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一人で研究授業・研究協議をする

毎週月曜日の最初の授業を1時間録音して、そのテープを聞きながら通勤していた時代があります。3年続けました。「ええと」が多い。口癖がうるさい。余計な言葉が多い。無駄な言葉が多い。指導言の言い換えで意味が変わっている。生徒の発言の核心を拾えていない。そんなことにいやというほどに気づかされました。

新卒から数えて5年目のことです。

私はそれまでいくつもの研究授業の機会を与えられていました。初任者研修しても校内研修にしても地元の研究団体にしても、研究授業の機会があれば立候補していました。

当時、私の授業は「教材研究」と「授業構成」と「主要発問の検討」のみでつくられていました。自分のプレゼン能力とか、生徒たちの意見をどう引き取るとか、自分の指導言が言い直しによって揺れているとか、そんなことにはまったく気がつかず、意識もなく、そして何よりそんなことにはまったく興味がありませんでした。

そんな折り、研究仲間のすすめで野口芳宏先生を講師とする研究会に参加する機会を得ました。それまで「教育技術の法則化運動」は私にとって、官製研究と相反する、授業研究の王道ではない民間の教育運動でしたから、ずいぶんと抵抗感を抱きながら、研究仲間の顔を立てる……なんていう意識で参加したのをいまでもはっきりと覚えています。

私にはまことに不遜ながら、野口先生の教材研究が深いものには見えませんでした。文学研究を踏まえていない、それまでの数多の作品分析理論のどれにも基づいていない、ただ表層的な言葉の言い換えが展開されている……そういう印象でした。この印象は実は私の中でいまなお消えてはいません。野口先生は私の中で、〈教師〉ではあるけれど〈研究者〉ではない、そういう先達として位置づけられています。もちろん、ここで言う〈研究者〉は大学教員などという意味ではありません。〈学術的価値〉を志向しない実践研究者……というような意味合いです。

さて、しかしです。

私はこの研究会で、自分の生涯を規定するような教育観の転換を迎えずにはいられませんでした。自分から見ると、文学理論の先行研究に基づいておらず、表層的な言葉の言い換えに終始しているように見える授業だというのに、私が目指し、私がそれなりの自信をもって取り組んでいる授業研究よりも、授業として成立しているのです。子どもたちが子どもたちなりの発想で素直な意見を言うのです。子どもたちの表情が良いのです。そして何より、野口芳宏という教師が子どもたち全員を包み込んでいるのです。しかもこの研究会は飛び込み授業でしたから、野口先生は子どもたちと初見のはずなのです。これはいったい、どういうことなのでしょうか。

当時は、野口先生がちょうど北海道教育大学函館校にいらっしゃった時代であり、北海道内では野口先生の模擬授業を種とした研究会や講演会が毎週のように開かれていました。私は1年ほど、まるでアイドルのおっかけのように野口先生の研究会に出席し続けました。札幌市内の研究会はもとより、網走や函館、中標津の研究会にまで足を運びました。北海道はとても広いですから、移動時間が5時間、6時間を数える地域です。

私の目的はただ一つ。野口先生の話術はどういう構造でできているのか、野口先生のつくり出す空気はどういう構造でできているのか、それを分析することでした。野口先生の発問の質はこれまた不遜ながら、「なぜか」「○か×か」「AかBかCか」「+か0か-か」といったシンプルなものですから、野口先生の授業がつくり出す空気は授業における「責め」ではなく「受け」にあります。その「受け」の構造を明らかにしようとしたのです。

もちろん、野口先生の全集も買い、野口先生のすべての著作を読みました。

研究会に足しげく通っているうちに、野口先生と親しくお話させていただく機会も増え、私は「教材研究」や「授業構成」や「主要発問の検討」よりも、子どもの発言を教師がどう受け、どう返していくか、授業の機能度を上げることの方が大切なことだと考えるようになりました。もちろん、誤解しないでいただきたいのですが、「教材研究」や「授業構成」や「主要発問の検討」を蔑ろにして良いと言っているのではありません。こうした「教師の責め」以上に、「教師の受け」が授業を機能させる、という構造に気がついたということです。言い換えれば、それまで私の志向してきた授業研究は、授業研究の半分にも満たなかったのだということに気づいた、とでもいえば良いでしょうか。

私は翌年、「鍛える国語教室」研究会札幌支部を立ち上げ、「礎(そ)石(せき)」「碑(いしぶみ)」「実践研究ことのは」という3冊の同人誌を発行しました。「礎石」「実践研究ことのは」は月刊、「碑」は隔月刊です。この3冊は多くの読者を得る言ができました。また、いま考えると、この3冊を発行していた4年間で、私が代表を務めるサークル「研究集団ことのは」はもとより、北海道の民間研究会に集う各サークルの地力をものすごく高めることができたと感じています。あの4年間は北海道にとって、大切な大切な4年間でした。

