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2012年8月

8月30日(木)

1.【残席12】累積科学国語教育研究会in東京。10月6日(土)上智大学。参加費3000円。あの親塾・教師塾の多賀一郎先生、東京学芸大学の千田洋幸先生をお迎えして。FGの藤原、教室ファシリテーションの堀、そして多賀先生が模擬授業で提案します。http://kokucheese.com/event/index/46174/

2.授業は朝から5連発。教室は手元の温度計で37度。生徒がばたばたと倒れ保健室へ。これだけアスファルトで固めた街づくりをすると、北海道でもこうなるということだ。おまけに新校舎独特の空気、匂いが人を気持ち悪くさせてしまう。もうどうにもならない。困ったものだ。そんな中で俳句や説明文。

3.授業づくりには教師の仕事のすべてが凝縮されています。その教師の知識、仕事に対する構え、コミュニケーション・スキル、人間的魅力などなど、その教師の〈人間〉がすべて凝縮されているのです。その意味で、授業を5分も見れば、その教師の教師としての実力はだいたいわかるものです。

4.学級経営がうまいのに授業が下手だという教師を見たことがありません。部活動では見事な指導をして成果を挙げるのに授業は下手だという教師を見たことがありません。ましてや、授業が下手なのに見事な教育課程を編制するなどという教師がいるはずもありません授業づくりにおいて多角的な広い視野で検討できる人は、学級も部活も多角的に見えているのです。授業で深い洞察ができる人は学級経営でも部活指導でも深い洞察力を発揮しているのです。授業づくりを多角的に検討でき、子どもたちに深い洞察の目を向けられるからこそ、現実的な教育課程も編制できるのです。

5.最近、教師の学びの対象の中心が、教師の興味関心の中心が、授業づくりから学級づくりへと移ってきています。書店の教育書コーナーを見れば明らかです。かつては書棚のほとんどが、授業づくりと教育問題で占められていました。「○○の授業」「授業づくりの○○」といったタイトルがひしめき合っていました。「国語教育」「数学教育」といった教科別のコーナーも広く取られていました。その一角に「いじめの指導」とか「不登校児童の対応」とか「管理教育批判」とかがひっそりと佇んでいるという趣でした。いまは教育書コーナーの半分近くのスペースを学級づくりが占めているという状況が当たり前になりました。

6.しかし、考えてもみてください。子どもたちが学校にいる時間の8割程度は授業なのです。学級づくりも生徒指導も、学活や放課後にのみ行われるものではないのです。生き生きとした学級を特別活動だけでつくれるはずもありませんし、子どもたちが安心感をもてる人間関係を授業外のみで考えることもナンセンスなのです。授業の中でどのように教師が信頼されるような言動をとり続けるか、授業のなかでどのように子どもたち同士の人間関係をつないでいくか、こうした視点を抜きにして学級づくりも生徒指導もあり得ないのです。

7.私はいま一度、教師は学びの焦点を授業に戻すべきだと考えています。授業の中にある学級づくりや生徒指導の機能を再評価する……そういう視点を大切にすべきだと考えています。

8.もう一つ、私が危惧を抱いていることがあります。それは授業づくりの中心があたかも〈協同学習〉や〈ファシリテーション〉であるかのような風潮が一部に見られることです。もちろん、長い歳月を経て、そういう時代が来るかもしれません。わたしはも前著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』を提案していますから、そのことは否定しません。しかし、いまなお、まだまだ授業の中心は〈一斉授業〉です。これはまったく揺るがない「事実」であり「現実」です。

9.そもそも、実は〈一斉授業〉をできない教師に、〈協同学習〉や〈ファシリテーション〉は成立させられません。子どもたちの活動したい、交流したいという意欲を喚起するのは、課題の質であり、確かなフレームワークです。そしてそれは、長く行われてきた発問研究や授業システム研究と質を同じにしています。

10.〈協同学習〉や〈ファシリテーション〉を悪いと言っているのではありません。若い教師はそれらと同時に、〈一斉授業〉をもできるようにならなければならない、と言っているのです。子どもたちを納得させたり捌いたりという手法を身につけなければ、ダイナミックな活動は機能不全に陥ります。 ダイナミックな活動の流行、ダイナミックな活動の効果は、それだけを学べば良くなったことを意味しません。学ぶことべきことが増えたことを意味しているのです。教師たる者、その覚悟をもちたいものです。

11.『一斉授業10の原理・100の原則』の装丁案が送られてきた。とてもきれいな緑である。毎回、これが届くと、「ああ、刊行が近いんだな」と実感する。

51tb6th60el__sl500_aa300_12.TUG OF WAR/PAUL McCARTNEY/1982
★★★★★

ノスタルジーも込めて★5つ。僕の人生で初めて買った洋楽アルバム。いや、SUPERTRAMPの次か。2枚目だな。

13.明日は全校生徒で劇団四季の「ライオンキング」を見に行きます。芸術教室です。

14.【残席9/今回は定員は増えません。お申込はお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

15.【残席8】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマは道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

16.第49回教師力BRUSH-UPセミナーin帯広/僕は残念ながら参加できないのですが、北海道内では一級の講師陣が揃っています。ぜひどうぞ。http://kokucheese.com/event/index/50451/

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『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』

9784761918842教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著/学事出版

まえがき

かつて子どもたちは教師が語り出せば静かに聞きました。

私が教職に就いたのは一九九一年のことです。右も左もわからぬまま中学一年生を担任した私は、まわりの先生の見様見真似と、自分がかつて学んできた担任の先生のイメージとを融合することで、なんとなく学級担任として子どもたちの前に立っていました。スキルもなく、人間的にも未熟で、いま考えると申し訳ないような学級経営であり教科運営でした。

しかし、子どもたちは、ひとたび私が語り出せば、どんなにざわついていても教室はスーッと静かになり、私に顔を向けました。先生が何か言おうとしている。ちゃんと聞かなくちゃ……子どもたちはそういう表情を向けてくれました。それがあたりまえでした。

そんな子どもたちが変わってきたのは、いつの頃だったでしょうか。おそらく九○年代末から○○年代初頭にかけてのことだったように思います。

先生の話を聞けない子どもたちが登場します。聞かないのではありません。聞けないのです。 椅子に座っていられない子どもたちが登場します。座らないのではありません。座っていられないのです。悪気はないのです。かつての校内暴力世代のように、意識的に教師に反抗しているのではないのです。反抗してくるのではあれば、教師はその子と人間関係をつくり、「まあ、しゃーねーから堀の言うことは聞いてやるか」という状態に導くことができます。彼らは話を聞けなかったり椅子に座っていられなかったりするわけではありませんから、教師との信頼関係が築けたときには指導に従います。しかし、聞けない子、座っていられない子は、別に教師が嫌いなわけではありません。それどころか人なつっこく、学校や教師が大好きであることさえ珍しくはありません。それでもやはり聞けないし、座っていられないのです。

当時、この現象は「子どもの変容」と言われました。「学級崩壊・学校崩壊」という語がメディアを闊歩しました。行政からは「生きる力」「心の教育」が叫ばれました。「管理教育批判」の世論が雲散霧消していきました。その代わり、「指導力不足教員」「不適格教員」の語がマスコミを賑わすようになりました。「子どもの変容」論は「保護者の変容」論にまで拡散し、「モンスター・ペアレンツ」なる語まで発明される始末……。

しかし、こうした現象は、たった一つの観点を変えるだけで別の見方ができたのです。そのことに学校教育は気づけませんでした。いいえ、いまだに気づけてはいません。それが学校教育にとってあまりにも当然のことであり、あまりにも学校教育の基幹として長く続いてきたために、誰もそれを疑うことができないのです。

それはひと言でいうなら、「学校のあらゆる教育活動が座学だけでできている」ということです。子どもたちは学校に来ると、ごくごく一部の行事や総合の体験学習を除いて、ただただ黙って椅子に座り、先生の話を聞き、ノートをとり、先生の期待に添う発言をすることを求められます。先生は授業において、子どもたちが自分の話を真剣に聴いてくれることを当然の前提とし、家庭において子どもたちが復習しなければ学習の成果は上がらないという理屈で動いています。保護者もその成果を上げるために協力するのが当然という理屈で動いています。それがシステムとして、意識的・無意識的に強制力をもっています。ですから、そこから逸脱する子どもたちや保護者たちは「問題傾向の子」「問題ありの親」というレッテルを貼られるのです。

この、これまで当然と思われていた学校教育システム、授業システムが〈制度疲労〉を起こしているのです。もちろん、授業から座学をすべて排除するなどということはできません。授業の中心は知識の伝達であり技術の継承ですから、それは不可能なことです。しかし、「座学だけでできている多くの授業」を「座学中心だけれど交流場面も必ずある授業」に転換できないでしょうか。この明らかに〈制度疲労〉を起こしているシステムを少しだけ、現代的な子どもたちの実態にあわせてシフトしてみてはいかがでしょうか。

〈教室ファシリテーション〉はこうした発想から生まれた提案なのです。

【目次】

まえがき

序章 「教室ファシリテーション」とは?

第1章 教室ファシリテーション10のアイテム

ペア・インタビュー

ペア・ディスカッション

グループ・ディスカッション

マイクロ・ディベート

ロールプレイ・ディスイカッション

ブレイン・ストーミング

ワールド・カフェ

ギャラリー・トーク

バネル・チャット

オープン・スペース・テクノロジー

第2章 教室ファシリテーション100のステップ

ペア・インタビュー

ペア・ディスカッション

グループ・ディスカッション

マイクロ・ディベート

ロールプレイ・ディスイカッション

ブレイン・ストーミング

ワールド・カフェ

ギャラリー・トーク

バネル・チャット

オープン・スペース・テクノロジー

あとがき

主要参考文献

あとがき

私の「10の原理・100の原則」がシリーズ化されることになりました。年二冊のペースで刊行していく予定です。本書は『学級経営』『生徒指導』に続いて、シリーズ三冊目となります。

前著二冊が学級経営・生徒指導と、生徒たちに日常的な学校生活をどのように送らせるかという分野を内容としていたのに対し、本書は〈教室ファシリテーション〉という学級活動や行事企画をどうつくりどうつくらせるか、また、経験主義的授業観に基づく学習活動や協同学習的な学習活動をどうつくるかという、前著二冊とは前提となる思想の異なる分野を内容としています。しかし、〈10のアイテム〉について〈100のステップ〉を提示しようとする試みは、そうした生徒主導の学習活動をも教師の働きかけによってシステマティックにつくっていこうという思想に支えられており、この根幹思想は変わっていないつもりです。むしろ前著二冊に比べて、今日的な「子どもの変容」を真正面から見据え、それに対応していこうとする姿勢を示したものと自負しております。

本書の内容である〈教室ファシリテーション〉の実践研究に取り組み始めたのは九○年代末のことです。いまとなっては私の人生に欠かすことのできなくなった盟友石川晋と出逢うとともに、彼の導きによって上條晴夫氏をはじめとする「授業づくりネットワーク」に集う方々と出会ったことが契機となっております。また、二○○○年代の半ばになって、ファシリテーションとディベートを中心に各方面での研修講師として活躍されている岡山洋一氏、協同学習の手法を取り入れ、その体系をつくろうと尽力されている赤坂真二氏というお二方との出逢いが、研究をまとめようという方向性へと私を導いてくれたように思います。この場を借りて、お世話になった皆様に深く感謝申し上げます。

今回も装丁とイラストでイクタケマコトさんには大変お世話になりました。ありがとうございます。また、いつもながら、怠惰な私に矢のような原稿催促を繰り返してくれた編集の戸田幸子さんにも改めて感謝申し上げます。自分よりも若いお二方と本づくりのアイディアを出し合うのはとても新鮮であり、刺激的でもあります。これからもよろしくお願いいたします。

教育にも〈不易〉と〈流行〉があります。〈不易〉をしっかりと押さえつつ、時代の変容には敏感であらねばならない、それが教師に求められています。今後とも更なる実践と研究に邁進することを決意して、あとがきとさせていただきます。

二○一二年元日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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8月29日(水)

1.【残席15】累積科学国語教育研究会in東京。10月6日(土)上智大学。参加費3000円。あの親塾・教師塾の多賀一郎先生、東京学芸大学の千田洋幸先生をお迎えして。FGの藤原、教室ファシリテーションの堀、そして多賀先生が模擬授業で提案します。http://kokucheese.com/event/index/46174/

2.10/6(土)累積国研の参加者がじわりじわりと増えてきています。「研究集団ことのは」が最も力を入れてつくっている研究会なので嬉しいです。今回の講師多賀一郎先生は雰囲気はソフトですが、かなり熱い提案をする方です。ぜひお誘い合わせのうえご参加下さいませ。お待ちしております。

3.【残席10/今回は定員は増えません。お申込はお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

4.【残席8】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマは道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

5.今日は午後から進路関係の外勤。ある私立高校の教員向け入試説明会。かなり具体的なことが話されていて感心した。時間を間違えて、1時間早く会場に着いてしまった。

Cover明治図書サイトのランキング。今日、中学校で1位になった。ホッとした。中学校ランキングで一日でも1位になれば、まあ責任は果たしたことになるだろう。あれだけ売れない本だと言ったのに、初版の数を増やしたりしたのは編集者の側なんだから。予想通り売れ行きが悪くてこっちがヒヤヒヤした。これでもう僕には責任ないぞ(笑)

7.今日は岩見沢に行ったあと、新篠津温泉へ。ものすごく久し振りに行ったのだが、こんなに良い温泉だったかなあというくらい良い湯だった。露天風呂のベンチでしばらく寝てしまった。

41emwwyga9l__sl500_aa300_8.ROCK A LITTLE/STEVIE NICKS/1985/★★★

今日から★をつけてみることにした。このアルバムはSTEVIEらしいとは言えるのだが、前2作に比べると僕には物足りない。

41auw68lcll__sl500_aa300_9.『生徒たちには言えないこと~教師の矜持とは何か?』諏訪哲二/2012/★★★/残念ながら、諏訪哲二先生も論述の鋭さが落ちてきた。「反動的!」の頃の切迫感も、「学校に金八先生はいらない」の頃の必然性もともに感じられなかった。

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8月28日(火)

1.あまりにも嬉しいお言葉の数々。水持先生のブログ。
「生徒指導10の原理・100の原則」http://blog.goo.ne.jp/wo_kawaton/e/403ba735a46c73a0abbfc4e80f73e843

2.【ブログ更新】『生徒指導10の原理・100の原則』
http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/10100-65ef.html

3.2学期二日目。かなり苦しい一日だった。朝は玄関指導。授業プリントの印刷。授業6連発。昼休みは10分ほど郵便局に外出。給食を5分で食べる。帰り学活・清掃。職員会議。学年会。会議は終了時間を決めて始める。この僕がずーっとやってきた僕の中での常識が学校の常識になるのはいつのことだろう。

4.時間は無限じゃない。会議は言いたいことを言うのではなく、言うべきことを言おう。発言は1分以内。報告は結論から。こんな簡単なこともなかなか常識にはならない。国語教育にも若干の責任がある。

5.【残席12/今回は定員は増えません。お申込はお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

71e4hqlx9kl__aa300_6.Re-Cool Reflections/寺尾聰/2006
ノスタルジーを差し引いても、このアルバムは素晴らしいと思う。

7.一度に一つのことしか指示しない、次の指示は全員が一つ目に指示されたことをやり終えたことを確認したあとに提示する、これを「一時一事の原理」と言います。向山洋一が提示し、「法則化運動」によって全国に普及しました。小学校でも中学校でも大切にしなければならない指導言技術の筆頭です。 授業で作業指示を与えたり、行事で全員を 動かす場合など応用範囲も広く、むしろ生徒 の人数が多くなれば多くなるほどその効力を 発揮する原理ということができます。

8.子供達のだれもが知っていなければならないことは、常に全員に指導する。それも今日は今日の当番に指導し、明日は明日の当番に指導すれば良いというような時間差をつくらない。最初から全員を連れて行って指導する。これを「全体指導の原理」といいます。その後の1年間が見違えるように楽になります。

9.決して言葉だけではなく、具体的に本番どおりにやってみることが大切です。これを「具体作業の原理」と言います。しかし、いくら「具体作業の原理」を用いて実際にやってみたとしても、一回きりでそれが定着しないのでは意味がありません。「具体作業の原理」は「定着確認の原理」とセットなのです。

10.【ブログ更新】『学級経営10の原理・100の原則』
http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/10100-39e8.html

11.新刊『一斉授業10の原理・100の原則』について、先ほどから編集者と細かいやりとり。メールの内容から察するに、最終のチェック段階に入っている様子。それほど遠くない時期に刊行されそうだ。いよいよだな。このシリーズには特別な思いがあるので、やはり嬉しい。

