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7月23日(月)

1.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

2.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

3.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

4.授業は二つ。両クラスとも俳句の解説。空き時間は一つが引っ越し準備、一つが銀行で支払い。放課後は引っ越し作業。今日で1学期の授業が全て終わったので、図書室・国語科準備室・職員室の机周りの荷物をすべて梱包。自分の関係の荷物はすべて梱包が終わる。ゴミもすべて収集車が持って行った。ふう。

5.「月刊生徒指導」の原稿に同僚の写真を多数使ったので、今日はその許可を取ってまわる。みんな快く承諾してくれる。載るのが嬉しいという表情をする人も。おもしろいもんだなあ……と思う。写真掲載者全員分の雑誌をもらわなくちゃな。編集者からの感想も好感触。よかったよかった。

6.いじめが認知されるには、三つの場合があります。①教師自らがいじめを発見する、②子どもや保護者からいじめを目撃したという情報を得る、③子どもや保護者からいじめられているという訴えがある、この三つです。

7.もちろん、本当にいじめと呼ばれるようなものであることもありますし、思い違いや勘違い、被害妄想ということも少なくありません。しかし、この事案は「いじめ」とは呼べないだろうとか、この事案はあのこの被害妄想だ、そういう子だから、とか、よく調べもせずに教師が判断してはいけません。

8.①~③のどの場合であっても、現場教師がまず取り組まなければならないことは、「起こった事実」を確認することです。それが「いじめ」であるか否かの判断はその後の話なのです。判断の結果、「いじめ」ではないと判断されたならば、それは胸をなで下ろせば良いだけの話です。

9.それが思い違いや勘違い、被害妄想だったとしたら、なぜ、そのような思い違いや勘違い、被害妄想が起こったのかということを聞き取り、考え、教師集団で共有化されたならば、それはかえって生徒理解の良い機会となります。その意味で、いじめであろうとなかろうと、事実確認だけは怠ってはなりません。

10.教師がいじめを自らの目で発見するにしろ、子どもや保護者からの目撃情報で知るにせよ、或いは子どもや保護者が被害を訴えて来るにせよ、いずれにしても、少なくとも誰かが、「これはいじめである」と認知するような事象が起こっているということを意味するのです。それだけは確かなのです。

11.とすれば、その「これはいじめである」と認知した誰かが、誰によるどんな行為を「いじめ」と認知したのか、「起こった事実」が必ず確認されなければならないのはあたりまえのことではありませんか。しかし、それがなぜか行われない場合があるようです。今回の大津の件もそうした事例であるようです。

12.教え子から教員採用試験の一次試験に通ったとの報告あり。しかも三つ。嬉しい報告である。

13.まず①起こった事実を確認する。次に②それが「いじめ」であるか否かを判断する。さらに③「いじめ」と判断された場合には指導する。そういう順番なのです。ですから、事実確認に教師が動いた事案の数は、「いじめ」と判断されて指導が行われた事案の数を圧倒する、それが本来の姿なのです。

14.なのに、この当然のことが行われていない。これはいったいどうしたことなのでしょう。気づかなかったのなら、仕方の無い部分もあるでしょう。しかし、「気づかない」ということだけでも道義的には罪だというのに、今回は「気づいていたのに、見て見ぬ振りをした」という証言が複数出ているのです。

15.「いじめ」に限らず、「事実確認」は生徒指導上きわめて重要な指導過程です。これを怠っては生徒指導は機能しない、生徒指導とはいえない、そのくらいのあたりまえの過程です。私は「生徒指導10の原理・100の原則」において、100原則のうちの10原則を「事実確認の在り方」に割いたほどです。

16.拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』(学事出版)に「教職ネットマガジン」様から書評をいただきました。ありがとうございました。

17.先般、「叱り方」を中心とした生徒指導の本を執筆してくれとの依頼を受け、僕はそれを断った経緯があります。「叱り方」の本を書けば、事実確認をどのようにしていくのか、その確認された事実を場合分けしてそれぞれどのように言葉がけしていくのか、そういうことを書くことになります。

18.こうした本を書きたいとも思います。若い先生方を中心に、学校現場でかなり大きく必要とされている指導スキルですから。しかし、この本が「できる教師の叱り方の原則」とか「いまどきの子どもに対応する魔法の叱り方」とか、そんなタイトルで出されるのではたまったものではありません。読者からもう少しまじめに書けよと思われてしまいます。少なくとも、私が読者ならそう感じます。

19.タイトルの付け方によって、著者としては書けることと書けないことが出てくる……ということに、編集者はもう少し敏感になるべきなのではないか。私は最近、そう感じています。

20.私は春に『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』(明治図書)を上梓しました。しかし、あの本はタイトルのやわらかさに反して、内容的にはやたらと硬派の本です。学級担任かくあるべき、学年主任かくあるべき、ミドル・リーダーかくあるべきという思想と実践が綴られています。

21.周りの若い先生方からは、ずいぶんと「難しかった」と言われました。たぶん、編集者の読者想定は若い教師、著者の読者想定は四十歳前後、そのズレがあったのだろうと思います。このこことがあって以来、どうもタイトルによって、僕の中で書きやすい原稿と書きにくい原稿とに分かれてしまいました。

22.僕は『必ず成功する魔法の……』というタイトルを批判しているのではありません。「学級開き」や「行事指導」なら許されるのです。そうではなく、生徒指導系の本を書かせるときにはその手のタイトルはダメなのではないか、と言っているのです。

23.だって、『必ず成功する「いじめ指導」魔法の……」という本はちょっと出せないのではないでしょうか。叱り方とか、特別支援とか、組織力を活かした生徒指導とか、そういうテーマを依頼するときには、もう少しタイトルを固くして書きやすくしてくれた方がいいな……とつぶやいているわけです(笑)。

24.その点、学事出版から出している「○○○○10の原理・100の原則」というシリーズは実に書きやすい。これは僕がけっこうゴリ押ししてつけたタイトルですが、「10原理・100原則」というネーミングには、特に基本トーンがない。柔らかくも固くもない。いわば、タイトルが乾いている。タイルが乾いていると、かえって内容で僕の色をなんでも出せるようになるわけだ。

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