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『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』

9784761918842教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著/学事出版

まえがき

かつて子どもたちは教師が語り出せば静かに聞きました。

私が教職に就いたのは一九九一年のことです。右も左もわからぬまま中学一年生を担任した私は、まわりの先生の見様見真似と、自分がかつて学んできた担任の先生のイメージとを融合することで、なんとなく学級担任として子どもたちの前に立っていました。スキルもなく、人間的にも未熟で、いま考えると申し訳ないような学級経営であり教科運営でした。

しかし、子どもたちは、ひとたび私が語り出せば、どんなにざわついていても教室はスーッと静かになり、私に顔を向けました。先生が何か言おうとしている。ちゃんと聞かなくちゃ……子どもたちはそういう表情を向けてくれました。それがあたりまえでした。

そんな子どもたちが変わってきたのは、いつの頃だったでしょうか。おそらく九○年代末から○○年代初頭にかけてのことだったように思います。

先生の話を聞けない子どもたちが登場します。聞かないのではありません。聞けないのです。 椅子に座っていられない子どもたちが登場します。座らないのではありません。座っていられないのです。悪気はないのです。かつての校内暴力世代のように、意識的に教師に反抗しているのではないのです。反抗してくるのではあれば、教師はその子と人間関係をつくり、「まあ、しゃーねーから堀の言うことは聞いてやるか」という状態に導くことができます。彼らは話を聞けなかったり椅子に座っていられなかったりするわけではありませんから、教師との信頼関係が築けたときには指導に従います。しかし、聞けない子、座っていられない子は、別に教師が嫌いなわけではありません。それどころか人なつっこく、学校や教師が大好きであることさえ珍しくはありません。それでもやはり聞けないし、座っていられないのです。

当時、この現象は「子どもの変容」と言われました。「学級崩壊・学校崩壊」という語がメディアを闊歩しました。行政からは「生きる力」「心の教育」が叫ばれました。「管理教育批判」の世論が雲散霧消していきました。その代わり、「指導力不足教員」「不適格教員」の語がマスコミを賑わすようになりました。「子どもの変容」論は「保護者の変容」論にまで拡散し、「モンスター・ペアレンツ」なる語まで発明される始末……。

しかし、こうした現象は、たった一つの観点を変えるだけで別の見方ができたのです。そのことに学校教育は気づけませんでした。いいえ、いまだに気づけてはいません。それが学校教育にとってあまりにも当然のことであり、あまりにも学校教育の基幹として長く続いてきたために、誰もそれを疑うことができないのです。

それはひと言でいうなら、「学校のあらゆる教育活動が座学だけでできている」ということです。子どもたちは学校に来ると、ごくごく一部の行事や総合の体験学習を除いて、ただただ黙って椅子に座り、先生の話を聞き、ノートをとり、先生の期待に添う発言をすることを求められます。先生は授業において、子どもたちが自分の話を真剣に聴いてくれることを当然の前提とし、家庭において子どもたちが復習しなければ学習の成果は上がらないという理屈で動いています。保護者もその成果を上げるために協力するのが当然という理屈で動いています。それがシステムとして、意識的・無意識的に強制力をもっています。ですから、そこから逸脱する子どもたちや保護者たちは「問題傾向の子」「問題ありの親」というレッテルを貼られるのです。

この、これまで当然と思われていた学校教育システム、授業システムが〈制度疲労〉を起こしているのです。もちろん、授業から座学をすべて排除するなどということはできません。授業の中心は知識の伝達であり技術の継承ですから、それは不可能なことです。しかし、「座学だけでできている多くの授業」を「座学中心だけれど交流場面も必ずある授業」に転換できないでしょうか。この明らかに〈制度疲労〉を起こしているシステムを少しだけ、現代的な子どもたちの実態にあわせてシフトしてみてはいかがでしょうか。

〈教室ファシリテーション〉はこうした発想から生まれた提案なのです。

【目次】

まえがき

序章 「教室ファシリテーション」とは?

第1章 教室ファシリテーション10のアイテム

ペア・インタビュー

ペア・ディスカッション

グループ・ディスカッション

マイクロ・ディベート

ロールプレイ・ディスイカッション

ブレイン・ストーミング

ワールド・カフェ

ギャラリー・トーク

バネル・チャット

オープン・スペース・テクノロジー

第2章 教室ファシリテーション100のステップ

ペア・インタビュー

ペア・ディスカッション

グループ・ディスカッション

マイクロ・ディベート

ロールプレイ・ディスイカッション

ブレイン・ストーミング

ワールド・カフェ

ギャラリー・トーク

バネル・チャット

オープン・スペース・テクノロジー

あとがき

主要参考文献

あとがき

私の「10の原理・100の原則」がシリーズ化されることになりました。年二冊のペースで刊行していく予定です。本書は『学級経営』『生徒指導』に続いて、シリーズ三冊目となります。

前著二冊が学級経営・生徒指導と、生徒たちに日常的な学校生活をどのように送らせるかという分野を内容としていたのに対し、本書は〈教室ファシリテーション〉という学級活動や行事企画をどうつくりどうつくらせるか、また、経験主義的授業観に基づく学習活動や協同学習的な学習活動をどうつくるかという、前著二冊とは前提となる思想の異なる分野を内容としています。しかし、〈10のアイテム〉について〈100のステップ〉を提示しようとする試みは、そうした生徒主導の学習活動をも教師の働きかけによってシステマティックにつくっていこうという思想に支えられており、この根幹思想は変わっていないつもりです。むしろ前著二冊に比べて、今日的な「子どもの変容」を真正面から見据え、それに対応していこうとする姿勢を示したものと自負しております。

本書の内容である〈教室ファシリテーション〉の実践研究に取り組み始めたのは九○年代末のことです。いまとなっては私の人生に欠かすことのできなくなった盟友石川晋と出逢うとともに、彼の導きによって上條晴夫氏をはじめとする「授業づくりネットワーク」に集う方々と出会ったことが契機となっております。また、二○○○年代の半ばになって、ファシリテーションとディベートを中心に各方面での研修講師として活躍されている岡山洋一氏、協同学習の手法を取り入れ、その体系をつくろうと尽力されている赤坂真二氏というお二方との出逢いが、研究をまとめようという方向性へと私を導いてくれたように思います。この場を借りて、お世話になった皆様に深く感謝申し上げます。

今回も装丁とイラストでイクタケマコトさんには大変お世話になりました。ありがとうございます。また、いつもながら、怠惰な私に矢のような原稿催促を繰り返してくれた編集の戸田幸子さんにも改めて感謝申し上げます。自分よりも若いお二方と本づくりのアイディアを出し合うのはとても新鮮であり、刺激的でもあります。これからもよろしくお願いいたします。

教育にも〈不易〉と〈流行〉があります。〈不易〉をしっかりと押さえつつ、時代の変容には敏感であらねばならない、それが教師に求められています。今後とも更なる実践と研究に邁進することを決意して、あとがきとさせていただきます。

二○一二年元日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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