12.怒鳴る教師になってはいけません。しかし、どうしても怒鳴らなければならない場面というのがあります。その場合、30秒怒鳴ったら、その後、30分はその子とじっくり話さなくてはなりません。1分怒鳴ったら1時間その子と話してフォローしなければなりません。このくらいが最低ラインです。

13.フォローしなければならない状況に至ったら、うまいことを言おうとしてはいけません。言い訳など以ての外です。何より大切なのはその子と時間を共有することです。二人だけで静かに、ゆったりとした時間を共有することです。これにまさるフォローはありません。意外と意識されていない教育技術です。

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8月27日(月)

1.2学期1日目。朝の登校風景から始業式、教室風景と汗だくでカメラをまわす。落成式典の映像づくりのためだ。広い新校舎を短時間で3周した。これが毎日続いたら痩せるななどと思った(笑)。生徒を帰したあと、昼休みは一度帰宅。具合の悪い犬の様子を見に来る。意外と元気そうで安心。昼食をとる。

2.午後からは午前中に行われた夏休み明けテストの採点を230枚。その後、職員会議。久し振りに生徒と会い、久し振りに職員が全員揃い、いろいろな話をして楽しかった。新校舎に初めて生徒たちが揃ったわけだが、教室は想像以上に暑かった。この残暑が続くのであれば、何か対策を講じなければならない。

3.累積科学国語教育研究会は主張の異なる実践者・研究者の様々な主張を取り上げその共通点と相違点を明らかにするという学習会を多数開催し、小さな成果を積み重ねることによって国語教育を「累積科学」にしていこうという取り組みです。これまで30回の学習会と4回の研究大会を開催しています。

4.今回は初の東京開催。「心をゆさぶる国語授業」を提唱する多賀一郎先生、ファシリテーショングラフィック入門の藤原友和先生をお迎えして、物語の模擬授業でそれぞれの主張を展開していただきます。私堀も「物語の語り手の人物像」を読み取る模擬授業をします。どうぞお誘い合わせの上ご参加下さい。

5.【残席17】累積科学国語教育研究会in東京。10月6日(土)上智大学。参加費3000円。あの親塾・教師塾の多賀一郎先生、東京学芸大学の千田洋幸先生をお迎えして。FGの藤原、教室ファシリテーションの堀、そして多賀先生が模擬授業で提案します。http://kokucheese.com/event/index/46174/

6.【残席14/今回は定員は増えません。お申込はお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

7.この機会を逃したら、佐藤幸司・桃崎剛寿両先生のお話をまとめて聞く機会はないかもしれません。少なくとも北海道ではこれが最初で最後になるのではないでしょうか。主催者としては、そのくらい貴重な機会だと思っています。 お誘い合わせのうえ是非ご参加くださいませ。

8.【残席8】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマは道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

9.犬が足許にやってきてだっこしろとせがむ。部屋を閉め切れば暑いからドアを開ける。大きなゴミ箱でふさいではいるのだが、長時間使って少しずつずらして、なんとか自分が通り抜けられるようになったところで書斎に登場である。それだけ苦労してやってきたのだから、だっこくらいしてやらねばなるまい。

10.犬に片手を奪われキーボードが打てぬ。おまけに毛むくじゃらで暑い。なめられた腕のぬるいこと。ネコ舌はざらざらと心地よいのに、犬の舌はぬらりとまとわりつく。あらんことか膝のうえで寝始めた。このまま十分も経てば左足がしびれてくるに違いない。左腕を枕にされてはいよいよ仕事どころではなくなる。

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『学級経営10の原理・100の原則』

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著/学事出版

まえがき

失敗が許されなくなった

かつて新卒教師は失敗を重ねながら力量を高めていきました。

同僚も保護者も、新卒教師を温かく見守ってくれました。学級PTAの役員も新卒さんのクラスはすぐに決まる、そういうことがよく見られました。そして生徒たちも若く、元気なお兄さん先生やお姉さん先生を大好きでいてくれました。それが当たり前でした。

そんなに昔のことではありません。私が教師になったのは一九九一年のことですが、二十年前にはまだそういう雰囲気がありました。私もまた新卒時代、同僚にも保護者にも「堀くん、堀くん」と可愛がってもらった一人なのです。学年主任には飲みに連れ出され、保護者との呑み会も年に何度も行われ、家庭訪問に行くと寿司や焼き肉でもてなそうとする家庭があったものです。  それがいつの頃か変わってきました。同僚は自らの仕事をこなすのに精一杯。忙しそうで、なかなか仕事について尋ねることができません。学校に親近感を抱いてくれる、協力的な保護者がまだまだたくさんいるというのに、学校はそういう人を基準にしてではなく、クレームをつけてくる一部の保護者にいかにクレームをつけさせないかという基準で動くようになりました。「学級崩壊」「指導力不足教員」「不適格教員」という言葉もマスコミを闊歩しました。保護者はもちろん、生徒たちも、そんな時代のなか、お兄さん先生やお姉さん先生を「頼りない」と評価するようになっていきました。

この時代をひと言でいうなら、「失敗が許されなくなった」のです。ミスを犯すと同僚から迷惑がられる、上司に呼び出されて注意を受ける、保護者からクレームを受ける、生徒たちにあきれられる、そういう雰囲気が学校を包み込むようになったのです。

成功し続ける者だけが賞賛される

周りは「新卒さんだから……」と優しい目で見てくれなくなりました。

しかし、この状況にさらされているのは新卒教師ばかりではありません。

「あれで教師か。まったくあきれてしまう……」

「なんだあの先生はベテランのくせに……」

「あんなのが校長やってんの?学校が開けるはずだ……」

どの世代、どの地位にある者も、優しい目、尊敬のまなざしなど向けてはもらえない時代になったのです。

普通に親近感をもってもらえる、普通に先生としての尊厳を維持できる、それは成功し続ける者だけです。いいえ、成功し続ける者は賞賛も得られるようになりました。教員評価制度による給与格差によって、少しだけとはいえ収入が増えます。生徒も保護者も「あの先生はいい先生らしい」という噂が地域に広がり、学級開きのスタートからやりやすい雰囲気が出来上がっています。教師にもイメージ戦略が必要となる時代になったのでは、と感じてしまうほどです。

しかし、成功し続けられる教師など、ごくごくわずか。ほんのひと握りのスーパー教師だけです。だからこそ教員評価制度の給与格差も成り立つわけですから。

一方、勤務している学校でひとたびマイナスイメージがついてしまうと、少しくらいの成長、少しくらいの成功では、そのイメージをなかなか払拭できない、そういう傾向も見られます。

まったく難しい時代になったものだと感じます。

学級をマネジメントするためのシステムを構築する

ちまたには、成功を目指した「こうすれば……できる」とか「できる教師の……」とかいう指南書があふれています。確かにその著者はもともと「できる人」ですから、そうした手法でやることによってうまくいくのでしょう。それを参考にすることは決して無益ではありません。

しかし、いまの時代、何より必要なことは「成功すること」ではなく、「失敗しないこと」なのです。学級経営でいえば、まず必要なのはすごくいい学級をつくることではなく、まずまず大過なくやることができる、そういう能力です。

非凡な教師は、平凡なことを徹底してやったうえで、その上で非凡なことに取り組んでいるのです。平凡なこと、つまりやらなければならない当たり前のことをしないままに、非凡なこと、つまりやらなくてもいいのだがやったほうがいいことに取り組むのはナンセンスです。いいえ、ときに害悪にさえなります。「あの先生は特殊なことをやっている……」というわけです。

新卒であろうと中堅であろうとベテランであろうと、まずしなければならないのは「失敗しない学級経営システム」を構築することです。それに成功を目指す、学級経営の潤いを目指すような取り組みが加わればなお良い、そういうものなのです。

若手教師はまずこうしたシステムを学ぶべきです。

安定的な学級経営システムをもっていない中堅教師も、いまそれなりに失敗しないで済んでいるのは、あなたがまだ若いからです。もう少しして、生徒との心理的距離が離れてくると学級経営が立ち行かなくなっていきます。いまのうちに失敗しないためのシステムがどうつくられているのかを学ぶべきです。

かつての栄光にすがりながら安定的な学級経営システムを敷かずに、学級経営に失敗してしまい、教師としての限界を感じているベテラン教師がいっぱいいます。やめようか……なんて考えている方も少なからずいらっしゃいます。しかし、実は、まだまだ限界などではありません。学級経営を安定させるのは教師の個人的な資質やキャラクターなどではなく、安定させるためのシステムなのだということを理解し、それを学べばいいのです。

つまり、どの世代にとっても必要なのが、学級をマネジメントするためのシステムなのです。個人的な資質や個人的なキャラクターによる潤いは、その安定した学級経営システムのうえに、学級経営において更に上を目指す、更に豊かな学級経営を目指すためのスキルなのです。これを勘違いしてはいけません。

まずは「成功すること」よりも「失敗しないこと」を目指す。まずは安定を目指す。それも全力で目指す。こんな時代だからこそ、それが求められているのです。

「成功すること」よりもまず「失敗しないこと」を目指す

本書は、まず第一章として、「学級をマネジメントする10の原理」を挙げました。学級経営に関するすべての取り組みにおいて、教師が意識しなければならない原理を十に整理し、主に学級開きを例に紹介しました。この10原理を身につけるだけで、学級経営上に起こっているトラブルの多くが解決されるであろう大切な基本原理です。しかし、この10原理は意外に中堅・ベテラン教師でも身につけていないのが現実です。教職に就く以上は、なんとしても身につけなければならない原理ですし、その気になって取り組めば割と簡単に身につく原理でもあります。

第二章では、学級経営を「学級組織づくり」「席替え」「給食指導」「清掃指導」「ショート・ホームルーム」「リーダー育成」「学力の向上」「家庭訪問」「通知表所見」「職員室の人間関係」という具体的な十の要素に分け、それぞれに十の原則、あわせて百の原則を紹介しました。

どれも学級経営を安定させるための基礎的にして基本的な原理・原則にしぼり、行事指導や生徒指導など場合分けに応じた臨機応変な対応が求められるものではなく、学級担任として四月に生徒の前に立つために、或いは保護者とかかわっていくために準備しておくべき事柄を中心に構成しています。

本書が、右も左もわからないと不安に感じている新卒教師に、若さで乗り切ってきることに限界を感じ始めている中堅教師に、生徒がわからなくなったと嘆いているベテラン教師に少しでも役立つなら、それは望外の幸せです。

【目次】

第1章 学級をマネジメントする10の原理
一時一事の原理[生徒を不安にさせず、全員に指示を徹底する原理]
全体指導の原理[大事なことは全員に。学級のルールをつくる原理]
具体作業の原理[作業で具体的に学ばせる。生徒に自信をもたせる原理]
定着確認の原理[必ず定着度を確認する。一人も置いていかない原理]
具体描写の原理[自分だったらどうするか。教師の語りをつくる原理]
時間指定の原理[暇な時間をつくらせない。作業進度を一致させる原理]
即時対応の原理[すぐに連絡、すぐに対応!行動する教師になる原理]
素行評価の原理[生徒の素顔はどんな顔?教師の観察眼を鍛える原理]
一貫指導の原理[一年間揺るがない指導で生徒の信頼を獲得する原理]
同一歩調の原理[一人で抱えるな。チーム力で進める原理]

第2章 学級をマネジメントする100の原則
学級組織づくり10の原則
席替え10の原則
給食指導10の原則
清掃指導10の原則
ショート・ホームルーム10の原則
リーダー育成10の原則
学力の向上10の原則
家庭訪問10の原則
通知表所見10の原則
職員室の人間関係10の原則

あとがき

平成十七年のことですから、新卒から十五年目のことです。

私は札幌市の小さな学校の学年主任になりました。そこで三学級九十五名の生徒たちを受け持って三年間を過ごしました。この三年間、私の学年には新卒教師が毎年配属されました。特に一年目は担任三人が三十代半ばから後半。副担任は大学出たての新卒が二人。こういう学年団でした。中学校教師ならわかると思いますが、四月、学年の仕事のすべてを担任三人でしなければならない状況に追い込まれたのです。新卒二人に何かをやってくれと頼んでも、一つ一つどうすればいいのかと尋ねられるに決まっています。年度当初、それに丁寧に応えている時間はありません。正直、これはかなわんなあ……と思いました。

しかし、年度当初をなんとか乗り切ると、このままではいけないと思えてきます。この二人を育てないことには仕事が立ちゆかない。当然のことです。私はこの二人を毎日観察しながら、どう育てるか、何を伝えればいいかということを考え続けました。

二年目にはこの二人のうちの一人が二組の担任となり、二年・三年といっしょに持ち上がっていきました。私はこの二年間も、彼がどんなことに失敗し、何に困っているのかを観察し続けました。それと同時にかなり厳しく指導もしました。生半可な新卒なら耐えられなかったかもしれません。しかし、その結果、彼は三年目にはもうそのへんの中堅よりも学年全体のことを考えて動ける教師になっていました。年度当初の学活計画とか、総合の校外学習の計画くらいなら、もう彼は三年目で大過なくやっていました。学級経営も安定し始め、次第に私が厳しく指導することもなくなっていきました。

本書はこの若者を筆頭に、この三年間に新卒教師四人に指導した内容をもとに構成しました。 本書を上梓するにあたって、いまはもう一本立ちしたと言って過言ではないこの四人の若者、高村克憲先生、齋藤大先生、佐藤恵輔先生、仙臺直子先生に感謝の意を伝えたいと思います。また、この学年を三年間、ともに運営し支えてくれた高橋美智子先生にも感謝申し上げます。この五人がいなければ、本書の基本コンセプト自体があり得ませんでした。

もう一つ、本書の内容にあたる原理・原則が固まるまでには様々な紆余曲折もありました。当然のことながらすべてが成功したわけではありません。その意味で、あの三年間に受け持った生徒たちにも感謝を申し上げたいと思います。

最後になりましたが、わがままな私と本書完成までお付き合いいただいた編集の戸田幸子さん、そして味のあるイラストで彩りを添えていただいたイクタケマコトさんに感謝申し上げます。

二○一一年元日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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8月26日(日)

1.昨日は午後から「研究集団ことのは」の教材研究例会。13時から19時まで。意外と早く終わった。冒頭の「盆土産」から一気に深い議論へ。久し振りに文学の解釈論争を堪能した。その後も歴史観・科学論の取り上げ方といった大きなことからカギ括弧の使い方や文末表現の在り方といった細かなことまで。

2.例会終了後、山下くん、人見さん、石田さんといっしょに亀八で呑む。今後の様々な打ち合わせ。楽しい話ばかり。途中でたぬきの隠れ家に場所を変えて続く。そこに僕の学校の保護者がいて盛り上がる。ぶりの刺身で獺祭。夏休み最後の週末。良い時間だった。

3.説明的文章は教材研究が深まれば深まるほど、調べれば調べるほど、その深まりは国語から離れていく。言語教材でない限りはそうした構造がある。文学的文章は教材研究が深まれば深まるほど、調べれば調べるほど、その深まりに国語科という教科の奥の深さに気づかされる。そういう構造がある。

4.【プログ】「人生のトップテン/中間まとめ」 2011年2月にこんな記事を書いている。これまで聴いた邦楽アルバムのうち、お気に入りを選んだものだ。http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-e8dd.html

5.早くいま考えていることのすべてを整理してしまいたいのです。整理してしまえば、それらの〈あいだ〉が見えてきます。〈あいだ〉が見えてくると次に進めるのです。それも一度破壊して作り替えるというような進み方ができるのりです。いまやっていることは、増改築を少しずつ進めているような感じです。

6.実は、本を書くことにおいては、僕はまだ2008年度にいます。『学級経営10の原理・100の原則』以来、ここに1年半で書いたものは、未刊のものも含めてすべて2005~2008年度の4年間に考え、2009年度に北海道のセミナーで発表したものなのです。早く2010年代に行きたいのです。

7.教師が「知っていなければならないこと」と「知っていた方が良いこと」は明確に分けて考えるべきです。僕はいま、「教室ファシリ」を除けば、前者(と僕が感じていること)を中心に本を書いています。僕が書いている本の内容を僕はすべての教師が知っていなければならないことだと感じているわけです。

8.石川晋が書評を書いてくれたおかげで、「行事指導」本が今朝は20冊以上あったのに、いま既に在庫が9冊になっている。ありがたいことである。それにしてもインターネットの機能に思いを馳せると、不思議なことがいろいろとわかってくる。今日はネットの機能について考える夜になりそうだ。

Img_168062_37037677_09.「あなたへ」昨日のロードショーである。今年の映画の中で、この映画だけは劇場で見なければならないという強迫観念がある。なぜだろう。

10.【残席10】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマは道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み。この機会を逃したら、佐藤幸司・桃崎剛寿両先生のお話をまとめて聞く機会はないかもしれません。少なくとも北海道ではこれが最初で最後になるのではないでしょうか。主催者としては、そのくらい貴重な機会だと思っています。 お誘い合わせのうえ是非ご参加くださいませ。http://kokucheese.com/event/index/46043/

