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2012年7月

今月のお知らせ/2012年7月

7月です。いよいよ学期末です。勤務校はこの夏休み、新校舎への引っ越しを控えています。ダンボールに箱詰めをしたり、新校舎の環境を整えたり、そんな仕事が夏休みの中心になります。新校舎は既に外観を見せていますが、とても美しい校舎です。

そんな事情で夏休みも少し登壇を控えめにしたつもりでしたが、それでもある程度はあります。旭川、東京、四日市、神戸、新潟とうかがいます。みなさま、よろしくお願い致します。

【書籍・出版関係】

Cover近刊『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』堀裕嗣著・明治図書・2012年8月

いよいよ刊行です。合唱コンクール・ステージ発表の指導法、指導技術をあますところなく具体的に語りました。amazonでも予約が始まりました。

120504dvdDVD「第3回教室ファシリテーションセミナーin京都」堀裕嗣/藤原友和

教室にワールド・カフェを導入する/ファシリテーション・グラフィックで議論を見える化する/教室にオープン・スペース・テクノロジーを導入する/2000円/有限会社kaya/お申し込みはこちら

【お知らせ】 DVDをご購入の皆様へ。私にメールをいただければ、このセミナ​ーで用いている教材を添付メールにてお送りします。ファイルは一​太郎です。hori-p@nifty.com

9784761918842新刊『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ~授業への参加意欲が劇的に高まる110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2012年3月/第二刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

教室ファシリテーションセミナーでお逢いできればと思います。

9784761918484s生徒指導10の原理・100の原則~気になる子にも指導が通る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年10月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

生徒指導関係の講演や講座を依頼されることが多くなりました。有り難いことです。今後ともよろしくお願いいたします。

9784761918088学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド』堀裕嗣著・学事出版・2011年3月/第四刷になりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます。

『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』(明治図書)、『一斉授業10の原理・100の原則』(学事出版)を脱稿しました。どちらも秋の上梓になりそうです。

【研究会関係】

私に関係する7~8月の研究会をご案内させていただきます。お時間が許せばお越しください。

2012年7月7日(土)/教師力BRUSH-UPセミナーin旭川/桑原賢・小林智・堀裕嗣・松田剛史

2012年7月14日(土)/第1回学級づくりプログレッシヴセミナーin東京学級づくりと授業づくりの勘所/講師:堀裕嗣・山田洋一/参加費:3000円/上智大学

2012年7月15日(日)/第1回教室実践力セミナーin東京学級づくり&授業づくりの原理原則・ALL堀裕嗣セミナー/講師:堀裕嗣/東京都内

2012年7月21日(土)/「研究集団ことのは」7月例会/堀自宅

2012年7月31日(火)/北の教育文化フェスティバル

2012年8月5日(日)/中学校道徳授業学級づくりセミナー/合田淳郎・田中利幸・原口栄一・堀裕嗣・桃崎剛寿/中野サンプラザ

2012年8月6日(月)/三重県四日市職員研修講座/学級経営10の原理・100の原則~困難な毎日を乗り切る110のメソッド/13:00~17:00/四日市市総合会館7F第1研修室

2012年8月7日(火)/教育の達人セミナーin神戸/兵庫県神戸私学会館

2012年8月12日(日)/第18回「愛と勇気のチカラ」セミナー/新潟市内

2012年8月18日(土)/「研究集団ことのは」8月例会Ⅰ/会場未定/新教科書教材研究/入会希望の方はご連絡下さい。ただし、中学校国語教師に限ります。

2012年8月25日(土)/「研究集団ことのは」8月例会Ⅱ/会場未定/新教科書教材研究/入会希望の方はご連絡下さい。ただし、中学校国語教師に限ります。

その後の予定はこちら

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教師も生徒も肯定的に見る

人材不足を嘆く言葉を見ると哀しくなります。ぼくは自分の地域にも自分の学校にも、人材きら星のごとくに見えます。ないのはそれぞれの能力とか資質をつなげ、有機的に機能させるようなシステムだと感じています。教育の現場は能力や資質はもちろん、どんな小さな趣味でも嗜好でも活かせる場所です。

TWITTERをやっていて哀しく思うのは、教師を名乗る人間が職場の悪口を言っていたり、特定の先生の悪口を言っていたりするのをよく見かけることです。それもかなり具体的な内容をです。それに同調する者まで現れて、職場の悪口で盛り上がっているのも頻繁に見かけます。

顔の見えている仲の良い者同士がいじり合っているのならともかく、顔の見えない者同士が、「うちの職場こうだ」「うちの地域はどうだ」と職場や地域の悪口で盛り上がるというのはいかがなものかと思います。言いたくなる気持ちはわからないでもありませんが、読んでいて良い気持ちはしません。

私は学校の先生を中心にフォローしていますが、そうした発言があった場合には、フォローをはずすことにしています。なんともいやしく、あさましいと感じられ、こんな人間と同業なのかと思うといたたまれないからです。

私は断言しますが、そういう人たちにとって、その職場を居づらいものにしているのは間違いなくその人本人です。TWITTERの匿名性を良いことに職場の悪口、同僚の悪口を言って発散しようなどと思うような人間だから、周りに認めてもらえないのです。

どんな素晴らしい研究をしていようと、どんな素晴らしい部活の成果を上げていようと、どんなに高い地位に就いていようと、自分の職場で信用を得られていなかったり、職場で認められていなかったりする教師は、教師としてもダメです。子どもとの関係はうまくつくれるけれど、職場の同僚とうまくやっていくことはできない、そんな人間などあり得ません。このことはすべての教師が心すべき大原理だと思います。

さて、職場の悪口、同僚の悪口にも二種類あります。一つは、私はこんなに頑張っているのだが、上の方針がおかしくてなかなかうまくいかない、なかなか認めてもらえない、そうした不満です。もう一つは、うちの学校にはまともな先生がいなくて、まったく教育活動がうまくいかない、そうした不満です。

前者ならまだ許せます。それは職場のシステムに対する不満であり、そういうことはままあり得ることだからです。しかし、後者はそういうわけにはいきません。これは自己正当化だけを目的とした職場否定です。他人の軽視です。思わず「おまえは何様か」と言いたくなるような、人間として最低の行為です。

職員室を「チーム」として機能させない最も大きな要因は、その構成員の中に自分だけの正義をかざして他人を断罪する人間がいることです。同僚のほとんどが「まともな先生」に見えないということは、自分自身の価値基準が誤っていると考えるべきではないでしょうか。少なくとも、その可能性の方が高くはないでしょうか。

人材不足というのは、何か明確な目的をもってある困難な仕事をしようとしたときに、それに向いた人がいない、それを得意としている人がいない、そういうときに嘆くものであって、自分の職場には人材がまったくいないなどということはあり得ません。地域との連携を深めるために地域の町内会長たちと定期的な会合を始めたいのだが、その立ち上げを担う地域に広く顔がきくような人材がいない……とか、校区の中学校と小学校3校とで小中連携の研修会をもちたいのだが、企画を立てられる小中両方の実態に精通している人材がいない……とか、こういういう場合です。

それを、自分の学校にはまっく人材がいない……というのでは、自分だけがわかっていて他の人たちはだれもわかっていない、要するに自分だけが優秀であとは馬鹿だと言っているのと同じです。

おそらくTWITTER上で職場の不満を口にして発散しているような人たちの多くは、職場では発言権のあまりない人たちなのだろうと思います。そう思えば、ネット上で発散できるのならば、それほどの罪はないのかもしれません。そのままの自分で良いと本人が考えているのであれば、それはそれで良いでしょう。

しかし、職場において認めてもらいたい、学校で自分の仕事を充実させたい、或いはゆくゆくは学校運営に参画したい、そのような思いを抱いているならば、不満を口にしているだけではいけません。年齢を重ねるほど、「老害」へと近づき、職場であまされる「お荷物」になっていくだけです。

そうならないためには、まずは職場を、できれば職員室の一人ひとりを、肯定的に見なければなりません。同僚一人ひとりの悪いところに目を向けるのではなく、良いところを見るのです。

「そんなことは無理だ。私はそんなに人間が出来ていない……」と思わないでください。私は情緒的にこいうことを言っているのではありません。

私が言っているのはこういうことです。

あなたが自分の考えるような学校改革を実現したいとほんとうに思っているのならば、職場の人間関係をつくることの優先順位を上げなければなりませんよ。それは、同僚の全員を肯定的に見るように努力することなんですよ」と言っているのです。そして実は、ここが大事なのですが、そういう努力を続けているうちに、努力しなくてもそういうふうに見えるようになるのだ、ということです。

おわかりでしょうか。つまり、私は「努力しなくても他人が肯定的に見えてくる」くらいの状態にならないと、他人への影響力などもてないのだと主張しているのです。それは生徒たち一人ひとりを肯定的に見ないと、教師が生徒たちに影響力を行使できないことと同じ構造です。

もしもあなたが、いま私が言った「生徒たち一人ひとりを肯定的に見ないと、教師が生徒たちに影響力を行使できない」という構造を感覚的に理解できなかったとしたら、具体的にイメージできなかったとしたら、あなたは教師としての資質に欠けていると言わざるを得ません。

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7月29日(日)

1.笑顔で同僚に甘えよう!/同僚の得手不得手を熟知して上手に甘えるのです。甘え上手は甘えさせ上手でもあります。

2.「甘える」ということは決して簡単なことではありません。どんなことでも誰にでも甘えられるか……というと、決してそうではありません。「甘える」には、甘える相手ができること、得意なことでないと甘えられないのです。ということは、「甘える」ためには同僚の得手不得手を熟知していなくてはならない、ということです。

3.その代わり、自分の得意なことに関しては甘えさせてあげる。そして、ちゃんと助けてあげる。甘え合うことは、役割分担の雰囲気とチーム力をつくり出す魔法なのです。ただし、甘え合いと馴れ合いの違いはちゃんと意識しましょう。

4.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸http://kokucheese.com/event/index/46174/

5.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。http://kokucheese.com/event/index/46040/

6.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏みhttp://kokucheese.com/event/index/46043/

7.自分の苦手なことに関して同僚に甘えることが迷惑をかけることだと考えてはなりません。確かに相手の時間を奪いますし、手を煩わせることにもなるわけですが、問題はそこにあるのではなく、「お互い様」という関係が築けているかどうかにあります。甘えることが一方的になったとき、人は「迷惑」だと感じるのです。

8.人間には得手不得手があります。不得意なことをフォローしてもらい、得意なことで返す……それが健全な人間関係なのです。

9.『一斉授業10の原理・100の原則』(学事出版)と『スペシャリスト直伝!教師力アップの極意』(明治図書)の2冊のゲラが届いている。両方ともまったく手つかずだ。どうする、オレ……。時間がない!明後日のセミナー準備があって、新しい原稿も書きたい。来週末からのセミナー準備もある。ふう。

10.拙著『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治図書)が少しだけ動き出した。夏休みも1週間。そろそろ2学期の行事のことを考える時期なのかもしれない。合唱コンにも学習発表会にも役立つ本だと思う。かなり具体的に技術を書いたから。

11.僕はゲラ校正が嫌いだ。嫌いというよりも面倒でしょうがない。新しい原稿を書く方が好きだ。書いているうちに次々と新しい発見があるからだ。きっと形になることよりも新しい提案を発見することが好きなのだろうと思う。

12.もちろん、ゲラ校正もやらないと迷惑をかけるから、やるにはやる。でも夏休みにやることじゃないな、と思ってしまう。いつもなら、隙間時間を利用して校正するのだが、夏休みには隙間時間というものがない。特に今日あたりは腰を据えて原稿に取り組める日なのだ。ふう。

13.新卒から3年程度だけ、一方的に甘えて良い時期があります。その時期にただ甘えるだけでなく、先輩教師がどのように頼んだことに対処しているのかをよく観察し、自分でできるようになることが大切です。

14.お世話になった先輩教師には一生涯「恩返し」の機会は訪れません。それは親に与えてもらった分だけの「恩返し」ができないのと同じです。先輩教師からいただいた恩は、自分がその分だけ後輩教師に与えるのです。これを俗に「恩返し」ならぬ「恩送り」と言います。

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違いを認め合い、補い合う

生徒指導屋には生徒指導屋の役割があり、担任屋には担任屋の役割があります。研究屋には研究屋の、教務屋には教務屋の、そして行事屋には行事屋の役割があります。もちろん、管理職にも管理職の役割があります。これらを有機的に結びつけること。教員再生の道も学校再生の道も、このこと以外にはありません。

