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無意味も継続すると意味をもつ

教師に必要な資質。子どもといっしょに馬鹿げたことに一生懸命取り組めること。そしてそれを楽しめること。人はいっしょに笑った分だけ人間関係を築くことができます。子どもたちとの関係も同じです。行事やレクだけでなく日常会話でも子どもたちとともに楽しむ姿勢が必要です。できれば、PTAとも。

馬鹿げたこと…。くだらないこと…。意味のないこと…。

あなたは楽しめますか?  生徒たちが休み時間のたびにやっていますよね。馬鹿げたことも、くだらないことも、意味のないことも……。生徒たちのそのわけのわからないパフォーマンス。あなたは笑えますか?

いまは笑えないとしても、学生時代なら笑えたかも……。胸に手を当てて考えてみましょう。あなただって、学生時代、友達と馬鹿なことばかりやっていたのではないでしょうか。

私はやっていました。コンパのたびに芸と称してウォシュレットの真似をしたり(口から水をふきだして友人のおしりにかける)、大通公園の噴水で一晩中泳いでシンクロナイズド・スイミングの真似をしたり、電車の左右の網棚に一人ずつ昇って「よーい、ドン」で競争して車掌さんに大目玉をくらったり……。いま考えると目も当てられないようなとんでもないことをたくさんやっていました。そんな馬鹿げた、くだらない、意味のないことたちが、いまとなっては良い想い出となるとともに、いまなお私の教師としてのバイタリティをも支えてくれているような気もしています。

そして何より、いっしょに芸をしたり、噴水で泳いだり、網棚競争をしたりした友人たちが、みな教師になり、いまなおかけがえのない友として、間違いなく現在の私の教師生活の精神的な支えとなってくれているのです。

根っから真面目な先生には耳の痛い話かもしれませんが、教師と生徒との人間関係づくりを考えたとき、教師が真面目すぎることによってうまくいかないこと……というのがたくさんあります。私のように、馬鹿げた、くだらない、意味のないことが大好きな人間になる必要はありませんし、生徒たちの意味のないパフォーマンスに参加する必要もありませんが、世の中にはそういう楽しみ方があるのだということを理解することは必要なのではないでしょうか。そういう世界を理解できないとしたら、実は人間としては一面的なのではないでしょうか。私はそう思います。

もちろん、いま、私は学生時代のような馬鹿げたことはしません。やりすぎだと思えば、生徒たちのパフォーマンスを制止もします。しかし、生徒たちがその意味のないパフォーマンスを楽しんでいることの、その〈質〉を理解している人間が制止するのと、理解していない人間が制止するのとでは、自ずからその制止の在り様が異なるのです。そして、その在り樣こそが生徒たちにストレートに伝わっているのであり、その在り樣こそが教師としての資質なのだと言っても過言ではないのです。

人はいっしょに笑った分だけ、いっしょに楽しく過ごした分だけ、人間関係を築くことができます。立場の違いや利害関係を越えて、〈情〉でつながるようになります。その笑いに、その楽しさに意味など必要ないのです。いっしょに笑う、いっしょに楽しく過ごすということだけが重要なのです。学生時代の友人との関係を思い起こせば、だれもが思い当たるはずです。

生徒たちとの関係も同じです。いつも苦虫を噛んだような表情をしていたり、口うるさくお説教ばかりしたりしていて、生徒たちに「自分の言うことを聞け」と言っても無理があります。もちろん、必要なときには必要な指導をしなければなりませんが、日常の学校生活においては無駄なこと、馬鹿げたこと、くだらないこと、意味のないことを生徒たちといっしょに楽しめる感性をもちたいものです。

実は、この原理はPTAが相手でも同じです。時には呑む。保護者が行きたいというならカラオケにも付き合う。それも仕方なく付き合うのではなく、自分も楽しんでしまう。年に何度もあるわけではないのですから。

私がこういう考え方をするようになったのは、ある一冊の新書との出逢いがきっかけです。それは森口朗著『いじめの構造』(新潮新書・2007年6月)における〈スクール・カースト〉という概念との出逢いを指します。

学級集団を構成する生徒たちは、時代とともに変容しています。現代の生徒たちは、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力としての「コミュニケーション能力」の高低を互いに評価し合いながら、自らの〈スクール・カースト〉の調整に腐心していると見て良いでしょう。〈スクール・カースト〉は別名「学級内ステイタス」とも呼ばれ、学級への影響力・いじめ被害者リスクを決定し、生徒たちを無意識の階級闘争へと追い込んでいる、重要な概念です。