11.生徒たちが最も嫌うのは、自分だけが悪者にされること、そして自分の言い分を聞いてもらえないことなのです。生徒指導においてまずしなければならないことは、〈起こった事実〉をしっかりと確認することなのです。

12.〈心でっかち〉は心の有り様に焦点化するために、どうしても冷静な対応をとらせず、いきなり断罪に向かう傾向があります。〈心でっかち〉とは、すべての行動の原因を心の有り様を要因として指導しようとする態度のことです。教師にはこの〈心でっかち〉が実に多いのです。

13.一貫した指導が大切ではない、などという教師はほとんどいないと思います。しかし、一貫した指導を意識しながら生徒指導に取り組んでいる教師は思いの外少ないという現実があります。一貫した指導には、年度当初に〈見通し〉をもつという力量が必要なのです。

14.教師は学級担任をもつと、学級の生徒たちの問題行動はすべて自分の責任であるかのように感じてしまうものです。一人でできると思うから失敗する!一人で抱えるな、みんなでやろう……。いよいよ、明日から2学期です。

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8月25日(土)

1.先週に続いて、今日も「研究集団ことのは」の夏の特別例会です。2学期の文学的文章・説明的文章の教材研究です。東京や名古屋からも参加者がいます。全道各地からもメンバーが集まります。

2.生徒指導は〈予防〉を基本とする─これはどれだけ強調しても強調しすぎるということのない基本原理です。もちろん、どれだけ〈予防〉しても〈予防し切れる〉などということはありません。しかし、この〈予防〉という感覚をもっているかどうかは、生徒指導の成否を決める、決定的な要素となります。

3.近くに常に先生方がいることによって、生徒同士のトラブルは間違いなく少なくなります。また、何か起こったとしてもすぐに対処することができます。時間的にも空間的にも〈空白をつくらない〉ということは、トラブルを予防するための基本中の基本といえます。

4.虫が飛んでいる。ずーっと飛んでいる。飛蚊症かと思って心配になっていたら、ほんとうに飛んでいた。虫よ、ほんとうに飛んでいてくれてありがとう。

5.若いうちは生徒たちと少し距離を置こうと心がけ、40前後からは生徒たちに近づこうと心がける。それが教師が生徒を指導するにあたっての距離感覚の原則です。昔から、生徒との距離感覚を身につけたら教師は一人前といわれています。若いうちから、この距離感覚について意識するようにしましょう。

6.生徒指導は、「○○しなさい」という言葉だけで成立するのではありません。その先生の醸し出す〈空気〉が、さりげない言葉、あたりまえの言葉の説得力を高めているのです。〈味のある指導〉と評されるような指導をする教師は、この〈空気の醸成〉がうまい教師なのです。

7.トラブルを起こさない生徒などこの世の中にはただの一人も存在しません。子どもというものはトラブルを起こすものなのです。自分が子どもだった頃のことを思い出してみましょう。自分はそんなに健全なことばかりが好きだったでしょうか。そんなことはないはずです。

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『生徒指導10の原理・100の原則』

9784761918484s生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド』堀裕嗣著/学事出版

まえがき

生徒指導ができる教師─その概念が変わってきているように感じています。

かつては角刈りで強面、声が大きく目つきの鋭い男性教師……こういったイメージでした。その代表は四十代半ばくらいの体育教師。生徒たちが悪いことをすれば一喝し、生徒たちの壁となって学校の規範を代表する、そんな教師が「生徒指導のできる教師」だったわけです。

いつの頃からか、こうした教師たちの指導が生徒たちに通らなくなってきました。別に生徒たちがこうした教師たちに反抗しているわけではありません。この手の教師が怒鳴り始めれば、多くの生徒たちは神妙な顔つきになります。その場で反省もします。指導が落ちていないわけでもありません。指導内容がその場では〈落ちる〉のに、〈通る〉ことはないのです。

生徒たちは指導された次の日にはもうけろりとして、強面教師に「せんせ、せんせ」とまとわりついていきます。その教師が見ている前でもかまわず大騒ぎをします。教師側から見ると、昨日指導されたことは、昨日指導を受けたことによって既に終わっているのだと言わんばかりの不遜な態度に見えます。しかし、実態はそうではありません。彼らに一切の悪気はないのです。

例えば、こんな生徒を見たことはないでしょうか。

清掃時間に箒をもって、教室入り口で廊下にいる友達とおしゃべりに花を咲かせている。「ちゃんと掃きなさい」と注意すると、「あっ、いけない」という表情をして床を掃き始める。でも数分後、またその子を見てみると、今度は窓際で掃除当番の子とおしゃべりしている。「おいっ、さっき注意したばかりじゃないか」と注意すると、「すいませ~ん」と言って掃除を始める。今度は目を光らせているのでなんとか最後まで掃除をやりとげる。掃除の反省会でも、「今度からおしゃべりをしないで掃除に集中したいと思います」などと平然という。なのに次の日の清掃の時間には、また廊下の友達とおしゃべりを始めている。担任が横に行って顔をのぞき込むと、一瞬ポカンとした表情のあと、「あっ、すいません」などと言って床を掃き始める……。

みなさんの学級にこんな生徒はいないでしょうか。おそらく、たくさんいるのではないでしょうか。指導がその場では〈落ちる〉のに〈通らない〉というこうした生徒たちが、いま学校で多数派を占めているのではないかとさえ思われるほどです。

いわゆる〈脱・社会生徒〉の登場です。

昔から学校教育では、問題傾向生徒を分類する用語として、〈反・社会生徒〉〈非・社会生徒〉が用いられてきました。前者は学校規範に馴染めず教師に反抗するタイプの生徒たち、後者は学校規範に馴染めずひきこもり傾向に陥る生徒たちを表していました。非行生徒が前者の代表なら、後者の代表は不登校生徒でした。

しかし、最近、我々教師が最も手を焼く生徒たちは、悪気なく学校規範におさまらない生徒たち、即ち〈脱・社会〉の生徒たちです。彼ら彼女らは強面教師の説教やカウンセリングマインドに基づいた相談活動では行動が改まりません。もちろんその場では理解しますが、その後の行動が改まるということはないのです。

彼らを指導し、行動にまで影響を与えられるのは、むしろエンターテインメント性を発揮して彼らを楽しませることができ、「学校規範などではなく、きみたちのことを一番に考えているよ」という一見綺麗事とも思われる熱い姿勢を常日頃から演じ続けることのできる、〈サービス業的視座〉をもった教師たちです。そして私には、そうした教師たちこそが、現在、「生徒指導のできる教師」になってきているように思えるのです。

本書は、私の考える、このような「生徒指導のできる教師」像を前提に執筆しました。また、時代の要請ともいわれる教師の〈チーム力〉についても大きく意識しました。本書が、右も左もわからない新卒教師に、若さで乗り切ることに限界を感じ始めた中堅教師に、最近の子どもがわからなくなつたと嘆くベテラン教師に、総じて生徒指導に悩んだりの不安を感じたりしているすべての教師に、少しでもお役に立てるなら、それは望外の幸せです。

【目次】

第1章 生徒指導を機能させる10の原理

スクール・カーストの原理

サイレント・マジョリティの原理

ヒドゥン・カリキュラムの原理

ブロークン・ウィンドウズの原理

イニシアティヴの原理

インクルージョンの原理

マクドナルド化の原理

パッチング・ケアの原理

FMCチームワークの原理

自己キャラクターの原理

第2章 生徒指導を機能させる100の原則

基本として身につけたい10の原則

生徒を観察する10の原則

生徒との距離を調整する10の原則

事実を確認する10の原則

生徒を説得する10の原則

現場に対応する10の原則

保護者に対応する10の原則

年度当初に徹底する10の原則

自分の現状を知る10の原則

自らの身を守る10の原則

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8月24日(金)

1.朝から職員会議。時間があるせいか議論。3時間ぶっ通し。休憩無し。個人的には後半になって、すべての議題が「どうでもいい」という気になってきた。「なんでもいいから、早く終われ」になった。休憩は大切だ。そして細かな違いを主張し合わないことも大切だ。その後、夏休み明けテスト作成など。

2.8年ほど温めてきた企画が動き始めた。今日、大いなる一歩を踏み出した。実はこの企画は2005年に一度挑戦して失敗している。今回は同じ轍を踏まないように慎重に進めて行こうと考えている。これをまずまずの形で仕上げれば、一気に加速できる。こういうのが一番わくわくする。長年の念願だから。

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『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』

Cover必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』堀裕嗣著/明治図書

まえがき

私という教師は、現在、行事指導を得意とする教師として生徒たちの目にも同僚たちの目にも映っているだろうと思います。

ステージ発表の指導を得意としていますし、ビデオ映像をつくることも得意としています。ダンスの指導さえ心得ており、アイドルグループを真似る女子生徒たちのパフォーマンスも形にしてしまいます。合唱コンクールでは「優勝請負人」と呼ばれることさえあるほどです。

しかし、新卒1年目、初めての学校祭で私が生徒たちとつくった教室発表はそれはもう無残なものでした。企画だけは壮大だったのですが、思いはあっても手立てを知らず……生徒たちとああでもないこうでもないと取り組みましたが、学校祭前日、生徒たちが帰ったあとに出来上がった製作物をみた私は、自らを嘲笑することしかできませんでした。1991年の9月下旬のことだったと思います。

それから二十数年の歳月が経ちました。

私は毎年毎年、学校祭と合唱コンクールを経験する中で、少しずつ少しずつ、よりよい指導の在り方を模索してきました。いつか自信満々で行事指導にあたれる日を夢見て、どんな小さな技術でも身につけよう、自分のものにしようと、同僚の指導を観察し、他学級の製作物の写真を撮り、学校祭や合唱コンクールの打ち上げでは指導を成功させている同僚の横に行って話を聴き続けました。

本書は私が二十数年を費やして獲得してきた行事指導の在り方のエッセンスを書いたものです。特に、21世紀になって指導が難しくなったといわれる合唱コンクールと学校祭・文化祭のステージ発表に絞って、その指導の心構え、指導の技術について具体的に語ったつもりです。

第Ⅰ章は「時代の変容と学校行事」と題して、最近、殊に生徒たちのノリが悪くなったと先生方を悩ませている演劇指導と合唱指導について、その所以について語りました。

第Ⅱ章は合唱コンクール指導です。合唱コンクールの練習が始まってから1ヶ月間の指導だけでなく、4月からこの行事に取り組む姿勢を学級にどうつくつていくのか、合唱曲の選曲はどのような観点で行うのか、合唱練習はどのようにシステマティックに動かしていくのか、本番直前にはどのような留意事項が必要なのか、私の二十数年の経験から得たことをかなり具体的に語ったつもりです。

第Ⅲ章は学校祭・文化祭のステージ発表のつくり方について述べています。第一に時代の変容、生徒の変容に対応したユニット型ステージ発表、第二に従来からのステージ発表の王道である演劇型ステージ発表に分けて、それぞれにおいてどのように指導していくべきなのか、具体的な技術としてどんなものがあるのか、更にはどの時期にどんな練習をするのかという目処について、これもまたできる限り具体的に語ったつもりです。

また、本書はできる限り図や写真を入れて、読者の皆さんに私の言っていることをイメージしやすいように配慮したつもりです。特にステージ発表について述べた第Ⅲ章では、写真や図表をふんだんに盛り込んでいます。その意図が成功しているか否かは読者の判断に委ねるしかありませんが、私としてはできる限りのことをしたつもりです。

本書が右も左もわからない新卒教師に、若さで乗り切ることに限界を感じ始めた中堅教師に、最近の子どもがわからなくなったと嘆くベテラン教師に、総じて行事指導に悩んだり不安を感じたりしているすべての教師に、少しでもお役に立てるなら、それは望外の幸甚です。

【目次】

第Ⅰ章 時代の変容と学校行事

1.行事指導が難しくなった
2.演劇・合唱は終焉に向かっている
3.演劇・合唱の指導力がこれまで以上に必要になる
4.価値を語り、技術を身につける

第Ⅱ章 合唱コンクール指導の30日間システム

Ⅰ 合唱コンクールに臨む心構え
1.合唱コンクールがコンクールであることを意識する
2.学級担任のやる気が生徒のやる気を左右する
3.各パートの音、曲想まで頭に入っている定番曲をもつ

Ⅱ 合唱コンクールの選曲
1.合唱コンクールは選曲で半分が決まってしまう
2.ユニゾンから入る曲を選ぶ
3.発達段階に応じてユニゾンを応用していく
4.発声練習箇所のある曲を選ぶ
5.強弱のはっきりした箇所のある曲を選ぶ
6.発達段階に合った歌詞の曲を選ぶ
7.得意分野では自分なりに工夫する
8.学級の実態に合った曲を選ぶ

Ⅲ 合唱コンクール練習以前の準備
1.年度当初に学級の実態を把握する
2.一歩リードする雰囲気をつくる
3.担任の得意な曲を選ぶ
4.指揮者は個人能力の発揮よりも成長機会であると心得る
5.伴奏者は二番手ピアニストをあてる
6.パートリーダーは二人ずつ選出する
7.決意の表情とポーズを決めて学級写真を撮る
8.個人用楽譜は丁寧に製本する
9.夏休み前に個人CDを配付する
10.夏休み前に副担任の協力を仰いでおく

Ⅳ 合唱コンクール練習週間の第1週
1.2学期始業式に1学期末の空気を想い出させる
2.音楽の時間に担任もいっしょに参加する
3.最初に全パートをあわせてみる
4.毎日、最後に全体合唱をしてビデオ撮影する
5.練習1日目でパート練習の基本パターンを確立する
6.歌詞のイメージから強弱をつけて音を取る
7.ビデオ撮影は次の日への仕掛けである
8.初日から飛ばしすぎない
9.声量を上げる

Ⅴ 合唱コンクール練習週間の第2~3週
1.生徒の耳を鍛える
2.歌詞をはっきり歌わせる
3.鼻濁音をつくる
4.曲想をつける
5.最後には音楽の先生を頼る

Ⅵ 合唱コンクール練習週間の第4週・当日
1.合唱曲に対する気持ちをあらためてつくる
2.課題をもって歌い込む
3.学級別交流会の体験を積む
4.本番当日に少しだけテンポを上げる
5.直前ミーティングは静かなトーンで行う

第Ⅲ章 ステージ発表指導の30日間システム

Ⅰ ユニット型ステージの構成法
1.ステージ発表は花形である
2.演劇型ステージには二つのデメリットがある
3.二つのデメリットには理由がある
4.ユニット型ステージ発表のすすめ
5.全体としてポジティヴな雰囲気を醸成する
6.大規模なユニット型ステージは学年発表で行う
7.一つのユニットを4分程度におさめる
8.生徒のタイプによってユニット構成を考える
9.1秒たりとも「無駄な間」をつくらない

Ⅱ 演劇型ステージの構成法
1.演劇とは主人公の成長物語である
2.トリック・スターを印象的に描く
3.脇役が主人公の価値を決める
4.登場人物の特徴を具体的に把握する
5.物語の全体構造を具体的に把握する
6.場面には重要度の違いがあり優先順位の違いがある
7.オープニングを派手につくる
8.トリック・スターの登場を派手に演出する
9.最終場面は感動的に幕を閉じていく
10.大道具はできるだけつくらないことを原則とする

Ⅲ ステージ発表を構成する技術
1.ステージ発表を構成するには5つの観点がある
2.演出に一貫性をもつ
3.会場の空間全体を支配する
4.効果的に場面転換する
5.格好良さとおもしろさを追究しよう
6.できるだけ早く全体像を共有することが成功への近道となる

Ⅳ ステージ発表練習に取り組む30日間
1.子どもたちのアイディアを可能な限り実現する
2.リーダー生徒に音響・照明をあてる
3.演劇型ステージはハイペースでつくっていく
4.30日間をこう組み立てる

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8月23日(木)

1.今日も事務仕事。帰宅後は新刊のイラストイメージをつくる。これは初めての仕事だが、なかなか難しい。そしておもしろい。僕の書いたイメージをイクタケさんがどんなイラストにしてくれるのかを想像するのも楽しみ。新しい境地である。

2.教師は子どもとの距離感覚がつかめたら一人前。若いうちはどうしても距離が近くなりがちなので一歩後ろに下がる。アラフォーからはどうしても距離が遠くなりがちなので一歩前へ出る。優しい印象、弱い印象の教師は一歩下がる、冷たい印象、怖い印象の教師は一歩前へ出る。この四つが基本。

3.新しい本の執筆に取りかかる。あまり乗り気にはなれない。この生活がいつまで続くのだろうとの思いからだ。だからといって原稿執筆がなくなったら何をやりたいのかというと、特に何かがあるわけでもない。だらだら過ごすのが関の山である。犬の元気がない。僕も元気がない。そういうものなのだと思う。