職員室には実に様々な教師がいます。

生徒指導や学級経営をそつなくこなすけれど事務仕事を苦手にしているとか、事務仕事は抜群に速くて正確だけれど生徒指導を苦手にしているとか、生徒を叱りつけるのは苦手だけれど生徒の話をじっくり聞いてあげて信頼を得ることに長けているとか、普段は目立たないけれど毎年の学校祭ステージ発表は奇抜なアイディアで全校をわかすとか、部活動がやりたくて教員になったと公言するだけあって毎年県大会の上位まで進出するとか、まだ仕事はほとんどできないけれど若さと元気さでいつも生徒たちと触れ合っているとか、いろいろな個性があるものです。

私はいま、「個性」という言葉を使いましたが、職員室の揉め事の多くはこの個性の違いを前提とせず、自分の得意な領域を教師の普遍的価値と考える者同士の間に起こります。生徒指導が得意な教師は生徒指導ができない者は教師ではないと思い、授業づくりや研究が好きな教師はもう少し学校に授業に力を入れる体制ができれば学校は変わるのに……と感じています。

こうした考え方の前提のちがう者同士の間で、職員会議に提案されたある行事の在り方をきっかけにその価値観の違いが顕在化し、次第に深刻な揉め事へと発展していく。或いは、学年運営における生徒指導上の方針においてまったく逆のベクトルの方針が示される。従来からの規範型の生徒指導方針を主張する者と、カウンセリングマインドを旨とする生徒指導方針を主張する者と……。職員室の揉め事というものはこうしたことから起こるものです。なんとなく、「あいつは甘すぎる」「あの人は時代遅れだ」といった静かな応酬が繰り返されるようになるわけですね。

しかし、私はこうした違いというものが、教師としての「質」の違いであって、「価値」の違いではないと考えています。従って、これらの個性に価値の高低があるわけではないというのが私の主張です。

人間には得手不得手があります。それは仕方のないことです。不得意なことを得意になれと言われても、それはそうそうできることではありません。

問題は価値観の違いがあったり、方針の違いがあったり、得手不得手があったりしたときに、自らの価値観だけ、自らの方針だけ、自らの得意なことだけを「唯一の正義」として主張してしまう、その主張の在り方です。この傾向は多くの学校において、「学校を動かしている」と一目置かれているタイプの、実力派教師に多く見られます。私は学校を背負っているといわれるこうした教師たちは、その功罪において「罪」の方が大きい場合が多いと感じています。

学年団の運営や職員室の運営というものは、教師に「質」の違いがあることを認め、お互いにだれが何を得意とし何を不得意としているのかを理解し合ったうえで、個々の教師が得意な領域で最大限の力を発揮しながらも、お互いに不得意な部分はカバーし合う、その結果として「チーム」として質の高い教育活動ができる、そういう姿をこそ目指すべきだと考えています。

私がかつて学年主任をやっていた頃の話です。

学年主任は年度末の校内人事の際、校長に呼ばれて新年度の人事について打診されます。ざっくばらんに言えば、学年にだれが欲しいかと尋ねられるわけですね。

こんなとき、多くの学年主任が力量の高い教師を指名します。要するに、一つの学級の担任を任せることができ、できれば弱い担任のフォロー役も務められる、更には学年全体の規律の維持にも力を発揮する、そういう教師ですね。

その結果、一般にどういうことが起こっているか。事務仕事が得意な教師とか研究好きの教師とか優しいお母さん先生とかおとなしめのおじいちゃん先生とかおたくっぽい若手とか……こうしたタイプの教師があまされたりお荷物扱いされる雰囲気がつくられてしまうのです。

しかし、私は学年主任が力量の高い先生を自分の学年に集めようとするのは、学年主任に力量がないからだと思います。生徒指導や学級経営の力量がない、と言っているのではありません。人の上に立つための力量がないのです。つまり、主任としての力量がないわけですね。

人の上に立つ者は、まず何と措いても己(おのれ)を知ることが必要です。私の場合、全体規律を維持するための「怖い教師」の役柄を担うことができます。また、学校行事や生徒会活動で生徒たちを楽しませることにも自信をもっています。しかし、いわゆる「弱い生徒」を包み込むタイプの指導を苦手としています。また、その頃には既にある程度の年齢になっていましたから、生徒たちと昼休みにサッカーをするとか、生徒たちの恋バナの相談に乗るとか、そうした生徒たちへの昇華作用を発揮するような指導には向きません。そして何より、私は四十代前半の男性教師でした。

こうした学年主任たる私の特徴をより機能させ、足りない部分をカバーしてくれるのはどういった教師だろうか。チームをつくるための発想というのは、ここから始まるのです。

私は学年の生徒指導係として、規律維持に努めなければなりません。いかつい顔をして生徒たちの前に立つことも多くなります。その意味で、私はまず、副主任には常に笑顔で生徒たちに接する、明るい女性教師が欲しいと思いました。

また、若さを発揮して、生徒たちとともに遊び、ともに悩み、ときにはぶつかることのできる、そんな若手教師が欲しいとも感じました。できれば男女各1名ずつ。

更には、いるだけで存在感を示すような好々爺的なおじいちゃん先生、生徒たちのわがまをやさしく笑顔で受け止めるおばあちゃん先生も欲しいと考えました。そうした年配教師の醸し出す雰囲気というものは、私のようないかつい顔をした教師のマイナス面を緩和し、元気で明るい女性教師とは違った包み込み方を発揮するものです。

そして、できれば、学年主任の私にとって、学年運営の相談役となるような学年主任経験者がいてくれたら最高だ。そういう人がいれば、自分にとってずいぶんと心強いはずだ。私はこういう結論に達しました。

教師の「チーム力」というものは、まず違いを認め合うことから始まります。異なった個性が集まったときに、それぞれがそれぞれの能力を発揮し、足りない部分を補い合う、この意識が必要です。こうした発想だけが「チーム」を機能させるのです。

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7月28日(土)

1.拙著「教師力ピラミッド」(仮題)の執筆が半分完了した。編集者とは9月末までに書き上げる約束なのだが、夏休み中には間違いなく書き上がると思う。おそらく現時点での僕の最高傑作になる。10原理・100原則の「学級経営」と「生徒指導」を併せ持つ、かつ裏にある思想も存分に語る、そんな本だ。

2.8月中に仕上げたとしても、イラストが多いから刊行は年末になるだろう。まだ書き上げてもいないのに、刊行が楽しみな本というのは久し振りだ。たぶん処女作「全員参加を保障する授業技術」以来ではないか。こういうわくわく感はもう抱くことはないと思っていた。それだけに感慨深い。人生は面白い。

3.子どもの背景を理解しよう!/その子をどうすれはよいかではなく、その子がなぜそうするかを考えよう。

4.子どもの背景を理解するということはWHYに強くなることです。「なぜ思考」に強くなる、と言い換えても構いません。ある子が問題行動を起こしたとします。どう指導すれば良いのかとHOWで考えることは、実はその子を問題視し、矯正すべき対象として捉えていることを意味しています。 それに対して、なぜこの子はこんな行動をするのだろうとWHYで考えると、思考は必然的にその子の家庭環境や生育歴、友人関係、或いはもって生まれた障がいなどに向かっていきます。実は「なぜ思考」こそが子ども理解の鍵なのです。

5.教師の思考は多くの場合、方法に向く傾向があります。「どうしたらあの子が理解してくれるかしら」「あの子を更正させる何か良い方法はないかしら」といった感じです。しかし、方法はたくさんありますし、子どももまた一人ひとりが違った背景をもっています。子どもの背景と方法とが交差する確率はきわめて低いといわざるを得ません。

6.まずは子どもの背景を理解する。なぜそうした行動をとるのかを考えてみる。これじゃないか……そういう要因が見つかったら、それに合った方法を探してみる、それに合った言葉がけをしてみる。そういう順番なのです。

7.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

8.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

9.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

10.教師の仕事は何を措いても「子ども理解」から始まります。生徒指導ではどうしても父性型教師が目立つ傾向にありますが、その父性型教師を支え、フォローしている母性型教師たちの「子ども理解」の在り方を若いうちからしっかりと観察しておくことをお勧めします。

11.「子どもがわからなくなった」というベテラン教師が増えています。長年の経験から、子どもたちに安易にレッテルを貼るようになっている証拠です。手持ちのレッテルに合わなければ、「なぜこの子はこういう行動をとるのか」と観察することが必要なのです。

12.子どもの問題行動の要因はこれではないか、そういう見立てを日常的に職員室で交流しましょう。生徒指導上のチーム力を高めるうえでも、若手教師を育てるうえでも大きな効果を発揮するはずです。

13. 「オープン・クエスチョン」という語をご存知でしょうか。「どんな感じ?」「何が印象に残ってる?」などのように、YES-NOでは答えられない問いを発することで、相手にたくさんしゃべってもらうための質問技術です。母性型教師は聞き上手である必要がありますから、こうした技法を学ぶことはとても大切なことです。

14.子どもを共感的に理解しよう/駆け込み寺になれたら最高!それが母性型教師の構えなのです

15.なぜこの子はこういう行動に出るのか。何がこの子に必要なのか。どのような体制を組むと、この子が過ごしやすくなるのか。そういう目で子どもを見るように努めましょう。

16.そのためには、一般的な学校で許されるか許されないか、他の先生方が許してくれるか否か、そういうことを一度括弧に括って、その子にとって一番良い手立ては何かを考えてみましょう。その根拠と手立てをしっかりもったうえで、職員室で共通理解を得られるよう努力するのです。

17.生徒指導においても特別支援教育においても、こうした体制をつくっていくのが母性型教師の役割だと心得ましょう。

18.養護教諭の多くが、また、教育相談を勉強している教師がこうした意識をもっていますが、職員室では生徒指導主事・学年主任クラスにこの意識が薄く、なかなかシステマティックな動きにならない現実があります。生徒指導主事や学年主任は意識改革を、養護教諭や教育相談を学ぶ者は根気強く……が大事です。

19.父性型教師は管理しやすさを中心に考えるのが仕事です。集団を管理するのです。これに対して、母性型教師は子どもの学びやすさ、過ごしやすさを中心に考えるのが仕事です。あくまで個人を相手にして、集団は様々な個人の集合体であると認識するのです。

20.学校には、父性型教師のスタンスと母性型教師のスタンスとの両方が必要です。双方がバランス良く機能したとき、子どもたちの精神が安定し、集団がよりよく機能するようになるのです。母性型教師の役割は決して小さくはありません。

21.教育相談を学んでいる教師であったり、おっとりしたお母さん先生であったり、人気のある養護教諭であったりしますが、そういう教師が同僚にいたら、是非とも子どもへの対し方を観察するとともに、積極的に話を聞くことです。

22.子どもが自分を頼ってきたときには、とにかく話を聞く、共感的に理解することで、まずはカタルシスを与えましょう。指導したり諭したりということは後でもできるのです。

23.甘やかすことも指導のうちであるという認識をもちましょう。

24.共感的理解というとカウンセリングの先輩特許のようなイメージがありますが、最近は特別支援教育の領域に体制づくり、システムづくりまで視野に入れた有効な提案が多く見られます。

25.あたたかな隙をつくろう/完璧すぎる教師に子どもたちは親しみを抱きません

26.自分の苦手のことは子どもに頼む。子どもに存分に頼る。「お願いね。頼りにしてるわよ」と、子どもたちに信頼の姿勢を示す。子どもが期待に応えてくれた場合には「ありがとう」、応えられなかった場合には「ごめんなさい」、「先生が無理なこと頼んじゃったね」と責任を引き取る。

27.これが母性型教師の基本的なスタンスです。このスタンスを「あたたかな隙」と言います。子どもたちは「あたたかな隙」をもつ先生が大好きです。 しかし、「冷たい隙」はいけません。それは悪しきヒドゥン・カリキュラムを形成します。ひどい場合には学級崩壊さえ招きます。

28.学級経営や授業運営に効率を求めすぎると、教師主導が一番良いということになります。しかし、教師主導は教師の視点、教師の姿勢が「完璧」である、教師の力量が高いということを前提としています。

29.思い切って効率が悪くても、失敗があったとしても、学級運営において様々における様々な事柄を子どもたちに任せてしまうということも考えるべきです。人間は「お任せします」と言われたときが、最も力を発揮するときなのです。自分が信頼されているという確信を抱くことができるからです。思い切って子どもたちに任せてみましょう。いろいろなことが見えてきます。

30.子どもたちに「ありがとう」と「ごめんね」を言えますか?一日中隙なく教師然としていることは、実は子どもたちにとっても息苦しいのです。

31.子どもの問題行動の対応は子どもたちに任せてはいけません。ただし、指導場面でも子どもを疑うような発言は厳禁です。

32.年齢を重ねると様々な教育技術にこなれてきて、ついつい子どもたちを自分の思い通りに動かすことだけを求めがちになります。子どもたちの思いや力を発揮させる手立てをついに追い求めたいものです。

