「教師力」って何だろう
夢を抱いて教職に就いた若者が1年も経たないうちに教壇を去って行く……そんな事例が増えています。若い教師が自ら命を絶ったという報道も後を絶ちません。
教職について三十年以上という大ベテランが早期退職する事例も増えています。管理職が自ら希望して降格するという事例も増えています。
正直、どうしてこんな時代が来てしまったんだろう……と感じます。ひと昔前までは、教師っていい仕事だったんです。身分的にも経済的にも安定していて、夏休み・冬休みがあって、子どもたちの成長にかかわることで自己実現を図れる、そんなイメージの仕事だったんです。
そんなに昔のことではありません。私が教職に就いた20年前には、まだまだそんな雰囲気がありました。「十年ひと昔」と言いますが、ほんのふた昔前の話です。
「教師力」という語を最初に用いたのは、私の記憶が正しければ朝日新聞です。2003年の3月のことでした。
「教師力」などという言葉が流行するということは、世論に多くの教師が「教師力」が持ち得ていないという批判的言説がはびこっているということを意味しています。教師の多くが普通に教師として満足のいく仕事をしているのであれば、わざわざ「教師力」などという仰々しい言葉を使う必要はありません。
当時は2000年前後からマスコミを賑わした「学力低下論争」や「学級崩壊・学校崩壊」を受けて、「指導力不足教員」や「不適格教員」という語が流行の兆しを見せ始めた頃でした。時を同じくして小渕内閣の「教育改革国民会議」から安倍内閣の「教育再生会議」へという政治的な流れが、学校教育における「教師力不足」という世論を一気に加速させたようにも思います。
それに伴って、保護者による学校へのクレームも増加する一方。当初は多くの教師が抵抗を感じていた「モンスター・ペアレンツ」という言葉も、もう定着してしまった感があります。もう多くの教師が保護者のクレームに慣れてしまったのです。中には理不尽なクレームだと保護者を訴える教師まで出る始末……。
私にはこれが正常な状態だとはとても思えません。少なくとも、子どもたちを育てるのに良い環境でないことだけは確かでしょう。
とは言っても、もうかつての古き良き時代に戻ることはあり得ません。時間は不可逆です。教師には「じゃあ、これからどうするか」という現実的対応が求められます。
さて、どうしましょうか。いったい「教師力」って何なのでしょうか。それが問題です。
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