4.私の師匠は森田茂之という現場上がりの国語教育学者でした。森田は2001年末に急死しました。54歳の若さでした。私は二十歳のとき、三十代後半の森田と出逢いました。師弟の契りはわずか15年でした。

5.あるとき、二人で酒を酌み交わしていたときのことです。森田が呟きました。私が堀くんから見て、もう終わったな、と思ったら、堀くんが私に引導を渡してくれ。たぶんそれが私にとって幸せなことだから……。私は何を言ってるんですかと笑いましたが、四十代も半ばになってくると、あのときの師匠の気持ちがわからないでもなくなってきます。私の中には、師匠森田に自らの手で引導を渡さずに済んだことに、どこかにほっとしている気持ちがあります。確かにあります。おそらくこの構図は、人間の性(さが)であり、業なのでしょう。

6.GO!GO!GO!GO!プリンプリンプリ~ン♪ ピンク・レディーと石川ひとみを聴いたら元気が出て来た。

7.さっき「あるとき謎の運転手、あるときアラブの大富豪、あるときニヒルな渡り鳥、あいつはあいつは大変装~。」とTWEETしたら、あるフォロワーにお気に入りに登録された。なぜだろう……。

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8月22日(水)

1.一日休暇をもらって犬の病院へ。目の検査や腸の検査。人間も犬も歳をとるといろんなところにガタが来る。両親を見ていても犬を見ていても、それを感じる。帰宅後はテレビドラマ。そのうちに寝てしまい、10時間以上寝る。久し振りに長い時間の睡眠をとって、かなり疲れが和らいだ感じ。良いことだ。

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「研究集団ことのは」

本書は「研究集団ことのは」にとって、2年振り、12冊目の共著となります。国語科授業の本ということになると10年振りです。

サークルも10年の時を隔てますと、いろいろなことが起こります。メンバーも離脱や加入を繰り返してずいぶんと入れ替わりました。それでも2010年代になったのを機に新たな再スタートということで、本書を企画させていただきました。「研究集団ことのは」は現在、かねてから研究対象としてきた①深い教材研究を通してより高度で系統的な一斉授業を目指すこと、②国語科の授業づくりをプラグマティックにとらえた言語技術教育を目指すこと、③語り手の自己表出と物語との関係を読者論的に読み解く文学教育を目指すことという三つを捨てることなく、第四の研究領域として④教室ファシリテーションにおける系統的な学習活動を開発することを選びました。本書はその第一弾ということになります。

思えば、「研究集団ことのは」はファシリテーションのごとき多様性を内部に触発させようとし続けてきたサークルです。

日文協の文学教育・法則化運動・国語学・認知心理学というそれぞれ専門領域の異なる国語教師が4人集まって、異質な者が集って互いが互いから学び合おうというのが結成の同期でした。その後も古典文学を専攻する者、漢文学を専攻する者、教育社会学を専攻する者、授業づくりネットワークの中心的な活動家、北海道の教室ディベートの第一人者などなど、常に異質な者をメンバーに加えてきました。長くいっしょに研究活動をしていると、当初は異質であった者たちもだんだんと発想が近づいてきます。井の中の蛙化していきます。私たちが最も怖れるのは、学び合う異質な者同士が響き合いすぎてしまうと、次第に似た者同士になってしまい、しかもそれを自分たちが自覚できなくなってしまうのだということでした。私たちはだれよりそのことを熟知している集団であると自負しています。

ファシリテーションを私たちなりにごくごく簡単に定義づければ、「異質で多様な者たちが集まって交流することによって、互いに触発し合い、最終的には学びのブレイクスルーが起こる、その過程を促進すること」とでもなりましょうか。私たちはずーっとそれを心から求め、常に学びのブレイクスルーに飢え続けている、そういうサークルだという自己認識をもっています。思えば、私たちはファシリテーションと出逢うべくして出逢ったのではないかとさえ思われるほどです。

こうした活動を長く続けてきたおかげで、いまや「研究集団ことのは」には、いわば「ピン芸人」とでも言うべき、一人で独自の提案をしているメンバーがたくさんいる、そんな集団になりました。指導主事になった者も一人や二人ではありません。若くして管理職になった者も一人や二人ではありません。おそらく我々が常に異質な者を取り込んできたことによつて、広い視野からものを見たり、多様な視点から物事を分析したり、異なる領域や分野の理論・実践を融合したりということを、ごく自然の日常としているせいなのだと思います。

「研究集団ことのは」はこれからもまだまだ成長し続けるでしょう。本書もまだまだ一つの過程に過ぎません。その自覚を腹の底から抱いている……実はそれこそが我々の強みなのだと感じています。

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8月21日(火)

1.一日中事務仕事。放課後、小学校の職員室が校務支援システムの研修会を行っていたので横で聞く。教師を支援するというよりは更に忙しくさせるシステムという印象。あれは持ち運びのできる端末をもたせてくれないと機能しない。放課後に毎日職員室で30分PCに向かわなければならないシステムだった。

2.結局、教員の起動力を奪ってしまうシステムは、どんなに理念が素晴らしくても、結局、教員を忙しくするだけだという現実に、そろそろ政治も行政も気づいて欲しいな、と思う。どんなに素晴らしい機能のついた校務支援システムも職員室でしか使えないのでは、ただ教員を職員室に縛りつけるだけなのだ。

3.たぶん政治や行政は、教員がほとんど一日中職員室にはいないのだということをわかっていない。不思議なくらいにわかっていない。なぜなのだろう。看護師が詰め所にずっといられるか。警察官がずっと交番にいられるか。人間相手に仕事している人たちってのはそういう仕事の仕方をしているのである。

4.イクタケさんのイラスト集の推薦文を書く。帯用らしいので63字。推薦文というより、どちらかというとコピーである。もっとちゃんと書きたいのだが。まあ、そう遠くない日に機会はあるだろう。

5.堀裕嗣編・「研究集団ことのは」著『教室ファシリテーションへのステップ・1 目指せ!国語の達人 魔法の「音読ネタ」50』(明治図書)脱稿!ははははは……。

6.本日2冊脱稿しました。常に5冊を同時進行することにしています。執筆途中の3冊に加えて新しい2冊に取りかかります。複数のものに同時に取り組んでいると、新しい発想が浮かびます。これも「研究集団ことのは」のサークル活動で経験的に学んだことです。読書も同時読み、執筆も同時執筆に限ります。

7.提案は不完全なもので良いのです。いえ、不完全なものしか提案することなどできないのです。完成してから提案しようと考えていては、いつまで経っても提案には至りません。提案する前に死んでしまいます。不完全なものでも一度提案すれば批判をもらえます。その批判を受け入れ提案を作り替えるのです。

8.提案し、批判され、批判を受け入れ、熟考し、再提案に至る。最初の提案から再提案まで10年かかるのが普通です。「研究集団ことのは」は今年、その10年目を迎えています。前回の提案、つまり最初の提案は2002年、「総合的学習を支え活かす国語科」という5冊シリーズでした。

9.【極意3】教師に必要な資質。 孤独に耐える力をもつこと。教師の仕事の第一は生徒と良好な関係を築くことではありません。彼らを正しい道へと誘うことです。そして第二に自分の判断した正しさが本当に正しいかを疑い続けることです。それが結果として、生徒との良好な関係を築くことに繋がるのです。

10.今日は目の前にあるどうしようもなく現実的な現実たちと、ほんとうに現実的に現実的な格闘をした一日だった。大好きなフリーセルもスパイダ・ソリティアもマイン・スイーパも封印して、現実的な現実と現実的に格闘し続けた。おかげですっきりした。これで夢と理想と虚構の世界に埋没できる。

11.そういえば皆さん、「現実」という言葉に「夢」と「理想」と「虚構」という三つの対義語があることをご存知でしたか?「現実は……」とつい言いたくなったら、そこで言う「現実」は「夢の対義語の現実」なのか、「理想の対義語の現実」なのか「虚構の現実」なのかを考えると人生が豊かになりますよ。

12.それにしても久し振りに「研究集団ことのは」に関する文章を書く。昔はよく書いていた記憶がある。今回書いていて20年の重みを感じた。単なる任意団体のサークルでも、20年続けると幾ばくかの意味をもつものだ。紆余曲折。解散の危機。幾度も幾度も乗り越えていまがある。そういう歴史が尊いのだ。

13.「現実」の対義語に「夢」「理想」「虚構」の三つがあるという話、気軽にtweetして失敗しました。なんかリツイートやお気に入りが多いので書いておきますが、これは見田宗介の言っていることであって、僕の発想ではありません。気軽にtweetしてしまって、ちょっと失敗です。

14.【御礼】http://gengengenmai.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-3969.html

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師をもつ

大学時代に習ったことが現場では役に立たないという主張をよく耳にします。そういうビジネスライクでプラグマティックな発想が大学教育を取り巻き、教員養成系の大学がほとんど専門学校化している現実も目にします。しかし、私は大学時代に学んだことが役に立たないと言っている人は大学時代に学ぶことを怠った人間だと思っていますし、教員養成系大学が専門学校化していくことを苦々しく感じています。

そもそも大学とは、学問を通して教養を身につける場であったはずです。教養とは生き方を考える基礎力であって仕事の仕方を考える基礎力ではありません。生き方を考えれば必然的に「世のため人のため」と自分が社会に貢献する方向へと向かっていきますが、仕事の仕方をいくら考えてもそこには労働力と対価との交換という市場原理が紛れ込んできます。そんなものを大学で学ぶことに何の価値があるのでしょうか。

生き方は他者理解を深め、他者に貢献することによる自己の喜びへと向かっていきますが、仕事の仕方はあくまで実利へと向かいやすい傾向があります。生き方を追究せずに実利を求めていては、師匠は得られません。実利はあくまで自分自身のベクトルで考えることですから、師をもつことも師となることも対価がある場合にのみ成り立つという発想を無意識的に抱いてしまうからです。この発想が教職とどれだけ離れた発想であるか、ちょっと考えればわかることです。

師をもちましょう。師をもつことは、人間に自分を師の視点から常に点検し続けるという機能をもたらします。学生時代に師を得られなかったから遅いなどということはありません。師は大学でも職場でも研究会でもコミュニティサークルでも、どこでも得られるのです。

そしてできれば、複数の師をもちましょう。それも視点の異なった、研究領域の異なった、発想の異なった複数の師を。「それは師といえないのではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。「一人の師から学んでこそ師弟である」と。学術研究の場に身を置くなら確かにそういう面があるかもしれません。しかし、私たちは教師なのです。深さも大切ですが、それ以上に広さが大切なのです。

教育界において「私からのみ学びなさい」という関係は親分子分の関係であって、実践研究の世界においては師弟関係とは言えません。一人の人間が到達できることなどたかが知れている、それを知らぬ人間にこの世界で人を導くことなどできないのですから。

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森田茂之

森田茂之。大学時代の直属のゼミの師匠です。いわゆる現場上がりの大学教員で、文学教育の研究者でした。私が現在、国語教育において研究対象としている「問題意識喚起の文学教育」「状況認識の文学教育」「十人十色の文学教育」(荒木繁・大河原忠蔵・太田正夫)という1950年代以降の日本文学協会の実践群は、師匠森田茂之から引き継いでいる研究です。

森田は中学校の部活動のような感覚で、水曜日と木曜日に自主ゼミを開講していました。水曜日は国語科教育ゼミ、木曜日は現代文学ゼミ。単位も出ない勉強会なのに、1年生から4年生まで常時二十名以上が参加していました。両ゼミともに、講義の終わった夕方4時半からゼミが始まり、その日のテーマに一応の結論が出るまで終わらない、そういう運営を習わしとしていました。研究同人誌を年に何冊も発行し、教育実習でもないのに現場に行って授業をさせてもらうなんてことも頻繁に行われていました。

私がいまだに文章を書くことに抵抗を抱くことなく、しかも筆が早いのは間違いなくこの時期に徹底して森田によって鍛えられたおかげです。

この二つのゼミは教育実習時期であろうと卒論時期であろうと普通に行われていましたから、また、学年が上がるにつれて責任を大きくもたなければならない運営がなされていましたから、3・4年生にとってはかなりきついものがありました。

私はいまだに、大学4年生の秋から冬にかけて、卒論を書きながら現場に行って授業するための指導案を練り、研究同人誌の執筆をしながら毎回のレジュメを作成した、あのすべてが同時進行の時期よりも多忙観を抱いたことがありません。学生時代にそういう経験をすることが現場に出てからどれだけ糧となるか、森田は熟知している大学教員でした。

現場に出てからも10年間、共同研究を続けました。国語科教育ゼミの中心メンバーが月に一度集まって例会を開くのです。それが「実践研究水輪」という研究グループです。「水曜ゼミの輪」という意味です。例会のあとにはイカの一夜干しでビールを煽る習わしでした。

残念ながら、森田は2001年末に急逝し、「実践研究水輪」の活動も休止状態が続いていますが、私の教師としての基礎力は、間違いなく師匠森田茂之の指導の賜です。私にはどこか、自分が森田のつくった作品であるというような意識があります。

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8月20日(月)

1.なんとか起きました。今日は小学校の始業式。落成式典ビデオのために小学生の登校風景の撮影、始業式の撮影、学活風景の撮影。そしてその後は新校舎の使い方を決める職員会議が一日中続きます。

2.小学校の始業式に初めて参加した。参加したというよりも初めて見た。正確には教育実習のときに一度参加しているが、少なくとも教員になってからは初めて。詳しくは書かないけれど、面白くもあり、驚くこともあり、勉強になることもあり。やはり、すべての教員が小中両方を経験すべきなのだろう。

3.朝から気温と湿度の高い中、小学生の映像を汗だくで撮りまくる。その後、ひたすら職員会議。新校舎の使いが提案され議論されたわけだが、考えれば考えるほど難しい問題が山積であることに気づかされる。職員会議が昼休みを挟んで9:30から15:00まで続く。その後、教務部会と学校評価委員会。

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「研究集団ことのは」メンバー募集のお知らせ

「研究集団ことのは」の会員を募集します。年齢・男女は問いません。ML上での交流が主ですから居住地域に制限はありません。もちろん思想信条も問いません。研究・専門領域も問いません。条件は次の6つです。我こそはと思う方はご連絡ください。

堀連絡先hori-p@nifty.com

【条件1】

中学校国語科教員正式採用であること。期限付き教員は原則として入会をお断りしております。

【条件2】

自分のやりたい研究を明確にもっていること。メンバーの自分はこれをやりたいという研究に対しては、全員が意見を言いますが、どの意見も採用するかしないかを判断するのは自分である、というスタンスです。一方的に教えを請おうという方にお付き合いする時間は我々にはありません。

【条件3】

年間20~30本程度の原稿執筆を厭わないこと。共著の執筆、機関誌の執筆等があたります。新加入の場合には今年度は免除しますが、次年度は他のメンバーと同じように年間20~30本程度は執筆してもらうことになります。

【条件4】

メンバーの地元で研究会が行われることがあった場合には事務局や登壇ができること。実力が認められた場合には、地元ではない研究会にも登壇してもらう場合があり得ます。もちろん、日程が合えばです。

【条件5】

教育運動を志向しないこと。つまり、代表の堀をはじめとして、中心メンバーを崇めないこと。教育運動は10年経つと宗教になります。堀をはじめ、中心メンバーは教祖化されるのを最も嫌います。「研究集団ことのは」の合い言葉は「批判こそ礼儀」です。

【条件6】

3年以内にメンバーを唸らせるような提案をすること。イメージとしては、代表の堀が「なるほど。勉強になった。君が入ってくれて良かった」と言うような提案をすることです。3年間だけ「ことのは」から一方的に学ぶことが認められます。ただし、堀も含めてメンバーは割と簡単に唸ります。

【その他】

入会すると、初年度に10万円程度かかります。必ず目を通さなければならない必読文献が50冊程度あるのです。それ以外に会費等は一切かかりません。会費は独自提案で納入し合います。

いないかもしれませんが、メンバー募集は本気です。我こそはと思う方はご連絡ください。

堀裕嗣・石川晋・藤原友和などそれなりに名の知れたメンバーもいますし、無名でも実力派の教師が沢山所属しています。東京と名古屋には支部もあります。入会と同時にそれなりに質の高い実践に触れられること、3年頑張れば授業と学級経営にそれなりの提案ができるようになることを保証します。

キャッチフレーズは「GIVE & TAKE」。研究する自立した大人の集団です。

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8月19日(日)

1.仲が良いから良い仕事ができるのではない。仕事が充実したら仲良くなるのだ。その充実した仕事に自分も貢献している一人なんだという思いがチームを創り出すのだ。この順番を間違えちゃいけない。職場を過ごしやすい場にするには、まず仕事を充実させなくちゃいけない。