33.教師は仕事は「管理すること」ではありません。子どもを伸ばすために必要な管理を行うのです。「管理」は目的ではなく手段なのです。

34.教師の職務には「仕事」と呼ばれるものと「実践」と呼ばれるものとがあります。「仕事」はやらなければならないこと、「実践」は他ならぬ自分だからこそこの子を伸ばすことができたというタイプの子どもとのかかわりを言います。「仕事」をこなしつつ、「実践」を積み上げるのです。

35.保護者と「おしゃべり」をしよう/保護者とフラットな関係を築くこと、これにまさる追い風はありません

36.保護者を学校と対立する概念と捉えるような傾向があります。しかし、そうした構えは杓子定規の対応を招き、かえって良心的な保護者の不信感を買うことが多いのです。「保護者=クレームをつける人」ではありません。保護者のごくごく一部がクレームをつけることがあるのです。

37.世の中に子育てに自信満々の保護者などいません。それは子どもたちを育てるのに自信満々の教師がいないのと同じです。教師が信頼できるのなら、保護者だって相談したいし、愚痴も聞いてもらいたいのです。相手も人間なのです。子ども相手だとそう思えるのに、保護者対応ではそれを忘れがちになります。気をつけたいものです。

38.子どもたちとフラットな関係を築いてともに成長していきたい……そう語る教師は多いのですが、保護者とフラットな関係を築いてともに成長していきたい、そう語る教師はほとんどいません。

39.子どもたちとの関係がフラットではいざというときに困りますが、保護者との関係はフラットが理想です。ともに楽しみ、ともに悩み、ときには愚痴もこぼし合う。守秘義務のあることと同僚の悪口以外は、ほぼ何を話しても良いのが保護者なのです。この認識が保護者との関係を変えます。

40.子どもも保護者も基本的には若い教師が好きです。ボタンの掛け違いから「頼りない」と批判されることがありますが、それは教師の側が最初から構えすぎていることが多いのです。若いということを武器にして、思い切って懐に入るくらいの気持ちに切り替えてみてはいかがでしょうか。

41.いまも昔も良心的な保護者の質はそれほど変わっていません。学級PTAで保護者共同体をつくることも決して不可能ではありません。この十年で学校がしなくなったことの一つに「保護者を頼ること」があります。

42.PTAは良心的な保護者が動かします。学校によく顔を見せるのも、圧倒的に良心的な保護者です。目指すべきはきちんとしていることではなく、和気藹々とコミュニケーションを図ることです。

43.かつては自分も子どもであり、自分の親も保護者だったのです。教師としての自分の対応を自己評価するときは、自分の親(特に母親)だったらどう思うかな、と考えてみると進むべき道が見えてくることが多いように感じています。

44.いくら裏切られても子どもを信じて待つのです/教師の仕事の中心は待つことと言っても過言ではありません

45.携帯電話の普及以来、現代人は「待つこと」が苦手になったと言われます。かつては待ち合わせで待ち人が来なくてイライラしたり、もしかしたら来ないのではと不安になったり、そんなことが日常茶飯でしたが、いまはすぐに確認することができるようになりました。

46.しかし、教師がそのようなスタンスではいけません。子どもを信じて待つ。いくらでも待つ。何度裏切られても待つ。それが仕事の一つなのです。

47.待つことは素敵なことです。待つことは信頼の証なのですから。逆に考えてみれば、すぐにわかることです。あなたを待ってくれている人がいたとしたら、それはとても嬉しいことではないでしょうか。あなたを待ってくれている人がいたとしたら、期待に応えようとは思わないでしょうか。

48.でも、どうしても間に合わない。これを片付けてしまわないといけない。そんなとき、本当にいつまでも待ってくれるんだろうか。もう待ってはくれないんじゃないだろうか。不安が頭をよぎります。おそらく子どもたちの心象もそんな感じなのだと思います。

49.結果責任、説明責任の世の中が、教師に「待つ時間」を与えなくなってきています。でも、それでも待つ、それが「信じて待つ」ということです。

50.「信じて待つ」ということを、その言葉の美しさだけで情緒的に捉えてはなりません。子どもや同僚と軋轢を生じかねない、かなり大きな覚悟が必要なのだと意識しなければなりません。

51.途中で諦めるくらいなら最初からしない方が良い、そのくらいの気持ちが必要です。

52.「信じて待つ」ことは独り善がりになりがちです。周りの子どもたち、先生方に負担をかけていることを自覚しましょう。その意識のない「信じて待つ」はほとんどうまくいかない現実があります。

53.「信じて待つ」という姿勢を堅持するには、周りの教師の協力が不可欠です。そういう姿勢を示す教師が周りにいるときには、フォローしてあげる意識をもってあげなければなりません。

54.「信じて待つ」という姿勢に必要なのは耐性ではありません。本当に信頼することです。それができない場合には、安易に行うべきではありません。

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7月27日(金)

1.やっと週末。それにしても暑い。夏休みになった途端にものすごい暑さ。2週間の前に行ったときの東京のような暑さである。湿度もそれなりにある。北海道らしからぬ一日。珍しくエアコン。節電しなくちゃならない御時世なのだが……。

2.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

3.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

4.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

5.教室ファシリテーションのコツは①ちょっとした工夫でちょっとした楽しさを共有して学級の雰囲気を温めること、②交流システムに裏打ちされた、今後に生きるコミュニケーション・スキルの育成を指向していること、この二つです。この二つがあれば、充分に教室でつながりを促進できるのです。

6.工夫も楽しさも「ちょっとした」というのがミソです。教師の準備にやたらと時間がかかるのでは長続きしませんし、ダイナミックな交流ばかりでは子どもたちも疲れてしまいます。教師も子どもも疲れない、だけどちょっと楽しくてほんわかする、そんな活動を続けていくことが、一番効果が高いのです。

7.USBの扇風機の存在を忘れていた。これをつけただけでずいぶんと過ごしやすくなった。そういや、去年はこれを買ったおかげで夏に仕事ができるようになったんだっけ。

8.金曜日の夜になって、やっと原稿を書ける時間が生まれた。明日の土日でどれだけ進められるか。月曜日は火曜日のイベント準備。月曜の夜から旭川入りして、火曜日は北フェス旭川の予定。あと二日だけ、原稿執筆を頑張ろう。時間を無駄にしてはいけない。それが身にしみる今日この頃。

9.ファシリテーションをダイナミックな活動ばかりと考えてはいけません。1時間いっぱいを使う交流活動と考えてもいけません。むしろ交流活動の最低ラインを考えてみると、そこにどんな媒介物が必要かとか緩衝材が必要かとかに気づかされることがあります。

10.8分なら8分、15分なら15分、25分なら25分、子どもたちに預けると決めた時間は、教師がその存在感を消すことが大切です。存在を消すのではありません。「教師としての存在感」を消すのです。それがファシリテーターとしての教師にとって一番必要なスキルなのです。

11.東野圭吾ミステリーズ。第一話からずーっと見ているけれど、第1話にあった、シーンとシーンを結ぶネットリ感が第二話以降にない。HPを見るとそれぞれ演出家が異なるようだ。第11話が第1話と同じ演出家のようだから楽しみにしていよう。主演が鈴木京香ってことも期待させるよなあ。

12.友人型教師は子どもたちと良好な人間関係を築くことを何より優先させなければなりません。母性型教師は子どもに何度裏切られても信頼しつづけなくてはなりません。父性型教師はどんなに孤独に陥っても社会規範の代表として子どもたちの前に立ち続けなくてはなりません。三兎を追うなど無理なのです。

13.母性型教師の基本条件を一つだけ挙げろと言われたら、子どもに何度裏切られたとしても信頼し続ける、その姿勢を崩さないということでしょう。それはちょうど、母親が我が子が何をしても、たとえ犯罪を犯したとしても我が子の味方であり続けるのと同じです。信じて待つ、心を開いてくるのを待つ、「待つこと」こそが母性型教師の仕事であるとさえ言えます。

14.しかし、言うは易く行うは難し。教師は子どもたちを指導する立場ですから、ただ待つという姿勢を取り続けるのは困難です。また、教師は一人の子のためにいるのではありませんから、その子を信じて待つことが他の子に危害を与えることになるとしたら、いくらその子を信じていたとしても待つ続けれることはできません。ここに母性型教師の一番の悩ましさがあります。

51jkxuciljl__sl500_aa300_15.ERIK SATIE/DANCERIES/1986/あの坂本龍一とのコラボで知られるダンスリーがエリック・サティを演奏。暑い夜も涼しげに感じられる。それにしても古楽器のジムノペディって優雅だな。ピアノだとちょっとエロティックなイメージがあるけれど、古楽器だとそれが一切ない。ただただ優雅だ。ジムノペディって、僕にとってはスネークマンショウと薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」のイメージが強い。そして何よりグノシエンヌと並んで、僕の演劇には欠かせない曲だった

16.ところが、私はこうした考え方が、実は母性型教師の独り善がりに起因していると感じています。一人でやろうとするから、悩ましいのです。

17.そもそも「子どもを信じて待つ」という姿勢を貫くことは、少なくとも学校教育において、周りの先生方に迷惑をかけ、そして多くの場合他の子どもたちに我慢を強いることになりやすいのです。それが様々な軋轢を生み、その母性型教師を窮地に陥れることも少なくありません。

18.つまり、「子どもを信じて待つ」という教師の姿勢は、実は周りの教師の理解と協力無くしては成立し得ないのです。私は母性型教師の資質として、職員室での役割分担を意識して指導にあたるチーム力の必要性を熟知し、その体制をつくることに尽力することを挙げたいと思います。

19.夢を抱いて教職に就いた若者が1年も経たないうちに教壇を去って行く事例が増えています。若い教師が自ら命を絶ったという報道も後を絶ちません。教職について30年以上というベテランが早期退職する事例も増加する一方です。管理職が自ら希望して降格するという事例も珍しいことではなくなりました。

20.正直なところ、どうしてこんな時代が来てしまったんだろう、と感じてしまいます。ひと昔前までは、教師っていい仕事だったんです。身分的にも経済的にも安定していて、夏休み・冬休みがあって、子どもたちの成長にかかわることで自己実現を図ることができる……、そんなイメージの仕事だったんです。そんなに昔のことではありません。私が教職に就いた20年前には、まだまだそういう雰囲気がありました。「十年ひと昔」と言いますが、ほんのふた昔前の話に過ぎません。

21.「教師力」という語を最初に用いたのは、私の記憶が正しければ朝日新聞です。2003年の3月のことでした。「教師力」などという言葉が流行するということは、多くの教師が教師として仕事をしていくだけの力量を具えていないという批判的言説が、世論の中にはびこっているということを意味します。教師の多くが普通に教師として満足のいく仕事をしているのであれば、わざわざ「教師力」などという大仰な言葉を使う必要もありません。

22.当時は2000年前後からマスコミを賑わした「学力低下論争」や「学級崩壊・学校崩壊」を受けて、「指導力不足教員」や「不適格教員」という語が流行の兆しを見せ始めた頃でした。時を同じくして小渕内閣の「教育改革国民会議」から安倍内閣の「教育再生会議」へという政治的な流れが、学校教育における「教師力不足」という世論を一気に加速させたのです。

23.それに伴って保護者による学校へのクレームも増加する一方。当初は多くの教師が抵抗を感じていた「モンスター・ペアレンツ」という用語ももう定着してしまった感があります。もう多くの教師が保護者のクレームに慣れてしまったのです。中には理不尽なクレームだと保護者を訴える教師まで出る始末……。

24.私にはこれが正常な状態だとはどうしても思えません。少なくとも、子どもたちを育てるのに良い環境でないことだけは確かでしょう。そう感じている教師は決して少なくないはずです。とは言っても、もうかつての古き良き時代に戻ることはあり得ないことも確かです。時間は不可逆なものです。教師には「じゃあ、これからどうするか」という現実的対応が求められるのです。

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「正しすぎる論理」は括弧に括る

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければなりません。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことにはすべてが現状維持です。

教師が陥りがちな病理に「正しすぎる論理」があります。「絶対なんてありません。人それぞれですから……」というのがそれです。

この論理は正しい。正しいだけにだれも反論できません。

しかし、正しすぎるがゆえに何の役にも立ちません。役に立たないばかりかマイナスにさえなります。それは、この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからです。

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければなりません。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことにはすべてが現状維持のままです。

