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6月2日(土)

1.昨日は『必ず成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治図書)の初校ゲラ。読んでいてかなり直したいところが出てくる。もう合唱コンクールやステージ発表の本を出すこともないだろうから、これが最初で最後だろう。そう思うと、ある程度こだわりをもって校正した方が良いなと感じる。

2.そうそう。石川の新刊を読む若者たちに一つだけ言っておきたいことがある。それは石川は一斉授業がものすごくうまいということだ。おそらくもう生涯提案されることはないだろうが、石川実践もただ「活動」として生み出されたわけではない。要所要所の勘所がしっかりと押さえられている。私の立場からはこのことだけは伝えておきたい。

3.『必ずKimiwonosete1成功する「行事指導」魔法の30日間システム』(明治図書)の初校ゲラ。完了。結局、写真を増やすことにした。それも90年代の僕の位置が見える、なんとも懐かしい写真を。‎1995年8月。「君をのせて」(堀裕嗣作)。バックは「最後の晩餐」のシルエット。舞台中央では愛した女性の肖像画を描くというロマンチックなラストシーンである。

Micemen4.結局、合唱コンクールの方は「たった一枚の賞状。しかし、その価値はただ一枚の賞状に止まらない」という言葉で、ステージ発表の方は「演劇とは一つ一つの瞬間をまるで一枚の絵のように構成することだ」とまとめた。画像は1997年8月。「ハツカネズミと人間」(ジョン・スタインベック作/堀裕嗣脚色)の中文連公演である。

5.長年にわたる新聞報道を見ていて、教師批判の理由というのは四種類に分類されるなあと感じるようになりました。保護者のクレームも基本的にはマスコミの論調を受けて成り立つ傾向にありますから、だいたい同じ四つの批判に傾向としては分類できるのではないかと思っています。

6.第一に、教師のモラルや人間的素養を批判する場合です。教師であるのにこういう不道徳なことをしたという批判ですね。淫行や飲酒運転で全国ニュースになる事例は論外としても、教師のちょっとした発言の内容が批判されるとか、言葉遣いが汚いと非難されるとか、或いは服装や立ち居振る舞いなどがやり玉に挙げられることもあります。これらの点については、「民間では通用しない」というフレーズが決め台詞になることが多いのも特徴です。

7.第二に、指導力の在り方が批判の対象となる場合です。「厳しすぎる」「甘すぎる」という批判をはじめとして、「子どもと距離がありすぎて、子どもが相談しづらいと言っている」とか「学校の立場ばかりを主張して、うちの子のことをわかってくれない」とか、「若くて頼りないので、もう少し教師然として欲しい」とか、「ダメなことはダメと、しっかり指導して欲しい」とか、まあ様々な批判があります。これらに加えて、「先生の授業をうちの子がわからないと言っている」といった授業力に対する批判も多くあります。

8.第三に、事務能力に対する批判です。「評価評定がいいかげんなのではないか」とか、「前にどんな指導や保護者連絡のやりとりが行われたのかをちゃんと記録しているのか」とか、「連絡文書を細かいところまでちゃんと出して欲しい」とか、「こんな文章を書いていて、それでも先生か」とか、これまた様々な批判があります。

9.第四に、先見性や創造性の無さに対して批判される場合もあります。「こんなことになる前に予兆を捉えられなかったのか」とか、「うちの学年の学習発表会は地味なのではないか」とか、「この時代にこんな学校運営は時代遅れなのではないか」とか、「うちの学校には特色がないですよね。校長先生はどうお考えですか」とかいうタイプの、教師を評論家的に批判する立場です。

10.すべてが一理ある批判です。そして私は、こうした保護者クレームや教師批判の報道を見ていて、とすれば、これらをすべて併せ持つこと、それが一応の「教師力」ということになるのではないか、そう捉えて良いのではないか、と考えるようになりました。教師には耳の痛いことばかりではありますが、少なくとも世論が求めている「教師力」はここから想定できるのではないか、そう考えたわけです。

11.「教師力」の要素には四つある。第一に「人間的素養」、第二に「指導力」、第三に「事務力」、第四に「先見性・創造性」。私はそういう結論に達しました。そしてこの結論を得るに及び、教師のという職業の特殊性、難しさを身にしみて理解しました。

12.よく教師を評して「民間では通用しない」という言を聞きますが、教師には大学出たての新卒からこれら四つのすべてが求められるのです。少なくともこれらの四つすべてが批判の対象となり得るのです。この一事をとっても民間と比べて楽だとはとても思えません。