2.結論ってのは選ぶものなんだ。探すものじゃない。結論を探すから迷って迷って迷子になっちゃうんだ。選ぶときにも迷うって思うかもしれないけれど、それは判断するために迷っているのであって、いくら迷っても迷子になることはない。もう一度言うよ。結論ってのは選ぶものなんだ。探すものじゃない。

3.「やればできる」「話し合おう」「議論が必要です」「自覚をもて」「自信をもて」「油断するな」「楽しくやろうぜ」「勝手にしろ」「きみのためを思って言っている」「そういうの寂しくない?」などなど。こういう言葉を他人に対して吐くとき、人はどこか自分に言い聞かせて、自分を鼓舞しているようなところがある。

4.「やればできる」「話し合おう」「議論が必要です」「自覚をもて」「自信をもて」「油断するな」「楽しくやろうぜ」「きみのためを思って言っている」「そういうの寂しくない?」などなど。こういう言葉を他人に対して吐くとき、人はどこか自分の不安感をかき消そうとしているところがある。

5.ぼくは、人は「自分に何ができるか」ではなく「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。できないことをやろうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも他人を傷つけることがあります。できないことに取り組み始めないことも重要な作法なのです。

6.一つ失うごとに実感するというのに、失ってみないと気づけない幸せには、やはり失ってみないと気づけない。これを繰り返しながら、人間は少しずつ少しずつ優しくなり謙虚になっていく。しかし、少しくらい優しく謙虚になっても、失ってみないと気づけない幸せにはやはり失ってみないと気づけないのだ。

7.「自」は〈自ら〉と〈自ずから〉と二つの読み方があります。〈自ら〉は自分で意識的にやること、〈自ずから〉は自然に湧き上がってくること。自ら求めるものと自ずから湧き上がるものとをせめぎ合わて自己認識する。〈自ら〉と〈自ずから〉を〈分けて〉考えられたとき、人はそれを〈自分〉と呼びます。

8.楽しいことだけして生きることは不可能ですが、一見楽しくないように見えることに楽しみを見つけることは可能です。人生を楽しんでいる人たちはこの姿勢を無理なく身につけているのです。幸せとはそういうことなのだと思います。

9.喪失の体験は人をひとまわり大きくします。喪失は必ず人を成長させるのです。しかし、いかなる成長好きな人間も好んで喪失しようとは思いません。意図的に創り出した喪失が、不意に訪れた喪失のように人を成長させることはあり得ません。不意に訪れた喪失だからこそ成長で乗り越えるしかないのです。

10.卒業生を送り出したあとのぽっかりと穴のあいたような教室を一人で掃除する。つい先日まで笑顔と喧噪であふれかえっていたはずの空間が真空になっていることに気づく。涙が溢れそうになる。あの豊穣な喪失感を経験していない者は、実はまだ教師になっていないのです。教師の境地に立てていないのです。

11.大切なものがずいぶんと前に失われていたことに気づくことがある。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまっていたことに気づくこともある。そんな失われてしまっていたり去ってしまっていたりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気がつき、唖然とすることがある。

12.昨日はDNAのセミナーがあったらしい。DNAのセミナーと「研究集団ことのは」の例会がブッキングなんてことは、去年までならあり得なかったことだ。そういや、今日は山田くんのセミナーもあったはずだ。みんなそれぞれが活動をし始めている。北海道があちこちで活性化し出している。とても良いことだと思う。「ことのは」も2学期に一つくらいセミナーをやろうかな。おもしろそうな企画はたくさん思いついてるから。

13.OSが不完全なままにいくらソフトをインストールしても機能しません。ソフトをインストールすること以上に大切なことは、OSをヴァージョン・アップさせることです。しかし、年に数回の研究会参加や研究授業といった研修の場程度では、なかなかOSのヴァージョン・アップはできません。

14.「仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること」 これにまさる高い教育効果はありません。

15.人間は我が儘なもので、期待が大きいとプレッシャーがかかると嘆き、期待が小さいとやる気が出ないと嘆く。人間は我が儘なもので、好きな人に大きな期待をかけすぎてつぶしてしまい、嫌いな人に期待できないと告げてやる気をなくさせる。

16.教師の仕事は子どもの疑問に〈答える〉ことではない。子どもの無意識の願いに〈応える〉ことである。

17.保護者から見ると、最も信頼がおける学校というのは、学担・学年主任・管理職と、だれと話しても同じ方針が語られる学校です。「ああ、うちの子のことをちゃんとみんなで見てくれているんだ」と安心できる学校です。組織が同一歩調をとることによって与えられるこうした安心感を軽視してはいけません。

18.この時代、職員室共同性の解体が無意識裡に行われていた教育技術の伝承をも崩壊させてしまっている。おそらく教育史上、現在ほど教育の非科学性のマイナス面ばかりが目立つ時代もなかったのではないか。そしてそれは今後、拡大することこそあれ、縮小する気配はまるでない。

19.数多の教育運動が十数年の後に宗教化したことも一因だが、まさに教育自体が国民的共同幻想に憑かれ宗教化している。そしてその宗教化した国民的共同幻想からは、教育を科学にしようとする者さえ自由ではない。私もまた然りである。

20.午前中は犬の病院へ。血便が出ていたので心配したのだが、ガムを丸呑みして腸が傷ついているとのこと。今日から朝夕、薬の日々である。それにしてもずいぶんと待たされた。スーパーに買い物に行き、車の中でアルバムを2枚聴いても順番が回ってこなかった。おかげで久し振りにレベッカを堪能した。

21.忘れていいことと、忘れてはいけないことと、そして忘れなければいけないことと、経験とは三つでできている。しかし、人は忘れていいことをなぜか覚えていて、忘れてはいけないことを忘れてましい、そして忘れなければいけないことに囚われ続ける。ただし、そういう人こそがいかにも人間らしい。

22.特別支援教育は大切だが、「発達障害」の語がブームになるのはおかしい。「癒やし」や「自分探し」「トラウマ」みたいに、自分の不安感に理由づけるために、自分の願いが叶わないことに理由づけるために、自分の人生がうまくいかないことに理由づけるために使われている。「発達障害」を消費するな。

23.さあ、いっぱい休んだから、原稿を書こう。今日は2冊の本を完成させて、1本のゲラ校正を完成させる日だ。どれもこれもあとちょっと。24時までにはすっきりしよう。風呂にもゆっくりつかって身も心もすっきりしよう。何せ明日は一日中職員会議だからな。いよいよ2学期が始動する。夏が終わるのだ。 なんか夏休み最終日の小学生みたいだな(笑)。

24.チームとは多様な人材が集まって、一つの目的のために互いのスキルを発揮し合う、できればそれぞれのスキルを融合して更なる成果を上げる、それが理想なのです。

25.全員が様々なスキルをもっていてそれらを融合するというのが理想ではあるわけですが、「弱い教師に配慮して組織が体制を組む」ということは、この理想とまったく矛盾しません。スキルを融合し合える体制を組むためには、スキルを発揮できる地盤をつくることが前提なのです。

26.〈教師力ピラミッド〉の裏に流れている思想はたった一つです。「一人で抱えるな、みんなでやろう」これを合い言葉に、チーム力で対応する時代になったのです。そういうチームをこそつくらなければならない時代になったのです。そしておそらく、こうした在り方を〈チーム・ビルディング〉と言うのです。

27.〈教師力ピラミッド〉は、すべての教師に「あなたはそのままでいいんだよ」と言う教師力モデルです。ただ、「あなたの得意技にもっと磨きをかける努力だけは怠らないでくださいね」とひと言だけ添えているのです。

28.子供の頃に好きだった曲を聴き直してみると、歌詞に意外な意味が込められていることに気づくことがある。ただ単に綺麗だと思っていた曲が不倫の歌だったり、美しい情景描写と感じていたものが性的な行為の比喩だったり、言葉の端々に政治的な意味合いが込められていたり。新たな感動が湧き上がる。

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8月18日(土)

1.これから「研究集団ことのは」の夏休み特別例会です。中学1~3年の2学期教材のすべての教材研究を全員で分担して発表、検討します。こういう営みが僕たちの授業を支えています。こういう地道な活動を蔑ろにしてはいけません。「ことのは」が中学国語教師だけで構成されているのはこのためです。

2.この特別例会は来週の土曜日も行います。2週連続で検討すれば、それなりにいろいろなことが見えてきます。冬休みは次年度に向けて、各教材の授業パターンを幾つか開発していきます。今年度は教科書が変わってずいぶんと戸惑いましたが、次年度からは授業に戸惑うことはなくなっていきます。

3.「研究集団ことのは」8月特別例会が終わりました。13時~21時まで。8時間の長丁場です。文学の新教材がなぜこんなにも軽い作品、勘違い作品が多いのかというのが話題になりました。これは光村・教出に共通する傾向です。文学で議論になったのが「盆土産」のみだったのです。光村の老舗教材です。

4.説明的文章は内田樹の「学ぶ力」(教出2年)に見るべきものを感じました。内容に対する賛否はともかく、授業として成立させやすいこと、子どもたちの批評が成り立つことの2点を感じられる教材でした。授業化すればかなり盛り上がり、学習が機能する、そういう授業を展開できそうです。

5.「ネット時代のコペルニクス」(光村3年)は賛否が分かれました。最後に課題を投げかけて読者に委ねるタイプの説明文なのですが、問題意識を喚起するというよりは、いわゆる「逃げの説明文」という印象を受けました。文章構造も序本結による論説というよりも、1本のレールで読み手を誘う展開です。

6.それにしても文学の新教材がひどい。見るべきものは「暗闇の向こう側」(教1年)のみ。「アイスプラネット」(光2年)や「にじの見える橋」(同1年)、「タオル」(教2年)は百歩譲ってまだ許せるにしても、「星の花が降るころに」(光1年)と「みどり色の記憶」(教3年)は本当にひどい。

7.編集している人たちが道徳教材にさえなり得ないような、自らの世代がシンパシーを感じるような古くさくて読みやすい純情物語を掲載している。生徒たちが一読「キモ!」と言って片付けるような主人公がいかにも70~80年代チックな悩み方をする物語である。時代錯誤も甚だしいとしか言いようがない。

8.この手のものは映像化にさえ耐えないだろう。まるで昔の「リボン」とか「なかよし」とかに載っていそうな、乙女チック路線なのである。程度の低い「白線流し」を映像ではなく活字にしてしまった感じといっては「白線流し」に失礼だろうか。編集者は「活用」を勘違いしているのではないか。

9.活用・批評させるために時数の関係上教材を易しくする、その発想自体はわからないでもない。しかし、易しいということは中学生に迎合することではない。しかもその迎合しようとする中学生像があまりにも古くさいのだから、もうどうにも機能のさせようがない。アナクロニズムの世迷い言になっている。

10.工藤直子も宮澤賢治も優しい日常語を使いながらその世界観は陳腐ではない。そういう教材をこそ開発しなければならない。今回の新教材は陳腐なのだ。しかも、アナクロな陳腐さなのだ。私はこうした実情に合わない主人公に似たタイプの女子生徒がいじめに逢うのではないかという心配までしてしまった。

11.説明文には見るべきものがある。インパクト重視で世界観の広がりを狙った教出。徹底して技能習得を狙った論理性にこだわった光村、賛否はあるにせよ編集の意図はよくわかる。ひどいのは文学なのだ。学校で習う文学教材は小学校から高校まで40本に満たないのだ。その内の1本が本当にこれでいいのか。

12.もしも文学の終焉という時代認識を抱き、これからの文学教材はこういうものだという確固たる編集方針をもっているのならそれはそれでいい。しかし、それならば、まず政治的意図で採択し続けている「故郷」(魯迅・3年)をはずすべきだ。大人の都合は排除できない、他は勘違いの迎合では一貫性がない。

13.【残席18/今回は定員は増えません。お申し込みはお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

14.イライラは3日後でもできる。でも、いまやるべきことは、いまやらなければ後悔する。だからいまやるべきことをやるのだ。3日後にはイライラの原因など忘れている。笑い話になることさえある。そういうものなのだ。イライラは未来へ送れ。仕事は過去を顧みよ。歴史に学べ。そういうものなのだ。

15.【残席17/今回は定員は増えません。お申し込みはお早めに】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。今回はファシリ導入へのステップをワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

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予兆

かつて佐世保で小学校6年生の女子児童が、給食準備時間に同級生の女子児童に校舎内で刺殺されるという事件が起きました。衝撃的な事件だったので覚えておいでの読者も多いだろうと思います。大手の新聞社は次の日の社説において、揃って「学校は何をしていたのか。予兆は捉えられなかったのか」と学校を批判しました。私はこの大手新聞社の論調に対して、複雑な思いを抱きました。

もちろん学校に問題がなかったとは言いません。適切な対応(というものが正直、どういうものなのかいまだにわかりませんが)をとっていれば、或いは最悪の事態は避けられたのかもしれません。その意味で、学校が批判されること自体には私は疑問を抱きませんでした。しかし、「予兆が捉えられなかったのか」という批判に対しては、私は複雑な思いを抱かざるを得ません。小学校6年生の女子児童が同級生の女子児童を校内で、それも教育課程内の時間に刺殺する……その予兆とはいかなる予兆なのでしょうか。

それまで小学生女子児童が同級生を刺殺する可能性がある……そんな事件を我々は知りませんでした。ということは、学校側は頭の片隅にさえないのです。頭の片隅にさえないことについて、予兆を捉えることは不可能ではないでしょうか。

1990年代の半ば、栃木県の黒磯で、中学1年生の男子生徒が女性教員を刺殺するという事件が起きました。それ以来、中学校の教員は女性教師が一人で男子生徒の生徒指導にあたることを避けるようになっています。私たちもこうした前例があれば、頭の片隅に常にそうした可能性を置いて対処することができます。しかし、佐世保の小学生の事件は、少なくとも当時はあまりにも想定外の事件だったのです。

私はここで、だから仕方がなかったのだと言いたいわけではありません。教師という仕事は、こうした想定外中の想定外の事件であっても、「予兆が捉えられなかったのか」と批判される、そういう職業なのだということを我々自身が意識する必要がある、そう申し上げたいのです。

こう考えてくると、私たち教師が日常的にどれだけ子どもたちに目配りをし、心配りをしなければならないかということが、身に沁みて実感されてくるのではないでしょうか。少しでも様子がおかしいなと感じたら、すぐに言葉がけをするとともに保護者に連絡して相談する、そうした動きが必要な時代にとうの昔に入っているのです。

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8月17日(金)

1.今日は出勤後、校内の新校舎関係の映像を整理し、帰宅して自宅で式典用のビデオをつくりました。来週から小学校が始まるため、児童生徒の映像が何分必要かを確かめる必要があったのです。そのためにはそれ以前の映像を作ってしまうのが一番。学校のPCなど使えないということを行政は理解すべきです。

2.教師が職能としての権力の在り方が変化してきているのです。時代は規律訓練型権力(教え導く権力)から環境調整型権力(演出する権力)へと移行し始めています。顧客に抵抗を感じさせることなく、自らの意図を実現する……。善し悪しはともかく、学校教育も「マクドナルド化」が進んできているのです。

3.ここ数日執筆に取り組んできた本の原稿に完全に飽きてしまった。一度この原稿から離れなきゃだめだな。テレビでも見るか。それとも別の本の原稿執筆を始めるか。どっちもあまり魅力ないなあ。本でも読むかな。読みたい本はたくさんある。でも、せっかくの週末の夜だからなあ。集中して執筆したいなあ。

4.あと24頁なんだけどなあ。この原稿に集中すれば、この週末に仕上がるのに……。

5.そういや、「ことのは」の音読本のまえがきとあとがきを書いてなかったな。まずこの本を完成させるか。これでいま書いてる本もこの週末で仕上げれば、及川さんと美南ちゃんが夏休み明けに1本ずつ完成稿を受け取る、なんてことになって鼻が高いのだが。そういう調子のこき方もしてみたいものだが。

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8月16日(木)

1.事務仕事を雑務だと考えている教師が少なからずいます。自分は子どもたちと接するために教師になったのであって、事務仕事をするために教師になったわけではない、そう公言する教師もいます。確かにその通りでしょう。今も昔も、事務仕事が教師の仕事の中核を占めたことはありません。教師の仕事の中核はいつだって子どもたちを教え導くことであって、煩雑な事務処理ではありません。

2.しかし、子どもたちと接することが仕事の中核だからといって、事務仕事が下手でも良い、苦手でも良いということを意味しません。仕事の中核ではなく周辺として意識されているということは、その仕事はできてあたりまえの、ミスの許されない仕事であるということを意味しているのです。しかも、事務仕事は「やればできる」と考えられています。学級経営や生徒指導のように、「人間相手だから」「思い通りにいくものじゃないから」という言い訳が一切ききません。事務仕事はいつだって完璧が求められるのです。