だれもがそんな失敗を繰り返しています。しかし、この論理の厄介なところは、それが現状維持をつくるだけに、なかなか失敗だと気付けないところにあります。

教員世界には思いの外この論理を持ち出す人が多くいます。特に研究畑の教師に多い気がします。更にいえば、国語教育に携わっている者に多い傾向があります。おそらく、あまりにも諸派諸説が乱立しているため、対立しないために編み出された詭弁なのでしょう。また、自分の主張へのこだわりが大きいために、対立する主張から自分の身を守るために弄される詭弁という側面もあります。前者は〈止揚〉を、後者は〈成熟〉を拒否している点で百害あって一利なしといえます。

百歩譲って、こうした態度が自分自身のみのこだわりから発祥しており、他に迷惑をかけないでいるのであれば、それほどの実害はありません。しかし、こうした人々の多くは、他の人にもこの論理への帰依を要求します。絶対なんてない、だからそれ以上言うな、そう強制します。

しかし、この「人それぞれ」というテーゼは、趣味の世界や友人関係の人づきあいなら支障はないのですが、ともに仕事をする立場の人間同士となると大きな問題です。それは「人それぞれ」という言葉が、それぞれが自分の思いにしたがってそれぞれに仕事に取り組もうという意味を裏にもつからです。つまり、仕事の集団を「烏合の衆」化するのです。

確かに、教員集団において「人それぞれ」を認めてしまえば、他の教師の領域を侵さない限りは揉め事が起こりません。また、他の教師の領域を侵さない限りは自分のやりたいことに取り組むことができ、だれに文句をいわれることもありません。ある程度の力量があり、やりたいことももっているという教師には、とても楽な組織運営になります。

反面、職員室においては、致命的な二つのデメリットがあります。

一つは、若手教師が育たないということです。

武道や芸能で用いられる「守・破・離」を持ち出すまでもなく、人の成長には一般的に「型から入って型から抜ける」という過程が必要です。この過程を通らずに大きな成果を上げられるのはごくごく一部の天才だけです。なのに、「人それぞれ」の職員室運営にはその「型」がないのです。先輩教師はみなそれぞれにバラバラのことをやっている。何が良くて何が悪いのかわからない。先輩教師に訊いてみても、「人それぞれだから自分で見つけろ」と言われる。こういうことになりがちです。

もう一つは、どの部所にも属さない、いわゆる「隙間仕事」が一部の良心的な教師や責任ある立場の教師が、そのほとんどすべてをかぶらなければならなくなることです。

学校には「隙間仕事」がいっぱいあります。私の実感では、学校の全仕事の3割程度は「隙間仕事」なのではないか、と思われるほどです。「人それぞれ」がまかり通る職員室では、この「隙間仕事」が「仕方ないから子どもたちのために自分がやろう」「先生方のために自分がやろう」と考える良心的な教師か、教頭・教務主任・学年主任といったその「隙間仕事」の重要性を熟知している責任ある立場にある人がすべて負う、ということになりがちです。その結果、良心的な教師や責任ある立場の教師たちがパンクしてしまうのです。

「絶対なんてない」「人それぞれです」など、「正しすぎる論理」のうえに胡座をかいて自己満足に浸っている教師たちは、その自己満足が若手教師や良心的な教師、そして自分よりも仕事のできる責任ある立場にいる教師たちの犠牲のもとに「自分のいま」があるのだということを自覚すべきです。自分は頑張っているつもりでも、少しずつ少しずつ職場を壊しているのです。 この構造が見えていない、この構造に気づかない、それなのに「正しすぎる論理」を声高に主張する……。実は私は、こういう教師こそが「不適格教師」だと感じています。いいえ、「不適格教師」どころではなく、「不適格社会人」かもしれません。

ただしこれも、「言うは易く行うは難し」です。人は無意識のうちにこの構造の落とし穴に迷い込んでしまうものです。意図的に激しい言葉を使いながら述べてきましたが、私とてこの構造と決して無縁ではいられません。私の自戒を込めた提案と受け止めていただければ幸いです。

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7月26日(木)

1.昨日は一日引っ越し作業。終わったのが四時半。それでも四時半に終わるとはだれも思っていなかったので、スムーズな作業にみんな驚く。計画性と共同性の賜だろう。

2.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

3.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

4.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

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7月25日(水)

1.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

2.【定員30】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

3.【定員30】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

4.今日はいよいよ終業式。引っ越し準備の完了。長かった引っ越し準備がいよいよ終わる。

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学級経営は相対的に評価される

例えば力量のある教師がものすごい学級経営をしているとします。でも多くの場合、その学級の隣にはその教師と比較されることによって苦しんでいる担任がいるものです。力量のある教師は隣の学級担任が苦しまないように、隣の学級の子どもたちが損したと思わないように配慮する必要があります。

どの学校にも「ものすごい力量をもっている」と周りから評価されている教師がいるものです。その教師が担任すると、学級経営が安定する。その教師が指導すると、学校祭・文化祭での発表の質が上がる。その教師が指導すると、合唱コンクールで必ず優勝する。そんな教師です。

若い教師はそんな教師に憧れます。そして少しでもその先生に近づきたいと考えます。そして努力が始まります。それはとても良いことです。

しかし、そうした「ものすごい力量をもつ教師」は、総じて自分本位に教育活動を進めている傾向があります。自分勝手だとか協調性がないとか、要するにそういう教師がわがままだと言っているのではありません。そういう先生が人間的にどうこうということでもありません。そうではなく、本人にはまったくそんなつもりはないのに、本人も気づかないままに自分本位の教育活動になってしまっていて、周りに迷惑をかけているということが少なくないのです。しかも、迷惑をかけられている側も、迷惑をかけられていることに気づかない構造があるので、これまた始末が悪い……そんな状況があるのです。

1980年代から1990年代にかけて、教師の間で、教育技術や授業技術を学び、力量を高めていこうという発想が大流行しました。こうした取り組みは「教師修業」と呼ばれ、かなり大きな運動として流布しました。「全生研」「教育技術の法則化」「授業づりネットワーク」など、様々な新たな民間教育団体が現れたり、かつて隆盛を極めた教育運動が息を吹き返したりしました。

こうした教育団体で学んできた教師に共通する傾向として、必ずあるのが「個人の力量を高める」という発想です。職員室の力量を高めようとか、学校としての力量を高めようなどという発想で、こうした運動体に参加するということはまずありません。運動体自体がそうした構造にはなっていませんから、当然といえば当然のことです。学校全体である教育運動に参加するということは考えにくいですからね。

教師個人が教師としての力量を上げるということは、実はその教師が力量上げれば上げるほど、他の一般教員との力量の差が開いていくことを意味します。その教師の評判は上がり、生徒にも保護者にも信頼され、喜ばれる教師になっていきます。それ自体はとても素晴らしいことです。

ただ、これがプロのスポーツ選手であるとか、企業の営業部門の社員であるとかであれば良いのですが、学校の先生というのはこれをただ手放しで喜ぶわけにはいかない職業なのです。

皆さんもご存知の通り、学校というところはすべての教師が同じ力量をもっているということを前提にシステムが構築されています。ですから、生徒にも保護者にも先生を選ぶ権利がないわけですね。

もちろん、すべての教師が同じ力量をもっているなんて、国民のだれ一人として信じていませんし、そんな夢みたいなことはあり得ないのですが、システムがこの思想によって構築されていることによって、様々な問題が生じてしまうのが学校というところです。教師同士の力量の差が許容範囲内であれば、「それは個性の差である」と言い訳もききますし納得もできますが、力量の差が許容範囲を超え出すと、様々な弊害を生んでしまうのです。それは、学級経営が相対的に評価されるという特徴をもっているからです。

新年度、生徒たちも保護者たちも、担任が発表されたり教科担任が発表されたりすると同時に、「今年は当たりだ」とか「今年ははずれだ」とか言っています。私も学校に通っている頃はそう感じていましたし、私の母も、仲の良い友達のお母さんもそういう言い方をしていました。だれもが経験していることであるはずです。つまり、生徒や保護者は学級担任や教科担任を当たりはずれで評価している、ということです。

しかし、ここでよく考えてみましょう。生徒や保護者は何を基準にして当たりだ、はずれだと判断しているのでしょうか。

確かに年度当初であれば、「女の先生はダメだ」とか「若い先生は頼りない」とか「年寄り先生はいやだ」とか、そういう何の根拠もない差別的な判断もあるかもしれません。また、「あの先生は評判が悪いようだ」とか「かつて学級崩壊をしたことがあるようだ」といったような伝聞情報による評価もあるかもしれません。しかしこうした差別的な評価、評判に基づく評価ならば、多くの場合、その後に、普通に学級経営・教科経営をしていれば立ち消えていきます。

問題は普通に学級経営や教科経営をしても立ち消えていかない評価です。生徒や保護者は常に、自分の担任が隣の担任と比べてどうか、お兄ちゃん、お姉ちゃんのときの担任と比べてどうか、という視点で評価しています。しかも「隣の芝生は青い」の諺通り、自分の担任と隣の担任が同程度の力量なら「隣の担任の方が良い」、自分の担任が隣の担任よりも少しだけ力量が落ちるとなれば「隣の担任は自分の担任と違ってものすごく力量が高い」になりがちです。私たち教師は、学級担任としてこのような評価に常に晒されていると見なければなりません。

こうした構造の中に、一人だけ、「ものすごい力量をもつ教師」が入ってきたとします。力量の高い、その教師自身は何も困ることはありません。また、その教師に担任されている生徒たち、そしてその保護者たちも、自分たちが幸せだと感じることはあれ、困ることはありません。

問題はその隣の学級の担任教師、或いはその力量ある教師といっしょに学年を組んでいる担任教師たちなのです。彼らはその力量ある教師が近くにいるがために、常にその教師と比較されることによる評価に晒されるのです。生徒や保護者から見て、その力量ある教師の学級経営が評価基準となってしまう、と言い換えても良いかもしれません。

しかし、誤解しないでいただきたいのは、私は何も力量ある教師が力利用ない教師に合わせるべきだ、と主張しているわけではありません。むしろ、力量ある教師は、生徒たちの成長のためにその力量を遺憾なく発揮すべきです。ただ、力量ある教師がそうした力量を発揮するときには、周りにいる教師たちが困らないように、周りに配慮するところまで責任の範囲なのだ、と言っているのです。

具体的に言うなら、例えば、周りの教師たちがそれぞれの得意分野を発揮できるような場を意図的に設けて、生徒たちからそれぞれの教師の良さを見えるようにする。保護者にもそれを大きく宣伝する。例えば、そういうことです。

一番良いのは、周りの教師たちを巻き込んで研修の場をつくったり、学年で歩調を合わせたりしながら、周りの教師をも自らの力量に近づけていくことです。それも、当の周りの教師にその気がなく、いやがられたとしてもです。教師が力量を高めるのは職員室のためではなく、生徒たちのためです。自分の学級の生徒たちに良い思いをさせることによって、他学級の生徒たちの不満を招いたり成長にひずみを招いたりするのだとすれば、それは「力量が高い」とは言えないのではないか、そこまでが「力量の高い教師」の責任の範囲なのではないか、私はそう主張しているのです。

もちろんこれは「言うは易く行うは難し」です。しかし、こうした志向性を抱いているのと抱いていないのとでは、大きな違いがあります。世の中には、この志向性を抱くことなく、自分本位に教育活動を進めている自称「力量の高い教師」が多すぎるのです。

この姿勢のない「力量の高い教師」は、やはり「自分本位」であり、「自己満足」を目的とした力量形成でしかない、と言わざるを得ません。学校教育は教師の「自己実現」の場としてあるのではないのです。自分の学級だけではなく、勤務校の生徒たちすべてを対象としてより良い教育を考えてこそ教師なのです。

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7月24日(火)

1.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

2.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

3.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

4.授業無し。表彰式・終業式・大掃除・学活・給食・新校舎見学会・引っ越し作業という一日。生徒たちが初めて新校舎に入り、2学期から学校生活を送る自分たちの教室に入る。その後、新しい体育館で全校集会。下校。今日は成績小票や成績一覧表、指導要録といった重要書類を梱包。職員室が随分片付いた。

5.校舎の引っ越しに取り組んでいて思うのは、こうした非日常というものが最も人間を高揚させるのだという、近代文学で古くから描かれ続けてきた構造である。職員室に変な高揚感(といっては同僚たちに申し訳ないのだが)が生まれている。それがとても愉快だ。こういうのも悪くないな、と思う。