では、森口朗氏の提案を軸に〈スクール・カースト〉の概念を見ていくことにしましょう。

21世紀に入って、教育界から政財界に至るまで、これからの人間に必要なのは「コミュニケーション能力」であると声高に叫ばれています。しかし、「コミュニケーション能力」とはいったい何であるのか、その具体は何なのかについて、説得力ある論述はなかなか見られません。森口氏は、これを子ども達が〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力と捉えていると分析しました。〈自己主張力〉とは自分の意見を強く主張する力、〈共感力〉とは他人を思いやる力、〈同調力〉とは周りのノリに合わせる力のことです。

更に詳しく言うなら、次のようになります。

○自己主張力…自分の意見をしっかりと主張することができ、他人のネガティヴな言動、ネガティヴな態度に対してしっかりと戒めることのできる力。80年代以降、世論によって大切だと喧伝されてきた能力であり、臨教審以来の教育政策の根幹として位置 づけられてきた能力でもある。。
○共感力…他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。従来から学校教育で大切と考えられ、リーダー性にとっても絶対に必要とされ重視されてきた能力。多くの教師が「いい子」「力のある子」と評価する要素にもなっている。
○同調力…バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。子どもたちによって現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている、現実的には最も人間関係を調整し得る能力。

この三つの総合力を「コミュニケーション能力」と呼び、〈スクール・カースト〉(=学級内ステイタス)を測る基準としている、というわけです。毒舌タイプの級友にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子をイジじって盛り上げたりしながら、「場の空気」によって人間関係を調整していく、そうした高度な能力だと思えば良いでしょう。

森口氏はこれをマトリクスとしてまとめ(45頁)、三つの力といじめ被害者リスクとの関係を示しました。そこで分析されているのは、現代の学級が以下の8つのキャラクターによって構成されている、ということです。

 ①スーパーリーダー(自己主張力・共感力・同調力のすべてをもっている)
 ②残虐なリーダー(自・同をもつ)
 ③栄光ある孤立(自・共をもつ)
 ④人望あるサブリーダー(共・同をもつ)
 ⑤お調子者・いじられキャラ(同をもつ)
 ⑥いいヤツ(共をもつ)
 ⑦自己中心(自をもつ)
 ⑧何を考えているかわからない(自・共・同のどれももたない)

ここで言う「スーパーリーダー」は、現在の学級にはほとんどいません。それに対して、「お調子者」「いい奴」「自己中心」はかなりの数がいます。また、「残虐なリーダー」も一定程度います。こうした集団構成が現在の学級集団の統率を著しく難しくしているのです。

さて、ここで教師の立場として考えておかなければならないことは、実はこの〈スクール・カースト〉が、決して生徒たちだけが対象になっているわけではない、ということです。実はこうした階級闘争の眼差しは、担任教師にも向けられているのです。もしも、担任教師が「自己主張力」と「共感力」しかもたず、「同調力」をもっていないとすれば、それは「スーパーリーダー」以下、「残虐なリーダー」と同等程度のカーストと見なされることになります。「共感力」「同調力」はあるけれども「自己主張力」が弱いという場合には、「残虐なリーダー」以下の「人望あるサブリーダー的な教師」と見なされています。「自己主張力」だけなら「自己チュー教師」、「共感力」だけなら「いい奴だけど、いじめのターゲットになり得る教師」とさえなるわけです。

おそらく最近の小学校高学年において頻出している学級崩壊は、担任教師のカーストが低く、それ以上のカーストとして認められている子どもたちの影響力の大きさによって引き起こされていると見て間違いありません。こうした現状に鑑れば、現在、学級担任が「残虐なリーダー」タイプや「お調子者」タイプと対立しながら学級を統率していくことは至難の業です。その意味でも、子どもたちのノリ、時代的なノリに対する、教師の「同調力」が重要になるのです。他人を思いやりましょう、規律を守ることが大事だ、といった真面目一辺倒の路線では立ちゆかないのが現代的学級の特徴なのです。

教師はいま、「自己主張力」「共感力」「同調力」という三つの力の総合力としての「コミュニケーション能力」をもたねばならない立場に置かれています。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さん・お姉さん教師が、学級を統率することができずに崩壊させる要因がここにあります。

馬鹿げたことに一所懸命に取り組めること、そしてそれを楽しむことができること……。教室の資質として、私がこのことを重視するのはこうした現状分析に基づいているのです。

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