3.事務仕事を「ついつい後回し」にしてしまったがために、予想外のことが起きたときに対応仕切れなかった……教師がよく陥りがちなのがこうした事例です。基本的に事務仕事というのは「始めること」が大切です。とにかく始める。そしてできれば、不完全でも良いから一気に最後までつくってしまう。「事務仕事は拙速を旨とする」とさえ言われます。まず拙速でも良いからつくってしまう、後にそれを見直し修正することによって仕上げる、そういう仕事の仕方が〈大人の仕事の仕方〉です。

4.何事にも完璧などありません。ミスはつきものですし、勘違いということもあります。それを締切までに何度見直し何度修正したか、そしてどれだけその時間を確保できたか、事務仕事においてはそれが勝負だと言っても過言ではありません。

5.教務主任になってうろたえる。プライドが傷つく。周りを頼らざるを得ない。周りに迷惑をかける。長く指導部畑で仕事をしてきた教員が、昇進が視野に入ってきて教務や進路の仕事に初めて就いたという場合に起こりがちな事案です。

6.子どもたちを動かしているのは確かに学級担任や生徒指導部ですが、学校を動かしているのは間違いなく教務部です。長く生徒指導畑を渡り歩いてきたベテラン教師はそのことがわかっていません。むしろ、たかが事務仕事と馬鹿にしている場合さえ少なくないというのが現実です。

7.しかし、行事計画や行事日程がどのように立てられているのか、教育課程がどのように編制されているのかを知らずして、学級経営や生徒会活動、部活動や生徒指導ができると考える方がどうかしています。すべて教育課程に従って運営されているわけですから、それを知らずに独自に運営しているということは、自分がとう感じていようとそれは独善に過ぎないのです。

8.事務力の大切さは事務仕事が大切だという意味を超えて、教師がこうした独善に陥ることなく、広い視野に立って教育活動を行うためにも必要なのだということです。正直なところ、若いうちは独善的に走ることも悪くないと私も思います。しかし、30代も半ばを超えたら、勤務校の教育課程に興味を抱き、学習指導要領や生徒指導提要などの基本文献にも目を通し、世の中の文教政策がどのように動いているのかということに関心を寄せなければなりません。ベテランの独善は影響力が大きいだけに害になりやすいのです。

9.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

10.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

11.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

12.今日も出勤。新校舎は少しずつ片付き始めている。来週からは小学校が始まる。小学校の先生方のほとんどが出勤して、授業準備や行事打ち合わせが始まった。中学校側はまだ1週間以上あるので雰囲気はのんびり。旧校舎は今日も特殊部隊の訓練。窓の外にはしごがかかっていた。訓練は明日までらしい。

13.父性型教師は様々な角度で優先順位を考えて、判断しなければなりません。生徒や保護者と当たらなければならないこともあります。ときには周りの先生方の理解が得られないことさえあります。それでも、判断し責任をとらねばならないのです。孤独への耐性は父性型教師の職能の一つなのです。

14.父性型教師として孤独を噛みしめることなど、年に何度もあることです。自分が良かれと思ってしたことが生徒に理解してもらえなかったとか、自分のとった行動が保護者に理解されなかったとか、自分が良かれと思っての判断が同僚に理解されなかったとか、人間同士の営みなのですからそんなことはあって当然です。

15.しかし、父性型教師の仕事の第一は良好な人間関係を築くことではありません。学校の規範を守ることです。自分の判断が正しかったかどうか自己点検することは大切なことですが、人間関係の苦しさ故に判断を甘くするということだけはしてはいけません。

16.生徒指導は即時指導が大切な場合が多いものです。父性型教師の判断に疑問を抱いたとしても、まずはその判断に従って動きましょう。

17.父性型教師の判断について疑問がある場合には、自分の意見をしっかりと伝えるとともに、父性型教師の判断の理由を納得できるまで聞くのが最も良いコミュニケーションの在り方です。

18.自らの判断が周りに理解されない場合があってとしても、その判断を覆すことは絶対にしてはいけません。父性型教師の判断が揺れると、その教師集団の生徒指導は途端にバランスを失います。

19.子どもたちに指導するときにその意味、理由を語らなければならないように、同僚にも判断の意味や理由を語って、指導の全体像を見えるようにしてあげることが大切です。

20.いかに広い視野で適切な判断ができるかは、どれだけの生徒指導事例を知っているかということが決めます。生徒指導や教育相談に事例研究が多いのはそのためです。日常的に様々な場で事例を集めることを心掛けましょう。

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教師の表現 伝え方の極意

極意36

毎週月曜日の最初の授業を1時間録音して、そのテープを聞きながら通勤していた時代があります。3年続けました。「ええと」が多い。口癖がうるさい。余計な言葉が多い。無駄な言葉が多い。指導言の言い換えで意味が変わっている。生徒の発言の核心を拾えていない。そんなことにいやというほどに気づかされました。

極意37

生徒ともPTAとも、出逢いにおいて定番の自己紹介ネタをもつことが大切です。自分を強く印象づけることなしに良い学級経営も良い授業も良いPTA活動もあり得ません。出逢いは楽しく、日常も楽しく、真面目に語るときには心底真面目に……そんな当然のメリハリをつけられない教師が増えています。

極意38

教師は文体にバリエーションをもつべきです。生徒に届けるために書かれる文章にも幾つかの文体をもつべきです。人の心を打つのは必ずしも美文ではありません。ましてや借り物の四字熟語や格言などかえって品位を落とします。自分らしさがにじみ出る文章……そのバリエーションをこそもつべきなのです。

極意39

若いときの文体には自分をよく見せたいという思いがあらわれます。年齢を重ねると、自分をよく見せることよりも、自分の伝えたいことが他人に伝わることの方を重視するようになります。もっと年齢を重ねると、自分の伝えたいことを伝えるよりも、他人の触媒になることを重視するようになります。

極意40

教師が魂を載せた言葉をしゃべれない、そんな雰囲気が蔓延して何年が経つでしょうか。いくら技術を駆使してみても、最後に説得力をもつのは魂が載っているか否かです。そんなあたりまえの理屈も通用しなくなった感があります。学校教育から言霊が消えてしまったら……そう考えるとゾッとします。

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教師の成長 力量アップの極意

極意29

〈スキル〉を学べばいいと若者は思っています。しかし、〈スキル〉が多いほど教師としての力量が上がるわけではありません。〈スキル〉を自分の学級に合わせて修正し、それらの〈スキル〉が一貫性をもって機能するような〈システム〉を構築してこそ力量は高まるのです。

極意30

もしもあなたが若者で、もしもあなたが日々の仕事におろおろしているならば、その原因は周りにあるのではなく、あなたの心性にこそあります。あなたには若者がもつべき「健全な野心」がないのです。「不健全な野心」は人を堕落させますが、「健全な野心」は人に覇気と可能性をもたらします。

極意31

若い教師が最初の学級をうまくまとめて、それなりに自信をもってしまったときが一番危ない。自分が人間的に優れているとか自分は感性が鋭い人間であるとか勘違いしてしまう。誤解を怖れずに言えば、若い教師など人間的には下の下の下です。二十代はそのくらいのつもりで生徒の前に立った方が安全です。

極意32

発展途上の自覚のある先達にこそ学ばねばなりません。直接逢って教えを請わねばなりません。完成されたように見える先達、自分の主張を相対化して話すことのない先達は、その世界では既に終わってしまった先達です。本で読めば充分です。しかし、人は多くの場合、その逆の行動をとってしまいます。

極意33

教育論に興味を抱いて教師をしているうちはうまくいきません。目の前にいる子どもに興味を抱き、試行錯誤しているうちに教育観が生まれ、やがてそれが自らの教育論になっていくのです。10年間がむしゃらに取り組むとその萌芽が見えてきます。10年の時を経ずに見えてきたものは幻想に過ぎません。

極意34

経験を重ねるほど主張はシンプルになっていきます。こねくりまわす必要も、裏返す必要もないことに気づいていきます。若い頃は、先達のそのシンプルさが大雑把な主張に見えて、どんどん思考を複雑化させていきますが、先達のシンプルさが複雑な思考の末に到達したシンプルさであることに気づくのにそれから20年かかります。

極意35

努力する者だけが教壇に立つべきなのです。自らの成長を怠らない者だけがその資格をもつのです。もっと遠くへ。もっと高みへ。自らの可能性に飢えない者に教壇に立つ資格はありません。もちろん心を病んでまでそうする必要はありませんし、死を考え出したらすぐに逃げるべきです。しかし、でも命に関わる場合以外は逃げるべきでありません。

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8月15日(水)

1.累積科学国語教育研究会in東京。10月6日(土)に上智大学で。参加費は3000円です。あの親塾・教師塾の多賀一郎先生、東京学芸大学の千田洋幸先生をお迎えして。FGの藤原、教室ファシリテーションの堀、そして多賀先生が模擬授業で提案します。http://kokucheese.com/event/index/46174/

2.「累積科学国語教育研究会」は主張の異なる実践者・研究者の様々な主張を取り上げその共通点と相違点を明らかにするという学習会を多数開催し、小さな成果を積み重ねることによって国語教育を「累積科学」にしていこうという取り組みです。これまで30回の学習会と4回の研究大会を開催しています。

3.今回、初の東京開催。「心をゆさぶる国語授業」を提唱する多賀一郎先生、ファシリテーション・グラフィック入門の藤原友和先生をお迎えして、物語の模擬授業でそれぞれの主張を展開していただきます。私堀も「物語の語り手の人物像」を読み取る模擬授業をします。どうぞお誘い合わせの上ご参加下さい。

4.第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。WCやOSTに取り組む前に、日常授業でどのようにつなげていくのか、そのステップを3人がワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

5.ファシリテーションだけでなく、協同系の学習に子どもたちを誘うにはステップがあります。そして適度な抵抗を与えながら少しずつスモールステップしていき、最後には大胆に子どもたちに任せる、というコツもあります。こうしたステップとコツとを第6回教室ファシリテーションセミナーで提案します。

6.【残席11】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

7.昨日今日と出勤。新校舎にも慣れてきた。旧校舎では機動隊の特殊部隊が訓練をしている。旧校舎にもいろいろな使い方があるものだ旧校舎はカーテンや新聞紙で完全に中が見えないようにされている

8.養護教諭や栄養士さんと日常的にコミュニケーションをとっていると、体調管理や栄養管理、衛生管理などについて、教師の知らないことがたくさん学べます。用務員さんや業務員さんなど、子どもたちが直接的に接しない人たちがどう感じているかを知ることも、子どもたちに語るべきネタとして大きく機能します。こうした人たちとたくさん話をしましょう。

9.父性型教師は、母性型教師や友人型教師が動きやすいような生徒指導体制をつくるのも仕事の一つです。周りに対して自分と同じように厳しく接することを求めるのではなく、自分の父性型の指導と周りの母性型や友人型の指導とが相互補完するようなバランスをこそ目指さなければなりません。

10.父性型教師の多くが自分の生徒指導の在り方が最も子どもたちに機能すると考えています。生徒たちになめられることなく、厳しく接するのが良い、と。しかし、子どもたちは多様です。父性型の指導だけですべての子たちに対応できるわけではありません。周りの教師の母性型指導や友人型指導を包み込むような規範重視の空気をつくることこそが仕事なのです。その意味で、父性型教師は生徒指導において教師集団の要の位置にあるのです。

11.自分が厳しく叱る指導に抵抗をもっていたとしても、子どもたちや保護者の前で父性型教師を批判することは厳禁です。むしろ、「ああいう風に 言っているけれど、○○先生はほんとうは優しくて面白い人でね」といったフォローを常にしていくことが大切です。

12.多くの父性型教師は自分が生徒指導の要であることを意識しています。生徒指導で困ったときには、どんなことでも父性型教師に相談し、頼りましょう。まず間違いなく、力になってくれます。

13.父性型教師の役回りを担ったら、子どもに対してだけでなく同僚のフォローにも時間と労力をかけねばならないのだと腹を括りましょう。

14.父性型教師が意外と苦手にしているのが、他の先生方を頼るということです。現在の子どもたちは多様ですから、厳しい指導だけですべてに対応できるわけではありません。現在、母性型教師や友人型教師のフォローなくして、父性型指導は成り立たないのです。他の教師を頼りましょう。みんなとつながってこそ、「要」なのです。

15.あらゆる業界でカンファランスの必要性が叫ばれています。教師もチームで動く時代です。生徒指導もチームを行うことを旨としなければなかなか機能しなくなりました。父性型教師もチームビルディングを勉強すべきです。

16.環境というのは大切なものである。今日、新しいマウスを買ってきたのだが、PC環境が一気に快適になった。たった1260円でこれである。お金を出し惜しむべきではない。

17.父性型教師は様々な角度で優先順位を考えて、判断しなければなりません。生徒や保護者と当たらなければならないこともあります。ときには周りの先生方の理解が得られないことさえあります。それでも、判断し責任をとらねばならないのです。孤独への耐性は父性型教師の職能の一つなのです。

18.父性型教師として孤独を噛みしめることなど、年に何度もあることです。自分が良かれと思ってしたことが生徒に理解してもらえなかったとか、自分のとった行動が保護者に理解されなかったとか、自分が良かれと思っての判断が同僚に理解されなかったとか、人間同士の営みなのですからそんなことはあって当然です。

19.しかし、父性型教師の仕事の第一は良好な人間関係を築くことではありません。学校の規範を守ることです。自分の判断が正しかったかどうか自己点検することは大切なことですが、人間関係の苦しさ故に判断を甘くするということだけはしてはいけません。

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教師の職場 コミュニケーションの極意

極意17

例えば力量のある教師がものすごい学級経営をしているとします。でも多くの場合、その学級の隣にはその教師と比較されることによって苦しんでいる担任がいるものです。力量のある教師は隣の学級担任が苦しまないように、隣の学級の子どもたちが損したと思わないように配慮する必要があります。

語彙18

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければなりません。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことにはすべてが現状維持です。

語彙19

生徒指導屋には生徒指導屋の役割があり、担任屋には担任屋の役割があります。研究屋には研究屋の、教務屋には教務屋の、行事屋には行事屋の役割があります。もちろん管理職にも管理職の役割があります。これらを有機的に結びつけること。教員再生の道も学校再生の道もこのこと以外にはありません。

極意20

人材不足を嘆く言葉を見ると哀しくなります。ぼくは自分の地域にも自分の学校にも、人材きら星のごとくに見えます。ないのはそれぞれの能力とか資質をつなげ、有機的に機能させるようなシステムだと感じています。教育の現場は能力や資質はもちろん、どんな小さな趣味でも嗜好でも活かせる場所です。

極意21

職員会議は何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まります。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人がいうなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことになります。良いか悪いかは別としてこれが真実です。「うちの先生方は……」と嘆く方にはいつもこう言います。

極意22

その人が好きでも嫌いでも買おうが買うまいが、「あなたを信じておまかせします」と言えばいいのです。「まかせる」と言われたとき、それが人間がもっとも力を発揮するときです。ネガティヴな感情も関係も好転していくものです。おまかせします……なんと美しく、おくゆかしいことばなのでしょう。

極意23

結局、人は楽しい雰囲気の中にいるときに最も成長するのだと実感させられます。大人も子供も楽しいからこそ、高いハードルにも挑戦しようと思うのです。生徒を見ても若手教師を見ていてもこれを実感します。自らの中で、楽しさと成長とが融合された瞬間を実感したとき、人はそれを「充実」と呼びます。

極意24

教師は、若いうちから一国一城の主になれるまれな職業です。その分、一人で突っ走り、若いうちから自分はいっぱしの者だと勘違いしやすい職業でもあります。教師の成長には、その勘違いを謙虚に戒めて成長する場合と、その勘違いに実質を伴わせて勘違いではなくする場合と、二つあるように思います。

極意25

指導力不足教員は本当に学校から廃絶した方が良いのか。指導力不足とは相対的なものではないか。指導力不足教員を100人排除したら、101番目から200番目までが新たな指導力不足教員にならないか。指導力不足教員を100人排除したら、次はあなたの番、そしてぼくの番なのではないでしょうか。

極意26

頑張らなきゃならないけれど、頑張りすぎてはいけない。自分で限界をつくっちゃいけないけれど、決して無限だと思ってはならない。みんなこんなあたり前のことを忘れがちになる。視野狭窄に陥る。みんな完璧じゃないけれど可能性はある。「完璧じゃない」も「可能性がある」もともに忘れてはならない。

極意27

誤解を怖れずに言えば、仕事なんてなんとでもなるのです。あなたが一日くらい休んだところで、あなたが突如入院したところで、あなたが心の病で休職したところで、だれかがなんとかしてくれます。強迫観念で働くことをやめて、もっとおおらかに働きましょう。日本人にはこのくらいの気持ちが必要です。