6.新校舎は教室が硝子張り。職員室も硝子張り。ソーラー充電で避難所としても機能する。地域にこういう施設があることも、こういう施設で働くことになることも、なかなか得がたい体験である。しかも、何と言っても小学校と中学校が同じ校舎で生活するのだ。職員質も同じ。高揚しない方がおかしい。

7.明日の昼間にはすべての梱包作業が終わる。明日の呑み会はさぞかし盛り上がることだろう(笑)。

8.新しい著者、若い著者がたくさん登場し始めている。良いことだ。いろんな人、いろんな世代からの主張が出てくると、教育界が活性化する。市場規模が拡大して、かつてのように勉強する先生が増えたらいいなと思う。僕らの世代からも、もっともっと表現者が出るといい。僕らの出番がなくなるくらいに。

9.秋に上梓する予定の「一斉授業10の原理・100の原則」(学事出版)のゲラ校正をしている。わかりやすく、しかも簡潔に伝えるというのは難しいな、と実感する。第2章はそれなりに書けているけれど、第1章は経験の浅い先生には難しいかもしれないな、と感じながら校正している。

10.一瞬、「書き直そうか」との考えも頭をよぎったが、やはりこのまま出すことにした。僕にとっては一つの段階なのだから、このままで良い。書き直すと、どうしても読者への迎合の傾向があらわれてくる。それは避けたい。僕の本は僕にしか書けないことだけで構成するのが良い。そう思い至った。

11.忘れていいことと、忘れてはいけないことと、そして忘れなければ​いけないことと、経験とはこの三つでできている。忘れたいことと​、忘れてはいけないことと、忘れてしまったことにさえ気づかない​ことと、過去とはこの三つでできている。

12.つながることは手段であって目的ではありません。つながった事実のみに満足していてはいけません。つながることで何かを生み出すのです。生み出すことはつながること以上に高揚感をもたらします。また、つながることの価値をも高めます。生み出すものの価値を考える前に、とにかく生み出すのです。

13.人間の楽しみ方には二つあります。一つは欲しいものを手に入れること。もう一つは手に入れたのちにそれを楽しむこと。ところが、後者の楽しみを得られるのはなぜかきわめて少数です。手に入れられるまでは頑張る。手に入れたら満足してしまう。その満足が堕落を招きます。上には上があるのです。

14.拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』が昨日からまた売れ始めている。きっと村岡さんの書評のおかげだな。ありがたいことである。

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7月23日(月)

1.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

2.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

3.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

4.授業は二つ。両クラスとも俳句の解説。空き時間は一つが引っ越し準備、一つが銀行で支払い。放課後は引っ越し作業。今日で1学期の授業が全て終わったので、図書室・国語科準備室・職員室の机周りの荷物をすべて梱包。自分の関係の荷物はすべて梱包が終わる。ゴミもすべて収集車が持って行った。ふう。

5.「月刊生徒指導」の原稿に同僚の写真を多数使ったので、今日はその許可を取ってまわる。みんな快く承諾してくれる。載るのが嬉しいという表情をする人も。おもしろいもんだなあ……と思う。写真掲載者全員分の雑誌をもらわなくちゃな。編集者からの感想も好感触。よかったよかった。

6.いじめが認知されるには、三つの場合があります。①教師自らがいじめを発見する、②子どもや保護者からいじめを目撃したという情報を得る、③子どもや保護者からいじめられているという訴えがある、この三つです。

7.もちろん、本当にいじめと呼ばれるようなものであることもありますし、思い違いや勘違い、被害妄想ということも少なくありません。しかし、この事案は「いじめ」とは呼べないだろうとか、この事案はあのこの被害妄想だ、そういう子だから、とか、よく調べもせずに教師が判断してはいけません。

8.①~③のどの場合であっても、現場教師がまず取り組まなければならないことは、「起こった事実」を確認することです。それが「いじめ」であるか否かの判断はその後の話なのです。判断の結果、「いじめ」ではないと判断されたならば、それは胸をなで下ろせば良いだけの話です。

9.それが思い違いや勘違い、被害妄想だったとしたら、なぜ、そのような思い違いや勘違い、被害妄想が起こったのかということを聞き取り、考え、教師集団で共有化されたならば、それはかえって生徒理解の良い機会となります。その意味で、いじめであろうとなかろうと、事実確認だけは怠ってはなりません。

10.教師がいじめを自らの目で発見するにしろ、子どもや保護者からの目撃情報で知るにせよ、或いは子どもや保護者が被害を訴えて来るにせよ、いずれにしても、少なくとも誰かが、「これはいじめである」と認知するような事象が起こっているということを意味するのです。それだけは確かなのです。

11.とすれば、その「これはいじめである」と認知した誰かが、誰によるどんな行為を「いじめ」と認知したのか、「起こった事実」が必ず確認されなければならないのはあたりまえのことではありませんか。しかし、それがなぜか行われない場合があるようです。今回の大津の件もそうした事例であるようです。

12.教え子から教員採用試験の一次試験に通ったとの報告あり。しかも三つ。嬉しい報告である。

13.まず①起こった事実を確認する。次に②それが「いじめ」であるか否かを判断する。さらに③「いじめ」と判断された場合には指導する。そういう順番なのです。ですから、事実確認に教師が動いた事案の数は、「いじめ」と判断されて指導が行われた事案の数を圧倒する、それが本来の姿なのです。

14.なのに、この当然のことが行われていない。これはいったいどうしたことなのでしょう。気づかなかったのなら、仕方の無い部分もあるでしょう。しかし、「気づかない」ということだけでも道義的には罪だというのに、今回は「気づいていたのに、見て見ぬ振りをした」という証言が複数出ているのです。

15.「いじめ」に限らず、「事実確認」は生徒指導上きわめて重要な指導過程です。これを怠っては生徒指導は機能しない、生徒指導とはいえない、そのくらいのあたりまえの過程です。私は「生徒指導10の原理・100の原則」において、100原則のうちの10原則を「事実確認の在り方」に割いたほどです。

16.拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』(学事出版)に「教職ネットマガジン」様から書評をいただきました。ありがとうございました。

17.先般、「叱り方」を中心とした生徒指導の本を執筆してくれとの依頼を受け、僕はそれを断った経緯があります。「叱り方」の本を書けば、事実確認をどのようにしていくのか、その確認された事実を場合分けしてそれぞれどのように言葉がけしていくのか、そういうことを書くことになります。

18.こうした本を書きたいとも思います。若い先生方を中心に、学校現場でかなり大きく必要とされている指導スキルですから。しかし、この本が「できる教師の叱り方の原則」とか「いまどきの子どもに対応する魔法の叱り方」とか、そんなタイトルで出されるのではたまったものではありません。読者からもう少しまじめに書けよと思われてしまいます。少なくとも、私が読者ならそう感じます。

19.タイトルの付け方によって、著者としては書けることと書けないことが出てくる……ということに、編集者はもう少し敏感になるべきなのではないか。私は最近、そう感じています。

20.私は春に『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』(明治図書)を上梓しました。しかし、あの本はタイトルのやわらかさに反して、内容的にはやたらと硬派の本です。学級担任かくあるべき、学年主任かくあるべき、ミドル・リーダーかくあるべきという思想と実践が綴られています。

21.周りの若い先生方からは、ずいぶんと「難しかった」と言われました。たぶん、編集者の読者想定は若い教師、著者の読者想定は四十歳前後、そのズレがあったのだろうと思います。このこことがあって以来、どうもタイトルによって、僕の中で書きやすい原稿と書きにくい原稿とに分かれてしまいました。

22.僕は『必ず成功する魔法の……』というタイトルを批判しているのではありません。「学級開き」や「行事指導」なら許されるのです。そうではなく、生徒指導系の本を書かせるときにはその手のタイトルはダメなのではないか、と言っているのです。

23.だって、『必ず成功する「いじめ指導」魔法の……」という本はちょっと出せないのではないでしょうか。叱り方とか、特別支援とか、組織力を活かした生徒指導とか、そういうテーマを依頼するときには、もう少しタイトルを固くして書きやすくしてくれた方がいいな……とつぶやいているわけです(笑)。

24.その点、学事出版から出している「○○○○10の原理・100の原則」というシリーズは実に書きやすい。これは僕がけっこうゴリ押ししてつけたタイトルですが、「10原理・100原則」というネーミングには、特に基本トーンがない。柔らかくも固くもない。いわば、タイトルが乾いている。タイルが乾いていると、かえって内容で僕の色をなんでも出せるようになるわけだ。

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7月22日(日)

1.昨日は「研究集団ことのは」の例会。音読原稿をかなり念入りに検討した。各々の原稿の問題点も見えてきて、修正を加えて原稿完成の目処が見えてきた。今月中には完成の予定。こういう例会はとてもおもしろいな、と思う。東京から人見さん、愛知から石田さんも来ていたので、例会終了後に小宴。

2.集中するときは集中するもので、いつのまにか雑誌原稿が3本と新聞原稿が1本の4本がたまっています。締切の過ぎたものもあり今日はこれらに取り組む日になります。1週間くらい前に「最近は雑誌原稿の依頼が少ない」と書いたのが良くなかったのかも……。別に依頼が欲しいわけではありません(笑)。

3.【拡散希望】累積科学国語教育研究会in東京/テーマ:国語科授業づくり・5つの視点/多賀一郎先生をお迎えして、「研究集団ことのは」の提案です!/2012年10月6日(土)/上智大学/3000円/多賀一郎・堀裕嗣・山下幸・藤原友和・千田洋幸

4.【拡散希望】第6回教室ファシリテーションセミナーin東京/テーマ:教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ/2012年10月7日(日)/上智大学/3000円/堀裕嗣・山下幸・藤原友和/今回は日常授業でつなげるステップです。

5.【拡散希望】第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/テーマ:道徳の授業づくり・学級づくり/2012年10月13日(土)・14日(日)/札幌市内/6000円/佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣/とっておきの道徳授業小・中編者揃い踏み

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7月21日(土)

1.夏休みからは「環境調整型権力」発動の在り方について、学校教育から様々に取り出し、解説していくことにします。僕の提案は学級経営にしても生徒指導にしても授業づくりにしてもファシリテーションにしても、基本的に流れているのは「規律訓練型権力」から「環境調整型権力」へという思想です。

2.常に自分の出来得る限りの最大限の丁寧さをもって子どもたちに当たる……そういう構えが必要です。AとBの手法があったとき、どちらが丁寧かと考えてみましょう。丁寧な方を選択すれば、失敗したとしても、子どもや保護者が「仕方ないかな。先生も精一杯やってくれたし」となることが多いのです。

3.教師の仕事は判断の連続です。授業や生徒指導はもちろん、ただ廊下を歩くときさえ、子どもたちの様子を見て注意すべきか否か、いつどのように注意すべきか、一人で注意すべきか複数で注意すべきかと判断しているのです。これだけ判断があるのですから、常に優先順位思考を身につけなければなりません。

4.教育活動において、優先順位の1・2・3……をもっていると、優先順位の1番だけは絶対に実現するぞ、という構えをもてます。2番目・3番目は実現できたら御の字という余裕が生まれます。優先順位思考がないと、あれもこれもと、自分の描く最高の像以外は失敗に見える、欲張りな思考に陥ってしまいます。

5.子ども達は余裕をもっている先生が好きです。同じように「ダメ」と言っても、懐の深い先生と「ダメだからダメ」と思考停止状態の先生とでは、「ダメ」という言葉の機能度が違います。子ども達は指導を受けた回数3回以内のうちに、その先生の懐の深さを見抜きます。思考停止こそが教師の敵なのです。

6.学期末、通知表所見が書きづらかった「目立たない子」がいたはずです。その子たちをリストアップして、2学期の早い段階でどのように関係を結ぶのか、具体的にイメージしておきましょう。子どもたち全員に暑中見舞いを出し、そういう子にこそ長めに書くというようなことができればもっと良いです。

7.子ども達に夏休みの計画を立てさせました。教師も自分の夏休みの毎日を記録してみましょう。5日も記録をつければ、計画通りに進まないことがわかってきます。その要因を自己分析してみれば、子どもたちがなぜ計画通りに過ごせないかもわかってきます。それがわかると冬休み前の指導が変わります。

8.夏休みにうまくいったりうまくいかなかったりしたこと、そしてその成功や失敗からの学びが2学期につながりそうなこと、そういう事柄を夏休みに5つ集めてみましょう。2学期の最初の1週間で毎日一つずつ、子ども達に語ってみましょう。必ず2学期の学級が変わるはずです。学級とは教師の鏡なのです。

9.中学校の担任はいまこそ合唱コンクールに向けて動き出しましょう。まず楽譜を見ながら合唱曲を聴いてみましょう。自分の学級の曲を過去に歌った学級の映像を見てみましょう。その、たった2時間程度の取り組みが自分の頭の中に合唱コンに対するアンテナを立てさせます。感度の良い夏休みになります。

10.アンテナを立てたら、チューニングを合わせましょう。学級の実態をよく考えて、自分の学級に「なぜ」「何が」必要なのかを考えてみましょう。質の良い情報もチューニングが合っていないと無駄な情報、壊れた情報になってしまいます。自分の思いにではなく、学級の実態にチューニングを合わせましょう。

11.自分は学級の実態を把握する「目」に自信がありません。堀先生からはどう見えますか。そう訊かれたことがあります。僕は応えました。そんな気持ちでいるのなら、僕は自分の見立てを言わない。あなたの学級をあなた以上にわかっている人なんて、この世の中のどこにいますか。もっと自信を持ちなさい。

12.かつて音声言語はコンテクスト(状況の論理や空気)と不可分の一回性のものというところに本質があった。最近は音声言語が録画され、編集され、問題発言に見える箇所だけが連続して流されるようになった。一回性の音声言語が書き言葉以上に取り上げ続けられるようになった。怖い時代になったものだ。

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第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌

第2回学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/兼・道徳のチカラ・道徳授業改革セミナーin札幌


あの「とっておきの道徳授業」(日本標準)の小学校編・中学校編の編者、札幌に揃い踏み!
この二人を山田洋一・堀裕嗣が迎える!教師力BRUSH-UPセミナーの実力派が模擬授業に挑戦!

