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結果を出すことに貪欲にならねばならない

教師は結果を出すことにもう少し貪欲になるべきです。結果を出すためには粛々とこなさなければならない現実的な現実が当然出てきます。現実を避けて結果が出ないと悩む自分に酔っている、或い自分は正しいはずなのに周りの理解が得られない愚痴る、教師の世界には、そんな独善や責任転嫁が多く見られる現実があります。

教育の成果は一朝一夕では表れない─昔からよく言われる言葉です。

確かに、我が国の学校教育が人格形成を担っていることを考えれば、学校で施した指導がその場では効果がなかったように見えても、5年先、10年先に実を結ぶということはあり得ます。私たちがかつて学生だった頃のことを思い返してみても、後に「ああ、あのときあの先生が言っていたことはこういうことだったのだな」と感じたことは数知れず、そうした意味でもこの言葉は実感をもって受け止めることができます。

しかし、「ああ、あのときあの先生が……」と学ぶ側が振り返るのは良いとして、教師の側が「教育の成果はいまは表れなくても良い」と考えるのはいかがなものでしょうか。それは筋が違うのではないでしょうか。

もちろん、結果がすぐに出ないことなどたくさんあります。しかし、結果が出なかったときに、「どうすれば結果が出るだろうか」と考えるのではなく、「そう簡単に成果など出るものではない」「あいつもいつかわかってくれるに違いない」という理屈が、一種の逃げ口上として機能してしまっているように思えるのです。それではいけません。

皆さんの学校に、毎年毎年、例外なく〈一定の成果〉を上げている教師はいないでしょうか。なぜかあの先生が担任すると、やんちゃな生徒が落ち着いてしまう。あの先生の学級は文化祭でも合唱コンクールでも必ず質の高いものが生まれる。あの先生が担当しているクラスは、他の先生が担当したクラスに比べて明らかに平均点が高い。そんな先生です。

実はこうした教師の存在は、教育の成果が短期間で表れ得ることを示しています。もちろん、こうした教師はごく一部のスーパー教師であるかもしれません。私には無理だと思う人がいても不思議はありません。しかし、少なくとも、やり方次第によっては教育の成果が短期間で表れ得ることの証左ではあるのです。すべての教師がまずはこの認識をもつことが大切だと私は思っています。

では、毎年、例外なく〈一定の成果〉を上げている教師は、一般の教師たちと何が異なるのでしょうか。私は多くの優れた同僚を観察してきて、そこには二つの特徴があると考えています。

一つは「理想を高くもっていること」です。比喩的に、一般に生徒が教師の指導の6割を達成することが平均である、と考えてみましょう。そうすると、10の理想をかかげる教師のもとで生徒たちは平均6の達成しか示しません。しかし、15の理想をかかげる教師のもとでは、生徒たちは平均9の達成を示すのです。この単純な原理を侮ってはいけません。

かつて、「○○中の生徒だから仕方ない」と職員室が口を揃えて言う学校に勤めたことがあります。諦めているという口調ではなく、笑顔で許しているのです。つまり、生徒たちを可愛がってはいるのですが、甘いのです。私は転勤早々、これはまずいと思いました。理想が低すぎるのです。私はこの学校に勤めている間、すべての提案において、生徒指導でも教科指導でも先生方の意識を変えることを第一義に考えて仕事をしたものです。だいたい1年間くらいで成果が出るようになりました。

もう一つは「自分のやり方だけに固執せず、生徒の状況を見ながら手立てを打つこと」です。教師は「自分のやり方」に固執しがちです。「自分のやり方」から漏れる生徒は「悪い生徒」と断罪しがちです。しかしそれは多くの場合、その「自分のやり方」が狭いのです。この意識をもっているか否かが教師として長くやっていけるか否かの生命線であると私は考えています。

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