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教師も生徒も肯定的に見る

人材不足を嘆く言葉を見ると哀しくなります。ぼくは自分の地域にも自分の学校にも、人材きら星のごとくに見えます。ないのはそれぞれの能力とか資質をつなげ、有機的に機能させるようなシステムだと感じています。教育の現場は能力や資質はもちろん、どんな小さな趣味でも嗜好でも活かせる場所です。

TWITTERをやっていて哀しく思うのは、教師を名乗る人間が職場の悪口を言っていたり、特定の先生の悪口を言っていたりするのをよく見かけることです。それもかなり具体的な内容をです。それに同調する者まで現れて、職場の悪口で盛り上がっているのも頻繁に見かけます。

顔の見えている仲の良い者同士がいじり合っているのならともかく、顔の見えない者同士が、「うちの職場こうだ」「うちの地域はどうだ」と職場や地域の悪口で盛り上がるというのはいかがなものかと思います。言いたくなる気持ちはわからないでもありませんが、読んでいて良い気持ちはしません。

私は学校の先生を中心にフォローしていますが、そうした発言があった場合には、フォローをはずすことにしています。なんともいやしく、あさましいと感じられ、こんな人間と同業なのかと思うといたたまれないからです。

私は断言しますが、そういう人たちにとって、その職場を居づらいものにしているのは間違いなくその人本人です。TWITTERの匿名性を良いことに職場の悪口、同僚の悪口を言って発散しようなどと思うような人間だから、周りに認めてもらえないのです。

どんな素晴らしい研究をしていようと、どんな素晴らしい部活の成果を上げていようと、どんなに高い地位に就いていようと、自分の職場で信用を得られていなかったり、職場で認められていなかったりする教師は、教師としてもダメです。子どもとの関係はうまくつくれるけれど、職場の同僚とうまくやっていくことはできない、そんな人間などあり得ません。このことはすべての教師が心すべき大原理だと思います。

さて、職場の悪口、同僚の悪口にも二種類あります。一つは、私はこんなに頑張っているのだが、上の方針がおかしくてなかなかうまくいかない、なかなか認めてもらえない、そうした不満です。もう一つは、うちの学校にはまともな先生がいなくて、まったく教育活動がうまくいかない、そうした不満です。

前者ならまだ許せます。それは職場のシステムに対する不満であり、そういうことはままあり得ることだからです。しかし、後者はそういうわけにはいきません。これは自己正当化だけを目的とした職場否定です。他人の軽視です。思わず「おまえは何様か」と言いたくなるような、人間として最低の行為です。

職員室を「チーム」として機能させない最も大きな要因は、その構成員の中に自分だけの正義をかざして他人を断罪する人間がいることです。同僚のほとんどが「まともな先生」に見えないということは、自分自身の価値基準が誤っていると考えるべきではないでしょうか。少なくとも、その可能性の方が高くはないでしょうか。

人材不足というのは、何か明確な目的をもってある困難な仕事をしようとしたときに、それに向いた人がいない、それを得意としている人がいない、そういうときに嘆くものであって、自分の職場には人材がまったくいないなどということはあり得ません。地域との連携を深めるために地域の町内会長たちと定期的な会合を始めたいのだが、その立ち上げを担う地域に広く顔がきくような人材がいない……とか、校区の中学校と小学校3校とで小中連携の研修会をもちたいのだが、企画を立てられる小中両方の実態に精通している人材がいない……とか、こういういう場合です。

それを、自分の学校にはまっく人材がいない……というのでは、自分だけがわかっていて他の人たちはだれもわかっていない、要するに自分だけが優秀であとは馬鹿だと言っているのと同じです。

おそらくTWITTER上で職場の不満を口にして発散しているような人たちの多くは、職場では発言権のあまりない人たちなのだろうと思います。そう思えば、ネット上で発散できるのならば、それほどの罪はないのかもしれません。そのままの自分で良いと本人が考えているのであれば、それはそれで良いでしょう。

しかし、職場において認めてもらいたい、学校で自分の仕事を充実させたい、或いはゆくゆくは学校運営に参画したい、そのような思いを抱いているならば、不満を口にしているだけではいけません。年齢を重ねるほど、「老害」へと近づき、職場であまされる「お荷物」になっていくだけです。

そうならないためには、まずは職場を、できれば職員室の一人ひとりを、肯定的に見なければなりません。同僚一人ひとりの悪いところに目を向けるのではなく、良いところを見るのです。

「そんなことは無理だ。私はそんなに人間が出来ていない……」と思わないでください。私は情緒的にこいうことを言っているのではありません。

私が言っているのはこういうことです。

あなたが自分の考えるような学校改革を実現したいとほんとうに思っているのならば、職場の人間関係をつくることの優先順位を上げなければなりませんよ。それは、同僚の全員を肯定的に見るように努力することなんですよ」と言っているのです。そして実は、ここが大事なのですが、そういう努力を続けているうちに、努力しなくてもそういうふうに見えるようになるのだ、ということです。

おわかりでしょうか。つまり、私は「努力しなくても他人が肯定的に見えてくる」くらいの状態にならないと、他人への影響力などもてないのだと主張しているのです。それは生徒たち一人ひとりを肯定的に見ないと、教師が生徒たちに影響力を行使できないことと同じ構造です。

もしもあなたが、いま私が言った「生徒たち一人ひとりを肯定的に見ないと、教師が生徒たちに影響力を行使できない」という構造を感覚的に理解できなかったとしたら、具体的にイメージできなかったとしたら、あなたは教師としての資質に欠けていると言わざるを得ません。

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