日時:2012年10月13日(土)・14日(日)

場所:札幌市白石区民センター(予定)

参加費:両日参加6000円/一日参加4000円

定員40名/登壇者を含みますので、実質30名です。

講師:佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀裕嗣

模擬授業者:太田充紀・山寺潤・大野睦仁

お申し込みはこちら


【プログラム】

1日目/13日(土)

09:00~09:10 受付
09:10~09:15 開会セレモニー

09:15~10:00
子どもが夢中になる道徳の授業づくり/山田洋一

10:00~10:45
子どもの視野が広がる道徳の授業づくり/堀 裕嗣

11:00~12:30
模擬授業で学ぶとっておきの道徳授業
11:00~11:15
模擬授業1  太田充紀
11:15~11:30
模擬授業2 山寺 潤
11:30~11:45
模擬授業3 大野睦仁
11:45~12:30
模擬授業解説
司会:山下 幸
指定討論者:佐藤幸司・桃崎剛寿・山田洋一・堀 裕嗣

13:30~14:30
とっておきの「とっておきの道徳授業・小学校」/佐藤幸司
14:30~15:00
対話で深める道徳の授業づくり/佐藤幸司・山田洋一

15:15~16:15
とっておきの「とっておきの道徳授業・中学校」/桃崎剛寿
16:15~16:45
対話で深める道徳の授業づくり/桃崎剛寿・堀 裕嗣


2日目/14日(日)

09:00~09:10 受付

09:15~10:05
いまどきの子どもたちが学級を好きになる学級づくり/山田洋一

10:15~11:05
いまどきの子どもがしっとり考える学級づくり/桃崎剛寿

11:15~12:05
いまどきの子どもがつながる学級づくり/堀 裕嗣

13:15~14:45
すごくあったかい学級づくり~子どもを育てるほめ方・叱り方の原則/佐藤幸司

15:00~15:45
Q&Aで学ぶ学級づくり・授業づくり
司会:山下幸/佐藤幸司・山田洋一・堀裕嗣

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第6回教室ファシリテーションセミナーin東京

第6回教室ファシリテーションセミナーin東京

教室ファシリテーションへの挑戦!~システムとステップ~

ファシリテーションを教室に導入したいとは思うけれど、ワールド・カフェやOSTはダイナミックすぎてなかなか……。最初の一歩を踏み出せない、そんなあなたに、日常授業から少しずつステップを踏みながら子どもたちをつなげていくための授業づくりのコツをワークショップで体験していただきます。

ダイナミックな活動ばかりがファシリテーションではありません。今回は子どもたちがつながる、子どもたちをつなげるための日常の授業づくりをテーマに、システムづくりのステップをわかりやすくお伝えします。

日時:2012年10月7日(日)
場所:上智大学(予定)
参加費:3000円

お申し込みはこちら

※なお、携帯メールでのお申し込みはお避け下さい。これまで最終案内が届かないなどのトラブルが発生しています。よろしくお願い致します。


【プログラム】

09:30~09:45 受付

09:45~10:30
教室ファシリテーションのシステムづくり/堀 裕嗣

10:45~12:15
教室ファシリテーションのアイテム4:マイクロ・ディベート/山下 幸

13:15~14:15
ファシリテーション・グラフィックの授業づくり/藤原友和

14:30~16:30
教室ファシリテーションへのステップ
子どもたちがつながるための日常授業・5つの視点/堀 裕嗣



【講師紹介】

堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)
札幌市立中学校・国語科教諭。「研究集団ことのは」代表。「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問。「中学校・学級づくり研究ネットワーク」事務局。
主著:「学級経営10の原理・100の原則」「生徒指導10の原理・100の原則」「教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ」「一斉授業10の原理・100の原則」(以上学事出版)等「10原理・100原則シリーズ」が好評を博している。その他、「全員参加を保障する授業技術」「学級経営力を高める」「必ず成功する『学級開き』魔法の90日間システム」「必ず成功する『行事指導』魔法の30日間システム」(以上明治図書)など著書編著多数。

山下幸(やました・みゆき)
札幌市立中学校・国語科教諭。「研究集団ことのは」事務局長。「中学校・学級づくり研究ネットワーク」事務局。
主著:「中学校・学級活動ワークシート」(学事出版)「教室ファシリテーションへのステップ」(明治図書/近刊)など。

藤原友和(ふじわら・ともかず)
函館市立小学校教諭。
主著:「教師が変わる!授業が変わる!『ファシリテーション・グラフィック』入門」(明治図書)。現在、藤原友和との共著「誰でもできる!『教室ファシリテーション』入門―つながりを生む授業スキル―」(明治図書)を執筆中。

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7月20日(金)

1.学級担任にもリスクマネジメントの発想が強く必要な時代になりました。僕らの世代から見ると、とても残念なことに思えますが、そういう時代なのだと割り切るしかありません。リスクマネジメントをしっかりと固めたうえで、その上に独自の個性を発揮したり、潤いを求めたりという構えが必要なようです。

2.【学級経営の原理・原則】指導言で最も大切なのは「一時一事の原理」です。おそらくこれを身につけるだけで、「子どもに伝わらない」という悩みの8割くらいは解消されるでしょう。一度に一つのことしか指示しない、次の指示は全員の動向を確認してから行う、ただそれだけのことがなかなかできません。

3.【学級経営の原理・原則】「一時一事の原理」は、授業で作業指示を与えたり行事で全員を動かす場合など応用範囲も広く、むしろ子どもたちの人数が多くなれば多くなるほどその効力を発揮する、そういう原理です。教師になったらまず身につけるべき技術、その筆頭が「一時一事の原理」だと言えます。

4.どうやら明治図書の新刊「教師力アップの極意」と学事出版の新刊「一斉授業10原理・100原則」が同時期にゲラ校正が来て、同時期に締切を迎えるらしい。なんてこった。後世の大嫌いな僕にこんなことが起こるなんて…。僕は僕の文章が嫌いである。おそらく僕の文章を最も嫌っているのは僕だと思う。

5.【学級経営の原理・原則】ある子から「~してもいいですか?」と訊かれることがあります。教師は重要なルールの変更があったり、他の子にも影響を与えたりする場合でも、その子だけに「いいよ」と応えてしまうことがあります。これが後にトラブルを招きます。「全体指導の原理」を守りましょう。

6.授業は三つ。三つとも俳句の解説。2学期の学力テスト用に夏休み前に俳句を終わらせる必要があったため、鬼のように解説していく。生徒たちは何食わぬ顔でついてくる。空き時間は机周りの片付け。すべての私物をダンボールに。ダンボールひと箱におさまってしまった。荷物を増やさないで良かった。

7.5・6月に3冊書き上げて、「溜めができた」とサボっていたら、1冊刊行されてしまった。「まだ1冊だから」とサボっていたら、もう2冊のゲラが送られてくると言う。溜めってサボってるとすぐになくなってしまうんだな。ちょっとがっかりしている、それもけっこう本気でがっかりしている僕がいる。

8.「黄金の3日間」と「3・7・30の法則」の違いは、学担が自分に惹き付けることを目的としているか、担任をも含めた学級の構成員が安心感と緊張感をもって過ごせる〈システム〉を敷くことを目的としているかの違いにあるように思う。前者は低学年から中学年、後者は高学年から中学校に向いている。

9.夕刊フジが輿石幹事長の「責任追及ばかりじゃ…」という発言をいじめ責任追及妨害かという記事にしている。これに対して、「とんでもない」という八木秀次のコメントを載せている。輿石発言を問題視するのはいい。でも、こうしてすぐに「二項対立」という画一に回収してしまうのがマスコミの悪い癖だ。

10.全国的に夏休みである。夏休みに教師が取り組むべきことの優先順位の1番は、躰と心を休めることである。肩の筋肉と精神の緊張感を弛緩させ、「楽観」の感覚を取り戻すことである。それに成功しないと、2学期は苦しい。2学期は1学期以上に肉体的にも精神的にも苦しいことは間違いないからだ。

11.道央道には「大いなる愛よ夢よ」がよく似合います。視界には青空と真緑しかありません。たまに見えて広い畑です。まさに、白い雲に乗り、風を追いかける……100キロで走っていると、そんな気分にひたれます。北海道に生まれて良かったと思える瞬間の一つです。

12.「つながる」とひと言でいうけれど、そこには「高揚し合う」「思いつき合う」「発見し合う」「生み出し合う」「みんなで生み出し、学びを実感し合う」のどれか、或いは複数の機能が必要です。このようなはたらきが生じたとき、人は「つながった」と感じます。「つながる」とは現象ではなく、機能です。

13.教育には、この「現象(=活動)」ではなく「機能(=はたらき)」であるという実践理論がたくさんあります。そしてその「機能」を実現するためには教師が「動き続けること」「変容し続けること」「成長し続けること」、そしてそれを「語り続けること」が稼働させるということが多いのです。 教師が学び続けなければならないのは、多くの場合、そのためです

14.良いときもあれば悪いときもあるのです。その一つ一つに一喜一憂していては、心も躰ももちません。続けるのです。自分の信じた機能がどうすれば実現するか、近づけるか、それだけを考えて続けるのです。すべての機能は続けることによってのみ、その機能性を発揮します。途中で投げ出してはいけません。

15.新しい本が出る度にお読みいただき、感想を頂いている方々に感謝申し上げます。でも、その上でもう一度、僕の第二の処女作「学級経営10の原理・100の原則」に目を通してもらえたらと思います。失敗しない学級経営と言いながら、意外とつなげることへの配慮が書かれていることに気づくはずです。

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7月18日(水)

1.昨夜から母の調子が悪く、今日は一日、夏休みをいただいく。PCを持って行くこともなく、TSUTAYAで買った東野圭吾を読みながら、母に付き添う。「聖女の救済」(文春文庫)。間違いなく映画化されそうな、大規模な作品。「容疑者Xの献身」ほどではないが、傑作の部類だと思う。

2.いじめ事件。マスコミはなぜ責任追及のみに走るのだろう。構造的な問題の在処をさぐれば、いろいろなことが明らかになるだろうに。どう対処すべきだったかを議論すれば、この国のいじめ問題を劇的に解消する可能性もあるのに。責任追及は確かに大切だが、それだけでは問題の本質を見失ってしまう。

3.札幌から報道を見ているだけでも、いろいろなことが想定される。間違いなく構造的な問題がある。もちろん学校教育の構造的な問題もあるが、学校教育ではどうしようもない構造的な問題もある。一度、それらを明らかにしたほうが良い。教委も警察も行政も動き出したのだから、これをエポックにすべきだ。

4.今回の大津の件は、現場教師には語りにくい問題だ。いじめ加害者とその保護者、学校と教委、被害届を受理しなかった警察、責任追及はすべきだ。しかし、それが終わって、法的・社会的に制裁を加えて幕引きにはしないで欲しい。構造的な問題をすべて明らかにして、国民的議論を巻き起こして欲しい。

