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仕事術の本質は「認められること」である

職員会議は何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まります。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人がいうなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことになります。良いか悪いかは別としてこれが真実です。「うちの先生方は……」と嘆く方にはいつもこう言います。

研究会のQ&Aコーナーにおいて、「実際に仕事をしていくうえで教師に必要な力は何ですか」と訪ねられたり、「若い教師にこういう力をつけると良いよというメッセージをお願いします」と求められたりすることがあります。私はいつも、冗談めかして次の三つだと応えることにしています。

第一に「サボる力」です。「サボる力」などというと不謹慎に聞こえるかもしれません。しかし、世の中には、朝早くから来てその日の授業の準備をし、放課後に部活動を指導した後も遅くまで事務仕事をしているという教師が多すぎるように感じています。一日に14~15時間くらい働いているわけですね。そういう先生を見ていると、もう少し仕事を効率化できないのだろうか、効率化することを覚えればずいぶんと楽になるのに……と思わずにいられません。

教師の仕事において、「効率化」という言葉使うと、どうしても違和感をもつ方が多いだろうと思います。教師の仕事を効率主義で運営するのはいかがなものか、というわけてず。もちろん、部活動とか行事指導とか生徒指導とか、要するに生徒と関わる仕事は効率化することはできません。

しかし、そういう先生はいわゆる事務仕事をとても非効率にやっていることが多いのです。例えば、1枚のプリントをつくるのに何時間もかかる、「時候の挨拶はどんなのにしようかなあ」なんて考えているうちにネットや事典で調べ始めるとか、ちょっとしたひと言にこだわってなかなか完成しないとか、そんな仕事の仕方ですね。また、行事の反省アンケートを係の先生に請求されてから慌てて書き始める、もう行事が終わって1週間も経っているのでどんなことを感じたかも忘れてしまっている、結果、アンケート1枚書くのにずいぶんと時間がかかってしまう……こんなこともあります。

私の言う「サボる力」というのは、こんな現状を「サボる時間」を生み出すにはどうしたら良いかと考え続けることによって、仕事の仕方を工夫し効率化することによって、時間を生み出すとともに効率的な事務仕事の在り方を身につけよう、という意味合いです。

現在の私は職員室で珈琲を飲んでいる時間とか、ちょっとした調べものをする時間とか、放課後に生徒たちとコミュニケーションを図る時間とか、そうした余剰時間がたくさんあります。しかも残業は生徒指導関係以外にはまったくと言って良いほどありません。それは私が保護者向けプリントなら1枚つくるのに15分程度しかかかりませんし、定期テストをつくるのでさえ2時間程度しかかからないからです。ちなみに授業用のワークシートなら10分程度ですし、校務分掌の提案文書もどんなに複雑なものでも30分まではかかりません。

こうした仕事の仕方ができるようになるまで、私は自分自身をずいぶんと鍛えてきました。そしてその出発点が「サボる時間」を生み出すにはどうしたら良いか……という発想だったわけです。

効率化というのはいかに時間を生み出すかということです。時間を生み出す必要性がないと、人間、なかなか時間を生み出そうなどとは考えないものです。私はちょっと珈琲ブレイクとかちょっとおしゃべりとかが大好きなので、そういう時間を生み出そうと考えるわけですね(笑)。そうした私の性質が意図的・意識的な仕事の効率化へと私の発想を向けさせたわけです。

第二に、「いじりいじられる力」です。生徒との関係にしても保護者との関係にしても同僚との関係にしても、「いじれていじられることができる」という双方向が成立している状態が、まず間違いなく信頼関係が築けている状態と言えます。基本的にはこういう人間関係を目指すのです。

いじるだけではダメです。それは自分がツッコミばかり入れて、上下関係が固定化されている状態です。そうなると、相手がどのようなことを考えていて、どのよなことを感じているのか、相手の真意に気づきにくくなっている状態です。

また、いじられるだけもダメです。それは自分が下に見られている人間関係が固定化している危険性があるからです。その時々の話題に従って、その時々の空気に従って、どちらもいじりいじられる上限関係の流動性が担保されている、それが理想的な人間関係であると私は思います。

ちなみに「いじめ」と「いじり」の違いを皆さんはご存知でしようか。「いじめ」は相手に対する悪意、ネガティヴな感情から行われるものであり、「いじり」は相手に対する好意、ポジティヴな感情から行われるものです。従って、「いじりいじられる」ということは双方の双方に対する好意が双方によって認識されている状態を担保します。そうした潤いこそを目指そう、そんな意味合いです。

