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5月23日(水)

1.授業4時間。「握手」の語りが三つ。回想の契機と内容の確認が一つ。その後、朝自習の印刷など。14時で年休をいただいて岩見沢へ。帰宅は21時過ぎ。

2.帰宅してみると、ブログがものすごいアクセス数。なんなんだ、これは。炎上してる様子もない。単純にアクセスする人がたくさんいたということか。オレ、何かアクセスされるような記事書いたかなあ……。別にたいしたこと書いてないけどなあ。

3.私は昨日、「教えるべきことは徹底して教え、経験させるべきことは大胆に経験させる」というフレーズを提示しました。これは私が講演や講座でもよく言うフレーズです。私の話を聞いている人たちはこのフレーズに対して「なるほどな」という顔をする人たちが7~8割、「そんなこと当たり前じゃないか」という表情をする人が2~3割……、そういう実感が私にはあります。

4.そんなとき、私がよく思うことがあります。それは自分が二十代後半くらいだった頃にいまの私を聞いていたならば、私もまた「そんなこと当たり前じゃないか」の2、3割に入っていただろうな、ということです。当時の私は何事も複雑に考える傾向がありましたので、こうしたフレーズには雑な提案という印象を受ける傾向がありました。

5. しかし、前節でも詳しく述べたように、私がこのフレーズに到達するまでには、学級経営上・教科運営上におけるかなり大胆な努力と、ある程度の広さと深さとを伴った検討とがなされています。そうしたことに三十歳前の私は思いも及ばなかったはずです。

6.また、私は本書執筆時点で、TWITTERを始めて約1年といったところです。最初は、学校教育に関するちょっとした原則を140字にまとめて、気軽にツイートしていました。しかし、私のツイートが若い先生方にかなり多くリツイートされたり「お気に入り」に登録されているのを見ていると、これはちゃんと説明した方が良いかもな……と考えるようになりました。それが本書執筆の一つの動機になっています。

7.シンプルな提案を「そんなの当たり前じゃないか」と切り捨てるのもよくありませんが、心地よいシンプルなフレーズをシンプルなままにただ受け取るのもまたよくありません。それは「わかったつもりになって、何もわかっていない」、そういう状態に過ぎないからです。

8.若い頃には、だれもがなんとなく世の中には〈真理〉というものがあるような気がして、それを追い求めます。それが志向を複雑にしてすべてをすくい取ろうという発想になったり、ちょっとした心地よいフレーズを「ああ、これは世の中の普遍原理だ」とよく理解しないままに収集したりしがちです。しかし、どちらもよくありません。どちらもよくないというよりも、どちらも一長一短なのです。

9.何事も〈提案〉というものは、すべてをすくい取りたいという〈志向〉のもとに複雑な〈思考〉をくぐり抜け、それらに優先順位をつけながら実際に〈試行〉され続けた結果として、シンプルな言葉で皆さんに伝えられることが〈指向〉される、そういう過程をとるものです。この四つの〈シコウ〉を通らない〈提案〉は、少なくとも教育の提案としてはまがいものだと私は思います。

10.私にも尊敬する先達がたくさんいます。みんな一様に主張していることはシンプルでした。失礼になるといけないので名前は挙げませんが、先にも述べたように、私は若い頃、それらを雑な主張だと感じていました。
しかし、それから20年が経って、自分が年齢を重ねるにつれて、「ああ、あのとき、あの先生がおっしゃっていたことはこのことだったのだ」と気づくことが多くあるのです。それも毎日のようにあるのです。なぜ、あの言葉が用いられていたのか、それはこの優先順位思考の結果だったのだとか、ああ、このこととこのこととが結びついたとき、こういう発想に至ったのだなとか、そういう発見が至る処にあるのです。人間の認識というものが、自分が見えているものを超えることがないとはよく言われますが、世の中が見えてくるに従ってそれを実感します。

11.では、若い皆さんがそういう境地に立つにはただ時が経つのを待つしかないのかというと、決してそうではありません。私は若い先生方に次の三つの構えが急成長を促すと自信をもって主張します。

12.第一に、直感的に「これはいい!」って思った実践手法に出逢ったら、自分を惹きつけたものが何なのかを真剣に考えてみる、ということです。それもしつこくしつこく考えてみるのです。この思考を通らない実践は、多くの場合人真似になり、借り物になります。自分は武器にしているつもりでも、実は技術に使われている……ということになりやすいのです。

13.第二に、直感的に「それは違う!」って思うような実践手法に出逢ったら、その違和感が何なのか、明確になるまでその手法について勉強してみる、ということです。そうすれば、そのいやな部分を解消できる手法に自分で作り替えてみることができます。システマティックなパッケージになるまで構想できれば、それは自分の大きな武器になっていきます。

14.第三に、「ああ、私が求めていたものはこれだな」っていう手法を見つけたら、教師人生をかけて続けることも大切だ、ということです。決して途中で諦めてはいけません。少なくとも3年、できれば10年です。10年続けたらその手法については、言葉が悪いですが片手間でもできるようになるはずです。そうしたらそれをやり続けながら、次の手法にも挑戦してみるのです。そしてそれも続けてみる。できれば二つの手法をミックスしてみる。その頃、その提案は大提案として世の中に受け入れられるようなものになっているはずです。

15.『スペシャリスト直伝!中学校・学級経営の極意』(明治図書)がもうすぐ脱稿します。あまりにもサボッていて、依頼を受けてから半年以上かかりましたが、ようやく完成の見込みが立ちました。良かった良かった。

16.これで夏に出る本2冊が完成です。秋の上梓を予定している『一斉授業10の原理・100の原則』を上げてしまえば、次は冬に上梓する予定の「ことのは」のファシリテーションシリーズ5冊の編集です。今年はすごいぞ。書けそうな気になっているところが、これまでとの違いです。

17.楽しいことばかりでは生きていけない─。みんなそう言います。しかし、私には、楽しいことばかりに取り組んで生きてきた、という実感があります。私にとって、実践研究は「道楽」でした。だって楽しいではありませんか。自分の考えたことが一つ一つ具現化していくのです。自分の考えたことを試してみると、昨日の自分の考えの足りなさに気づくことができるのです。この1年間を振り返ってみたら、去年の自分には考えも及ばなかったことを幾つも幾つも知っている自分を実感できるのです。これ以上の「道楽」があるでしょうか。

18.成長とか実践研究とかいうものを、何か苦行僧の修業のようなイメージで捉える向きもありますが、私はそんな感覚は間違っていると思います。楽しむことがいけないのではありません。何に楽しみを見出すのか、それこそが核心なのです。

19.旅行、スポーツ観戦、映画鑑賞、読書、ネットサーフィン、グルメ、パチンコ……、どれも確かに楽しいでしょう。私だって若い頃に毎日パチンコに興じていた時期があります。しかし、自分が何を楽しんでいるかが問わなければなりません。楽しいことにも質があるのです。

20.私は皆さんに自信をもって主張します。最も楽しいのは、自分が成長していることを実感できることです。

21.だれもがこの感覚をもてたなら、心を病むことも自殺を考えることもないはずなのに……と思うことが、私にはよくあります。

22.HALCALIのファーストアルバムは僕にはダメでした。これで僕の中のHALCALIブームも終わりました(笑)。代わりに人生で数十度目の中村雅俊ドラマ主題歌ブームがやってきています。「俺たちの旅」も好きですが、「俺たちの祭」がいっとう好きです。

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