事例が増えている。学校行事でリーダーとなり、中心的に学級をまとめようとした末に学級の生徒たちの軋轢が生じ、俗に言う「浮く」という状態になる。そうした人間関係トラブルに耐え切れずに不登校傾向を示す、そうした事例である。こうした現象が「リーダー生徒がいなくなった」「リーダー生徒が弱くなった」という教師の実感を後押ししている現実がある。

学級集団を構成する子どもたちが、時代とともに変容してきているのは確かであろう。現代の子どもたちは、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力としての「コミュニケーション能力」の高低を互いに評価し合いながら、自らの「スクール・カースト」の調整に腐心していると見て良い。「スクール・カースト」は別名「学級内ステイタス」とも呼ばれ、学級への影響力・いじめ被害者リスクを決定し、子どもたちを無意識の階級闘争へと追い込んでいる、重要な概念である。ここでは、森口朗(1)の提案を軸に「スクール・カースト」概念を見ていくことにしよう。

21世紀に入って、教育界から政財界に至るまで、これからの人間に必要なのは「コミュニケーション能力」であると声高に主張している。しかし、この「コミュニケーション能力」の具体が何であるのかという説得力ある論述はなかなか見られない。森口朗は、これを子ども達が〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力と捉えていると分析した。〈自己主張力〉とは自分の意見を強く主張する力、〈共感力〉とは他人を思いやる力、〈同調力〉とは周りのノリに合わせる力である。更に詳しく言うなら、次のようになろうか。

自己主張力…自分の意見をしっかりと主張することができ、他人のネガティヴな言動、ネガティヴな態度に対してしっかりと戒めることのできる力。80年代以降、世論によって大切だと喧伝されてきた能力であり、臨教審以来の教育政策の根幹として位置づけられてきた能力でもある。

共感力…他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。従来から学校教育で大切と考えられ、リーダー性にとっても絶対的に必要とされ重要視されてきた能力。多くの教師が「いい子」「力のある子」と評価する要素にもなっている。

同調力…バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。子どもたちによって現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている、現実的には最も人間関係を調整し得る能力。

この三つの総合力を「コミュニケーション能力」と呼ぶ。毒舌タイプの級友にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子をイジじって盛り上げたりしながら、「場の空気」によって人間関係を調整していく、そうした高度な能力である。

この三つの力の総合力を子どもたちが「スクール・カースト」(=学級内ステイタス)を測る基準としている、というのである。森口はこれをマトリクスとしてまとめ(『いじめの構造』新潮新書・45頁)、三つの力といじめ被害者リスクとの関係を示した。そこで分析されているのは、現代の学級が以下の八つのキャラクターによって構成されている、ということである。

①スーパーリーダー(自己主張力・共感力・同調力のすべてをもっている)
②残虐なリーダー(自・同をもつ)
③栄光ある孤立(自・共をもつ)
④人望あるサブリーダー(共・同をもつ)
⑤お調子者・いじられキャラ(同をもつ)
⑥いいヤツ(共をもつ)
⑦自己中心(自をもつ)
⑧何を考えているかわからない(自・共・同のどれももたない)

これをもとに「スクール・カースト」の高低を図示するなら、次頁の図(略)のようになる。しかも、ここで言う「スーパーリーダー」は、現在の学級にはほとんどいない。それに対して、「お調子者」「いい奴」「自己中心」はかなりの数がいる。また、「残虐なリーダー」も一定程度いる。この集団構成が現在の学級集団の統率を著しく難しくしているのである。

さて、ここで教師の立場として考えておかなければならないことは、実はこの「スクール・カースト」が、決して子どもたちだけが対象になっているわけではない、ということである。実はこうした階級闘争のまなざしは、担任教師にも向けられているのである。もしも、担任教師が「自己主張力」と「共感力」しかもたず、「同調力」をもっていないとすれば、それは「スーパーリーダー」以下、「残虐なリーダー」と同等程度のカーストと見なされる。「共感力」「同調力」はあるが、「自己主張力」が弱いという場合には、「残虐なリーダー」以下の「人望あるサブリーダー的な教師」と見なされている。「自己主張力」だけなら「自己チュー教師」、「共感力」だけなら「いい奴だけど、いじめのターゲットになり得る教師」とさえなるのである。

おそらく最近の小学校高学年において頻出している学級崩壊は、担任教師のカーストが低く、それ以上のカーストとして認められている子どもたちの影響力の大きさによって引き起こされている。こうした現状に鑑れば、現在、学級担任が「残虐なリーダー」タイプや「お調子者」タイプと対立しながら学級を統率していくことは至難の業なのである。その意味でも、子どもたちのノリ、時代的なノリに対する、教師の「同調力」が重要になる。他人を思いやりましょう、規律を守ることが大事だ、といった真面目一辺倒の路線では立ちゆかないのが現代的学級の特徴なのである。

教師はいま、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉という三つの力の総合力としての「コミュニケーション能力」をもたねばならない立場に置かれている。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さん・お姉さん教師が、学級を統率することができずに崩壊させる要因がここにある。

私が本節冒頭に挙げた「行事を機に不登校傾向を示すリーダー生徒」は、もともと学級担任によって「いい子」と目されるような生徒たちだった。こうした生徒たちはスクール・カーストでいえば、「人望あるサブリーダー」か「いいヤツ」キャラの生徒だった。こうしたカーストの生徒たちが、行事で学級集団をまとめ、リーダーシップを発揮しなければならない立場に追い込まれ、学校システムに対応した動きをしようとしたとき、「残虐なリーダー」の抵抗とそれに同調する「お調子者キャラ」たちの圧力に屈し、自分の居場所を失ってしまったということなのである(2)

学級担任はいま、学級にスーパーリーダーがいない場合、学級運営や行事運営のリーダーとして「残虐なリーダー」を指名し、「残虐なリーダー」との関係を維持しながら運営しなければならない立場にある。それができない教師の学級が学級崩壊へと向かっていく。そうした現状にある。

このような学級集団の構成にどのように対応していくかについては、別の機会を待ちたい。

【注】

(1)森口朗『いじめの構造』新潮新書・2007
(2)土井隆義『友だち地獄』ちくま新書・2008

『児童心理』2010年8月臨時増刊号より

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