13.また、もう一つ、重要なことがあります。「教師力」がこの四つからできていると仮定して、私たち教師はこれらの四つのどれについても専門教育を受けていないという事実です。教員養成のシステムを批判したいのではありません。こういう特殊な職業なのだと主張したいのです。

14.「指導力」一つとってみても、普通のサラリーマンが三十代・四十代になって、部下をもつことで初めて自分の「指導力」の有無を意識して修養に努める、少しずつコツを覚えていく、自信を深めていく、一般にそうやって獲得していくものを、私たち教師はいきなり新卒で求められるのです。

15.相手は子どもじゃないかと侮ってはいけません。常識や損得勘定や競争意識や、社会人なら当然のようにもっている諸々の基盤をもっていないだけに、子供たちへの指導力が大人へのそれと比べて容易だなどということは決してありません。むしろ子どもを介して、教師と対等な立場の保護者を常に意識しなければならないことが、その指導力の発揮を二重にも三重にも難しくするのです。

16.むしろ哀しいのは、他ならぬ教師自身がそのことに気づいていないことです。私たちの仕事は私たち自身が考えているよりも、私たち自身がイメージしているよりも、はるかに難しい職業なのです。

17.それも時代が変わって、最近になって難しくなってきたわけではありません。おそらくもともと難しい職業だったのです。それが学校教育に追い風が吹かなくなり、社会が多様化して学校教育への国民的コンセンサスが危うくなり始め、みんなが無意識に抱いていた学校に対する愛憎半ばする思いを口にするようになって、教職がもともともっていた難しさが顕在化してきただけです。私はいま、そのように考えています。

Photo18.このような現状認識に立ったとき、私は「教師力」のモデルとして〈教師力ピラミッド〉を考案しました。マスコミや保護者といった学校外の人間も、そして教師自身も、教師に必要とされる資質と能力を概観することが様々な問題解決の出発点になるだろう……そう考えたからです。


19.〈教師力ピラミッド〉はごくごく簡単にいえば、教師の日常的な仕事に関して、教師に求められている資質と能力をわかりやすく網羅し、三角形の底辺から頂点に向けて、資質・能力の習得を難易度に応じて三段階にランクづけしたものです。

20.第一段階は、「モラル」と「生活力」です。教師の基盤が「モラル」であることは言うまでもないことですが、「生活力」には若干の説明が必要でしょう。具体例を挙げればこういうことです。

21.例えば教師は、子どもが具合が悪いと言えば簡単な診断をし、軽い怪我くらいならその処置もできなくてはなりません。教室のテレビが壊れたとなれば修理もしますし、行事があればビデオの撮影や編集もすることになります。日常生活で必要とされることはすべて身に付けた、いわば「なんでも屋」でなければならないわけです。 こうした「なんでも屋」的な資質・能力を、私は「生活力」と呼んでいます。つまりは、日常生活で必要なライフスキル全般のことですね。

22.言葉でいってしまえば簡単ですが、こうしたことを新卒から求められてしまうのが教師の最も難しいところであり、他の職種とは異なるところだと思っています。

23.第二段階に、「指導力」と「事務力」です。

24.「指導力」には、悪いことは悪いと子どもにしっかりと伝えられる「父性型指導力」、悩んでいる子どもを優しく包み込むような「母性型指導力」、子どもと気さくに話し一緒に楽しむことのできる「友人型指導力」の三種がありますが、性格の三分類とさえ言えるこれら三つのキャラクターをすべて具え、時と場合に応じて使い分けることが求められるわけです。

25.また、教師が持たなければならないとされる「事務力」についても、ずいぶんとハードルが高いといわざるを得ません。

26.成績処理や生活記録、進路事務などにおいては高い「緻密性」が求められます。ミスは下手をすると裁判にもなりかねません。加えて、授業や生徒指導に関して新しい指導法を開発する「研究力」、最近は学校独自の教育課程づくりを文部科学省が推進していますから、複雑な時間割づくりや年間計画の策定といった、教育課程の編制という学校の全体像を構築するという膨大な能力、「教務力」も求められます。