極意28

師をもつ。あなたは師をもっているでしょうか。教師として子どもたちの前に立っているというのに、自らは学生時代に習ったことなど役に立たないなどと嘆いてはいないでしょうか。私は二十数年の実践研究生活で確信しています。良き実践者は必ず良き師をもっているというテーゼを信じて疑いません。

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8月14日(火)

1.出勤。新校舎落成式の打ち合わせなど。昼食はインドカレー。ココナッツナンが美味。帰宅後は、原稿執筆。また執筆モードに入った。順調に進む。また近日中に1冊仕上がりそうな気配。

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外事警察

新潟のホテルで「外事警察」全6話を見た。数年前の公安を題材としたドラマである。公安がこんな活動をしているとは思わないが、ドラマとしてはよくできたドラマだった。渡部篤郎・石田ゆり子・余貴美子・遠藤憲一・片岡礼子と名優の揃った良いドラマだった。特に渡部篤郎と石田ゆり子は素晴しかった。

渡部篤郎の妻役に奥貫薫。出番は少ない役柄だったが、ものすごい存在感。ドラマを引き締める良い役柄。準主役の尾野真千子。若くて美しい女優だが、役作りに迷っている心象が映像にも出てしまっている感じがして見ていて苦しかった。全体的に旅先で夢中になるほどの完成度に思えた。良い時間だった。

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8月11日(土)~13日(月)

1.新潟は意外と涼しく、過ごしやすかった。新潟に呼ばれるのも4回目。懐かしい人にもたくさん会うことができ、楽しいひととき。それにしてもMさんは魔女だ。赤坂はちょっと疲れていた感じ。

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教師の姿勢 心構えの極意

子どもや保護者との接し方

極意7

「教える-学ぶ」関係が崩れている現在、教師は子どもに嫌われてはいけません。現在、生徒に嫌われないということが、すべての教育活動を推進していくうえでの前提になっています。生徒に嫌われてしまうと、「指導者」としても「評価者」としてもその資格を問われる時代になってきています。

極意8

「怒鳴る教師」になってはいけません。怒鳴ることに頼り始めると教師はみるみる堕落していきます。怒鳴ることなく同じ効果をあげられる手法がないかと考え続けること。それを一つ一つためすこと。そのスキルを一つ一つ整理していくこと。この3つが大切です。怒鳴ることに頼って楽をしてはいけません。

極意9

重要なのは、何事も適切な距離を意識して臨まなければうまくは運ばない、ということです。人間関係の悩みは、そのほとんどがそうした距離感の調整がうまくいかないが故に生じます。そういうことを、なかなか教えてもらえないのが世の中です。生徒とも、保護者とも、同僚とも、適度な距離が必要です。

極意10

教育の神髄は続けること。若いうちはあれもこれもと喰いついて良いけれど、「ああ、これだな」っていう手法をみつけたら、うまくいかなくても失敗しても苦しくても、取り敢えず続けてみること。少しずつ子どもたちにもその意味と効果が実感されるようになっていきます。残念ながら、その前に諦めてやめてしまうことが多いのが現実です。

極意11

教師は結果を出すことにもう少し貪欲になるべきです。結果を出すためには粛々とこなさなければならない現実的な現実が当然出てきます。現実を避けて結果が出ないと悩む自分に酔っている、或い自分は正しいはずなのに周りの理解が得られない愚痴る、教師の世界には独善や責任転嫁が多く見られるます。

極意12

私は、人は「自分に何ができるか」ではなく「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。できないことをやろうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも他人を傷つけることがあります。できないことに取り組み始めないことも重要なのです。

極意13

教室はハプニングの起こるところです。ハプニング性にこそ本質があります。教育技術や授業技術はハプニングを極力排除しようという提案でした。しかしそれは背理なのです。そんな発想一辺倒では教室は活力を失ってしまいます。そこでどうバランスをとるかが問われます。そこに教師の個性が表れます。

極意14

一斉授業の教師の言葉はすべてが〈迎えに行く言葉〉でした。おいで、こっちにおいで、そういう言葉です。〈迎えに行く言葉〉ではなく、子どもに〈したたり落ちる言葉〉や〈あふれ出る言葉〉を求めると授業も生徒指導も変わります。そのときに教師に必要になるのは〈待つ言葉〉と〈戯れる言葉〉です。

極意15

言葉が不意にしたたり落ちる。カウンセリングが目指すのがこれです。言葉が不意にあふれ出る。ファシリテーションが目指すのがこれです。「したたり落ちる」「あふれ出る」に惹きつけられてはいけません。肝心なのは「不意に」なのです。「不意に」をいかにつくるかに焦点を合わせましょう。

極意16

支援を要する子と関わっていて思うのは、教師の「教え方」以上に「在り方」のほうを圧倒的に問われていること。この認識に立つと、支援を要しない子にとっても「在り方」のほうが重要だとわかってきます。ここまで来ると、支援を要する子と要しない子という境界のナンセンス性に気づくようになります。

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教師の資質 力量アップの基礎

全ての教師が目指すべき5つの資質

極意1

教師に必要な資質。1. いつも笑顔でいること。2 .孤独に耐える力をもつこと。3. 無駄とわかっていることに取り組めること。4 .子どもといっしょに馬鹿げたことを一生懸命にやるのを楽しめること。5 .いつでも変われること。今を壊し、新しい自分になることを怖れないこと。

極意2

教師にとって最も必要な資質……。それは「いつも笑っていること」です。これを基準に自分の教師生活を振り返ってみることが必要です。そうするとすべきことが見えてきて、すべきでないことも見えてきます。やらなければならないことが見えてきて、やりたいことの優先順位も見えてくるようになります。

極意3

教師に必要な資質。 孤独に耐える力をもつこと。教師の仕事の第一は生徒と良好な関係を築くことではありません。彼らを正しい道へと導くことです。そして第二に、自分の判断した正しさが本当に正しいかを常に疑い続けることです。それが結果として、生徒との良好な関係を築くことにつながるのです。

極意4

教師に必要な資質。無駄とわかっていることに取り組めること。教師は人間相手の商売ですから、常に成果が上がるわけではありません。すぐに効果があらわれることなど皆無です。しかし、それを続けるということでしか、成果が上がることはないのです。「それでもやる…」 教師の仕事はその連続です。

極意5

教師に必要な資質。子どもといっしょに馬鹿げたことに一生懸命取り組めること。そしてそれを楽しめること。人はいっしょに笑った分だけ人間関係を築くことができます。子どもたちとの関係も同じです。行事やレクだけでなく日常会話でも子どもたちとともに楽しむ姿勢が必要です。できれば、PTAとも。

極意6

教師は何より変化を恐れます。変化しないことが最も楽で、安全で、安心だからです。でも、〈変化からの逃避〉は、実は〈成長から遁走〉を意味しています。変化のないところに成長などあり得ないからです。変化しないこと、成長しないことは子どもたちの前に立つ資格を問われるほどの重大事なのです。

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8月10日(金)

1.今日は新潟の講座準備のために休暇をとった。午後は新千歳から新潟へ。この夏休みのツアー、もうひと踏ん張りである。

2.拙著『生徒指導10の原理・100の原則』/スクールカースト/サイレントマジョリティ/ヒドゥンカレキュラム/ブロークンウィンドウズ/イニシアティヴ/インクルージョン/マクドナルド化/パッチングケア/FMCチームワーク/自己キャラクターの10原理

3.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

4.「累積科学国語教育研究会」は主張の異なる実践者・研究者の様々な主張を取り上げその共通点と相違点を明らかにするという学習会を多数開催し、小さな成果を積み重ねることによって国語教育を「累積科学」にしていこうという取り組みです。これまで30回の学習会と4回の研究大会を開催しています。

5.今回は初の東京開催。「心をゆさぶる国語授業」を提唱する多賀一郎先生、ファシリテーション・グラフィック入門の藤原友和先生をお迎えして、物語の模擬授業でそれぞれの主張を展開していただきます。私堀も「物語の語り手の人物像」を読み取る模擬授業をします。どうぞお誘い合わせの上ご参加下さい。

6.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

7.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

8.飛行機の出発が遅れまくり、やっと新潟のホテルに着いた。PCを立ち上げ、ネットにつなぎ……。冷たいカフェオレを飲んでやっと人心地。これからゲラの校正だな。新潟から発送しようと目論んでいるのだが。まだ、研究会の講座の2本目もできてないんだよなあ。旅先なのにやることが多すぎる。

9.いつ出るのかいまいちよくわかっていない本のゲラを校正中。ゲラ校正の依頼書によると、書名は『スペシャリスト直伝!教師力アップ成功の極意』というらしい。校正していて思ったことだが、これは売れないな。いわゆる教育技術を語った教育書ではなく、エッセイ集になってる。売れるわけがない。

10.この本はTWITTERから生まれた本。僕のツイートの中からよくリツイートされた40ツイートを抽出して、それに解説を加えるという構成。一つのツイートにつき、平均して4頁くらい書いているから、まあまあ詳しく解説しているということは言える。校正のために再読していると、著者自身は面白い。

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学校教育のマクドナルド化

以下はかつての「学びのしかけMM」(2011.07.22)の原稿です。ファイルを整理しているうちに見つかったのでアップしておきます。

マクドナルドに行ったことのない読者はおそらくいないでしょう。それほどマクドナルドは今日、私たちの生活に密着したファーストフード店になっています。ここではまず、マクドナルドに代表されるファーストフード店の構造について考えてみましょう。

夏休みの一日、同僚と二人、昼休みにマクドナルドに行こうと考えたとします。店をちょっと覗いてみると、カウンターには7、8人の行列。うん、これならそれほど時間はかからない。1時には学校に戻れそうだ。よし、昼食はマック(関西はマクドですね・笑)にしよう!となります。

列に並ぶとほどなく自分の順番。このセットでドリンクはホットコーヒー、ポテトはM、というふうにすぐに決まります。数百円を支払い、トレーにすべてが並んだところで席へ。いつもの味、いつもの量で、ちょっとだけおしゃべりに花を咲かすとごちそうさま。カラになったカップやハンバーガーの包み紙をくずかごへ、トレーを所定の場所に片付けて……。さて、お腹もふくらんだし、仕事に戻るか……ということになります。

さて、ここで考えてみましょう。もしもこれが喫茶店だったら、と。店を覗いて7、8人が待っていたとしたらあなたはこの喫茶店に入るでしょうか。ウェイトレスさんに「お客様、商品をお席までご自身でお運びください」と言われたら、納得できますか? 「コーヒーカップや手ふきのペーパーを自分で所定のくずかごに分別して捨ててからお帰りください」と言われたらどう感じるでしょうか。そうです。喫茶店ならどれもこれもウェイターやウェイトレスがしてくれることを、マクドナルドでは私たちは何の疑問も抱かずに自分でやってしまっているのです。

ついでにいえば、実はマクドナルドでは、椅子を硬い素材でつくり、長く座っていることができないようにして客の回転をよくする、という工夫も行われているそうです。

しかし、私たちは一般的に、そんなことにはまったく気づかずに楽しく食事をし、満足してマクドナルドをあとにしているのではないでしょうか。これはいったいどうしたことなのでしょう。

このように、顧客に嫌な思いや疑問を抱かせることなく、本来サービスを提供する側がすべき労働を顧客の側に分担させたり、対立や障壁を避けながら目的を達成したり、徹底した効率化によって全国どこでも均一化したサービスを提供したりする社会を、ジョージ・リッツァは〈マクドナルド化〉と呼びました(『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部)。

実はこうした〈マクドナルド化〉の原理は、昨今、学校教育にも意識的・無意識的に導入されています。

例えば、みなさんは休み時間に、ニコニコしながら、或いは生徒たちと半分遊びのような会話を楽しみながら巡視してはいないでしょうか。しかもそれは、生徒指導部や学年の方針として、「いかにも監視という雰囲気の巡視は避ける」というように取り決められた結果として行ってはいないでしょうか。また、生徒指導研修会では、いわゆる指導事案のが起こったときにも「カウンセリング・マインド」が奨励され、当該生徒によく事情を聞き、生徒の立場を理解たうえで説諭するように、といったことが基本方針として示されてはいないでしょうか。

私は1966年生まれですが、私の中学生時代は校内暴力の真っ只中の時代で、廊下には竹刀をもった生徒指導の先生がいたものでした。何か悪いことをしたときにも、自分の話などはほとんど聞いてもらえず、とにかく怒鳴られる……そういう指導を受けてきたものです。
 実はこのことは、私たちの受けてきた教育からいま私たちが行っているような教育へと、時代がシフトしてきたことを示しています。つまり、「中学生らしい生活態度」や「あるべき学生の姿」のような理念を前面に押し出しながら、「そうあるべきである」といった指導から、生徒たちに嫌な思いや疑問を抱かすことなく、周りに迷惑をかけたり周りから非難されるような生活態度を改めさせていく指導へ、というシフトです。教師の指導姿勢として考えれば、要するに「これが正しい」というメッセージをひたすら投げかける指導姿勢から、〈マクドナルド〉のようにそうとは気づかせないままに目的を達成する指導姿勢へと変化してきているわけです。

東浩紀は前者を「規律訓練型権力」、後者を「環境管理型権力」と呼びました(『自由を考える』東浩紀・大澤真幸・NHKブックス)。そして私も、こうした教師の指導姿勢のシフトについて、方向性としては間違っていない、と感じています。ただし、私は「管理」という言葉が教育に導入するときにはちょっときつい言い方だと感じていますので、同様のことを「規律訓練型権力から環境調整型権力へ」という言い方をしています。

私は「学びのしかけ」を、生徒たちに対して、絶対正しい唯一の在り方を強制するのではなく、自分も含めて、生徒を取り巻く様々な環境を調整していくなかで、少しずつ目的を達成していく指導の在り方を追究することだと捉えています。

次回、私の執筆回においては、「環境調整型」の実践をいくつかご紹介することにします。なお、こうした「環境調整型権力」を意識した学級経営の手法については、拙著『学級経営10の原理・100の原則』(学事出版)をご参照いただければ幸いです。

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目撃情報あれば即事実確認

「日本教育新聞」に800字ほどのいじめに関する小文を書いた。大津の件を受け手の特集記事の一つである。

目撃情報あれば即事実確認

いじめを発見する。いじめの目撃情報を得た。いじめられているという訴えがあった。こうしたとき、現場教師がまず取り組まなければならないことは、起こった事実を確認することである。それがいじめであるか否かの判断はその後の話である。

いじめを自らの目で発見しようが、児童・生徒の目撃情報であろうが、被害児童・生徒の訴えであろうが、少なくとも誰かが「いじめ」と認知するような事象があったことを意味する。それだけは確かである。とすれば、その誰かが誰によるどんな行為を「いじめ」と認知したのかは、必ず確認されなければならない。

まず①起こった事実を確認する。次に②それが「いじめ」であるか否かを判断する。さらに③「いじめ」と判断された場合には指導する、そういう順番なのである。従って、事実確認に教師が動いた事案の数は、「いじめ」と判断されて指導が行われた事案の数を圧倒する、それが本来の姿である。

いじめ」とよく似た概念に「いじり」という語がある。前者は嫌いな相手を下に見て攻撃するという概念、後者は対等な者同士で軽くからかい合ってコミュニケーションに潤いをもたらすという概念である。

世の「いじめ」という概念には、①暴力や恐喝のような犯罪行為②集団による無視やからかい③一部からはけんかにしか見えない1対1の攻撃④潤滑油として機能することのあるいじり、という4段階がある。①~③は認知された時点で、常に教師が起こった事実を確認し、本人にいじめの認識があろうがなかろうが指導の対象とすることが必要である。④のいじりについては、認知された時点でいじられている側がどう捉えているかを確認しなければならない。

しかし、大津の件は①~③にさえ、事実確認も被害意識確認もなされなかったようである。Aいじめかいじりか、Bいじめかけんかか、C暴力かプロレスごっこか、本人に「いじめたつもり」があるか否かによって指導の在り方を変えて良いのはAのみである。

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8月9日(木)

1.累積科学国語教育研究会in東京。10月6日(土)に上智大学で。参加費は3000円です。あの親塾・教師塾の多賀一郎先生、東京学芸大学の千田洋幸先生をお迎えして。FGの藤原、教室ファシリテーションの堀、そして多賀先生が模擬授業で提案します。http://kokucheese.com/event/index/46174/

2.「累積科学国語教育研究会」は主張の異なる実践者・研究者の様々な主張を取り上げ、その共通点と相違点を明らかにするという学習会を多数開催し、小さな成果を積み重ねることによって国語教育を「累積科学」にしていこうという取り組みです。これまで30回の学習会と4回の研究大会を開催しています。

3.第6回教室ファシリテーションセミナーin東京。10月7日(日)に新宿で。参加費は3000円。堀裕嗣・山下幸・藤原友和。WCやOSTに取り組む前に、日常授業でどのようにつなげていくのか、そのステップを3人がワークショップで提案します。http://kokucheese.com/event/index/46040/

