エピソードで語る教師力
皆さんは「戦場のメリークリスマス」という映画を御存知でしょうか。一九八三年公開、大島渚監督の大ヒット作です。デビッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティらの出演した、私たちの世代にとっては想い出深い映画でもあります。私がこの映画をロードショーで見たのは高校二年生のときでした。
この映画に印象深いシーンがあります。
日本軍の捕虜となった英国軍人のデビッド・ボウイが軍律会議にかけられます。軍律会議にかけられても反抗的な態度を崩さないデビット・ボウイに対して、内藤剛志演じる審判官がその人物像を把握しようと問い詰めます。
You must tell us your pass history.
しかし、デビット・ボウイは即座に、吐き捨てるようにこう言います。
My past is my business.
「お前はこれまでの生育歴を話すべきだ」と言った審判官に対して、「過去は私だけのものだ」とデビット・ボウイが返した……といったような意味合いですね。もしかしたら、あくまで私にとって印象深いシーンであって、一般的には、この映画の根幹をなすシーンとはみなされていないのかもしれません。しかし、私はかなり重いシーンだと感じています。私が高校時代からこのシーンを印象深く感じたのは、おそらくここに日本人と西洋人との一番の違いがあるように感じたからなのではないか、自分ではそう感じています。
「エピソードで語る教師力」という企画が持ち上がったとき、実はちょっと引いてしまっている自分を感じていました。山田洋一先生の発案でした。私と山田洋一先生に編集者が三人、五人で飲んでいたときのことです。確か新宿の魚と日本酒のおいしい小さな居酒屋でした。いろいろな先生方に、どのようにいまの自分が形成されてきたのかをエピソードを中心に語ってもらおう、それがこれから教師人生を充実させていく若い読者のヒントになるのではないか、そういう発想での提案だったように思います。
私は「それはいいね」と応じました。その提案の時点で、私の頭の中には、自分がそれを書き綴るメンバーにされるという頭がなぜかなかったのでした。山田洋一先生の提案だったものですから、なんとなくこの企画は小学校の先生の企画だと感じていたのです。しかし、話が進んでいくと、執筆者は十人、小学校教師が七、八人に中学校教師が二、三人、そういう話になってきました。どうやら小学校教師の企画なのだろうと考えていたのは私だけで、その場にいた私以外の人たちは、みんな私も書くものだと考えていたようです。
それから数ヶ月、自分には何が書けるのだろうかとなんとなく頭の片隅に意識されている、そんな毎日が続きました。どうも自分には若い教師に「こういうふうに教師生活を送るといいよ」というようなエピソードがないのです。
確かに、授業力を高めるためにどんな授業技術をどんなふうに学んできたかということなら書けます。自分の話し言葉を鍛えるためにどんな取り組みをしてきたかということも書けます。そのような目的的に取り組んできたこと、自分で意識的に取り組んできたことならば、若い教師に役立つようにといくらでも書き記すことができます。しかしそれは、「○○という目的ならば○○するといいよ」という一点集中型の提案であって、私という教師の力量がどのように形成されてきたのかということとは距離があるのです。
私はこれまで幾つかの書籍を上梓させていただきました。しかし、それらは私の教師生活の一部を目的的に切り取り、まさに「○○という目的ならば○○するといいよ」という提案の集積なのです。決して、「私はこうしてきた」「こういう努力があっていまの私がある」というような報告的な提案ではないのです。むしろ私は、そういう提案の仕方を避けてきたところがあります。
本を書くということは、一般には「テーマ先にありき」です。テーマが先にあって、そのテーマに対応するような事例を自分の経験から引っ張り出してくる。そうした経験の中には、書いて良いものもあれば悪いものもある。読者に伝わりやすいものもあれば伝わりにくいものもある。そうした中から、書いて良いもので読者に伝わりやすいものだけが具体例やエピソードとして用いられる。そういうふうに出来上がっていくものなのです。決して、学級経営の本には著者の学級経営がまるごと書かれているわけではありませんし、生徒指導の本に著者の生徒指導がまるごと書かれているわけでもありません。そういうものなのです。
しかし、「エピソードで語る教師力」となると、そうはいきません。いまの自分の実践力がどのように形成されてきたのかを語る、しかもそれをエピソードを中心に語るということになると、書いていけないことは同じように書けないにしても、読者に伝わりにくい部分についてはなんとかして少しでもわかりやすく書くことをしなければ、表層的なものになってしまいます。しかも、私にはデビッド・ボウイの科白のように「過去は自分だけのものだ」という感覚がありますから、どうもそういうエピソードをわざわざ他人に読んでもらう必要はないのではないかと思えてしまうのです。
