〈物語消費〉としての法則化運動・2
大塚はこうした時代認識から、かの「ビックリマンチョコレート」
第一に、先にも述べたように、商品とおまけとの逆転である。グリコのキャラメルは、「一粒三百メートル」というキャッチコピーに象徴されるように、あくまでも商品本体はキャラメルであった。もしも商品本体がおまけならば、キャッチコピーはおまけに関するフレーズで構成されていたはずである。
キョロちゃんでお馴染みの「チョコボール」は、「金のエンゼル」「銀のエンゼル」によって「おもちゃの缶詰」が当たるという、特典によって商品本体たるチョコレートを売ろうとする企業戦略であった。
このように、それまでの菓子メーカーは、あくまでもおまけを付属品の特典として考えていたのである。
しかし、「ビックリマンチョコ」は異なる。商品本体は、あくまでもシールである。メーカーはあくまでシールで売り上げの拡大を図ったのである。たまたまこれを商品化したメーカーがお菓子メーカーであったために、お菓子の流通ルートに載せざるを得なかったに過ぎない。
その結果、「ビックリマンチョコ」を購入した子どもたちは、意識
しかし、「ビックリマンシール」は違う。完全にメーカーの開発したオリジナルキャラクターなのである。それまでこうした例は、せいぜいサンリオのキティちゃんがあった程度であり、少なくとも男の子向けの商品としては皆無だったのである。つまり、「ビックリマンシール」は、原作なきキャラクターであったわけだ。
以上、二つの意味で、80年代後半に大ヒットした「ビックリマンチョコレート」は、時代のエポックたるにふさわしい商品だったわけである。加えて、この商品が時代のエポックとして象徴的であるのは、次のような商品の構造を持つ点にある。
①シールには一枚につき一人のキャラクターが描かれ、その裏面には表に描かれたキャラクターについての「悪魔界のうわさ」と題される短い情報が記入されている。
②この情報は一つでは単なるノイズでしかないが、いくつかを集め組み合わせてみると、漠然とした〈小さな物語〉─キャラクターAとBの抗争、CのDに対する裏切りといった類の─が見えてくる。
③予想だにしなかった〈物語〉の出現をきっかけに子供たちのコレクションは加速する。
④さらに、これらの〈小さな物語〉を積分していくと、神話的叙事詩を連想させる〈大きな物語〉が出現する。
⑤消費者である子供たちは、この〈大きな物語〉に魅了され、チョコレートを買い続けることで、これにさらにアクセスしようとする。
こうしたキャラクターシールは、大塚によれば全部で772枚あったそうである。
子どもたちはコレクションが一枚増えていくごとに、これまでのコレクションによって見えていた〈大きな物語〉を適宜修正し、「〈大きな物語〉の全体像」(=世界観)に近づいていく。そしてまた一歩近づきたいがために、また新たに「ビックリマンチョコ」を幾つも買う。さらに購買意欲がそそられる。
「ビックリマンチョコレート」には、まさにこうした構造があったのである。
子どもたちがこぞって買っていたのは、チョコレートでもなければキャラクターシールでもない。実はキャラクター解説が少しずつ明らかにしていく〈大きな物語〉であった。こうした構造を大塚英志は、「物語消費論」と名付けたのである。
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