4.【定員30】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

5.学校から帰ってきたあと、疲れてダウンしていました。やっと目が覚めました。明日は新潟にたちます。

6.子供が変容したから学級崩壊させない手立てを考える必要がある、という主張があり、崩壊させないためにという主張は何事か、子供を育てることこそが目的だ、という主張もある。この議論は不毛だ。両方必要に決まっている。前者を蔑ろにすると教師が病気になる。後者を蔑ろにするともはや教育じゃない。

7.双方ともに、自らの主張を強化することを目的として、相手の主張を批判すべきではない。仮想的をつくって自分の主張の説得力を高めようとする……そういう姑息な主張の仕方が僕は大嫌いだ。両者はステージ、つまり想定範囲が異なるのだ。こういうのは場合分け思考で考えれば両立する主張なのだ。

8.新潟では、①全体主義的教育からサービス業的教育へ、②ネガティヴリストからポジティヴリストへ、③役割モデルから振る舞いモデルへ、④規律訓練型権力から環境調整型権力へ、いま教育界を取り巻いている四つのベクトルについて、まとまった話をしたいと思ったが、この講座じゃ難しすぎるな。やめよ。

319bx3vdnfl__sl500_aa300_9.研ナオコBEST

昔から研ナオコが大好きだ。「相棒」のジャズシンガー役はいただけなかったし、歌も決してうまくはないけれど、元祖脱力女性ボーカルみたいな印象をもっている。「LA-LA-LA」とか「あばよ」とか「かもめはかもめ」とか、中島みゆきの世界を歌っているときの研ナオコは本当に輝いていた。

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8月3日(金)~8日(水)

1.3日(金)~5日(日)まで東京。とにかく暑かった。湿度も高かった。1年振りに宇佐美先生にお会いした。お元気そうで何よりだ。講座は全回の東京のリピーターがいて、ほとんど同じワークだったので申し訳なかった。桃崎さん、合田さん、田中さん、原口さん、いろいろな話ができて有意義だった。

2.6日(月)は四日市市の初任者研修。150人以上の参加者に対して4時間近くの講座。当初、ファシリテーションのワークの予定だったのだが、参加者が多すぎて会場をホールに変更。4時間しゃべり通し。疲れた。終了後、神戸に移動して多賀さんと合流。神戸牛のステーキ。とてつもなく美味。

3.7日(火)は神戸で達人セミナー。多賀先生、東田先生、そして僕の3人が講師。充実した一日だった。多賀さんにしても東田さんにしても、講座内容が具体的で主張が明快。ああいうベテランの話はいい。味がある。終了後は呑み会。kayaの平井さんも参加、楽しいひとときだった。この日は疲れて爆睡。

4.3日は新千歳から羽田へ。6日は品川から新幹線で名古屋、関西線で四日市へ、更に近鉄線で名古屋、新幹線で新神戸へと大移動。8日は関空から新千歳へ。いったい何㎞移動したんだろう。

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仕事術の本質は「認められること」である

職員会議は何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まります。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人がいうなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことになります。良いか悪いかは別としてこれが真実です。「うちの先生方は……」と嘆く方にはいつもこう言います。

研究会のQ&Aコーナーにおいて、「実際に仕事をしていくうえで教師に必要な力は何ですか」と訪ねられたり、「若い教師にこういう力をつけると良いよというメッセージをお願いします」と求められたりすることがあります。私はいつも、冗談めかして次の三つだと応えることにしています。

第一に「サボる力」です。「サボる力」などというと不謹慎に聞こえるかもしれません。しかし、世の中には、朝早くから来てその日の授業の準備をし、放課後に部活動を指導した後も遅くまで事務仕事をしているという教師が多すぎるように感じています。一日に14~15時間くらい働いているわけですね。そういう先生を見ていると、もう少し仕事を効率化できないのだろうか、効率化することを覚えればずいぶんと楽になるのに……と思わずにいられません。

教師の仕事において、「効率化」という言葉使うと、どうしても違和感をもつ方が多いだろうと思います。教師の仕事を効率主義で運営するのはいかがなものか、というわけてず。もちろん、部活動とか行事指導とか生徒指導とか、要するに生徒と関わる仕事は効率化することはできません。

しかし、そういう先生はいわゆる事務仕事をとても非効率にやっていることが多いのです。例えば、1枚のプリントをつくるのに何時間もかかる、「時候の挨拶はどんなのにしようかなあ」なんて考えているうちにネットや事典で調べ始めるとか、ちょっとしたひと言にこだわってなかなか完成しないとか、そんな仕事の仕方ですね。また、行事の反省アンケートを係の先生に請求されてから慌てて書き始める、もう行事が終わって1週間も経っているのでどんなことを感じたかも忘れてしまっている、結果、アンケート1枚書くのにずいぶんと時間がかかってしまう……こんなこともあります。

私の言う「サボる力」というのは、こんな現状を「サボる時間」を生み出すにはどうしたら良いかと考え続けることによって、仕事の仕方を工夫し効率化することによって、時間を生み出すとともに効率的な事務仕事の在り方を身につけよう、という意味合いです。

現在の私は職員室で珈琲を飲んでいる時間とか、ちょっとした調べものをする時間とか、放課後に生徒たちとコミュニケーションを図る時間とか、そうした余剰時間がたくさんあります。しかも残業は生徒指導関係以外にはまったくと言って良いほどありません。それは私が保護者向けプリントなら1枚つくるのに15分程度しかかかりませんし、定期テストをつくるのでさえ2時間程度しかかからないからです。ちなみに授業用のワークシートなら10分程度ですし、校務分掌の提案文書もどんなに複雑なものでも30分まではかかりません。

こうした仕事の仕方ができるようになるまで、私は自分自身をずいぶんと鍛えてきました。そしてその出発点が「サボる時間」を生み出すにはどうしたら良いか……という発想だったわけです。

効率化というのはいかに時間を生み出すかということです。時間を生み出す必要性がないと、人間、なかなか時間を生み出そうなどとは考えないものです。私はちょっと珈琲ブレイクとかちょっとおしゃべりとかが大好きなので、そういう時間を生み出そうと考えるわけですね(笑)。そうした私の性質が意図的・意識的な仕事の効率化へと私の発想を向けさせたわけです。

第二に、「いじりいじられる力」です。生徒との関係にしても保護者との関係にしても同僚との関係にしても、「いじれていじられることができる」という双方向が成立している状態が、まず間違いなく信頼関係が築けている状態と言えます。基本的にはこういう人間関係を目指すのです。

いじるだけではダメです。それは自分がツッコミばかり入れて、上下関係が固定化されている状態です。そうなると、相手がどのようなことを考えていて、どのよなことを感じているのか、相手の真意に気づきにくくなっている状態です。

また、いじられるだけもダメです。それは自分が下に見られている人間関係が固定化している危険性があるからです。その時々の話題に従って、その時々の空気に従って、どちらもいじりいじられる上限関係の流動性が担保されている、それが理想的な人間関係であると私は思います。

ちなみに「いじめ」と「いじり」の違いを皆さんはご存知でしようか。「いじめ」は相手に対する悪意、ネガティヴな感情から行われるものであり、「いじり」は相手に対する好意、ポジティヴな感情から行われるものです。従って、「いじりいじられる」ということは双方の双方に対する好意が双方によって認識されている状態を担保します。そうした潤いこそを目指そう、そんな意味合いです。

ただし、最初からそういう状態を目指していじったりいじられたりすべきと言っているのではありません。私はここまでかなり「理想状態」という言葉を用いてきましたが、それはあくまで人間関係ができた末に出来上がる状態です。当初は誠実な対応をし、楽しいことに取り組んでともに笑う機会を重ねる、そうした営みの末にこそこの「いじりいじられる関係」は成立するのです。

どんなに好意をもっていたとしても、いきなり生徒をいじると傷つけてしまうことがありますし、いきなり保護者をいじると引かれてしまうことがありますし、いきなり校長をいじったら怒られるかもしれません。そんなことはあり得ないのです。

私は「いじり」というものが相手に対する好意から生まれると言いました。つまり、「いじりいじられる力」をもてというのが、だれ一人嫌ってはならない、全員に好意をもつのだということを前提思想としているのにお気づきでしょうか。教師の資質として、他人を嫌わないということはとても重要なことです。「いじりいじられる力」とは、そのような資質を求めた、教師の力量の根幹を提示しているつもりです。

第三に、「流される力」です。自分の考え方や仕事の作法をただ主張するだけではなく、必要なときには周りに流されてみる、そういう力です。

「周りに流されてみる」などというと、そんなことが力量なのかと思われるかもしれません。一般に、周りに流されることはネガティヴな捉え方をされていますからね。しかし、私の言う「流される力」は、ポジティヴに流されてみることを指しています。

皆さんにはこんな経験がないでしょうか。

新しい学校に転勤したときの話です。転勤先の学校のやり方に違和感を抱きます。一つ一つがシステマティックに動いておらず、どうも無駄が多い感じがする。第一義に考えるべきことが蔑ろにされている感じがあり、どうも職員室の先生方の仕事の優先順位が違うような気がする。もう少し生徒たちに高い要求をすれば良いのに、生徒指導上大切な点がなあなあになっている気がする。職員会議で議論が交わされることがなく、提案された原案がすべて通っていく。違和感の質は様々ですが、転勤したてのときというのは、だれもが違和感の塊になるものです。

こうした違和感から、力量の高い先生ほど「この学校はおかしい!」と思い、改革しようと考えます。私はそれがいけないと思っています。

実は新しい学校に対して抱く違和感には、かなり大きなバイアスがかかっているものです。長年にわたって慣れ親しんできた前任校の仕事の優先順位や仕事の作法が、転任先の学校の在り方に必要以上の違和感を抱かせるのです。もちろん、郷には入ったからといって必ずしも郷に従う必要もありませんが、学校改革は前任校のイメージを先行させながら改革しようとすると必要以上に揉めるのが関の山、まずうまく行くことはありません。

しかもあなたはその学校の職員室から見れば新参者です。古くからその学校にいる先生方にとって、新参者の改革など受け入れられるはずもありません。「おもしろくない」と思われるのが普通です。

その学校がそのような状態になっているのには、大袈裟にそうなるだけの歴史があるのです。あなたはその歴史に参加してきた人間ではありません。ですから、転勤先の学校において新任者がまず何より優先させて行うべきはその学校の歴史を知ることです。なぜ仕事上そのような優先順位になっているのか、なぜそのような仕事の作法が生まれ維持され続けているのか、そのような歴史を理解するのです。この歴史を理解しないままに行われる学校改革など、所詮「机上の空論」的な改革に過ぎないのです。

転勤したときにまず私たちが考えなければならないことは、その学校の歴史を知ることです。前任校の作法を基準としてではなく、あくまでもこの学校の歴史を基準として改革案を考えられるようになる、その状態になって初めて転勤先の学校改革に参画する資格が得られるのです。このように考える謙虚さをもつことが、新しい学校でうまくやっていくコツ、新しい学校でも仕事を楽しくやっていくコツなのです。

もう一つは、自分に与えられた担任学級、校務分掌で目に見える成果を上げることです。安定的な学級経営を行うこと、これまでとは違った分掌運営をすること、それも職員室の先生方が「良くなった」と感じられるような先生方に配慮した分掌運営を行うことです。それが職員室で「認められる」ことにつながります。

この国の会議は、「何が正しいか」ではなく「だれが言ったか」で決まります。良い悪いはともかく、そういうものなのです。それが現実なのです。職員室で認められていない教師が何を提案してもダメです。提案が通るのは「現状維持提案」だけです。もしも本気で学校を改革しようと思うならば、まずは職員室で「認められること」なのです。「認められること」なく為される提案は、多くの先生方にとって「わがまま」にしか映りません。この原理は教員に限らず、この国で職業人として生きていくうえで、大切な大切な原理です。

私の言う「流される力」とはこういう意味です。ポジティヴに流されてみる力のことです。流されながらも問題の本質を見極めていく力のことです。究極的ではありますが、本質的な仕事術であると私は考えています。

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8月3日(金)

1.8月3日(金)~8日(水)の夕方まで、メールその他を開けなくなります。お急ぎの用件のある方は携帯電話にご連絡下さいませ。よろしくお願い致します。

2.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

3.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

4.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

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8月2日(木)

1.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

2.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

3.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

4.中学校道徳授業・学級づくりセミナー2012夏in東京/2012年8月5日(日)/中野サンプラザ/原口栄一・合田淳郎・田中利幸・桃崎毅寿・堀裕嗣/これまで知らなかったのですが、こくちーずに案内が出ていたようです。良かったらどうぞ。http://kokucheese.com/event/index/38303/

5.よく仕事をして、よく寝た1日だった。

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今月のお知らせ/2012年8月

8月中旬からまた執筆集中期間に入るために、登壇を控えます。10月からは月一度のペースに登壇を絞ります。これから半年くらいはそのくらいのペースでいこうと思っています。

【書籍・出版関係】

Cover最新刊『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』堀裕嗣著・明治図書・2012年8月。刊行されました。合唱コンクール・ステージ発表の指導法、指導技術を具体的に語りました。

まえがきと目次

教育zine明治図書・著者インタビュー/書評・糸井登先生長瀬拓也先生石川晋先生

120504dvdDVD「第3回教室ファシリテーションセミナーin京都」堀裕嗣/藤原友和

教室にワールド・カフェを導入する/ファシリテーション・グラフィックで議論を見える化する/教室にオープン・スペース・テクノロジーを導入する/2000円/有限会社kaya/お申し込みはこちら

【お知らせ】 DVDをご購入の皆様へ。私にメールをいただければ、このセミナ​ーで用いている教材を添付メールにてお送りします。ファイルは一​太郎です。hori-p@nifty.com

9784761918842新刊『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年3月/第二刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

教室ファシリテーションセミナーでお逢いできればと思います。

9784761918484s生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年10月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきと目次

生徒指導関係の講演や講座を依頼されることが多くなりました。有り難いことです。今後ともよろしくお願いいたします。

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年3月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

まえがきとあとがき/目次

『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』(明治図書)、『一斉授業10の原理・100の原則』(学事出版)を脱稿しました。どちらも秋の上梓になりそうです。

【研究会関係】

私に関係する8月の研究会をご案内させていただきます。お時間が許せばお越しください。9月の登壇予定はありません。

2012年8月5日(日)/中学校道徳授業学級づくりセミナー/合田淳郎・田中利幸・原口栄一・堀裕嗣・桃崎剛寿/中野サンプラザ/終了しました。

2012年8月6日(月)/三重県四日市職員研修講座/学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド/13:00~17:00/四日市市総合会館7F第1研修室/終了しました。

2012年8月7日(火)/教育の達人セミナーin神戸/兵庫県神戸私学会館/終了しました。

2012年8月12日(日)/第18回「愛と勇気のチカラ」セミナー/新潟市内/終了しました。

2012年8月18日(土)/「研究集団ことのは」8月例会Ⅰ/会場未定/新教科書教材研究/入会希望の方はご連絡下さい。ただし、中学校国語教師に限ります。/終了しました。

2012年8月25日(土)/「研究集団ことのは」8月例会Ⅱ/会場未定/新教科書教材研究/入会希望の方はご連絡下さい。ただし、中学校国語教師に限ります。/終了しました。

2012年9月15日(土)/「研究集団ことのは」9月例会/堀自宅/入会希望の方はご連絡下さい。ただし、中学校国語教師に限ります。

その後の予定はこちら

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8月1日(水)

1.新校舎で初めての一日勤務。職員室が広い。後者が明るい。やっぱり新しい建物というのは気持ちが良いものだ。生徒たちの部活が始まって、学校として本格始動するのは来週から。いまは静か。同じ職員室に小学校の先生方がいるというのも不思議な感覚だった。昼食はインドカレー。ナンがうまかった。

Ma_20080711_0032.奥貫薫。不幸な過去を背負った女性を演じさせたら天下一品。純情故に墜ちていく女性を演じさせても天下一品。ちょっと右に出る者がいない感じ。ただ、2時間ドラマでは、奥貫薫が出ているだけで、最初から犯人は奥貫薫だとわかってしまうのが、なんとも惜しい(笑)。昔はアイドルだったのに、凄い女優に成長したものだなあ、と思う。これほど伏し目がちな表情が似合う女優も珍しい。でも、一度、はじける演技も見てみたいなあ。

3.【定員30】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

4.【定員30】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

5.【定員30】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

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7月30日(月)~31日(火)

1.北の教育文化フェスティバルin旭川。久し振りの野口先生、青木先生。ついこの間会ったばかりの山田くん。小6への授業と協議、講座。まあ、あんなものだろう。会場が暑くて、協議中に気を失いそうになった。司会の山田くんに問いかけられているのに気づかなかった。ちょっと焦った。

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