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学校教育のマクドナルド化

以下はかつての「学びのしかけMM」(2011.07.22)の原稿です。ファイルを整理しているうちに見つかったのでアップしておきます。

マクドナルドに行ったことのない読者はおそらくいないでしょう。それほどマクドナルドは今日、私たちの生活に密着したファーストフード店になっています。ここではまず、マクドナルドに代表されるファーストフード店の構造について考えてみましょう。

夏休みの一日、同僚と二人、昼休みにマクドナルドに行こうと考えたとします。店をちょっと覗いてみると、カウンターには7、8人の行列。うん、これならそれほど時間はかからない。1時には学校に戻れそうだ。よし、昼食はマック(関西はマクドですね・笑)にしよう!となります。

列に並ぶとほどなく自分の順番。このセットでドリンクはホットコーヒー、ポテトはM、というふうにすぐに決まります。数百円を支払い、トレーにすべてが並んだところで席へ。いつもの味、いつもの量で、ちょっとだけおしゃべりに花を咲かすとごちそうさま。カラになったカップやハンバーガーの包み紙をくずかごへ、トレーを所定の場所に片付けて……。さて、お腹もふくらんだし、仕事に戻るか……ということになります。

さて、ここで考えてみましょう。もしもこれが喫茶店だったら、と。店を覗いて7、8人が待っていたとしたらあなたはこの喫茶店に入るでしょうか。ウェイトレスさんに「お客様、商品をお席までご自身でお運びください」と言われたら、納得できますか? 「コーヒーカップや手ふきのペーパーを自分で所定のくずかごに分別して捨ててからお帰りください」と言われたらどう感じるでしょうか。そうです。喫茶店ならどれもこれもウェイターやウェイトレスがしてくれることを、マクドナルドでは私たちは何の疑問も抱かずに自分でやってしまっているのです。

ついでにいえば、実はマクドナルドでは、椅子を硬い素材でつくり、長く座っていることができないようにして客の回転をよくする、という工夫も行われているそうです。

しかし、私たちは一般的に、そんなことにはまったく気づかずに楽しく食事をし、満足してマクドナルドをあとにしているのではないでしょうか。これはいったいどうしたことなのでしょう。

このように、顧客に嫌な思いや疑問を抱かせることなく、本来サービスを提供する側がすべき労働を顧客の側に分担させたり、対立や障壁を避けながら目的を達成したり、徹底した効率化によって全国どこでも均一化したサービスを提供したりする社会を、ジョージ・リッツァは〈マクドナルド化〉と呼びました(『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部)。

実はこうした〈マクドナルド化〉の原理は、昨今、学校教育にも意識的・無意識的に導入されています。

例えば、みなさんは休み時間に、ニコニコしながら、或いは生徒たちと半分遊びのような会話を楽しみながら巡視してはいないでしょうか。しかもそれは、生徒指導部や学年の方針として、「いかにも監視という雰囲気の巡視は避ける」というように取り決められた結果として行ってはいないでしょうか。また、生徒指導研修会では、いわゆる指導事案のが起こったときにも「カウンセリング・マインド」が奨励され、当該生徒によく事情を聞き、生徒の立場を理解たうえで説諭するように、といったことが基本方針として示されてはいないでしょうか。

私は1966年生まれですが、私の中学生時代は校内暴力の真っ只中の時代で、廊下には竹刀をもった生徒指導の先生がいたものでした。何か悪いことをしたときにも、自分の話などはほとんど聞いてもらえず、とにかく怒鳴られる……そういう指導を受けてきたものです。
 実はこのことは、私たちの受けてきた教育からいま私たちが行っているような教育へと、時代がシフトしてきたことを示しています。つまり、「中学生らしい生活態度」や「あるべき学生の姿」のような理念を前面に押し出しながら、「そうあるべきである」といった指導から、生徒たちに嫌な思いや疑問を抱かすことなく、周りに迷惑をかけたり周りから非難されるような生活態度を改めさせていく指導へ、というシフトです。教師の指導姿勢として考えれば、要するに「これが正しい」というメッセージをひたすら投げかける指導姿勢から、〈マクドナルド〉のようにそうとは気づかせないままに目的を達成する指導姿勢へと変化してきているわけです。

東浩紀は前者を「規律訓練型権力」、後者を「環境管理型権力」と呼びました(『自由を考える』東浩紀・大澤真幸・NHKブックス)。そして私も、こうした教師の指導姿勢のシフトについて、方向性としては間違っていない、と感じています。ただし、私は「管理」という言葉が教育に導入するときにはちょっときつい言い方だと感じていますので、同様のことを「規律訓練型権力から環境調整型権力へ」という言い方をしています。

私は「学びのしかけ」を、生徒たちに対して、絶対正しい唯一の在り方を強制するのではなく、自分も含めて、生徒を取り巻く様々な環境を調整していくなかで、少しずつ目的を達成していく指導の在り方を追究することだと捉えています。

次回、私の執筆回においては、「環境調整型」の実践をいくつかご紹介することにします。なお、こうした「環境調整型権力」を意識した学級経営の手法については、拙著『学級経営10の原理・100の原則』(学事出版)をご参照いただければ幸いです。

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