27.要するに、指導事項のディテールを系統的に組織する力からグランドデザインを構築する力まで、多種多様な事務能力が期待されているわけです。

28.更にその上に、「先見性」と「創造性」です。

29.いじめや不登校など、担当する子どもに事故や事件が起これば「予兆を捉えられなかったのか」と責められます。最新のデータを用いて学校改革に取り組まなければ体質が古いと揶揄されます。行事や生徒会活動では、地道な活動ばかりでなく、子どもたちの多くが活躍する華のある運営が求められもします。教頭や校長ともなれば、その学校独自の特色も創造しなければなりません。

30.まさに、「先見性」や「創造性」も、教師を評価する重要なポイントなのです。

31.〈教師力ピラミッド〉を「教師力」のモデルとしてもつことには大きく分けて三つの利点があります。

32.まず第一に、世論や保護者の視点の鏡になっているということです。一般に、教師は「学校の論理」「職員室の論理」で動きがちです。それにそぐわない子どもの態度や保護者の言い分を退けがちです。その点を戒めるためにも、世論が求めているものの全体像を常に意識することが大切です。〈教師力ピラミッド〉はこの意識をもつことを促します。

33.第二に、教師の自己評価の枠組みになるということです。学校という閉じられた空間で、周りには同じ職種の同僚と子どもたちしかいないという環境に慣れてしまうと、教師としての自己評価の観点が狭くなってしまいます。自分の視点に閉じこもってしまいます。〈教師力ピラミッド〉はこのような悪弊を打開し、自らをメタ認知する視点を与えてくれます。

34.第三に、教師の成長モデルにもなっているということです。〈教師力ピラミッド〉は三段階で構成されています。原則的には下の方から上の方へという成長モデルを表しています。つまり、ピラミッドの広い部分、「モラル」や「生活力」はすべての教師が絶対に資質・能力としてもたなければならないものです。新卒教師はまずこれを身につけなければなりません。

35.それに対して、「先見性」や「創造性」はすべての教師がもたなければならないとまではいえない、そんな資質・能力です。しかし、これを身につければ教師としてはかなり力量が高いと判断できる、そういう類の力です。また、これらの資質・能力をもっていないと管理職になってはいけないという、私なりの管理職批判の意味合いも込めています。

36.更に、ビラミッドの二段目、「指導力」と「事務力」についても同様のことがいえます。「指導力」は下方の「友人型指導力」を身につけることから入り、次第に自らのキャラクターに応じて、上方の「母性型教師」と「父性型教師」へと転移していくものだといいう、教師の力量形成に対する私の認識を表しています。また、「事務力」についても同様に、まずは「緻密性」であり、次第に「研究力」を身につけ、最終的には「教務力」が身につくのだという順次性を示しています。

37.〈教師力ピラミッド〉はこのように、教師が自らの現状を自己評価できるようにと、その視点を提示することを目指して開発されたものなのです。

38.いつも感じることだけれど、教師に厳しいことをツイートすると、途端にリツイートされなくなる。FBの「いいね!」ももらえなくなる。僕のフォロワーには教師が多いからあたりまえといえばあたりまえなのだけれど(笑)。僕はきっと普通の先生にとって決して敵ではないけれど、きっと味方でもない。

39.教育界の外から、教師がいわれのない批判を浴びせられることには抵抗を示すけれど、教師視点に閉じこもって自らを正当化している教師は大嫌いである。基本的に勉強しない教師も嫌いだ。僕がすべての著作で言っていることは、結局、教師は「世の中の視点」をもちましょう、ということに過ぎない。

40.おいおい!編集者に提示されたフォーマットで原稿を書き始めたら、怖ろしいほどに進むぞい。なんせ一話題二頁、しかも4割が挿絵だもの。これ、すぐできそう。いいのか、ほんとにこれで……。でも、絶対にこのテーマでちゃんと文章でできた本を書きたくなっちゃうな、オレの場合。それもいいか(笑)。

41.すごくいやなこと言うけど、あのスカスカの教育書って、こんなに楽して書かれていたんだって書いてみてよくわかった。これで僕と同じ原稿料もらってたんだ。原稿料って文字数で支払われるべきだ…なんて非現実的なことを思ってしまった。このスカスカ教育書文化はやめた方がいい。著者も育たない。そういや、晋の本はスカスカじゃない……。

42.よし!イラストありまくりのスカスカなのに読み応えがある……っていうフォーマットを開発してみよう。また楽しみが増えた。こういう、不満をすぐに自分の楽しみに転化してしまうところが僕の真骨頂なのだ。なにせ、実践研究も本を書くのも道楽だから(笑)。

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