5.大津の件にコメントを寄せている人は、基本的にはこのいじめ事件から心理的距離が遠い人に思える。

6.合唱コンクールとステージ発表っていうとてもせま~いコンテンツで本を書いてみて、僕の語れることってまだまだあるなって感じてる。数は売れないかもしれないけれど、せまいコンテンツも一つ一つつぶしていけたらいいなと思う。読者のためというよりも自分自身の今後のために。きっと世界観が広がる。

7.拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』(学事出版)にすぷりんぐさんから書評をいただきました。我が意を得たり……という感じで、とても嬉しいです。

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7月17日(火)

1.授業は四つ。どれも一句解説したあと、二十句をノートに視写させ、季語・切れ字・句切れを指摘させる、ほとんど自習のような授業。午前中四連発だったので、授業の進度がこういう状況で助かった。給食は7組に入る。午後は通知表の点検5クラス。その後、新校舎の見学。初めて入ったがまずまずの印象。

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7月13日~16日

1.【13日・金】19:30頃羽田着。20:30頃新宿のホテル着。21:00頃に大学時代の友人と合流。東口の安い居酒屋に入り、大信州と焼き鳥で大笑いの3時間。良い時間だった。昔なじみというのは最高だ。虚栄心も飾りも気遣いも何もいらない。話題も高尚な話から下世話な話までなんでもできる。

2.【14日・土】9:00に上智大学へ。山田くんといっしょにセミナー。その後、編集者3人とともに5人で料理のうまい居酒屋へ。ほんとうにうまかった。途中から人見さんも合流。かなり呑んだ。

3.【15日・日】四谷でセミナー。一人で6時間以上。プロジェクタの接続がうまくいかなくて、どうなることかと思ったが、なんとか間に合った。終了後、新宿に出て人見さんとある有名な校長先生と呑む。途中から道新の梶山も合流。更に二次会で新宿の浪漫亭へ。梶山と人見さんと話に花が咲く。

4.【16日・月】朝ゆっくりと寝て、13:30の飛行機で帰ってくる。本屋に行って新書を買い込んでくる。帰宅して1冊読む。読み終わると同時に寝る。

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7月13日(金)

1.今日は授業が三つ。午後から休みをいただいて、夕方の飛行機で東京へ……という予定です。2ヶ月振りです。暑いのかなあ。雨は大丈夫なのかなあ。

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7月12日(木)

1.授業は四つ。三つが俳句の基礎知識。一つは俳句の解説。俳句は3時間で流して、夏休み前に終える予定。放課後はPC準備室の梱包作業。捨てて良いものかどうか、判断に迷うものが多くて、なかなか作業がはかどらなかった。退勤後は床屋へ。帰宅後はゆっくり過ごす。明日からは東京である。

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7月11日(水)

1.授業は四つ。俳句が二つ。批評文が二つ。空き時間はPC準備室の片付け。放課後は体育館倉庫の整理、国語科準備室のラジカセなどかさばるものを梱包。プチプチに包んでいるうちにどうしてもつぶして遊んでしまう。途中から女子生徒二人に応援を頼んで、なんとか終了。引っ越し作業にも慣れてきた。

2.ある教育雑誌から原稿依頼が届く。久し振りに書くことになる雑誌だ。まあ、隠す必要もないので書いてしまうと、金子書房の「児童心理」である。最近は雑誌の原稿依頼というのがかつてにくらべてぐーんと減っている。10年前なら、月に5本なんてざらだったけれど、いまは教育雑誌自体が減っている。

3.かつては毎月十数冊の教育雑誌を購読していたものだが……。もう半分以上が廃刊になったり統合されたりして、雑誌名がなくなってしまっている。それほど勉強になると感じていたわけではないけれど、情報媒体としては必須だったように思う。いまの若い教師はどこから情報を得ているのだろう。

4.ネットで……とは言うけれど、ネットが雑誌の代わりをするのは無理である。編集者のアンテナで編集される雑誌と、自分で検索するネットとではその機能性がまったく違う。ネットっていうのは、ある程度の知識と世界観をもっている人間にしか機能しない媒体である。雑誌は読み比べることもできた。

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7月10日(火)

1.【拡散希望/定員20/残席1】第1回学級づくりプログレッシヴ​セミナーin東京/2012年7月14日(土)/上智大学7号館14F/堀裕​嗣・山田洋一/参加費:3000円/学級づくりと授業づくりの勘​所/今年後半は山田洋一さんとの行脚です。http://kokucheese.com/event/index/34401/

2.【拡散希望/定員35/残席4/いよいよ5日後です!】教室​実践力セミナーin東京/学級づくり&授業づくりの原理原則・A​LL堀裕嗣セミナー /2012年7月15日(日)/講師:堀裕嗣/参加費:5000​円/会場:上智大学(予定)。http://kokucheese.com/event/index/31411/

3.授業は三つ。俳句が一つ。批評文が二つ。空き時間は一つが銀行での支払い。もう一つは晋の新刊を読む。放課後は国語科準備室の梱包作業。今日、最も感じたのは「なぜ、銀行窓口はこんなに人を待たせるようになったのか」である。窓口の人数がかつてより少なくなってはいないか。

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学級通信を出しつづけるための10のコツと50のネタ

今日、学校に晋の新刊『学級通信を出しつづけるための10のコツと50のネタ』(学事出版)が送られてきた。ちょうど5時間目が空き時間だったので読んだ。僕は既に晋の学級通信講座を10回は聞いているので、特に新しい情報はない。しかし、今回の本はそれを差し引いても「うーん…」だ。

この本の内容は「10のコツと50のネタ」というタイトルだが、簡単にいえば学級通信を書くための原理原則だ。しかもタイトルが示すように「発行し続ける」ための原理原則である。つまり、学級通信を発行し続けたいと思っている人には、「こうすれば出し続けられるんですよ」という提案になっている。

要するに、学級通信を絶対善として、それを発行し続けるためのマニュアル本である。学級通信に価値を置いていない、それほどの興味もない、そういう教師に「よし!自分も学級通信を毎日出してみよう」と思わせる魅力はない。

この本は読者に開かれていない。ブロットも書き方も、ほんとうに晋が書いたのかと思われるほどに、原理原則に終始し、その「機能性」と「可能性」を語っていない。前著に比べて、私には、内容的にはもちろん(もう知っている情報だから)、その構成の仕方、表現の仕方についてもまったくおもしろくない。

この本には学級通信をどのように書くか(10のコツ)と、学級通信に何を書くか(50のネタ)としかない。「どのように書くか」と「何を書くか」だけがあって、「なぜ書くか」がない。それがこの本を安っぽいHOW TO本に貶めているのだ。

晋は「価値のインストラクション」について語っているではないかと言うかもしれない。ならなぜ、その「価値のインストラクション」がどう機能したかを書かなかったのか。書きようはいくらでもあっはずだ。教師の働きかけによって子どもとのやりとりが始まった実践とか、行事のあとの子どもの作文を掲載してリフレクションがこんなふうに高まったとか、誕生日のオリコン1位曲を掲載するとともに聞かせることで子どもからこんなリアクションがあったとか、同様に保護者からこんな反応があって後の教育活動にこんなふうに生きたとか、学級ポートフォリオとして機能させることによってこんな効果があったとか、その「機能性」と「可能性」を語ることはできたはずなのだ。

なのに晋はそれをしない。おそらく晋にとって学級通信があまりにも当然のものであり、晋にとってあまりにも自分の実践の核であり、そして晋があまりにも通信という形にこだわりをもっているからだ。誕生日に曲を聞かせることとか、その通信のリアクションとか、そういうところまでが通信であるという「機能性」の感覚に乏しいのである。学級通信の概念を狭くさせていると言っても良い。晋がピアノを弾いたり、ビデオレターをつくったり、写真集をつくったといったところまでを「学級通信と考える」というような概念破壊ができていない。だからおもしくない。だから、HOW TOに堕してしまうのだ。

言わば、この本は晋の書き方ではなく、僕の書き方に近い。しかし、僕の場合、原理・原則を書くときは「学級経営」とか「生徒指導」とか「一斉授業」とか、コンテンツがでかいのだ。要するに、常に考えておくべき全体像を与えて、「学級経営」や「生徒指導」や「一斉授業」を考えるときには、これだけの要素を頭に入れて、そのときどきにプライオリティを判断しながら動かなければならないのが私たちの仕事なんですよ、ということ自体を提案しているのである。しかも、これはシリーズ化して教師の仕事の全領域を網羅しようとの野心もある。それぞれのコンテンツの〈あいだ〉から次のコンテンツを醸し出そうとの試みであり、通して読んでもらえば様々な領域を貫き通す基本原理もまた浮かび上がるように設計されている。こういう大規模なことを考え、実行してしまうところが僕の「個性」なのだ。

しかし、学級通信は違う。コンテンツとしては小さい。実践の全体像でもない。とすれば、HOW TOだけでは提案性に乏しい。HOW TOが提案性をもつのは、かつてだれもHOW TOを書けないような領域で、初めてHOW TOを書いた場合だけだ。しかし、内容が学級通信では、これまで数限りなくHOW TOは出ている。それを前提に新たに提案するのだとすれば、そこには晋独自の視点、晋が新たに付け加えた視点、それが必要になる。

晋の意識の中では、おそらくそれは「価値のインストラクション」だ。学級通信と読み聞かせとを「価値のインストラクション」の両輪と表現し、その一方を語ろうという位置づけなのである。しかし、「両輪」という言葉を文字通り「両側の車輪」という意味だけで捉えてはならない。「方法のインストラクション」や「意図のインストラクション」は確かにステアリングで方向性を定めようとする、文字通りの「両輪」だろう。だが、「価値のインストラクション」というのは、「インストラクション」の中でも「駆動輪」なのである。この「駆動させる両輪」の片方を語ろうとする者が、HOW TOでそれを語って何の意味があるのか。〈駆動させる構造〉を語らなくて何の意味があるのか。そして晋は、意識してか意識せずにか、その〈駆動させる構造〉を書かずにこの本を構成してしまったのである。

申し訳ないが、この本は僕から見ると駄作である。思いはわかる。必要性もわかる。しかし、私から見ると、晋が書くべき本じゃない。少なくとも、「価値のインストラクション」の車輪としては機能していない。それが私の評価である。

ただし、この本は商業的には成功するかもしれない。学級通信を書きたいのに書けない、書き続けたいのに書き続けられない、そういうレベルの低い教師には必要な本だろう。しかし、「価値のインストラクション」と駆動の構造を1章書き足せば、それも10頁程度書き足せば、一気に学級通信の機能性と可能性とを訴える本にできたのである。かつての「見たこと作文」実践に見られるような、駆動輪としての学級通信が提案できたのである。晋の学級通信というコンテンツがこんな中途半端な形で世に出てしまった。私はそれがとても惜しいと思う。

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7月9日(月)

1.授業は三つ。語り手の構造が一つ、批評文が一つ、俳句の基礎知識が一つ。空き時間は銀行へ。放課後は図書室の本の梱包作業。副担任15人程度で取り組んで、約2時間で完了。ダンボール280箱。意外と少ないな、という印象。始める前は「終わるのか」と心配だったが、やり始めると意外とスムーズ。

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7月8日(日)

1.【拡散希望/定員50/残席33】第1回学級づくりプログレッシヴセミナーin東京/2012年7月14日(土)/上智大学/堀裕嗣・山田洋一/参加費:3000円/学級づくりと授業づくりの勘所/今年後半は山田洋一さんとの行脚です。http://kokucheese.com/event/index/34401/

2.【拡散希望/定員50/残席15/今度はこのセミナーです!】教室実践力セミナーin東京/学級づくり&授業づくりの原理原則・ALL堀裕嗣セミナー /2012年7月15日(日)/講師:堀裕嗣/参加費:5000円/会場:上智大学(予定)。http://kokucheese.com/event/index/31411/

3.教師が陥りがちな病理に「正しすぎる論理」があります。「絶対なんてありません。人それぞれですから……」というのがそれです。この論理は正しい。正しいだけにだれも反論できません。

4.しかし、正しすぎるがゆえに何の役にも立ちません。役に立たないばかりかマイナスにさえなります。それは、この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからです。

5.何かを思考したり議論したりしようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければなりません。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことにはすべてが現状維持のままです。

6.だれもがそんな失敗を繰り返しています。しかし、この論理の厄介なところは、それが現状維持をつくるだけに、なかなか失敗だと気付けないところにあります。

7.教員世界には思いの外この論理を持ち出す人が多くいます。特に研究畑の教師に多い気がします。更にいえば、国語教育に携わっている者に多い傾向があります。おそらく、あまりにも諸派諸説が乱立しているため、対立しないために編み出された詭弁なのでしょう。

