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7月27日(金)

1.やっと週末。それにしても暑い。夏休みになった途端にものすごい暑さ。2週間の前に行ったときの東京のような暑さである。湿度もそれなりにある。北海道らしからぬ一日。珍しくエアコン。節電しなくちゃならない御時世なのだが……。

2.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

3.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

4.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

5.教室ファシリテーションのコツは①ちょっとした工夫でちょっとした楽しさを共有して学級の雰囲気を温めること、②交流システムに裏打ちされた、今後に生きるコミュニケーション・スキルの育成を指向していること、この二つです。この二つがあれば、充分に教室でつながりを促進できるのです。

6.工夫も楽しさも「ちょっとした」というのがミソです。教師の準備にやたらと時間がかかるのでは長続きしませんし、ダイナミックな交流ばかりでは子どもたちも疲れてしまいます。教師も子どもも疲れない、だけどちょっと楽しくてほんわかする、そんな活動を続けていくことが、一番効果が高いのです。

7.USBの扇風機の存在を忘れていた。これをつけただけでずいぶんと過ごしやすくなった。そういや、去年はこれを買ったおかげで夏に仕事ができるようになったんだっけ。

8.金曜日の夜になって、やっと原稿を書ける時間が生まれた。明日の土日でどれだけ進められるか。月曜日は火曜日のイベント準備。月曜の夜から旭川入りして、火曜日は北フェス旭川の予定。あと二日だけ、原稿執筆を頑張ろう。時間を無駄にしてはいけない。それが身にしみる今日この頃。

9.ファシリテーションをダイナミックな活動ばかりと考えてはいけません。1時間いっぱいを使う交流活動と考えてもいけません。むしろ交流活動の最低ラインを考えてみると、そこにどんな媒介物が必要かとか緩衝材が必要かとかに気づかされることがあります。

10.8分なら8分、15分なら15分、25分なら25分、子どもたちに預けると決めた時間は、教師がその存在感を消すことが大切です。存在を消すのではありません。「教師としての存在感」を消すのです。それがファシリテーターとしての教師にとって一番必要なスキルなのです。

11.東野圭吾ミステリーズ。第一話からずーっと見ているけれど、第1話にあった、シーンとシーンを結ぶネットリ感が第二話以降にない。HPを見るとそれぞれ演出家が異なるようだ。第11話が第1話と同じ演出家のようだから楽しみにしていよう。主演が鈴木京香ってことも期待させるよなあ。

12.友人型教師は子どもたちと良好な人間関係を築くことを何より優先させなければなりません。母性型教師は子どもに何度裏切られても信頼しつづけなくてはなりません。父性型教師はどんなに孤独に陥っても社会規範の代表として子どもたちの前に立ち続けなくてはなりません。三兎を追うなど無理なのです。

13.母性型教師の基本条件を一つだけ挙げろと言われたら、子どもに何度裏切られたとしても信頼し続ける、その姿勢を崩さないということでしょう。それはちょうど、母親が我が子が何をしても、たとえ犯罪を犯したとしても我が子の味方であり続けるのと同じです。信じて待つ、心を開いてくるのを待つ、「待つこと」こそが母性型教師の仕事であるとさえ言えます。

14.しかし、言うは易く行うは難し。教師は子どもたちを指導する立場ですから、ただ待つという姿勢を取り続けるのは困難です。また、教師は一人の子のためにいるのではありませんから、その子を信じて待つことが他の子に危害を与えることになるとしたら、いくらその子を信じていたとしても待つ続けれることはできません。ここに母性型教師の一番の悩ましさがあります。

51jkxuciljl__sl500_aa300_15.ERIK SATIE/DANCERIES/1986/あの坂本龍一とのコラボで知られるダンスリーがエリック・サティを演奏。暑い夜も涼しげに感じられる。それにしても古楽器のジムノペディって優雅だな。ピアノだとちょっとエロティックなイメージがあるけれど、古楽器だとそれが一切ない。ただただ優雅だ。ジムノペディって、僕にとってはスネークマンショウと薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」のイメージが強い。そして何よりグノシエンヌと並んで、僕の演劇には欠かせない曲だった

16.ところが、私はこうした考え方が、実は母性型教師の独り善がりに起因していると感じています。一人でやろうとするから、悩ましいのです。

17.そもそも「子どもを信じて待つ」という姿勢を貫くことは、少なくとも学校教育において、周りの先生方に迷惑をかけ、そして多くの場合他の子どもたちに我慢を強いることになりやすいのです。それが様々な軋轢を生み、その母性型教師を窮地に陥れることも少なくありません。

18.つまり、「子どもを信じて待つ」という教師の姿勢は、実は周りの教師の理解と協力無くしては成立し得ないのです。私は母性型教師の資質として、職員室での役割分担を意識して指導にあたるチーム力の必要性を熟知し、その体制をつくることに尽力することを挙げたいと思います。

19.夢を抱いて教職に就いた若者が1年も経たないうちに教壇を去って行く事例が増えています。若い教師が自ら命を絶ったという報道も後を絶ちません。教職について30年以上というベテランが早期退職する事例も増加する一方です。管理職が自ら希望して降格するという事例も珍しいことではなくなりました。

20.正直なところ、どうしてこんな時代が来てしまったんだろう、と感じてしまいます。ひと昔前までは、教師っていい仕事だったんです。身分的にも経済的にも安定していて、夏休み・冬休みがあって、子どもたちの成長にかかわることで自己実現を図ることができる……、そんなイメージの仕事だったんです。そんなに昔のことではありません。私が教職に就いた20年前には、まだまだそういう雰囲気がありました。「十年ひと昔」と言いますが、ほんのふた昔前の話に過ぎません。

21.「教師力」という語を最初に用いたのは、私の記憶が正しければ朝日新聞です。2003年の3月のことでした。「教師力」などという言葉が流行するということは、多くの教師が教師として仕事をしていくだけの力量を具えていないという批判的言説が、世論の中にはびこっているということを意味します。教師の多くが普通に教師として満足のいく仕事をしているのであれば、わざわざ「教師力」などという大仰な言葉を使う必要もありません。

22.当時は2000年前後からマスコミを賑わした「学力低下論争」や「学級崩壊・学校崩壊」を受けて、「指導力不足教員」や「不適格教員」という語が流行の兆しを見せ始めた頃でした。時を同じくして小渕内閣の「教育改革国民会議」から安倍内閣の「教育再生会議」へという政治的な流れが、学校教育における「教師力不足」という世論を一気に加速させたのです。

23.それに伴って保護者による学校へのクレームも増加する一方。当初は多くの教師が抵抗を感じていた「モンスター・ペアレンツ」という用語ももう定着してしまった感があります。もう多くの教師が保護者のクレームに慣れてしまったのです。中には理不尽なクレームだと保護者を訴える教師まで出る始末……。

24.私にはこれが正常な状態だとはどうしても思えません。少なくとも、子どもたちを育てるのに良い環境でないことだけは確かでしょう。そう感じている教師は決して少なくないはずです。とは言っても、もうかつての古き良き時代に戻ることはあり得ないことも確かです。時間は不可逆なものです。教師には「じゃあ、これからどうするか」という現実的対応が求められるのです。

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