4月14日(土)
1.人材不足を嘆く言葉を見ると哀しくなります。ぼくには自分の地域にも自分の学校にも、人材きら星のごとくに見えます。ないのはそれぞれの能力とか資質をつなげ、有機的に機能させるようなシステムだと感じています。教育の現場は能力や資質はもちろん、どんな小さな趣味でも嗜好でも活かせる場所です。
2.教室はハプニングの起こるところです。ハプニング性にこそ本質があります。教育技術や授業技術はハプニングを極力排除しようという提案でした。しかしそれは背理なのです。そんな発想一辺倒では教室は活力を失ってしまいます。そこでどうバランスをとるかが問われます。そこに教師の個性が表れます。
3.自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じている……文科省によれば、これをいじめと言います。キーワードは「弱い者」「一方的」「身体的」「心理的」「継続的」「深刻な苦痛」といったところでしょうか。
4.この定義を解読してみましょう。「自分より弱い者に対して」という表現は、子ども同士の間には上下関係が存在するということです。確かに私たちの実感から言っても、子ども同士のみならず、すべての人間関係には上下関係があると感じられますから、このことに抵抗感を抱く人はあまりいないでしょう。
5.では、「一方的に」はどうでしょうか。「一方的な攻撃」と対をなす概念は「双方向的な攻撃」になります。「双方向的な攻撃」は一般に「喧嘩」と言われますから、いじめが「自分より弱い者」という上下関係概念と「一方的に」というワンウェイベクトルをそのファクターとされることも理解できます。
6.しかし、「身体的・心理的な攻撃を継続的に加え」になると疑問があります。「心理的な攻撃を継続的に加える」ことはいじめかもしれませんが、「身体的な攻撃を継続的に加える」ことは果たしていじめなのでしょうか。私にはいじめを超えて、これは「犯罪」であるように感じられます。
7.「双方向的に身体的な攻撃を加える」のなら「喧嘩」かもしれません。しかし、これが「自分より弱い者に対して一方的に身体的な攻撃を継続的に加える」となると、もう「喧嘩」でも「いじめ」でもありません。この定義において、「身体的」と「心理的」とが並列されていることに問題はないでしょうか。
8.「心理的な攻撃」も分けて考える必要がありそうです。無視した、悪口を言ったあたりだと「いじめ」という言い方もできますが、見られたくない写真を転送されるとか、お金をまきあげられるといった「心理的な攻撃」もいじめ問題として報道されることがあります。これがいじめ問題を曖昧にしています。
9.「継続的に加え」という要素はいじめを論じるときに大切な要素です。「身体的な一過性の攻撃」は「喧嘩」や「暴行」ですし、「心理的な一過性の攻撃」は「口喧嘩」や「悪口」と言われます。「継続的な攻撃」が「一方的」だからこそ「いじめ」と呼ばれるのです。
10.「相手が深刻な苦痛を感じている」も現場を混乱させている要素の一つです。深刻かそうでないかの判断など、だれも判断することのできない、神の領域だからです。結果、いじめられている側が「深刻な苦痛」と感じればそれは「いじめ」である、というシンプルな判断基準が出来上がりました。
11.この考え方は拡大再生産され、相手がセクハラだと感じればそれはセクハラであるとか、相手がパワハラだと感じればそれはパワハラであるとか、こういう論理がこの国を包み込みました。
12.もちろん、この論理が必ずしも悪いわけではありませんが、この論理が人間同士のコミュニケーションをずいぶんと窮屈にしていることも事実です。その一方で、「相手が深刻に捉えない」場合には、「いじり」と呼ばれ、コミュニケーションの潤滑油となると肯定する雰囲気もこの国で大流行しています。
13.子どもたちもこの大流行に敏感に適応し反応していますから、「そんな気はなかった」「いや、自分は深刻な苦痛を感じた」というやりとりばかりが問題になります。そこには、「上下関係」とか「一方的」とか「継続的」とかいう「いじめ」の重要な要素さえ雲散霧消してしまいます。
14.その結果、「いじめ」の指導は、「言うな」「するな」「付き合うな」という関係の断絶の方向に向きやすくなります。つまり、一過性の現象が継続的な断絶へと向かっていくです。ハラスメントと同じ論理で指導されるわけですね。さて、この指導の在り方は子どもたちの成長にとってプラスなのでしょうか。
15.文科省からは教育を取り巻く様々な言葉について定義が示されますが、定義が示されたら一度よく考えてみることが必要です。その場合には、定義で用いられている言葉の対義語、或いは対置される言葉を意図的に想定してみると、現場感覚とその定義との間にある齟齬を顕在化させることができます。
16.昼過ぎに録画していたビデオを見ているうちにソファで寝てしまい、気がつくと8時間近く経っていました。昨日は朝帰りでしたから、まあそうだろうなと思います。しかし、結成から1年以上が経過した学年団の呑み会というのは良いものです。お互いの良さも悪さも熟知していますから、会話もおもしろい。
17.この国の教育はいつの間にかネガティヴリストによる運営からポジティヴリストによる運営に替わりました。前者は「やってはいけないこと」だけを禁止する運営、後者は「やった方がいいこと」をすべて求める運営。前者は自由があり、後者は多忙観だけを増幅させます。しかし、もう戻ることはありません。
18.【拡散希望/定員30名/残席5】第4回教室ファシリテーションセミナーin名古屋/5月5日(土)/名古屋国際センター/堀裕嗣・藤原友和/WC・FG・OSTの教室への導入。基礎の基礎からワークショップで学べます。GWの名古屋でお会いしましょう。
19.ワールド・カフェの問いは一般に3ラウンドの問いが最も重要なように感じられますが、本当は1ラウンドの問いが最も大切です。1ラウントでテーマに関する問題点がリストアップされれば、2ラウンドでは必然的にカテゴリー化の指向性が働き、3ラウンドはかなり抽象的な問いでも対応できてしまいます。
20.今日は20日(金)に勤務校で行われる小中合同研修会の準備をしています。8月の合築に向けて、小中の職員室の全員が一堂に会してワールド・カフェを行います。私がカフェ・ホストです。いま、PPTをつくっているところです。小中の子どもたちに対する捉え方が自然に顕在化する問いを模索中です。
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