前置きが長くなりました。このような時期に、私は毎週、自分の月曜日の最初の授業を録音し、そのテープを通勤途中の車で聞いていたのです。つまり、1本の同じ授業の録音テープを月曜の帰り道、火~土の出勤・退勤時、そして週明け月曜の出勤時と12回聞いていたのです。当時の私は、札幌在住の方しかわからない話ですが、発(はつ)寒(さむ)から厚別まで片道50分ほどをかけて自家用車で通っていましたから、この営みに取り組むには最高の環境にあったのです。

土日で自分の課題をを整理し、1週間分の授業案をつくる。課題を意識しながら、月曜日の朝に実践してみる。そしてそれを車で聞く。私はたった一人で毎週月曜日に研究授業をし、1週間かけて車の中でたった一人で研究協議をする、そんな生活をしていたことになります。こんな生活が3年間続きました。

最初にしたことは、自分の言葉の中にある「ええと…」とか「ええー」とか「あー」とかいう無駄に挿入される感動詞をとることでした。テープを聞くと、怖ろしいほどにこれらの言葉が出てくるのです。それが私の言葉を、発言を聞きづらくしているのです。最初にテープを聞いたときにはこれは癖だからとれないのでは?などとも思いましたが、1週間、このテープを聞いていると「いや、こんな癖は直してしまおう」と思えるようになりました。次の週に、私は「ええと…」を言わないように意識して授業に臨んでみました。テープを聞いてみると、意識した分だけ、「ええと…」は消えていました。「ええと…」を言わないように意識している分だけ、自分の言葉がぎこちなくなっている嫌いはありましたが、しかし、「ええと…」がこれだけ少なくなっているのだから、こうしたぎこちなさもいまに消えて行くに違いない、そう確信がもてました。この一人研究授業、一人研究協議はこんな小さなことから始まったのでした。

この生活が1ヶ月も続いた頃、カーステレオから「ええと…」が流れてくることはほとんどなくなりました。そして、3ヶ月も続いた頃には、私の言葉には意識しなくても「ええと…」がなくなっていきました。「ええと…」を言わないようにと意識することで生じていたぎこちなさも、この時期には解消していきました。

私は自分の表現が洗練されていくのを感じていました。それと同時に、生徒たちに自分の言葉がこれまで以上に機能しているのを実感し始めていました。

もちろん、3ヶ月にもわたって「ええと…」ばかりにこだわり続けていたわけではありません。ある程度、「ええと…」が消えてきたところで、次の課題を自分に課します。次に私が取り組んだことは、「最初に結論を言い、その後に理由を言う」でした。要するに、最初に結論を言って、生徒たちがいま何について話しているのか、何のためにこの話が先生によってなされているのか、常にそれを意識して聴ける状態をつくる、それを課題としました。これも3ヶ月くらい意識してやっていると、意識しなくてもできるようになっていきます。私の表現は少しずつ、イメージ通りに機能するようになっていきました。

一人研究授業を始めて1年が経った頃でしようか、私は意図的に「ええと…」とか「なんだったっけ」とかボケてみることを覚えました。それ以外の言葉に「ええと…」をはじめとする戸惑いがない分、意図的に入れるボケは思いの外生徒たちに受けるのでした。その後、どのくらい間を置いてボケると良いのかとか、生徒の発言を聞いてどのくらい間を置いてから「マジか」とか「へえーっ」とか「やるなあ」とか大袈裟に感嘆すると大爆笑を誘えるのかとか、そんなことを毎日毎日考え続けながら通勤しました。

私の一人研究授業は、目的意識をもっての一人研究授業ではなく、私の生活の一部になっていきました。私のこの生活は、転勤をして通勤時間が15分になってしまったのを機に終わりを迎えてしまいましたが、この3年間が私にもたらしたものは計り知れません。

もともと私は書くことを得意とはしていましたが、話すことにはものすごく苦手意識をもっている教師でした。授業こそ慣れて来て緊張しないで臨むことができるようになっていましたが、PTA集会で保護者に対して話すときとか、研究発表で先生方を相手に話すときなどは、自分が自分でないような、足が宙に浮いているような感じを抱きながら話しているのが常でした。声が裏返らないようにとか、変なことを言わないようにとか、この思いをわかって欲しいとか、そんなことばかりを考えながら自分を緊張させていました。そんな教師でした。

私は現在、年に100回以上の講座や講演に登壇しますが、いまでも自分が人前でこんなに言いたいことを自然に表現できていることに不思議な感覚を抱くことがあります。

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