怒鳴ることは最終手段である
「怒鳴る教師」になってはいけません。怒鳴ることに頼り始めると教師はみるみる堕落していきます。怒鳴ることなく同じ効果をあげられる手法がないかと考え続けること。それを一つ一つためすこと。そのスキルを一つ一つ整理していくこと。この3つが大切です。怒鳴ることに頼って楽をしてはいけません。
「生徒になめられてはいけない……。」
あなたはそんな意識を強くもっていないでしょうか。
どうも中学校の教師はこの意識を必要以上に抱いている、そういう傾向にあるように思えます。もちろん小学校の先生も高校の先生もそういう意識を抱きはするのですが、中学校の先生にはその意識が特に大きいようです。
小学生には教師が怒鳴ることによって怯える児童がたくさんいますし、それが保護者のクレームにつながることも少なくありません。高校生には教師が怒鳴ることによって一方的に価値観を押しつけることを批判的に捉える生徒たちがたくさんいます。どちらも教師が怒鳴る教育に頼ることの歯止めとして機能しています。
その点、その中間にある中学生は大人になりかけていながらもまだまだ子ども……。教師が怒鳴ることによって萎縮し、取り敢えずは言うことを聞くことが多い。その結果、中学校にはどうしても「怒鳴る教師」の数が多くなっている、というわけです。しかも この傾向は老若男女を問いません。
しかし、怒鳴ることは長い目で見ると効果のうすい対処法なのです。生徒たちも人間ですから、教師がいつも怒鳴っているとだんだんと怒鳴られることに慣れていきます。みなさんも1年生のときは怒鳴ることによって生徒たちに言うことを聞かせていた教師が、2年、3年と生徒たちが成長するにつれてだんだんと乗り越えられていく……そんな事例をたくさん見ているのではないでしょうか。
怒鳴ることは確かにその場をおさめることには有効かもしれません。しかし、その場はその場だけで完結しているわけではありません。明日にも数ヶ月後にも1年後にもつながっているのです。こういう意識をもったとき、怒鳴ることはその場しのぎの、実は教師が楽をするための指導方法であることが見えてくるはずです。
世の中では、様々な教育技術が教育書やセミナーで紹介されています。その中に教師に怒鳴ることを奨励するものはおそらく一つもないでしょう。それは生徒たちを怒鳴って制止することが長い目で見ると効果が上がらないことを意味しているのではないでしょうか。
教師にとって怒鳴ることはある種の「魔力」をもっています。「麻薬」のようなものです。困っているときに確かにその場をしのげるわけですから、その効果は抜群です。しかし、怒鳴ることに慣れ、怒鳴ることに頼り始めた瞬間、実は教師の堕落が確実に始まっているのです。私はこうしたストイックな感覚を「怒鳴ること」に対してはもつべきだと思っています。
では、日常的にどのような心構えをもって過ごせば良いのでしょうか。私の経験から言って、それはまず、怒鳴りたくなったら深呼吸をして自分自身が落ち着くことです。続いて、意識して声のトーンを低くして、ゆっくりとしゃべることです。多くの場合、そのトーンが生徒をも沈めていきます。
あとは果てしない試行錯誤の連続となります。周りの先生方をよく観察して怒鳴る指導の代わりにどんな指導方法をとっているかを考えること、本を読んだり研修会に参加するなどして一つでも多くのスキルを学ぶこと、この二つが王道です。
しかし、学ぶことで満足してはいけません。多くの先生は、学んだことに満足し、自分でそれをやってみよう、取り組んでみようとしない傾向があります。それではいけません。スキルは知識としてもっていることには何の意味もありません。「知ってナンボ」のものではなく、「使ってナンボ」のものなのです。学んだら試す、そしてそれを整理する、その繰り返しにしか教師の成長の道はないのです。
私はいま、常時20学級以上の大規模校に勤めています。当然、職員室も大きく、教員は50名以上います。二十代の若手教師もたくさんいますし、五十代の大ベテランもたくさんいます。
こうした大規模校で先生方の指導を観察していますと、若手ほど怒鳴る教師が多いという傾向が見て取れます。ベテラン教師が生徒を怒鳴る場面を見ることはほとんどありません。見るにしても、「あんな温厚な○○先生があんなに怒鳴ってる。これはオレたちが悪かったんだなあ」と、生徒たちがかえってびっくりしていたり、納得していたりする有様です。
ここから私は二つのことがいえると考えています。
一つは、「怒鳴る教師」は、力量がないから怒鳴るのだということです。考えてもみてください。怒鳴る以外の手立てをもっている教師なら、怒鳴りつけて制止しようとなどしないのではないでしょうか。昨日もも怒鳴られ今日も怒鳴られ……生徒からみれば、小さなことでも大きなことでも指導のされ方は同じ……。これではいくら怒鳴られても、指導されたことの一つひとつの質の違いがわからなくなってしまいます。やはり、教師は怒鳴ること以外の指導方法、説得方法を数多く身につけるべきなのです。
もう一つは、「怒鳴る教師」は、怒鳴ることの効果的な活用について考えていないということです。普段は温厚そうに見えて、低い声でゆっくりとしゃべる。そういう先生が怒鳴るからこそ、その怒鳴りは効果をもたらすのです。日常的なこまごましたことで常に怒鳴っている教師が、生徒間暴力や対教師暴力といった場面に遭遇したとき、その教師の怒鳴り声は制止の威力を発揮するでしょうか。
あるとき、私が授業をしていると、廊下で怒鳴り声が聞こえました。「ちょっと待っててね」と生徒たちに言って廊下に出てみると、ある男子生徒と男性教師がもみ合っています。私はすぐに「ヨースケ!(もちろん仮名)」と怒鳴りつけながら走り寄りました。その怒鳴り声でその男子生徒は一瞬で我に返り、その場は事なきを得ました。
あとで話を聞くと、その男子生徒が言っていました。「堀先生に怒鳴られて、ああ、何やってんだ、オレ……と我に返りました」と。これは私がふだん怒鳴る教師ではないからこそできたことなのです。もしも私が日常的に怒鳴る教師であったとしたら、この男子生徒はもっと興奮したかも知れません。私の怒鳴り声は火に油を注ぐことにさえなったかもしれないのです。
さて、「怒鳴る教師」は、いざというときどうするのでしょうか。暴力行為があったとき、生徒が大きな興奮状態にあるとき、怒鳴ること以上の制止の手立てをもっているのでしようか。次の一手をもっているのでしょうか。まさか体罰でしょうか……。
実はいまの時代、怒鳴ること以上の手立てなどないのです。怒鳴ることが最終手段なのです。日常的に怒鳴っている教師は、その最終手段を日常的な手段として使ってしまっているのです。そんな綱渡りの状態であることに、自らが気づいていないのです。
ふだん「怒鳴ること」に頼っている教師が「怒鳴ること」の効果が実感できない場面に遭遇したとき、体罰が起こりやすいと現実があります。「怒鳴ること」は効果がないだけでなく、また教師を堕落させるだけでなく、実に危険な手法でもあるのです。こうした視座をもって、スキルを一つひとつためして整理していくことは、自分の身を守るためにも大切なのです。
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