ただし、最初からそういう状態を目指していじったりいじられたりすべきと言っているのではありません。私はここまでかなり「理想状態」という言葉を用いてきましたが、それはあくまで人間関係ができた末に出来上がる状態です。当初は誠実な対応をし、楽しいことに取り組んでともに笑う機会を重ねる、そうした営みの末にこそこの「いじりいじられる関係」は成立するのです。

どんなに好意をもっていたとしても、いきなり生徒をいじると傷つけてしまうことがありますし、いきなり保護者をいじると引かれてしまうことがありますし、いきなり校長をいじったら怒られるかもしれません。そんなことはあり得ないのです。

私は「いじり」というものが相手に対する好意から生まれると言いました。つまり、「いじりいじられる力」をもてというのが、だれ一人嫌ってはならない、全員に好意をもつのだということを前提思想としているのにお気づきでしょうか。教師の資質として、他人を嫌わないということはとても重要なことです。「いじりいじられる力」とは、そのような資質を求めた、教師の力量の根幹を提示しているつもりです。

第三に、「流される力」です。自分の考え方や仕事の作法をただ主張するだけではなく、必要なときには周りに流されてみる、そういう力です。

「周りに流されてみる」などというと、そんなことが力量なのかと思われるかもしれません。一般に、周りに流されることはネガティヴな捉え方をされていますからね。しかし、私の言う「流される力」は、ポジティヴに流されてみることを指しています。

皆さんにはこんな経験がないでしょうか。

新しい学校に転勤したときの話です。転勤先の学校のやり方に違和感を抱きます。一つ一つがシステマティックに動いておらず、どうも無駄が多い感じがする。第一義に考えるべきことが蔑ろにされている感じがあり、どうも職員室の先生方の仕事の優先順位が違うような気がする。もう少し生徒たちに高い要求をすれば良いのに、生徒指導上大切な点がなあなあになっている気がする。職員会議で議論が交わされることがなく、提案された原案がすべて通っていく。違和感の質は様々ですが、転勤したてのときというのは、だれもが違和感の塊になるものです。

こうした違和感から、力量の高い先生ほど「この学校はおかしい!」と思い、改革しようと考えます。私はそれがいけないと思っています。

実は新しい学校に対して抱く違和感には、かなり大きなバイアスがかかっているものです。長年にわたって慣れ親しんできた前任校の仕事の優先順位や仕事の作法が、転任先の学校の在り方に必要以上の違和感を抱かせるのです。もちろん、郷には入ったからといって必ずしも郷に従う必要もありませんが、学校改革は前任校のイメージを先行させながら改革しようとすると必要以上に揉めるのが関の山、まずうまく行くことはありません。

しかもあなたはその学校の職員室から見れば新参者です。古くからその学校にいる先生方にとって、新参者の改革など受け入れられるはずもありません。「おもしろくない」と思われるのが普通です。

その学校がそのような状態になっているのには、大袈裟にそうなるだけの歴史があるのです。あなたはその歴史に参加してきた人間ではありません。ですから、転勤先の学校において新任者がまず何より優先させて行うべきはその学校の歴史を知ることです。なぜ仕事上そのような優先順位になっているのか、なぜそのような仕事の作法が生まれ維持され続けているのか、そのような歴史を理解するのです。この歴史を理解しないままに行われる学校改革など、所詮「机上の空論」的な改革に過ぎないのです。

転勤したときにまず私たちが考えなければならないことは、その学校の歴史を知ることです。前任校の作法を基準としてではなく、あくまでもこの学校の歴史を基準として改革案を考えられるようになる、その状態になって初めて転勤先の学校改革に参画する資格が得られるのです。このように考える謙虚さをもつことが、新しい学校でうまくやっていくコツ、新しい学校でも仕事を楽しくやっていくコツなのです。

もう一つは、自分に与えられた担任学級、校務分掌で目に見える成果を上げることです。安定的な学級経営を行うこと、これまでとは違った分掌運営をすること、それも職員室の先生方が「良くなった」と感じられるような先生方に配慮した分掌運営を行うことです。それが職員室で「認められる」ことにつながります。

この国の会議は、「何が正しいか」ではなく「だれが言ったか」で決まります。良い悪いはともかく、そういうものなのです。それが現実なのです。職員室で認められていない教師が何を提案してもダメです。提案が通るのは「現状維持提案」だけです。もしも本気で学校を改革しようと思うならば、まずは職員室で「認められること」なのです。「認められること」なく為される提案は、多くの先生方にとって「わがまま」にしか映りません。この原理は教員に限らず、この国で職業人として生きていくうえで、大切な大切な原理です。

私の言う「流される力」とはこういう意味です。ポジティヴに流されてみる力のことです。流されながらも問題の本質を見極めていく力のことです。究極的ではありますが、本質的な仕事術であると私は考えています。

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