8.また、自分の主張へのこだわりが大きいために、対立する主張から自分の身を守るために弄される詭弁という側面もあります。前者は〈止揚〉を、後者は〈成熟〉を拒否している点で百害あって一利なしといえます。

9.百歩譲って、こうした態度が自分自身のみのこだわりから発祥しており、他に迷惑をかけないでいるのであれば、それほどの実害はありません。しかし、こうした人々の多くは、他の人にもこの論理への帰依を要求します。絶対なんてない、だからそれ以上言うな、そう強制します。

10.しかし、この「人それぞれ」というテーゼは、趣味の世界や友人関係の人づきあいなら支障はないのですが、ともに仕事をする立場の人間同士となると大きな問題です。それは「人それぞれ」という言葉が、それぞれが自分の思いにしたがってそれぞれに仕事に取り組もうという意味を裏にもつからです。つまり、仕事の集団を「烏合の衆」化するのです。

11.確かに、教員集団において「人それぞれ」を認めてしまえば、他の教師の領域を侵さない限りは揉め事が起こりません。また、他の教師の領域を侵さない限りは自分のやりたいことに取り組むことができ、だれに文句をいわれることもありません。ある程度の力量があり、やりたいことももっているという教師には、とても楽な組織運営になります。

12.反面、職員室においては、致命的な二つのデメリットがあります。

13.一つは、若手教師が育たないということです。

14.武道や芸能で用いられる「守・破・離」を持ち出すまでもなく、人の成長には一般的に「型から入って型から抜ける」という過程が必要です。この過程を通らずに大きな成果を上げられるのはごくごく一部の天才だけです。なのに、「人それぞれ」の職員室運営にはその「型」がないのです。先輩教師はみなそれぞれにバラバラのことをやっている。何が良くて何が悪いのかわからない。先輩教師に訊いてみても、「人それぞれだから自分で見つけろ」と言われる。こういうことになりがちです。

15.もう一つは、どの部所にも属さない、いわゆる「隙間仕事」が一部の良心的な教師や責任ある立場の教師が、そのほとんどすべてをかぶらなければならなくなることです。

16.学校には「隙間仕事」がいっぱいあります。私の実感では、学校の全仕事の3割程度は「隙間仕事」なのではないか、と思われるほどです。「人それぞれ」がまかり通る職員室では、この「隙間仕事」が「仕方ないから子どもたちのために自分がやろう」「先生方のために自分がやろう」と考える良心的な教師か、教頭・教務主任・学年主任といったその「隙間仕事」の重要性を熟知している責任ある立場にある人がすべて負う、ということになりがちです。その結果、良心的な教師や責任ある立場の教師たちがパンクしてしまうのです。

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桂沢湖

18柏葉恭延と桂沢湖で撮った写真が4枚ある。すべて88年~90年に撮ったものだ。この3年間に一緒に4回行ったということだ。僕と柏葉以外に写真に写っている人たちは毎回違うのだが、なぜか僕と柏葉だけは毎回いる。大学1年生だった87年にも何回か行った記憶があるから、きっといっしょに7、8回は桂沢湖に行ってるんだろうと思う。

27今日、旭川からの帰り道、少し遠回りをして桂沢湖に行ってきた。あのださいティラノサウルスの像がある湖畔である。夕方の桂沢湖にはお客さんなんてただの一人もいなくて、もうレストランもお土産屋もつぶれていて、生きているのは3台の自販機だけ、そんな感じだった。解説を読むと、この像がつくられたのは昭和56年のことらしい。僕らが頻繁にこの場所に足を運んでいたのは昭和62年から平成2年にかけてだ。あの頃はまだ新しかったのだと知った。

34当時の写真の多くはティラノサウルスのしっぽの部分に人が並んで写っている。だいたいが女の子をしっぽに座らせて、横で僕らが馬鹿馬鹿しいポーズを取っている……そんな、あまりにも平凡で、あまりにもくだらない写真ばかりだ。像の尻尾の先にある二本の木と、ちょうど椅子になりそうな石……。二本の木から顔を覗かせてポーズを取っている写真も複数ある。

56ティラノサウルスの横にテーブルとベンチ。このテーブルに横たわって笑っていた柏葉をはっきりと想い出せる。丸テーブルを囲んで、みんなでかき氷を食べた情景もはっきり浮かんで来る。二十数年ぶりに訪れたのだが、西陽が鋭く突き刺さってくるこの空気は、講義の合間に遊びに来た当時のままのように感じられた。

Katsurazawaティラノサウルスの背中もなんだか寂しげに見えた。線香代わりに煙草を一本立てて、湖に向かって合掌した。

なんとなく、レベッカを聴きながら帰ってきた。柏葉がもういないことを、受け入れるしかないようだ。

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7月7日(土)

1.柏葉恭延の命日である。あれからちょうど1年だ。44歳。悲しみは癒えない。学生時代、あいつとカラオケに行くと、いつも爆風スランプの「RUNNER」をいっしょに歌ったっけ。旭川への道中は爆風スランプだな。

2.‎8月6日(月)に四日市市の研修講座を引き受けている。これになんと162名の申し込みがあったそうだ。担当の指導主事の先生から「大丈夫でしょうか」と問い合わせが来た。それは大丈夫だけれど、講義形式になるな。それにしても夏休みに僕の話なんか聞くより年休とって遊びに行けばいいのに(笑)

3.これから旭川の「教師力BRUSH-UPセミナー」に向かいます。久し振りのBRUSHです。

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7月6日(金)

1.授業が三つ。すべて語り手の構造。空き時間は一つは銀行-、もう一つは進路関係の仕事。放課後は引っ越し作業。ダンボールの梱包作業が始まった。過去15年分の指導要録をはじめ、重要性の高い書類の梱包作業。担任は懇談、副担は梱包。なかなか機能的な時間の使い方である。

Cover2.拙著『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治​図書)。二匹目のドジョウは17日(火)の刊行だそうです。

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7月5日(木)

1.授業は四つ。語りの構造が三つ。作文が一つ。5時間目が終わり次第、年休をいただいて岩見沢へ。父を見舞い、病院と打ち合わせ。その後、母と由仁温泉へ。久し振りに行ったが、ほんとうに良い温泉だ。母がホルモンが食べたいというので焼き肉屋へ。僕はカルビー5枚、サンチュ8枚、ウーロン茶2杯。

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7月4日(水)

1.授業は四つ。一つは語りの構造。三つは描写の読み取り……と言いながらも、実質的には暑かったのでお絵かき。空き時間は銀行へ。評定の点検作業。放課後は学年会。更に一斉に成績一覧表の作成。日程の詰まった一日だった。夜は19:30から校区内巡視パトロール予定。長い一日である。

2.若いうちは失敗して当たり前です。いいえ、年齢を重ねたって、失敗はたくさんあるのです。それをいちいち気に過ぎていては、躰も心ももちません。いいじゃありませんか。失敗してこそ、人間です。それを糧にして、成長すれば良いのです。その失敗を悔やむことではなく、同じ失敗を繰り返さないことに意識を向けましょう。

3.悩んで解決することなら、悩むべきなのかもしれません。しかし、職務上の失敗というものは、ほとんどの場合、悩んでも解決しません。まずは謝罪。そして、あとは信頼を回復するための全力投球です。いくら悩んでも、それ以上の答えは出て来ません。

4.世の中の失敗の99%は謝罪すれば許されます。「謝りゃいいんだろ?」という態度ではいけませんが、誠意を込めて謝罪する以外に方法はありません。許されないのは子どもが命を落としてしまった場合、後遺症の残るような怪我をさせてしまった場合、人生にかかわるような心の傷を与えてしまった場合、この三つだけです。

5.まずは誠意を込めて謝罪しましょう。人は必ず許してくれるものです。上げた拳を上げ続けたい人など世の中にはいないのです。

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7月3日(火)

1.22時に寝て7時に起きる。9時間睡眠。久し振りによく寝た。いい感じだ。今日は小票提出日。点検日である。授業は5時間。時間に追われる一日になりそう。

2.授業は五つ。作文の授業一つ。行動描写の抽出一つ。図解の授業三つ。成績小票の点検作業。130枚ほどを点検してフラフラ。18時退勤。とにかく点検作業の一日。

3.学年団や職員室がチームとして動くときに、友人型教師の最も大切な仕事は、この「子どもからの情報を他の先生方に報告する」ことです。もちろん、子どもが「だれにも言わないで」と言った場合には、その旨も確実に伝えます。なんとか本人に気づかれないように解決の方向にもっていけないか……教師間の相談のうえで対応することになります。

4.子どもたちとの人間関係ができてくると、友人型教師には父性型教師や母性型教師の耳には入ってくるのとは異なったタイプの情報が入ってくることがあります。例えば、子どもたちが援助交際をしているとか出会い系サイトで遊んでいるといった情報、ネット上でいじめや悪口あるとか、必要以上の情報公開が行われているといった情報ですね。

5.こうした情報を入手した場合には、すぐに学年や生徒指導部に報告して対応を協議しなければなりません。学年主任や生徒指導部はこういうことに慣れていますから、必ず情報ソースを隠したまま対応する手立てをもっているものです。

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7月2日(月)

1.授業は二つ。ともに行動描写の抽出。空き時間は四つ。なんと!これまでの経験にちょっと記憶にないほどの空き時間の数。朝自習を印刷したり、成績小票の点検要領をつくって配付したり、教材をつくったり、生徒指導をしたり、それでも時間が余って同僚と談笑したり。放課後は卒業生が遊びに来て談笑。

2.蕾には蕾の、花には花の、実には実の教育があります。新緑には新緑の、真緑には真緑の、紅葉には紅葉の教育があるものです。蕾が実を真似てもうまくいきませんし、紅葉は様々に色づきますが、新緑時代の色だけは決してもち得ません。

3.若い頃、毎日昼休みに子どもたちとバスケットボールに興じていました。サッカーをすることもありました。いつの頃からでしたか、給食直後に運動をすると、脇腹が苦しくなってきました。こりゃ年だな……と感じ、昼休みは校舎内で過ごすようになりました。

4.その後も年齢を重ね、私は様々な教育技術を身につけ、生徒指導の勘所のようなものも心得るようになってきました。生徒たちに語る言葉も、学級や学年の運営も少しずつ洗練させていきました。

5.しかし、いまでも思うことがあります。あの頃、子どもたちとバスケットボールに興じながら、躰をぶつけ合いながら築いた人間関係、あの時代に得られた子どもたちとのつながりだけは、もう決して経験できる日はこないのだ……と。

6.ノスタルジーではありません。若いからこそ、体当たりだからこそできる教育というものが確かにあるのです。まさに「蕾の教育」であり、「新緑の教育」です。

7.しかし、大事なことがあります。蕾は蕾であることを、新緑は新緑であることを意識しながら仕事をしなければならない、ということです。蕾は自らが蕾であることを自覚し、いつか花咲かせよう、いつか実を結ぼうとの思いを抱くことは大切ですが、いまの自分が花や実の真似ができると思ってはなりません。

8.また、蕾はまだまだ新芽である子どもたちから見ればとても身近な存在に見えるものです。新芽にとって、花や実はまだまだ遠い存在ですが、蕾の段階はすぐそこにある、すぐそこまで来ていると感じています。それだけに留意すべきことも多いと言わざるを得ません

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7月1日(日)

1.【拡散希望/定員50/残席33】第1回学級づくりプログレッシヴセミナーin東京/2012年7月14日(土)/上智大学/堀裕嗣・山田洋一/参加費:3000円/学級づくりと授業づくりの勘所/今年後半は山田洋一さんとの行脚です。http://kokucheese.com/event/index/34401/

2.【拡散希望/定員50/残席15/今度はこのセミナーです!】教室実践力セミナーin東京/学級づくり&授業づくりの原理原則・ALL堀裕嗣セミナー /2012年7月15日(日)/講師:堀裕嗣/参加費:5000円/会場:上智大学(予定)。http://kokucheese.com/event/index/31411/

51h3sb8w0rl__sl500_aa300_3.DESERT MOON/DENNIS DeYOUNG/1984
STYXのボーカリストDENNIS DeYOUNGのファーストソロ。大ヒット曲「DESERT MOON」は名曲中の名曲。「PLEASE」というROSEMARY BUTLERとのデュエットがとても良い。「DESERT MOON」と並んで、「SUSPICIOUS」という曲がとても好きです。

4.今朝から「教師力ピラミッド」の執筆を本格的に始めました。僕としてはレイアウト的に新境地です。要するに、事例やイラストが多く、伝えたい原理・原則は最小限に抑えます。しかし、内容的にはまとまりをもっている、そんな本になりそうです。物足りない部分もありますが、完成度は高くなりそうです。

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