しかし、今回はせっかくの御依頼ですし、また、酔った上とはいえ一度書くと約束したことでもありますので、書いてみようと思います。しかも、「戦場のメリークリスマス」で私が感じたように、日本人にはその人の歴史といっしょに提案が提示された方が、心情的なわかりやすさが出るということもわからないではありません。ですから、今回は思い切って書いてみようと思うのです。
ただし、最初に読者の皆さんにご了承いただきたいことがあります。
セミナーのQ&Aのコーナーで参加者から「堀先生はどんなふうに力量形成を図ってきたのか」と尋ねられることがあります。或いはここ数年流行している「ライフヒストリー・アプローチ」の手法を使って力量形成の歴史を語るということを経験したこともあります。いつもこういうセミナーで話をしての率直な感想は「どうも自分の教師としての成長の根幹をはずしているな」という思いでした。理由は幾つかありますが、ごくごく簡単にいえば、まずは、私自身がそうした自分史のようなものを語ることに意味を見出せていないこと、短時間で語ることは無理だと最初から感じてしまって端折って話をすること、という二つの理由を挙げることができます。そして実は、こういう場で私が自分史を語れない最も大きな理由は、国語教育の話と学級経営・生徒指導の話とを結びつけて話をしないと自分の意図が伝わらないものですから、国語教育のセミナーにおいても、学級経営・生徒指導のセミナーにおいても、その参加者の傾向からその両方を結びつけて語ることを避けてしまうという事情があるのです。
私は次章から、私が教師を志した学生時代からこれまでにどんな問題意識を抱き、どんな意識でどんなふうに生徒たちに接し、どんな意識でどんなふうに研究会に参加し、どんな意識でどんなふうに実践研究に取り組んできたのかを語ります。しかし、そこには、ある程度の国語教育の専門用語や先行研究などを掲載することが避けられないのです。しかもその中には、若い読者が知らないような、戦前に刊行された本とか戦後間もなくに流行した実践手法なども出て来ます。それだけをご了承いただきたいのです。ただし、これから語られるエピソードの本筋に深くは関係しないという部分については、思い切って端折ります。言い訳にしかなりませんが、国語教育の専門家でなくても文意が理解できるように書いたつもりではあります。
私がこれから書くことは、おそらく教師としてはかなり異色だと思います。これまで様々な人たちに異色であるという指摘を受けたことがあります。もちろん、私は教員養成カレッジから公立中学校の国語教師になっただけの人間ですから、教師としての経歴はまったく異色ではありません。おそらく問題意識の立て方が異色なのだと思います。しかもこれほど振り子の振れる教師人生、それも自分で意識的に振り子を振るという教師としての在り方も異色だろうと思います。
仲の良いサークル仲間とか、呑んで話をした研究仲間とか、そういう人たちにさえ、あまり私の問題意識は理解されたことがありません。ですから、これから語る私が教師を志して以来二十五年あまりエピソードが、読者の皆さんに役に立つのかどうか甚(はなは)だ心許(こころもと)ないというのが正直なところなのです。そしておそらく、読み物としてもそれほどおもしろいものではありません。
また、せっかく私にこの本を書くように薦めてくれた山田洋一先生や編集者の皆さんの期待を裏切ってしまうのではないかという不安も抱きます。「私が書いて欲しかったのはこんな本ではない」と。もしかしたら「こんな本は出版できない」と言われるのではないかという不安さえ抱きます。
この本はおそらく、私の実践にではなく、私という教師に、私という人間に興味を抱いてくれている数少ない読者にしか興味をもって読めないものでしょうし、私という教師に興味を抱いた人にしか役立つこともないものでしょう。それでも、学生時代以来の様々な資料を繙きながら、正直には書いていきます。学生時代や新卒時代のエピソードには、著者も気づいていないような過去の美化が若干はあるのかもしれませんが、私はいまでもその頃の思いを生々しく覚えているつもりです。少なくとも、いま現在、私の頭の中にある学生時代や新卒時代はこういうものであるということだけは確かです。
では、まずは思うところがあって、学生時代を後まわしにして、新卒時代のエピソードから語り始めたいと思います。はじまりはじまり……(笑)。
THE MAMAS & THE PAPAS/CALIFORNIA DREAMIN'を聴きながら
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